『竹島―もうひとつの日韓関係史―』(池内敏著)の第4章の太政官指令の項の中では、1905年の竹島編入の閣議決定を紹介した後、次のように述べる部分があります。 なお、右の閣議決定をもって、遅くとも17世紀半ばに確立した竹島に対する領有権を、近代国際法の文脈の中に置き直したのだとする主張がある。しかしながら、右の閣議決定文からそうしたことを読み取るのは無理筋である。閣議決定文は「既に日本領であったものを、近代国際法の文脈の中に置き直した」ものではなく、「明治36年以来の活用実績に基づいて、いま日本領に編入する」と論じ、書いてあることが明瞭だからである。(p116、強調は引用者による) 「・・・・・・・・近代国際法の文脈の中に置き直したのだとする主張」というのは、そのものずばりの語句を用いた文章は探せなかったが、つまりは外務省のいう「この閣議決定により、我が国は竹島を領有する意思を再確認しました」という説明の類を指すのでしょう。 私は、上の池内さんの文章を読んで唖然とした。そんなことを考えていたのか、と。 「閣議決定文からそうしたことを読み取るのは無理筋」だとおっしゃるが、そんなことは当たり前です。竹島編入の閣議決定を調べたならば、これは無主地先占の論理で編入してあるということは、大抵の人が理解するでしょう。書類上明らかなことです。これを「無主地先占ではない」と主張する人は、まああんまりいないでしょう。にもかかわらず、一見したところそれと矛盾しているかのように見えること――つまり「置き直した」とか「再確認した」とか――を主張する者がいる、ということであれば、その主張は何を意味しているのかと一応考えて見るのが専門の研究者のするべきことではないですか。それを「決定文にはそんなことは書いてない」で切り捨てているわけです。思考停止と言われかねないですよ。 これは、このブログではもう何度も書いて来たことだが、「置き直した」とか「再確認した」とかいう言い方は、閣議決定が持つ歴史的な意味合いを評価するものと理解すればすんなりと読めますよ。今の政府(外務省)や今の研究者が過去(1905年)の行政行為に対してそういう評価を下しているのだと読めば何の無理もないのです。「あのときの無主地先占理論による編入決定は、竹島紛争が起きている今考えて見れば、既に生じていた歴史的権原を近代国際法の中にきっちりと位置付けたという意味があるなあ。」ということです。閣議決定文の中から読み取るのではなく、閣議決定を事件全体の脈絡の中で外側から見て評価を下すという話です。 そういうことは一切考えずに「史料に書いてない」ですませるのは「岩を見て島を見ず」です。(←そんなことわざは無いような気もするが、話が島のことなので言ってみたかった。) なお、本件に直接関係はないことですが、「史料に書いてない」ですませるのならば、竹島渡海禁止令とか天保渡海禁止触書に「松島」という文字が全く現れなくともそこには松島も渡海禁止という意味が含まれているなどと言わずに、「松島」という名前がないという史実をそのまま尊重してほしいものです。 |
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コメント(2)
当時において「置き換える意図があった」のか「置き換える意図が無かった」のかという動機より、「国際法的な根拠を確立した」という事実が重要なのですが…
領土問題では「事実を元に解釈する」のが本筋で、「解釈を元にして事実を否定」というのは無理筋です。
2016/2/12(金) 午後 6:15 [ mam*to*o*1 ] 返信する
池内さんはいろいろと主張しますが、細かな部分をどう解釈しようが、日本の竹島領有権主張の基礎になっている重要な事実関係は別に変らないですよね。どうも無益な議論のような気がしています。
2016/2/12(金) 午後 8:39 [ Chaamiey ] 返信する