漱石の『草枕』じゃあないが、とかくに人の世は住みにくい。職場で、家庭で、鬱憤はたまる。愚痴のひとつも言いたくなるのが人情だが、あまりに執拗、辛辣、深刻だと、結果、女を下げるハメになる。
そこで思い出すのが、小津安二郎監督の名作『東京物語』だ。杉村春子演じる志げという中年女性が腹立ちまぎれに、ひとり愚痴る場面である。すさまじい勢いで「嫌ンなっちゃうなぁ」を連発するのだが、この浅くて単純、かつ同意を求めぬ言いっぱなしが、意外にも後腐れなくさっぱり映るのだ。自分勝手でせちがらく、田舎から上京してきた老いた両親を邪険にするようなギスギスした女性なのに、その様子に滑稽味と抜き差しならない生活臭まで漂うのは、演者が杉村春子であるがゆえだろう。
代表作を多数持つ、言わずと知れた新劇の名優である。が、はじめから女優に憧れ、この道に進んだわけではない。広島の裕福な材木商に育つも、十代半ばに自分が両親の実子ではないと知ってショックを受け、故郷を出たい一心で東京の劇団「築地小劇場」に入団したというのが経緯だ。しばらくはなかなか役がつかなかったが、その卓抜した演技力で徐々に頭角を現していく。のちに文学座設立に加わり、劇作家・森本薫が春子のために書き下ろした『女の一生』で大成功を収める。が、劇団の中心的存在になっても、いつ役をおろされるかとおびえ、常に自らを律し精進し続けた。半面、好き嫌いで配役を決め、ライバルへの敵意をむき出しにし、思い通りにならないとヒステリックに仲間を怒鳴りつける一面も持ち合わせていたという。
普段はさばさば仕事をこなすのに、不意に感情に支配される――このジレンマ、女性ならば少なからず身に覚えがあるのではなかろうか。春子はしかし一方で、女の複雑さを冷静に俯瞰(ふかん)する俳優としての目を失わなかった。だからこそ映画や舞台で、あそこまでリアルな女性を演じられた気がするのだ。
なぜそんな苦労をしてまで芝居を続けるのか、と問われ、とにかく芝居をしたかったから、ただそれだけです、と春子は返している。お金には無頓着、文化勲章も辞退した。私生活では、二度の結婚をしたが、いずれも夫に先立たれている。
縁のはかなさや世のままならなさを嫌というほど知っていた。ゆえに彼女は女の意地で、自分が選んで踏み入った女優という道を一意に貫いたのではないだろうか。
「誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの、間違いと知ったら自分で間違いでないようにしなくちゃ」とは『女の一生』で春子演じる布引けいのせりふ。誰しも曲折あって、苦しいめ、つらいめにも遭って、少しずつステージを上げていくのだ。その道中、「嫌ンなっちゃうなぁ」とガス抜きするのは罪なことではない。二合目、三合目と休憩を入れて登山するように、軽やかに愚痴れば、きょうを忘れてあしたへと挑めるのだから。
[日本経済新聞朝刊女性面2013年6月8日付]
※「ヒロインは強し」では、直木賞作家の木内昇氏が歴史上の女性にフォーカス。男社会で奮闘した女性たちの葛藤を軽妙に描きます。