日韓近代史資料集

韓国ニュー・ライトの応援+竹島問題

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中公新書の先月21日のツイート。

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  島根県は竹島を取り戻したいと考えるから竹島の日の条例を制定したのだろう。


  その竹島の日にあたって、日韓双方の主張に大した差はないなどというデタラメを書いた本を読めということは、


  中公新書は島根県に喧嘩を売っているようなもんだな。



  この本のことをこのブログでさんざん批判していることなどは中公新書は知らないだろうし、


 一ブロガーの批判など取るに足りぬものだと思うのも別にかまわないが、


 島根県竹島問題研究会の座長を務めた人が、


 「池内氏の『竹島』を出版した中央公論新社は、岩波書店と並んで韓国側の対日宣伝工作に協力したことになり、著者の池内氏とともに同罪である。」


と書いているのに、


わざわざ竹島の日にかこつけてPRするとはね。






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小嶋さんは「此州」は「このしま」と読む派ですか?

2017/3/13(月) 午後 9:15 [ Chaamiey ] 返信する

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はい。その例は、漢文というよりは、近世日本語文ですが、あの場合は確実に「しま」です。近代になっても例えば渡辺洪基の文章で、初稿下書きで「州」、同じ部分を、清書で「島」と書いている例があります。 削除

2017/3/13(月) 午後 10:27 [ 小嶋日向守 ] 返信する

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「州」が「しま」の意味であるという場合はあるんでしょうね。しかしながら隠州視聴合紀の「此州」については、私は隠州のことだと思っています。その点では池内説と同じです(笑)

2017/3/13(月) 午後 10:57 [ Chaamiey ] 返信する

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小嶋さんの漢文読解力には圧倒されています。「此州」に付いては、管理人さんと同じで、隠州で差支えない(実害ナシ)と思っています。中世~近世江戸時代までの朝廷・幕府が施政権を及ばしていた範囲は、そう広くはないのですよね。中近世国家は、それで統治上充分だったからです。これは、李氏朝鮮王朝も同じです。

さて、改めてこの本での池内氏の論拠は、なんだろう!?と思い、本を開いてみました。1900年を前後する時期から朝鮮人漁民との競合を想定する必要がある(176頁)。国際法での編入は合法としながら韓国側へ配慮せよ(237頁)。< 概ねこの二つが論拠だと思いますね。表題「池内中公新書」ですが、その帯、思い込み・感情論を排した< 看板に偽りありですね。前者は思い込み・後者はまさしく感情論です(笑)。 削除

2017/3/13(月) 午後 11:29 [ Gくん ] 返信する

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すみません。私の説明が誤解を招いたようです。隠州視聴合紀の解釈の場合は、どちらでも問題ないのです。私が論外だと思ったのは池内氏の論理です。

その前に、私のコメントを補足します。読み方には、どちらも正しい場合があります。例えば、女性の名で、「州子」さんの場合、「くに子」「しま子」「しゅう子」などどれが正しいのか、本人に聞いてみないとわかりません。
ところが、ヤクザ映画の脚本で、黒駒の勝蔵の子分が「俺の州をあらすんじゃねぇ」と凄んだ場合に、俳優が、この州とは、甲州のことですかと監督に訊いたら笑われます。それは「しま」と読むんだよと。 削除

2017/3/13(月) 午後 11:36 [ 小嶋日向守 ] 返信する

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渡辺の稿本の例です。

dokdo-or-takeshima.blogspot.jp/2012/09/1876-watanabe-koukis-second-opinion-on.html
2012年9月13日 14時26分と14日00時37分の投稿にあります。

「此島の外國の認むる處を、図に徴すれば、英國の諸圖は、對馬島と合せて朝鮮の色とし、佛も亦同じ。日耳曼ゴタ、スチーレルスの図には、對馬と合せて日本色とし、唯、ウアイマルの地理局圖のみ、對州を以ちて日本色とし、松島・竹島を朝鮮色とす。英佛の對州を合せて朝鮮色にせしは、對州既に日本版圖に相違なければ、隨て松嶋・竹島も其色を變せん。」 削除

2017/3/14(火) 午前 0:15 [ 小嶋日向守 ] 返信する

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この稿本の「對州」の部分が、清書では「對馬」と書き直されています。江戸時代の文献なら地方自治体の意味で、「たいしゅう」も「ついしゅう」も「つしま」の読みもどれも正しいのですが、明治十年ですから、対馬藩はとうに無くなって、長崎県対馬です。しかし、渡辺は「対州」で「つしま」と読んで書いていることが分かります。
dokdo-or-takeshima.blogspot.jp/2012/09/1876-watanabe-koukis-second-opinion-on.html
2012年9月5日 15時42分
夏王朝の始祖、禹が治水を行う元となった、古代中原の大水害時に、川のようになった大地に九つの中州が残り、人々が全滅から逃れたので、九州(日本のではなく)とか、州で「しま」と読むのだと、小学校低学年のときに教わりました。
池内氏が、州は、しまと読まないというが如き説は、私の恩師が存命なら立たされています。 削除

2017/3/14(火) 午前 0:19 [ 小嶋日向守 ] 返信する

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「思い込み・感情論を排した」に偽りありとのGくんの指摘はその通りだと思います。

たとえば、池内氏は安龍福の証言を証拠能力のないものだと認めておきながら、『隠州視聴合記』の記述と符合することを以て妥当だとしています。これって論理的に破綻しているでしょ。「思い込み・感情論を排した」どころか、思い込みと感情論テンコ盛りの1冊ですよ。

2017/3/14(火) 午前 6:20 [ Makoto ] 返信する

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物は考えようで、池内氏の著作がいかに出鱈目なものか、アマゾンなどのレビュー欄や中央公論新社のツイートのリツイートで訴えていくことができるのではないでしょうか。

歴史的にも国際法上も韓国に竹島領有の根拠は皆無であることを冷静かつ論理的に訴えかける場を提供してもらったと思えば悪い話ではないでしょう。

2017/3/14(火) 午前 6:35 [ Makoto ] 返信する

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有名国立大学教授という肩書きに騙されて本を買う人がまだいるということでしょう。

たとえば、京都大学教授の論文と聞くと、大部分の日本人は、さぞかし立派な論文だろうと思ってしまう。ところが、1987年の堀和生氏の論文がインターネット上で読める。
www.kr-jp.net/ronbun/msc_ron/hori1987.pdf
堀和生氏は論文の3ページの大韓輿地図の于山島を評して「独島が正しい位置に描かれている」「今日までに発見されている地図のなかで、于山島が載っているものは数百枚にも及ぶという」 云々。 つまり彼は竹嶼の存在をしらない。
堀氏はこの論文を撤回していませんよね。こんな小学生にも笑われるレベルの教授が、未だに京都大学教授として給料をもらっている。これが、自然科学系の教授だったら、とっくに首を吊っているでしょう。 削除

2017/3/14(火) 午後 2:43 [ 小嶋日向守 ] 返信する

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小嶋日向守さんのご指摘は、州について適切な例だと思います(任侠映画のシマほかの例)。沖縄奄美では、シマといういい方があります。これは、島嶼という意味ではなく自分らのテリトリーという意味で使います。

Makotoさん!Gの趣旨へのご賛同ありがとうございます。国家が中近世国家から近代国家へ脱皮する頃の19世紀後半は、世界のあっちこっちに無主地がありました。この頃日本周辺では、千島の方が日露の競合は早く、樺太(サハリン)などは無主地(正確には国家を持たない先住民の地)でした。Makotoさんの2番目の投稿、Gも常日頃そう感じている所です。池内新書は、下條新書・100問100答と立場が異なるので「合わせ鏡」ように使うと効果的だと思います。 削除

2017/3/14(火) 午後 8:01 [ Gくん ] 返信する

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堀和生氏が大韓輿地図の于山島を評して「独島が正しい位置に描かれている」としている点を撤回したという話は聞いたことがありません。どう見たってあの島の形は日本で竹嶼(チクショ)、韓国で竹島(チョクド)と呼んでいる島なのですから「独島が正しい位置に描かれている」とは言えません。にもかかわらず訂正していないのはどういう神経なのでしょうね。間違いがあまりに明白なので訂正するまでもないとでも思っているのでしょうか。ま、本当のところは本人に聞いてみないとわかりませんが……。

2017/3/16(木) 午前 3:04 [ Makoto ] 返信する

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↑小嶋日向守さんMakotoさんの投稿、拝読いたしました。この「堀和夫論文」、竹島問題で最初に相手側立場で論評した本格的論文でした。Gも初めて読んだときは、説得力あるな!と感じましたが、本サイト及び最近の知見を参照しますと編入時期の事実関係に誤認があるように思えます。またじっくり読んでみます。堀氏は、池内氏にとって、京大で先輩後輩のような関係のようですね(新書のあとがきに堀氏の名前が出て来ます)。 削除

2017/3/16(木) 午前 8:46 [ Gくん ] 返信する

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・”州”を”しま”と読む場合があるとは初めて知りました。おどろきました。「隠州視聴合記」は現時点では、日本側の現竹島=松島領有意思を証明する最古文献でしょう。具体的・客観的に鑑みれば、韓国側「安龍福供述」より古く、正確、信頼に足るものだとおもいます。「此州=隠岐州(しま=縄張り、国)」に無人2島(=磯竹・松島=鬱陵・現竹島)が”無主地先占編入”されていたとの内容だと思います。

2017/3/16(木) 午前 10:05 [ おそ次郎 ] 返信する

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「す」と読む洲という字がありますが、州=洲で、明確な区別はありません。
そもそも、わが国の国土の広がりをあらわす「大八洲」という古い言葉があります。
「八」は明確な個数ではなく、多いという意味です。読み方は、あまりにも常識ですが、「おおやしま(おほやしま)」です。
なお、漢文の意味としては、地方行政区画としての「州」もあります。周代では、約二千五百戸で一つの州としたそうです。 削除

2017/3/16(木) 午後 2:04 [ 小嶋日向守 ] 返信する

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池内氏の感覚の異常さはこんな文章からも分かります。
「「第二次世界大戦後における竹島/独島論争史のなかで、川上健三と堀和生の研究([川. 上健三1966][堀和生1987])が大きな位置を占めていることは、誰しも異論の無いと. ころだろう。」
竹島/独島と石島の比定問題・ノート, (池内 敏)
www.gcoe.lit.nagoya-u.ac.jp/result/pdf/4-2_池内.pdf

いやいや、堀和生氏は、今なら小中学生からも鼻で笑われる内容。異論ありすぎ。坂本悠一氏のこっちもヒッドイもんです。なんとも、異世界の住人によるたわごとで、ついていけない。

竹島/独島領有権論争の研究史的検討と課題
www.ritsumei.ac.jp/acd/re/ssrc/result/memoirs/kiyou29/29-07.pdf
「 日本側では,国際法学者の大勢が日本領土説をとるものの,歴史研究者の間では,見解はほぼ伯仲状態か続いてきた」
「独力で本書を著わした池内の学問的成果は誠に刮目すべきものがある」 削除

2017/3/27(月) 午後 4:36 [ 小嶋日向守 ] 返信する

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堀さん関係
http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/56328979.html

坂本さん関係
http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/56507983.html

何でこういう発想をしたがるんでしょうね。

2017/3/27(月) 午後 5:41 [ Chaamiey ] 返信する

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原子力村という言葉がありますが、日本の大学には「独島ムラ」があるのでしょう。欧州の古い大学のように、学生がお金を出し合って、講師や教授を招聘するという歴史が、日本の大学にはありません。そのため各大学に巣くう、こんな無能な連中を学生は拒否することが出来ないのです。彼らの論文には、英語のアブストラクトもサマリーもありません。しかも、池内氏のpdfはテキストをコピーすることさえ出来なくしている。あの論文の内容が、国際的に知られれば、欧米の研究者の笑いものになることを彼ら自身が知っているからでしょう。
ゲーリー・ビーバーズ氏のブログで、1895年に出版された『朝鮮知識の宝庫』という本の鬱陵島の項目が紹介されています。その記述は、当時の欧米人による客観的な記録です。于山島を、現在の日本の竹島に比定するなどという韓国や、独島ムラの連中の嘘は、国際的に通用するものではありません。『朝鮮知識の宝庫』の于山島の部分を翻訳しました。 削除

2017/3/30(木) 午後 4:18 [ 小嶋日向守 ] 返信する

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『朝鮮知識の宝庫』の鬱陵島部分は、ドイツ人のフェルジナント・H・メーゼルが執筆していて、記事の中ほどで、鬱陵島と于山島を説明しています。

「欝陵島は海の宝石です。朝鮮本土からは大きな距離があるにもかかわらず、朝鮮政府がその島の権利を有していて、日本政府はこれまで異議を呈していません。
島の大きさは、東西約10マイル(16.1㎞)、南北約6マイル半(10.4㎞)です。
遠くから見ると、聳え立つ暗い岩のように見えますが、近づくにつれて、中心部から3000フィート(914m)の高さに立ち上がる山頂部と、少し小さな山体によって支えられているような外観をした円錐形の丘の集合体として構成されているのが見て取れるでしょう。海岸は急傾斜で起伏に富み、歩くには険しく、外周全ての面で非常に水深があります。海岸付近には、高さ90メートルの大巌を含む、離れ岩がいくつもあります。
南東には、一つの小島があります。深い水道によって、本島とは、4分の1 マイル(400m)隔たっていて、高さは、約500フィート(150m)あり、「于山」と呼ばれます。 削除

2017/3/30(木) 午後 4:32 [ 小嶋日向守 ] 返信する

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至近距離から調査してみないかぎり、上陸は不可能に思えます。しかし、本島から突き出ている地点と、「于山」との間に小さな海岸があり、船舶は、この海岸に近いところで、深さ16尋か25尋の錨地を見い出すことができます。しかし、この停泊地が利用できるのは、天候が良いときに限られます。」
英文の出版物であることから、鬱陵島と于山島の距離を400mと換算しました。英国の1マイルは、1609.3メートルです。しかし海洋中にある島嶼に関する英文の場合、マイルと書かれていても、それが、1海里の1852メートルを示す時があり、特に執筆者はドイツ人なので、後者の場合も考えられます。その場合、距離の換算値は、島の大きさが、東西約18.5㎞、南北約12㎞となり、鬱陵島と竹嶼との距離は、463mとなります。なお、鬱陵島と竹嶼との実際の距離は約2.2kmで、鬱陵島の最高標高は、984mあり、竹嶼の最高標高は、71.8 mです。
dokdo-or-takeshima.blogspot.jp/2011/08/1895-korean-repository-vol-2-page-412.html 削除

2017/3/30(木) 午後 4:35 [ 小嶋日向守 ] 返信する

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