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竹島問題100100答 批判2
―竹島問題研究会3期最終報告書付録に対する反論―

(慶尚北道独島史料研究会)


歴史学的争点を中心に(柳美林)



2. 『東国文献備考』「輿地考」の分注は『春官志』を考証した後に得られた結論だ
下條は、韓国側が文献解釈で混乱を経ることになった原因は、『東国文献備考』(1770年成立)の分注のためだと見た。すなわち、彼は、「『東国文献備考』(1770年成立)の分注に「輿地志に言うに、鬱陵と于山はいずれも于山国の地だ。于山は日本がいう松島だ」と記述されているために于山島を松島(現在の竹島)と曲解する素地が生じ」て、このために混乱を経ていると主張する。下條によれば、韓国側の「文献と古地図に于山島という文字さえ有れば何でもタケシマに読み替えて于山島を竹島と見る根拠にし」ているというのだ。
下條のこのような論理は、いわゆる申景濬改竄説に基づいている。すなわち、申景濬が引用した『輿地志』には本来「一説に于山と鬱陵は本来一島だ」という内容だけがあったが、申景濬が『東国文献備考』を編纂して「鬱陵と于山はいずれも于山国の地だ。于山はすなわち日本がいう松島だ」という内容に改竄したので、韓国はこれを根拠にしているというのだ。これに対して、筆者は改竄ではなく改撰だと反論したことがある。すると今度は久保井規夫の見解を取り上げて批判している。
すなわち、下條は、久保井が『図説竹島=独島問題の解決』で述べた『東国文献備考』の分注は「決定的な韓国領土であることを見せてくれる、日本がいう松島が于山島(今日の独島=竹島)という記述」だとした内容を引用して、再び改竄説を提起した。下條は、『東国輿地志』が現存するという事実が確認されたがその中に「于山は日本がいう松島だ」という内容は無いと主張する。したがって、筆者と久保井はどちらも臆説を展開しているというのが下條の主張だ。
下條が申景濬改竄説の根拠として示すのは、「『東国文献備考』(「輿地考」)申景濬の『疆界誌』を底本にしていて、その『疆界誌』は李孟休『春官志』(「鬱陵島争界」)を底本にしたからだ」というものだ。そして、彼は、申景濬が『疆界誌』において引用した『輿地志』というのは1656年の柳馨遠の『東国輿地志』を指すが、その中に1696年の安龍福供述に由来する「日本がいう松島だ」という文章があるのは不自然だと見た。果たして『輿地志』は1656年の『東国輿地志』を指すもので、その中に「于山はすなわち日本がいう松島だ」という文章はないのか? そして、朝鮮では安龍福が「于山島は日本がいう松島だ」と証言したことによって初めて于山島に対する「認識」が生じたものなのか?  この部分を論証してみよう。
まず『東国文献備考』以前の文献に対する下條の見解を見れば、彼は李孟休『春官志』の初稿が1750年以前にあり、『疆界誌』は1756年に成立したが、成海が「(疆界誌の)安龍福伝は李孟休が著した内容『春官志』に載せた」とした。ということは、彼は申景濬の『疆界誌』は李孟休『春官志』をそのまま書き写したものだと見ているわけだ。ここで共に検討されなければならないことは、『輿地志』は柳馨遠の『東国輿地志』をいうものなのか、そして『疆界誌』と『東国文献備考』に登場する松島は誰の見解かという点だ。

申景濬が著述した二つの文献(『疆界誌』と『東国文献備考』)の内容を見れば、『疆界誌』には本文に「按輿地志云一説于山欝陵本一島而考諸図志二島也一則其所謂松島而盖二島倶是于山国也」という内容が有る。『東国文献備考』には「輿地志云欝陵于山皆于山国地于山則倭所謂松島也」という内容が「分注」の形式で有る。ところが下條が主張する、『東国文献備考』が引用したという柳馨遠の『東国輿地志』を見れば、鬱陵島関連の内容は『新増東国輿地勝覧』とほとんど同じだ。反面、『新増東国輿地勝覧』にあった「一説于山欝陵本一島」という内容は『東国文献備考』にはない。そうであれば、申景濬が引用した『輿地志』は『東国輿地志』を指していない可能性がより大きい。下條の主張のように『新増東国輿地勝覧』にあった内容が『東国文献備考』にないからといって、これを無条件に改竄と見るべきか? しかも、申景濬は『新増東国輿地勝覧』になかった内容を『東国文献備考』に追加することもした。申景濬が『輿地志』云々と言及した「松島」という名称も『東国輿地志』には見られない。このような事実は、『輿地志』はむしろ『東国輿地志』ではない可能性を示唆する。したがって、申景濬が言及した『輿地志』というのは柳馨遠の『東国輿地志』だと断定することはできない。下條は『輿地志』を柳馨遠の『東国輿地志』と断定した。だから「松島」という名称が出てくることはできないというのだ。しかし、『輿地志』を『東国輿地志』と見るとしても、「松島」うんぬんを申景濬自身の見解だと見るならば、『東国輿地志』と関係なく登場することができる。申景濬が言及した「松島」うんぬんを『輿地志』の引用文だと断定できないからだ。『輿地志』の文章を「一説于山欝陵本一島而考諸図志二島也」と見るならば、以下の「松島」うんぬんは申景濬の意見になる。申景濬が「松島」に言及したことは変なことではない。 しかも、申景濬は『東国文献備考』においても「輿地志云欝陵于山皆于山国地于山則倭所謂松島也」とした。この場合、『輿地志』の引用文を「欝陵山国地(翻訳者注:ここは「欝陵于山皆于山国地」と書きたかったんじゃなかろうか)に限定するならば、「于山則倭所謂松島也」は申景濬の見解となる。

『東国文献備考』における『輿地志』の引用文がどこまでかについては、次のように二種類の解釈が可能だ。
(1)輿地志』で「鬱陵・于山はいずれも于山国の地」としているが、于山は日本がいう松島だ。
(2)輿地志』で「鬱陵・于山はいずれも于山国の地だ。于山は日本がいう松島だ」としている。
二つの解釈の差は、「松島」という名称が『輿地志』編纂当時にあったのか、あるいは申景濬が初めて用いたのか、によるものだ。下條は韓国側が『輿地志』引用文を解釈する時ソン・ビョンギ氏の解釈に無批判に従うと言うが、筆者はこの文章は二種類に解釈することができると見た。また、下條が引用した文章は、「調べて見れば、輿地志では一説に于山と鬱陵は本来一島というが、色々な書や図を考察してみれば二島だ。一つは日本がいう松島で、およそ二島はいずれも于山国だ」(10)となっている。
 

(10)「按輿地志云 一説于山鬱陵本一島 而考諸圖志二島也一則其所謂松島 而盖二島倶是于山國也」

 
 
しかし下條の解釈は間違っている。『輿地志』の引用文がどこまでかが明らかでないためだ。上の文章で「調べて見れば」の主体は申景濬で、『輿地志』は他の人物の著作だから主体は二つでなければならない。したがって、解釈においても、『輿地志』の著者の意見と「調べて見れば」の主体である申景濬の意見に分離すべきなのに、下條はこのような差に注目しないまま曖昧に解釈している。
このような解釈上の誤りを別にしても、上の文章は次のように二種類の解釈が可能だ。
(1)私が調べて見れば、『輿地志』がいうには、「一説に于山と鬱陵は本来一島というが、色々な書や図を考察してみれば二島だ。一つは彼らがいう松島だ」といっているので、およそ二島はいずれも于山国だ。
(2)私が調べて見れば、『輿地志』がいうには、「一説に于山と鬱陵は本来一島というが、色々な書や図を考察してみれば二島だ。 一つは彼らがいう松島で、およそ二島はいずれも于山国だ」といっている。(11)
二つの解釈のうち(1)を適用すれば、「二島はいずれも于山国だ」という内容は申景濬の結論になる。(2)を適用すれば、『輿地志』の見解がそのまま申景濬の見解となる。ここで『輿地志』を柳馨遠の『東国輿地志』と見るならば、「一つは彼らがいう松島だ」という内容も柳馨遠の見解となる。それならば、これは柳馨遠(1622-1673)の生存当時に「松島」の存在が知られていたことを意味する。下條は、「松島」の存在は安龍福事件以後にこそ知られたと主張する。果たしてそうだろうか? 安龍福事件以前である光海君の当時、「磯竹島」が言及されたことがあって(12)『芝峰類説』(1614)にも「磯竹島」(13)が言及されているので、「磯竹島」という名称は朝鮮に伝わっていた。
 
  
(11)ソン・ビョンギはこのように解釈して、『輿地志』以下を全て柳馨遠の言葉と見た(ソン・ビョンギ 1999 『鬱陵島と独島』 p52)
(12)それ以後では『粛宗実録』粛宗21620(庚戌)、『増正交隣志』、『五洲衍文長箋散稿』などに出てくる。
(13)日本政府は、桃山時代の日本図屏風に隠岐と高麗との間に「磯竹」が描かれていて、明国の嘉靖34年、日本の弘治2(1556)に日本を調査して行った明の鄭舜功が残した『日本一鑑』地図編に「竹島」がある点から推測して、『隠州視聴合紀』(1667)より前にこれらの呼称があったと見ている。 (5巻 『日韓漁業交渉資料』3 「日本海の竹島に関して」)

(続く)

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