島地第1114号 日本海にある竹島松島の義は、別紙甲号のとおり去る明治10年に本邦とは関係無きものと定められ、以後そのように心得ておりましたところ、このたび島根県から別紙乙号のとおり申し出があったところによれば大倉組の社員が渡航して木材伐採をしているとのことです。ついては、その島について最近朝鮮国と何らかの交渉決定があったのか、一応承知いたしたく照会いたします。 明治14年11月29日 内務権大書記官 西村捨三 外務書記官 御中
甲号 日本海内竹島外一島地籍編纂方伺(外一島ハ松島ナリ) 竹島所轄之義ニ付島根県ヨリ別紙伺出取調候処、該島ノ義ハ元禄五年朝鮮人入島以来別紙書類ニ摘採スル如ク元禄九年正月第一号旧政府評議ノ旨意ニヨリ二号訳官へ達書三号該国来柬四号本邦回答及ヒ口上書等ノ如ク則チ元禄十二年ニ至リ夫々往復相済ミ本邦関係無之相聞ヘ候得共版図ノ取捨ハ重大ノ事件ニ付別紙書類相添為念此段相伺候也 明治十年三月十七日内務少輔 右大臣殿(付箋書類略ス) 指令 伺之趣竹島外一島ノ義本邦関係無之義ト可相心得事 明治十年三月廿九日 別紙乙号は島根県が内務省に提出した「日本海内松島開墾之儀に付伺」です。以上の三つの文書をまとめて要約すれば、内務省の西村さんは外務省に対して、「太政官指令で竹島と松島は本邦外となっていますが、近ごろ松島について何か変更がありましたか?」と尋ねたことになります。ここで、このときの議論の対象となっている「松島」が太政官指令の「外一島」の「松島」であることが明らかになっているわけです。これを、この質問の「松島」は太政官指令の「竹島」だと読めるでしょうか? 読めませんね。しかし、池内説ではそう読むことになるわけです。支離滅裂です。 そして、その質問の松島は結局鬱陵島であったわけです。確実な史料が「外一島」の「松島」は鬱陵島であったことを示しています。池内さんが想定した論証手順のとおりなのですよ。池内さんの「書面松島の義は最前指令の通本邦関係これ無き義」の「松島」は太政官指令の「竹島」に対応しているのであって「外一島」に対応しているのではない、という批判の方こそ全くの間違いでした。「すりかえ」などはないのです。 しかし、太政官は鬱陵島と現竹島を版図外と決定したと信じたい人たちは、こういう明白な事実もやはり受け付けないでしょう。それにしても、今回の池内さんの説明は惜しかったですね。真実にかすったのに、Uターンしてまた離れてしまいました。「書面松島の義は最前指令の通本邦関係これ無き義と相心得べし」は、まさに明治14年8月における外務省の作業結果を踏まえたものにほかならない、という池内さんの説明があったわけですが、せっかく「外務省の作業結果を踏まえたものにほかならない」ということに着目したのなら、「外務省の作業結果を踏まえる前の、内務省単独での認識はどうだったのだろう」と思考をつないで行けば正しい答えに行きついたかも知れません。でも、決してそういう方向には進まないようです。 以上が池内さんの批判の一点目に関することでした。池内さんの批判の二点目は、「史料解釈の方法が問題」なのだそうです。「後年の史料でものを言うな」っていうことですね。次のように書いてあります。 とおっしゃるのですが、誰も島名確定に異議を唱えているわけではないと思いますがね。太政官指令が竹島という名前の島と松島という名前の島について述べているのは明らかなことであって、別にそれが問題なのではありません。問題は、太政官がその竹島と松島はどの位置にある島と考えていたのか、という「位置の問題」です。そして、位置の問題は「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」だけでは解明できないということは「太政官指令「竹島外一島」の解釈手順」で詳細に論じました。 指令文の盲点 最後に、不可解なことを一つ。池内さんの今回の本では、太政官では「書面、竹島外一島の義、本邦関係これ無き義と相心得べきこと」という指令案が作成されて、「立案どおりの指令が承認された」と書いてある。(p112) 2012年の『竹島問題とは何か』では指令文について、 「伺之通」書面竹島外一嶋之義、本邦関係無之義ト可相心得事 と 伺之趣竹島外一嶋之義本邦関係無之義ト可相心得事 の二つを紹介してあって(p152、p360)、先の論文「竹島領有権の歴史的事実にかかわる政府見解について」(『日本史研究』第622号 2014年)では「伺之趣竹島外一嶋之義本邦関係無之義ト可相心得事」と正しいほうを選んであったのだが、今回の本では「書面竹島外一嶋之義、本邦関係無之義ト可相心得事」という間違いに戻っている。なぜか、太政官指令文自体をなかなか正確に把握できないようです。太政官指令文をめぐって他の研究者のことをすりかえの何のと厳しく批判するのだから、問題の核心である指令文は正確に把握なさった方がいいだろう。 ところで、ここにも重要なポイントがあって、指令文に「書面」という言葉があると無いとでは中身がけっこう変わって来ます。「太政官指令にはそもそも磯竹島略図など含まれていない」 http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/55711966.html の記事に詳しく意見を書いたのでここでは短く述べますが、指令文は最初は「書面竹島外一嶋之義本邦関係無之義ト可相心得事」として起案され、それが修正されて「伺之趣竹島外一嶋之義本邦関係無之義ト可相心得事」で確定してそれが内務省に通知されています。 「書面竹島外一嶋之義」は「伺いの書面にある竹島外一島の件」ということになるので、それは磯竹島略図と説明書きの原由の大略も含むと言えるでしょう。だから、端的に言えば「磯竹島略図に描いてある竹島と松島は本邦無関係」ということにもなりそうです。ところが実際には「書面」の二文字はカットされたのです。ということは、太政官指令文は「磯竹島略図その他の資料は考慮しない」と言っているのですよ。その代わりに「伺之趣竹島外一嶋之義」について判断を下す、となったわけです。じゃあ「伺之趣竹島外一嶋之義」っていったい何だ? という新たな疑問も生じることになりますが、それまでここで触れる必要はないでしょう。 つまりは、池内教授やその他の太政官指令の解釈に当たって磯竹島略図を絶対視する人たちは、実は太政官が採用しなかった資料を金科玉条として太政官指令についてああだこうだと言っているわけですよ。この状況を何と形容しましょうか。 |
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コメント(3)
こんばんは!
池内氏の新書が出て早速の書評ですね。前の高価な専門書と違って、一般読者も読める新書ですから、その影響力は大だと思います。著者(池内氏)は無視している振りしていますが、必ず自分の書籍の評価は気にしていると思いますよ。日本広しと言えども池内学説を正面から批評できるのは、Chaamieyさんだけですからね。本題にはいります。
この本文の明治14年1881年11月~12月にかけての内務省~外務省の往復文書の内務省の認識の変化をていねいに追えば、1877年の外一島太政官指令の真意がわかるのに、池内氏は、それをせず自説を強弁するばかりです。池内氏は、後年(81年)の史料といいますが、当時の役人たちには歪曲捏造の意図はないのですから、その後年の政府部局の行動から、77年当時の史実の解明の手掛かりとすることはあり得る手法です。
2016/2/10(水) 午後 9:39 [ gku***** ] 返信する
指令文の盲点<のところですが、池内氏こそスリカエ(伺之趣→書面)をやっていますね。外一島太政官指令が出されたころ(1877年)は、竹島・松島の地理的知識が最も混乱していた時期です(幕末~天城艦調査の明13年1880年頃)。当時主流の地図と添付図の磯竹島略図を比べて、明治内務省は苦悩したのでしょう。そして究極の選択をした、ということでしょうか。
爾後も、折に触れての本書の書評シリーズ楽しみにしています。
後先になりました。ヤフーにログインしました。上の変なハンドルネームになりました。爾後も通称(Gくん)でいいですから。ヤフーブログは改悪ですね。ログインしないと、コメントも見れない。コメントは、本文記事の論点を明らかにしたり、記事を書いた管理人の補足説明があったりしてけっこう重要です。それと、他者のコメントを観て自己も投稿したくなったりします。コメント投稿にログインを要求する趣旨は、わかります。迷惑コメとかありますからね。このような規制は、ヤフージャパンサイトだけにして、個人ブログは、オープンでいいと思います。< は管理人さんでなく、ヤフーブログ管理事務局に言うべきですが。
2016/2/10(水) 午後 9:40 [ gku***** ] 返信する
まこてー、ログインせんとコメント読むこと自体ができんようになっとる!? Yahoo!の登録者を増やす作戦か?
無料で使わせてもらっている立場なので文句は言えないですが、これは不便ですねえ。
私の論旨に賛同していただいてありがたいです。書評は、あとは固有領土論批判についてです。少し時間がかかりますが、そのうちに投稿しようと思って本を読んでいます。
2016/2/10(水) 午後 10:50 [ Chaamiey ] 返信する