日韓近代史資料集

韓国ニュー・ライトの応援+竹島問題

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  それなら、『世宗実録』「地理誌」は、なぜ「于山島」や「武陵島」を別個に分離して記述すぜに一つにまとめて記述したのだろうか? 「于山島」に関しては島嶼名が言及されているだけでその島に関する説明はない。そして、続いて登場する「武陵島」は分注形式で説明している。二島に関する記述方式は、『慶尚道地理誌』のような「陸地相去水路10里」の形式でなく「二島相去不遠」という形式だ。『世宗実録』「地理誌」にこのように記述された理由は、于山()と武陵()の二島が蔚珍県の真東の海にあるのだが、相互間の距離が分からないためだ。したがって、『世宗実録』「地理誌」に「二島は互いに距離が遠くなく、天気が良ければ眺めることができる」(7)とあるが、この時、互いの距離〔二島相去〕は他の地理誌のように「陸地と島との間の距離〔陸地相去〕」を意味するのではないと理解しなければならない。
 
  
(7)ここで、「天気が良ければ眺めることができる(風日清明則可望見)」の「風日清明」における「風」の字に意味があって、「風が吹いて天気が良ければ」と解釈しなければならないと主張する韓国の学者たちがいる。しかし、「風日清明」は「清明」の対句として二字を取っただけのもので、この場合には「風日」を必ず「風」と「日」に区分して読まなければならないのではない。申景濬は「風日清明」の代わりに「日清」と書いた(『疆界考』 4소대」 鬱陵島 「日清則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見・・・」)。朴世堂も「鬱陵島」という文で同じ脈絡の内容を記述する時に「風恬浪静」と表現した。風が吹く日に良く見えるという気象条件と可視日数を挙げてこれを文献解釈に遡及適用するのは合わないと考える。文献は記述されたとおりに解釈すれば良い
 
 
 
文章で「相去」といえば、普通は「去」を基準として比較対象が出てくるはずだ。したがって比較対象は二つの島〔二島〕だ。二島を一つにまとめておいて他の対象と比較することはできない。『世宗実録』「地理志」の「二島相去不遠」の場合も、比較対象は「二つの島〔二島〕」すなわち于山島と武陵島が比較の対象だ。これを地理誌規式を云々して、「二島相去不遠」において「二島」を一つにまとめて二島が陸地から離れた距離を示すと主張してはいけない。そんな主張をするには、他の方式で記述されていなければならない。すなわち「二島相去不遠」でなく「自陸地相去二島」あるいは「自(陸地)相去(二島)不遠」の形式にならなければならない。もちろん、このように記述するにしても比較の対象は一つに括られた「二島」ではない。ところが『世宗実録』「地理志」では「二島相去不遠」の比較対象が「二島」であることが明確に明らかになっている。したがって、このような記述方式は通常の地理誌規式には合わない。
日本の主張のとおりならば、『世宗実録』「地理志」の記述は、「天気が良ければ陸地(朝鮮本土)から二島が望み見える」と解釈されなければならない。例えば現在の「竹島」を念頭に置いてこの問題を見れば、陸地から「鬱陵島と竹島」の二島が望み見えると解釈することができる。非常に近い距離の島であるから「二島」を括って記述した可能性があるためだ。(翻訳者注:この竹島は鬱陵島に隣接するチュクトのことらしい。) ところがそのような解釈が可能であるには、「二島相去不遠」の形式で記述されてはいけない。「相去二島不遠」あるいは「自陸地去欝陵(于山)不遠」若しくは「自陸地去欝陵于山(二島)不遠」の形式で記述されていなければならない。「相去二島不遠」となっていない以上、陸地から眺めた二島と解釈することはできない。
結局、『世宗実録』「地理志」の「二島相去不遠」は二島相互間の距離を示すと解釈されなければならない。しかし、この場合にも鬱陵島と于山島の距離は200余里にもなるのでこれを近いということはできない。そのため、『世宗実録』「地理志」は「近い」とか「陸地に続いている(連陸)」という記述に代えて「遠くない(不遠)」と記述したのだ。『世宗実録』「地理志」に「風日清明則可望見」と但し書きを付けたのは、正確な距離は分からないが可視距離にあるということを言おうとする意図からだ。「于山・武陵」と明記したように二つの島を指すのだが、ごく近くにある島ではないのでそのように記述したのだ。一つの島に括っても良いほど近くにある二島だったなら、あえて「天気がよい日にだけ見える」という但し書きを付ける必要もなかっただろう。
実録が『慶尚道地理誌』の規式に従うといっても、陸地(蔚珍県)から鬱陵島までの距離を「水路何里」という形式で記述しなければならない。ところが実録はこれに従わず、「二島相去不遠」の記述を取った。その理由は、蔚珍県から鬱陵島までの水路を分からなかっただけでなく、于山島と鬱陵島の二島間の距離も分からなかったためだ。多くの地理誌を見れば、陸地から離れた水路を書いているものの、分からない場合は最初から島嶼名に言及しない。全ての島に対して陸地から離れた水路を把握してはいなかったためだ。最初から島嶼名を取り上げ論じないのもこのためだ。
ところが、『世宗実録』「地理志」は二つの島名を取り上げ論じた。地理志編纂者の立場では二島があるということは明らかだが、互いの距離が分からないと判断したので「相去不遠」と記述したのだ。したがって、地理志を解釈する時は記述されたとおりに解釈することが最も望ましい。規式のとおりに書かれていないものについて、規式のとおりに解釈しなければならないと固執できるものではない。
『慶尚道地理誌』や『慶尚道続撰地理誌』で言及した島々はほとんどが陸地から非常に近い、すなわち水路が把握された島々だ。だから水路を記述したのだ。陸地から何百里も離れた島についての水路は把握されなかったので、最初から取り上げ論じないのだ。編纂者の立場から見れば、水路が分からない場合、島嶼名に言及しなければ良いが、あえて「二島」に括って記述する理由がない。
『世宗実録』「地理志」に記述された内容を「朝鮮半島の本土から二島が離れているという意味に解釈できない」ことは、最近池内敏が論証した。彼は、『慶尚道地理誌』などの規式があったとしても、それが『世宗実録』「地理志」を拘束する基準として機能したのかは別問題だという認識の下、『世宗実録』「地理志」に記述された「京畿道」の部の南陽都護府の項で言及された島嶼に関する記述方式を調査した(8) 
 

(8) 池内敏 『竹島-もうひとつの日韓関係史』 中公新書 2016 p13-15
 
 

  池内も「二島」が「相去」である以上、「去」は先行する「二島」の距離に関して言及したことが明らかだと解釈した。彼は「二島相去不遠」を「二島が朝鮮半島本土からそれほど遠くなくて」と解釈する場合、「風日清明則可望見」を解釈できなくなると見た。現実的には、いくら晴れた日であっても朝鮮半島本土から鬱陵島と于山島(原文は竹島)がどちらも見えるということは絶対に有り得ないためというものだ。
 イ・ギボン氏が『世宗実録』「地理志」と『新増東国輿地勝覧』の記述を解釈して「于山島と鬱陵島は二つの別個の島という認識が定説だ」としたのに対し、下條は分注に「一説に于山と鬱陵は本来一島だ」という文章があることを挙げて、分注は本文を補充する意味だと強弁する。また下條は、『太宗実録』の「太宗169庚寅の条」に于山島の「家戸は全15、男女は全86人」と記述されていることを挙げて、于山島と鬱陵島は「同島異名」と主張する。
もちろん、この記事の于山島は鬱陵島を指すと見なければならない。ただ、私たちが主張するのは、文献を解釈する時は全体的な脈絡で把握するのであって、一部の記事を挙げてそれを全体的な本旨であるように繕ってはいけないということだ。『世宗実録』もそういう類に属する。
『世宗実録』「地理志」は上で反論したので、『新増東国輿地勝覧』と『東国文献備考』を考察してみることにする。

(続く)


<コメント>
 下線部、柳美林先生はなかなかいいことを言うなあ。ぜひ徹底してもらいたいものだが。





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