日韓近代史資料集

韓国ニュー・ライトの応援+竹島問題

全体表示

[ リスト ]

天保の触書

天保竹島一件が竹島問題において取り上げられる理由の三つめは、八右衛門処刑の翌年(天保8年、1837)に幕府が全国に指示して周知させた竹島渡海禁止の触書(高札)です。
触書の文面は全国にいくつか残っているらしいですが、こういうものだそうです。
 

 今度松平周防守元領分石州濱田松原浦ニ罷在候無宿八右衛門竹嶋江渡海いたし候一件吟味之上右八右衛門外夫々厳科ニ被行候 右島往古米子之者共渡海魚漁等致候得共元禄之度朝鮮国江御渡ニ相成候以来渡海停止被仰付候場所に有之 都て異国渡海之儀は重き御制禁に候条向後右島之儀も同様相心得渡海致間敷候勿論 国々之廻船等海上ニおゐて異国船に出会さる様乗筋等心かけ可申旨 先年も相触候通弥相守以来は可成丈遠沖乗不致様乗廻可申候 
右之趣御料は御代官私領は領主地頭より浦方村町とも不洩様可触知候尤板札に認め高札場等ニ掛置可申もの也二月右之通可被相触候
「天保期竹島渡海禁止の高札、御触書について」
 
 
(口語訳)
このたび松平周防守の元の領地である石州浜田松原浦の住所不定八右衛門が竹島へ渡海した一件は、吟味の上、右八右衛門その他はそれぞれ厳罰に処された。
 右島は、昔は伯耆・米子の者たちが渡海して漁などをしていたが、元禄時代に朝鮮国へお渡しになった時から渡海停止が仰せつけられた場所である。すべて異国へ渡海することは重い御禁制であるが、今後、右島のことも同様に心得て渡海してはならないことはもちろん、各地の船は海上で異国船に出会わないように航路に注意すべき旨は先年も触れたとおりであり、これを一層厳守し、今後はなるべく遠い沖乗りはしないように航路を取るよう申しつける。
 右の趣旨は、直轄領においては代官から、私領においては領主・地頭から、海沿いの村町に漏らさず周知すべきである。また、周知の趣旨は板に書き、高札場などに掲示して置くよう申しつける。
二月 右のとおり周知すべし。


 
 
この触書に対しては、文面では竹島(鬱陵島)への渡航のみを禁ずることが書かれていてもその趣旨は松島(今の竹島)への渡航も禁ずるものであるとか、「遠い沖乗りはしないよう」とはまさに松島に行くなという意味だとかいう主張がありますね。
それから傑作なのが、「今後、右島のことも同様に心得て渡海してはならないことはもちろん」の「右島」は「竹島(鬱陵島)の右の島、つまり竹島/独島を指しているのだ」という幼稚極まりない解釈(いや、こんなのはもはや「解釈」とは言えない)ことを言う研究者がいることです。そういう恥ずかしい話がマスコミ(朝鮮日報ですよ)に堂々と掲載されるというのが韓国の研究水準の現実です。(右の島なんてことをいう研究者が多数派というわけではないですけどね。)
 
「独島博士」のお話 7「右の島」への渡海禁止 (国際ニュース)
 
日本が必死に阻もうとする「独島高札」の秘密 (朝鮮日報)
 


 
さて、ともかくも以上のような論点を有する天保竹島一件について、池内教授は、事件の概要と竹島渡海禁止の高札の文面を紹介した後に、次のように述べます。
 
こうして元禄竹島渡海禁令と天保竹島渡海禁令の二つの禁令によって、江戸幕府は、日本人が松島(竹島)及び竹島(鬱陵島)と接触する途を公的に断ち切ったのである。元禄期には現実の渡海者たちに対する個別禁令として、天保期には全国法令として一般に周知させる恰好で、幕府は当時の日本の中央政権として竹島(鬱陵島)への日本人渡航禁止を公式に表明したのである。
元禄竹島渡海禁令の文面には松島(竹島) 渡海を禁止する文言は明示されないものの、その発給過程で松島(竹島)が日本領でないことの公式確認を行っており、18世紀初めには官民ともに竹島(鬱陵島)松島(竹島)双方に対する渡海禁令だと了解されていた。天保竹島渡海禁令にも松島(竹島)渡海を禁止する文言が明示されないが、元禄竹島渡海禁令を踏まえて発令されたものである以上はここでも継続して日本人の松島(竹島) 渡海が禁止されていることが明らかである(p105)  (強調は引用者による)
 
 
 
まず、「元禄竹島渡海禁令と天保竹島渡海禁令の二つの禁令によって、江戸幕府は、日本人が松島(竹島)及び竹島(鬱陵島)と接触する途を公的に断ち切った」とはどういうことを意味するのでしょうかね。どちらの禁令も「竹島(鬱陵島)には行くな」と書いてあるのだから「日本人が竹島(鬱陵島)と接触する途を公的に断ち切った」とは言えます。しかし、どちらの禁令も松島(今の竹島)については言及していないのだから、「日本人が松島(現竹島)と接触する途を公的に断ち切った」とは言えませんね。
池内さんがこんなことを言うのは、松島は単独では利用価値のない島であって竹島往復のついでに利用される存在に過ぎないから、竹島への渡海さえ禁止すれば自動的に松島への渡海も途絶えるしかない、という考えに基づいています。
そういう実情は一応あったでしょう。しかしながら、それは実情であり禁令に付随する事実上の効果ではあっても、幕府の意思表示そのものではないのです。大谷・村川は元禄竹島渡海禁止令によって松島に行くこともなくなったかも知れないにしても、他の誰かが、何かの理由で松島に行ったとした場合に、竹島に行くことのみを禁じた指令によってそれを咎めることはできません。池内さんは、幕府は竹島や松島に渡海するのは米子の町人以外にはいないという事実を確認した上で禁令を出したのだから、他に渡海する者のことは考慮する必要はないとでもお考えなのかも知れないが、その時点での現実はそうであったとしても、将来、誰がどういう事情で松島に行くという事態が発生するかは分からないことです。だから、幕府が日本人が松島に行くことは何がどうでも禁止しなければならないと考えたならば「松島への渡海も禁止する」と書かなければならないのです。江戸時代のこととはいえ、こういうことは常識の範囲のことではないですか。「松島への渡海も禁止する」という言葉がないのに「松島(竹島)と接触する途を公的に断ち切った」と説明するのは誤りです。


(続く)


 

閉じる コメント(8)

顔アイコン

本記事も面白いし、ためになります。(上から)>右の島、つまり竹島/独島を・・恥ずかしい話がマスコミ(朝鮮日報ですよ<は、笑です。シンシアリーさんサイトでも朝鮮日報の記事に関して、>事実関係はどうでもいいからこちらに合わせろ<とありました(笑)。

赤字の池内センセの結論には、やっぱり賛成できません。前提が、竹島と松島の双方に接触する途を”公的に”断った<ですが、松島は禁令文にはないので公的に断った事実はありません。そこでこう考えました。竹島は明文アリ、松島はナシ。差があります。いわゆる属島的認識があったとしても、竹島は公式に朝鮮領と認定した。松島は不明(対馬藩のコトバを借りれば”断定できない”)が妥当でしょう。この”断定できない”は、1904年9月の中井の領土編入申請に対する官側の認識とも一致していて、心強いです。

2016/3/1(火) 午後 7:18 [ gku***** ] 返信する

顔アイコン

「松島については何も判断しないという状況が続いたまま1905年に至る」が結論ですね。

2016/3/2(水) 午後 10:25 [ Chaamiey ] 返信する

顔アイコン

明治16年3月31日付訓令「北緯三十七度三十分西経八度五十七分ニ位スル日本称松嶋一名竹島、朝鮮称蔚陵嶋ノ義ハ従前彼我政府議定ノ義モ有之日本人民妄ニ渡海上陸不相成候條心得違無之様其管下ヘ諭達可致此旨及内達候也」
↑これはリアンコールト岩への渡航禁止も当然に含意していると主張するつもりなのですかね。

2016/3/3(木) 午後 9:14 [ pur*cy*ka20*7 ] 返信する

顔アイコン

そうなんです。管理人さんの本記事で気が付いたのですが、天保竹島一件(八右衛門事件1836年)と1904年9月中井の領土申請の時のシチュエーションは同じで、どちらも旧松島・リャンコ島に付いて、官側※がどちらも”断定できない”としていることです。

※天保時は幕府朝鮮局兼対朝鮮外交使節の対馬藩が、明治(1904年)では農商務省・外務省・海軍省が、また内務省も。

2016/3/3(木) 午後 9:20 [ gku***** ] 返信する

顔アイコン

>puracyakaさん、そこには気づきませんでしたよ。なるほどお~。明治16年3月31日付訓令も元禄竹島一件を踏まえて発されたものだから、当然にリアンコールト岩への渡航禁止を含んでいるのだと池内さんは是非主張しなければならないですねー。それでこそ首尾一貫です。

2016/3/3(木) 午後 10:19 [ Chaamiey ] 返信する

顔アイコン

まあ、池内さんは、その6年前の太政官指令で鬱陵島と現竹島が日本外と指示されたという立場ですから、それを理由として明治16年3月31日訓令も当然リアンコールト岩への渡航禁止は含まれているとおっしゃるかも知れません(笑)

2016/3/3(木) 午後 10:47 [ Chaamiey ] 返信する

顔アイコン

お二人の、明治16年3月31日付訓令<ですが、これもシチュエーションが元禄竹島一件の禁令と似ています。明治のヤツは、”鬱陵島だけ”がターゲットであることは発令までの経緯から判明しています。また両者ともリアンコールト岩・旧松島は、議論・争点になっていません。

逆に言えば、議論・争点になっていなくて明確な判断が示されていなかったために、いわゆる「属島的認識」が、天保竹島一件(対馬藩認識)と1904年9月の中井の領土編入申請時に、その解釈がはいり込んで来たとも言えそうです。

2016/3/4(金) 午前 0:24 [ gku***** ] 返信する

顔アイコン

そうですね、何もはっきりしたものがないので、比較的近いということから何となく属島のような印象が生まれたかも知れません。でもそれはものごとを具体的に決定させるほどの影響力は持たなかったということでしょうね。

2016/3/4(金) 午前 5:22 [ Chaamiey ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.
Chaamiey
Chaamiey
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
 今日全体
訪問者31281087
ブログリンク068
コメント07344
トラックバック084

過去の記事一覧

開​設日​: ​20​06​/7​/1​7(​月)​


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事