1945年の初演以来、現在までに1,400回以上上演されてきた文学座の『女の一生』。名優・杉村春子の代表作としても知られる本作で彼女が演じた主人公の〈布引けい〉役は、1996年に平淑恵が引き継ぎ、2016年には山本郁子にバトンタッチして作品に新たな風を吹き込んだ。そして今年、1~2月の地方公演を経て10月にいよいよ東京公演が行われるのを前に、山本は「誠心誠意、正直に演じるしかない」と背筋を伸ばす。
お芝居を見て初めて涙した『女の一生』
――― 1~2月の地方公演はいかがでしたか?
「2年前に初めてこの役を引き継いだときは、まさか私がこの役をやれるとは思っていなかったので、本当に嬉しくて嬉しくて、演じていても楽しかったんです。でも今年の公演では、いただいたいろんなご意見とか、すべてを背負わなければいけないんだなということを身に沁みて感じてしまって、計り知れないプレッシャーがありました。そのときは演出家からのサジェスチョンを受けながら、なんとか落ち着くことができて。今度の10月の公演は、開き直りじゃないですけど、もうやるしかないというところで、何があっても精一杯頑張ろうと思っています」
――― そもそも山本さんが役者を志すにあたって、杉村春子さんの存在がとても大きかったそうですね。
「私は大学に入るまで演劇をやっていなかったんですけど、単に面白そうだということで日大藝術学部の演劇学科を受けたら受かってしまって、最初の1年間はとにかくいろんなお芝居を観ました。その頃たまたま友達からチケットをもらって、今はなき渋谷の東横劇場に観に行ったのが『女の一生』で、お芝居を観て初めて涙したんです。特に最後のシーンでは涙が止まらなくて、立ち上がれなくなったくらい。それで、自分にはまだ足りないものがいっぱいあると思っていた私は、学ぶならこの人しかいない、杉村春子さんに習いたい!と思って、大学1年のときに文学座を受けたんです。そのときは落ちてしまったんですけど、これは神様が「卒業してからいらっしゃい」と言っているのかなと思って(笑)、4年の卒業のときにもう一度チャレンジして合格しました」
――― 文学座の研究所に入って間もない頃にも『女の一生』に出演されているんですね。
「文学座では、本科生(研究所所属1年目)のときに『女の一生』を研究発表で上演するんです。そのときもすごく幸せだったんですけど、それを当時演出されていた戌井市郎先生が見ていてくださったからだと思うのですが、1989年の本公演で女中の清という役につかせていただきました。さらに杉村先生のお付きもやらせていただいて、その経験はとてもプラスになっています」
――― 近くで接した杉村さんはどうでしたか?
「先輩方からは、昔はとても怖かったという話を聞きますが、私がご一緒させていただいた晩年の十年間は、本当に優しくて。何でもああしなさいこうしなさいというのではなく、見て覚えなさいという方でした。ただ、たまに舞台袖で一緒に出番を待っていたりするようなときに、「あの台詞こう聞こえたでしょ? でもこうよね」なんてやってくださったりとか、すごく良い教えをいただくことはありました」
――― かつて立ち上がれなくなるほど感動した作品に参加して、見え方・感じ方は変わりましたか?
「やはり近くにいると、どういうふうに作っているのかが見えますよね。どういうスタッフがいて、どういうことが進行しているのか。その意味では、これだけの人がこれだけ手を尽くして、キャスト陣もこんなふうに稽古をして、作品が出来上がっているんだなという実感が持てました」
私が必死に生きている様を観ていただくだけ
――― 作品自体も、主人公の人生に、親子や夫婦、兄弟などさまざまな人間関係が絡む重層的な内容です。
「登場人物一人一人の人生が描かれていて、1幕が1つの舞台になりそうなくらい凝縮された作品です。皆さんからよく言われるのは、杉村先生が演じていらっしゃったときは、どうしても杉村先生ばかり見てしまって、杉村先生の『女の一生』になっていた。でも平さんに代わったとき、「物語」が見えてきたと。他の登場人物も一生を過ごしているわけですからね。そして私に代わったら、私以外の人たちが生きている様がさらに見えてきて、より面白い「作品」になったと言っていただいています。良くも悪くも私に目が行かないのかもしれませんが(笑)、それはとてもいいことだと思うんです。私はもちろん杉村先生も大好きですけど、この作品が大好きなので、作品の良さを皆さんに知っていただきたい。そして、これは絶対やり続けなければいけないねと後輩たちが思ってくれるように演じていきたいです」
――― 2016年に平淑恵さんから〈布引けい〉役を引き継いだときは、他のキャストは平さん時代のままだったのですよね。
「それがちょうど役とマッチしていて、みんなが私を支えてくれようとしている感じがお客様にも伝わったんじゃないかなと思います。貿易商の家に迷い込んだ〈けい〉と同じように、私も一生懸命やるしかないというところで表現できていたのかもしれません。そのときは、まさかこの台詞を私が言っているなんて!と毎日思っていました。平さんが引き継がれたときはまだ杉村先生がご存命で、公演を観に来られる日もあったりしたので、きっと緊張されたり大変な思いをされたと思いますが、それに比べると私は少し気楽に始めさせていただいたのではないかという気はします」
――― 〈布引けい〉という人物についてはどんな印象を持っていますか?
「明治から昭和の激動の時代を、とにかく必死に生きた人です。「自分で選んで歩きだした道」という有名な台詞がありますが、ある意味では「歩かされたレール」でもあって、でもそこを一生懸命生きているというところを表現できたらいいなと思います。人物像としてはやはり杉村先生のイメージが大きいですが、その真似をしても真似しきれないので、私が必死に生きている様をライブで観ていただくしかないなと思っています」
この先もずっと生き続けてほしい、素敵な作品
―――いろいろな年代の〈布引けい〉を演じるのも見どころの一つですね。
「それがまた楽しくて、この作品の醍醐味でもあります。着物の着方やかつらの種類など外見的なフォローがすごくあるので、それに乗っかりながら、声の出し方をちょっと高くしたり低くしたり、重心の位置を工夫したり。あとは誠心誠意、正直にやるしかないです。私が型を演じても絶対に成立しない作品ですし、思ったことを素直に表現していくしかないと思っています」
――― 昔の話は苦手だと敬遠するような若い人にこそ観てほしい内容でもあると思います。
「そうですね。最初に上演されたときは戦時中でしたが、戦争が終わってから森本さんが書き加えたプロローグとエピローグの言葉を聞いていると、人が生きていくって本当に素晴らしいなと思いますし、そこに込められた反戦のメッセージを若い方にも受け取っていただきたいです。実際、若い方がすごく興味を持ってくださったという話も聞いています。ぜひこの作品を観て、いろんなことを語っていただきたいと思います」
――― 戌井市郎さんの演出をベースに、現在は鵜山仁さんの手が加わることで、若い人が観てもわかりやすくなっている部分はあるでしょうか?
「転換がとても大変なので毎回暗転幕を下ろすんですけど、それぞれの時代の年表をそこに映し出して、わかりやすくする工夫をしています。この作品に限らず、鵜山さんの演出は必ずそのときの時代性や、表現する側が今感じていることを反映させています。先ほどお話ししたプロローグとエピローグも、2016年版と今回では変わっていて、さらにイメージが大きく膨らむ演出になっています」
――― では最後に、10月の公演を楽しみにしている方々に向けてメッセージをお願いします。
「『女の一生』は、どなたも共感できる言葉がたくさん入った普遍的な作品です。過去にご覧になったことのある方は、杉村先生と私を比べていただいてもいいですし(笑)、これからご覧になる方には本当に、この作品の素晴らしさ面白さが伝わればいいなと思います。この先100年も200年も続いてほしい、ずっと生きていってほしいと思う素敵な作品です。ぜひご覧ください」
(取材・文&撮影:西本 勲)