強制連行の捏造 豊州炭坑のハングル壁文字捏造事件強制連行の具体的な一次資料による証拠がないから捏造するという、 左翼系・半島系の人たちが得意とする手法を改めて紹介します。 強制連行の証拠として数々の資料として取り上げられた 豊州炭坑のハングル文字「お母さん、会いたい」について 朝鮮人強制連行“悲劇”のシンボル慟哭の文字は演出 映画ロケで刻む 強制連行された朝鮮人の“慟哭の詩”として有名な福岡県・筑豊炭田の ハングル壁文字が、戦後の映画製作の際、スタッフによって演出として 書かれたものであることが2日明らかとなった。 壁文字は、歴史の暗部を告発するシンボルとして、頻繁に雑誌や本に 転載され、韓国の独立記念館でも一時期、模型が展示されていた。 壁文字は「お母さん会いたい/腹が減ったよ/故郷に帰りたい」 という内容で、豊洲炭鉱(福岡県田川郡川崎町)の朝鮮人寮の壁に 書かれていた。 西日本新聞の調査では、在日本朝鮮人総連合会傘下の 在日朝鮮文学芸術家同盟(東京)が、日韓条約に反対する 運動の一環として1965年(昭和40年)に映画乙巳の売国奴を製作。 強制連行の痕跡を盛り込むため、スタッフ4人が筑豊でロケ。 壁文字はその際、廃屋となっていた寮の壁に書いた。 文章は現場で話し合って決め、 録音担当の女性が棒切れで壁に刻み込んだという。(略) 壁文字は74年から、記録作家である上野英信氏の筑豊文庫に展示され、 全国に知られるようになった。83年ごろの水害で消失したが、 筑豊文庫時代に撮影された写真が出回り、雑誌などで強制連行の特集を 組む際に転載されている。 (前略)壁文字が書かれたのは、1965年。その12月には早くも 雑誌『太陽』が写真を掲載した。広く知られるようになったのは 74年(昭和49)。4月に九州地方朝鮮人強制連行真相調査団が 筑豊に入り、壁文字は新聞各紙に大々的に取り上げられた。 同年5月の『アサヒグラフ』も調査団同行ルポで写真を紹介。 壁文字が故上野英信の筑豊文庫に飾られたことでシンボル性は いっそう高まった。最近では雑誌『日録20世紀』の 97年(平成9)7月8日号に掲載された。 韓国ソウルの独立記念館も87年8月のオープン当初から模型を 展示したが、96年になって「歴史的考証がない」と撤去している。 (西日本新聞 平成12年1月3日) 左翼新聞の西日本新聞もかつてはすばらしい記事を載せたのです。 (参考 佐谷正幸著 深町純亮監修『炭鉱の真実と栄光』) |
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コメント(2)
このようなことがあったこと事態を知りませんでした。
しかし、朝鮮の人たちは、ウソであろうとねつ造であろうと、日本を貶める、自分たちの利益になるなら、何でもやるのですねえ。
西日本新聞の調査で分かったらしいですが、確かに今の西日本新聞は朝日や命日と変わらぬ路線をまい進しています。
だが、事実には目をつぶるということができなかったのでしょうね。
2016/2/22(月) 午後 7:51 [ pon***** ] 返信する
> pon*****さん
過去の事案ですからね。
コメント有り難う御座います!
マスコミが、責任をとりませんからね。
2016/2/22(月) 午後 9:58 [ 筑後川の日本人 ] 返信する