日韓近代史資料集

韓国ニュー・ライトの応援+竹島問題

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では、私の読み方が当たっているとして、「この間、隠岐から鬱陵島への道筋にある竹島は、航行の目標として、途中の船がかり(停泊地)として、また、あしかやあわびの漁獲の好地として自然に利用されるようになりました。」()という事実をイコール「我が国としての領有権の確立」()と評価する評価の仕方は、果たして成立しているのでしょうか。
 
 おそらく、外務省が言っていることをごく平たく言えば次のようになるはずです。
 

「江戸時代には幕府の関与のもとで日本人が竹島(今の竹島)を自由に利用していました。この状況を今考えて見れば、それはまさに日本の領土だったということですよね?」
 
 
そういう考えを、「領有権を確立」という役所らしいちょっとお固い言葉で表現してあるのです。幕府の「領有意思」はなくても別に問題にはならない論理なのです。近代以降の国際法の考え方に基づく領有の説明をしてあるのではなくて、実際上どうだったのかという観点からの説明が行われているだけなのです。「歴史的権原」について説明してあると言ってもいいでしょう。だから「③=④」という説明は十分に成立しています。
なお、念のためですが、国際法以前の時代のことですから、こういう説明は、幕府の知らないところで単に民間人が利用していただけだという場合でも成立すると思います。「幕府の関与」は絶対的に必要なものではないですね。しかし、竹島(今の竹島)の場合は「竹島(鬱陵島)渡海免許」などの幕府の関与があった上での利用ですから、「領有権を確立」の度合いもそれだけ強いものになります。「老中の内意」を得て今の竹島に渡海したという事実も、今の外務省の説明には出て来ていないものの、「領有権の確立」にプラスに働くものです。
 
 
 
 
池内教授は、「外務省は江戸幕府が竹島領有を確立したと説明している」と理解(誤解)しておられるらしいわけですが、そういうふうに理解していると、「外務省は、江戸時代に幕府が確立したという領有権を現代国際法上の領有権主張の根拠として用いている」というさらに間違った理解に進むことになります。
少し前にこのブログで池内さんの「「竹島は日本固有の領土である」論」という論文を取り上げたことがありますが、そこでの池内さんの論旨は、外務省は中身の異なる二つの固有領土論を対内向けと対外向けに使い分けているというものでした。
(「固有領土論異説」 http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/57159864.html)
 
「外務省は江戸幕府が竹島領有を確立したと説明している」と理解なさるから、外務省の主張の中には「竹島は江戸時代以来の日本の固有領土」という根拠と1905年の領土編入という根拠の二つの根拠が同等に存在しているように見えてしまうのです。しかし外務省がそんなことを言っているわけではないのです。「竹島は江戸時代以来の日本の固有領土」というのは、前に書いたように「事件の全体総括」です。
 
 
今一度、繰り返します。「江戸時代には幕府の関与のもとで日本人が竹島を自由に利用していました。この状況を今考えて見れば、それはまさに日本の領土だったということですよね?」という言い方は納得できるものでしょうか、納得できないものでしょうか。これが外務省の見解を理解する際の別れ道です。
 
 
私の考えは以上のとおりです。結局、池内さんは、外務省の文章の意味を理解できずに誤読して、もともとありもしない外務省の論理の欠陥を作り立てて、一所懸命にその欠陥を批判しているわけです。一体何と形容すればいいでしょうかね、この状況は。
 
 
「こうして、我が国は、遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。」()という外務省見解を批判したいのならば、その前提となっている①②③の事実認定に誤りがあると言うか――ただし、池内さんは①②③については、多少の条件つきではありますが基本的には認めています――または「④のような評価の仕方は間違っている、○○○○というように評価すべきだ」という形の批判をしなければならないですね(もちろん両方言ってもいいですが)。そういう批判であるならば、形としてはかみ合った議論になります。しかし、そもそも誤読から出発しているのだから、話は混乱するばかりです。「松島渡海免許は存在しないから、外務省の見解はその立論の基幹部分で致命的な弱点を抱えている」などと言われても、何でそういう話になるのかさっぱり分からないのです。「意図的に」ではないのでしょうが、池内さんの固有領土論批判は竹島問題の議論の場に本来不要な混乱を持ち込んでいるのです。
 
そして、『竹島――もう一つの日韓関係史』の終章は「「固有の領土」とは何か」という題で、「学問的外皮をまとった「日本固有の領土」論」と「素朴な「日本固有の領土」論」を先の論文のとおりに述べてありますが、当然、これも外務省見解の誤読に基づくものであって、意味のあるものではありません。結局、この本は、誤読を出発点としたまちがった理解が至るところに見られるというものになってしまっています。外務省の主張はもっと素直に読んでいいものです。



最後にもう一つ。外務省見解④は要するに事実①②③に対する評価ですから、これに目くじら立ててもそれほどの意味は無いのです。評価する言葉はいろいろあり得ます。現在の外務省は「こうして、我が国は、遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。」という表現を採用しているわけですが、これ以外の言い方は決して有り得ないということでもありません。①②③の事実から外れない範囲でいくつかの言い方は可能ですね。④について議論するのであれば、「外務省の言い方よりも○○○○という表現のほうがより適当だ」というような議論をするしかないのでしょう。ただ、外務省は既にこの語句を用いることに決めていますから変更することはないと思いますが。
結局、江戸時代の竹島のことで重要なのは、①②③の事実それ自体なのですね。これは動かない史実であって、竹島はこういう実態の中にあったということを示しているわけです。この事実の持つ重みを理解すればいいのであって、難しい理屈は要りません。






(この項おわり)










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この項、拝読いたしました。肝は、本来不要な混乱を持ち込んでいる<(無用な議論を・・)ですね。---むかし教科書ガイドってありました。数学でよく使いました。チャーミーさんの本論考シリーズは、「竹内新書」の教科書ガイドです(笑)。他の一般読者にもぜひ読んもらいたい(ヤフーブログさん!ブログをオープンにして下さい!)。④の表現に付いて最後のところで触れています。一例ですが「・・竹島の領有権確立の端緒を築きました」とかにすれば、誤解がないかも。

2016/2/20(土) 午後 9:07 [ gku***** ] 返信する

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さて、管理人さんのiRONNA「太政官指令「竹島外一島」が示していたもの」<初めて拝読しました。注目したのはその(5)中井養三郎の申請に対応した内務官僚の反応(明治37年)<です。当時リャンコ島を島根県への編入願いで内務官僚(井上書記官)が、「韓国領地の疑いがある」との態度を示し、消極的だったことの説明もわかりやすかったです。ここでのGの所見は、加えて属島説(江戸時代の竹島・松島セット論)も確かに存在しましたが、受付け当局はそれを採らず、当時(1900年ころから)すでにあったリャンコ島無所属説を採用したとも捉えています(元記事:本サイトのどこかにありました)。
とかく、現代の韓国側は日露戦争の軍事利用目的で”独島”占領を企んだ、と非難します。この批判は当たりません。竹島は、現在ロシア(旧ソ連)が占拠している「北方領土」のような軍事占領ではありません。竹島は、国際法に基づく(平和的)編入です。ここは一般読者のため、念のためです。

2016/2/20(土) 午後 9:09 [ gku***** ] 返信する

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私の論旨に賛同いただいているようで、ありがたいです。「属島論」は、実際に現場に赴いた者たちは竹島と松島の二つの島を見ることになるので、「竹島近辺の松島」というような認識を自然に持つようになったと思いますが、実際に行ったことのない者、地図上でのみ鬱陵島と「リエンコヲルトロック」を見る者は属島関係など想定しなかったと思いますね。

2016/2/21(日) 午前 9:53 [ Chaamiey ] 返信する

磯竹島史略デノ地理的二ドチラ側二近イカヲ基準トシテ領有権ヲ決定シタ慣習規定ヲ避ケテ
史実カラ目ヲ背ケテノ 竹島演義ハ評価シマセン

2016/2/22(月) 午前 8:00 [ soo*y*_0325 ] 返信する

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↑変な御仁が現れましたね。異論を述べるのは、いいことですが明確な論拠を示してもらいたいものです。再反論がこわいのかな。言い放しを狙っています。あるいはきょうは、竹島の日だから、にぎやかなのかな!?

属島説は、1900年からの数年間に、実際にリャンコ島を大韓帝国側が支配していたら有力な根拠になると思います。当時はその前提を欠くとして無所属説採用だと思いますけどね。それと1900年の大韓帝国勅令第41号は、逆に大韓帝国版図外だったことを示す史料だとの2ちゃんねるスレッドにもありました。2ちゃんねるレベルでこうですからね。さて韓国側識者、これにどう反論します(笑)。

2016/2/22(月) 午後 9:17 [ gku***** ] 返信する

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このニュースのことなんでしょうね。

「金名誉教授は、2011年に出版した『独島の歴史地理学的研究』の中で、島根県の竹島問題研究会が新たに発掘した「磯竹島史略」という資料から、かつて韓日が地理的にどちら側に近いかを基準として領有権を決定していたことを示す慣習規定を探し出し、日本側の史料で日本の論理を撃破するという成果を挙げた。」
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1456046748/

「磯竹島史略」ではなくて「磯竹島事略」ですけどね。
http://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/takeshima04/kenkyuukai_houkokusho/takeshima04_01/takeshima04c.html

ま、気にすることではないと思います。

2016/2/22(月) 午後 11:17 [ Chaamiey ] 返信する

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こんばんは、深夜になりました。
そうです。その2ちゃんねるのニュースでの一連のスレッドでです(笑)。表題ニュースは、よかったらそのうち解説願います。

さて、本文記事ですが1881年(明治14年)って、けっこう重要な年なんですね。5月には鬱陵島で日本人が伐木→中央政府へ報告→日本政府へ抗議。11月~12月には、島根県~内務省と外務省の往復文書で、内務省が”松島”を鬱陵島と覚知→83年3月鬱陵島へ渡海禁止通達。そのうち、「1877年太政官指令VS1900年勅令第41号」の特集を組めばいいかも知れません(笑)。

↑上のカタカナ氏、わざわざログインしてコメントして下さるお客さんだと思います。竹島専門の本サイトの有名税か!?。ただし、欲を言えば論拠を示して異論を述べて欲しいです。

2016/2/23(火) 午前 0:39 [ gku***** ] 返信する

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