日韓近代史資料集

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『竹島 ―もうひとつの日韓関係史―』
  (池内敏著 中公新書  2016年1月)
              
 
 この本の内容に対して指摘すべきことは多数ありますが、私として特に関心を持っている太政官指令をまず取り上げます。
 

解釈の進展はなし

池内氏は今回の本の第4章で「「空白」の200年――外務省が無視する二つの論点」として、一つは天保竹島渡海禁止令を、もう一つは明治10年太政官指令を挙げておられる。今回の本における池内氏の明治10年太政官指令の解釈は、池内氏が先に出版された『竹島問題とは何か』(2012)と論文「竹島領有権の歴史的事実にかかわる政府見解について」(『日本史研究』第622 2014年6月日本史研究会)に書かれたものと同じです。

「竹島領有権の歴史的事実にかかわる政府見解について」に書いてある太政官指令解釈に対する反論は既にここで行いました。↓
「池内教授の太政官指令論」(1)(3)
 
 
そして、およそ一年前、その反論をより具体的にしてiRONNAの投稿欄に「太政官指令「竹島外一島」の解釈手順」と「太政官指令「竹島外一島」が示していたもの」を投稿し、採用・掲載していただきました。今回の池内さんの本を読んでもその主張の仕方は以前と比べて特に変化はなく、したがってこの二つの投稿の内容を修正すべき点もありません。内務省と太政官が考えていた「竹島」と「松島」とはアルゴノートとダジュレーです。
 
 
磯竹島覚書
ただ、池内さんはこの本において、ちょっと新しいことを付け加えました。それは、おそらく、島根県の『竹島問題100100答』のQ83において塚本孝氏が太政官指令は現在の竹島を本邦無関係としたものではない可能性を論ずる過程で「1877年の内務省の太政官への伺いに添付された書類は、17世紀末の日朝往復文書等であって、現在の竹島に言及したものはなかった。」、「内務省は島根県の伺いの表題の“外一島”や、説明資料にある“松島”のことを無視している。」とされたことを意識してのものと思われるのですが、「磯竹島覚書」を取り上げています。「磯竹島覚書」は元禄竹島一件の史料を整理したもので、その中には、幕府が竹島渡海禁止令を出す前に鳥取藩に対して竹島や松島の所属を確認するために質問したことに対して鳥取藩が「松島は伯耆・因幡のいずれに付属するものでもありません」とした回答も含まれているということで、池内さんは、「磯竹島覚書」は内務省地理局の作成であり、その作成時期から見て内務省が太政官に伺いを提出する際の下準備としてまとめられたものと見ています。つまり、内務省が太政官に提出した伺い文とその添付資料は確かに竹島(鬱陵島)に関するものだけであるが、その基礎調査においては元禄時代に鳥取藩が松島は鳥取藩に属するものではないと回答していたことも踏まえられているのだ、ちゃんと松島についても調べた上での判断なのだという説明ですね。
これは一応そういうことなのでしょうが、池内さんの説明にはおかしいところもあります。池内さんは、この部分の結論として次のようにまとめています。
 
つまり、内務省自らが主体的に「竹島外一島」が竹島(鬱陵島)と松島(竹島)のことであると確認し、松島(竹島)は鳥取藩領ではないとする返答書をも踏まえて検討がなされたのである。太政官でも、それら内務省での検討結果を踏まえて竹島(鬱陵島)と松島(竹島)が日本領でないことが中央政府レベルで主体的に判断されたということである。
 
その心は、「見よ、松島は今日の竹島を指していないと言うが、今日の竹島を指していることは鳥取藩の回答を踏まえていることからも明らかではないか」ということでしょうかね。
池内さんは、あとがきの中で、「本書が明らかにしたのは、現在の歴史学の方法と水準にしたがえば「このような史実として確定せざるをえない」ということばかりである。承服できないのであれば、反証を提示し、同様の水準に立った学問的手続きを経た上で「そのような論証は成り立たない」ことを論じなければ、まるで意味をなさない。」と書いています。
 
「磯竹島覚書」の場合、内務省が鳥取藩の回答を確認したのは事実としても、最終的に内務省から太政官に送付された元禄竹島一件の説明資料の中には鳥取藩の回答の情報はないわけです。内務省は、これはぜひ太政官に伝えねばならない重大情報だ、とは考えなかったわけですね。だから「太政官でも、それら内務省での検討結果を踏まえて・・・・・」ということが言えるのかどうか分かりません。内務省は公式資料以外にも「磯竹島覚書」のような資料を使って説明したかも知れないですが、しなかったかも知れない。分からないことです。「このような史実として確定せざるをえない」とは言えないでしょう。
 
しかし、実は、こういう話はどうでもいいのです。そもそも竹島問題における太政官指令の問題というのは何かというと、太政官と内務省は竹島外一島(竹島と松島)をどこにあるどの島と考えて本邦関係なしと指示したかという、いわば「位置的」な問題です。内務省が江戸時代に鳥取藩が竹島も松島も鳥取藩の所属ではないと幕府に回答したという事実を確認したとしても、それで竹島と松島が現実にどこにあるどの島かということまで分かるということにはなりません。「太政官指令「竹島外一島」の解釈手順」で指摘したように、内務省と太政官が「竹島」と「松島」をどこの位置にあるどの島と考えたのか、言い換えれば「磯竹島略図」を現代の我々が理解するのと同じように正確に理解できたのか、それともアルゴノートを竹島としダジュレーを松島とするシーボルト系の地図に惑わされたのか、それは全く分からないという状況に変わりはないのです。
上の結論では、御覧のとおり、「竹島」の次に「(鬱陵島)」と、「松島」の次に「(竹島)」というふうに内務省と太政官が考えたであろう島の位置を特定して書いてあるわけですが、しかしながらその特定は全く立証できていないという状況は何ら変わっていません。もちろん著者本人は、それが立証できていないことには相変わらず気づいておられないのであって、「磯竹島略図万能主義」は強固に生きています。



(続く)


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