旅の演者はかく語りき 作:澪加 江
<< 前の話 次の話 >>
伝統があり、格式高いブロートの街唯一の劇場。
劇場へと続く街一番の大きな道も、劇場の周りも、その日の夜は大変賑わっていた。
それもそのはず、周辺国の主な貴族が訪れているのだ。それに伴い劇場の演目も、普段では目にかけられない程豪華なものとなっている。それを目当てに訪れる人、さらに人が集まれば商売が成り立つと集まる人、様々な人々が劇場を取り巻く様はさながらお祭りといったところか。
着飾った貴族、正装の商人、はてはおめかしした町娘まで飲み込む白亜の劇場。
今の世では珍しい娯楽施設には、忙しくなる秋を前の前に心の潤いを求め、色んな人々が集まっていた。
劇場内は広いながらも音響を考えられた作りになっており、声を拡張するマジックアイテムが少数ながらも劇場自体に組み込まれている。今では考えられない程希少な作りが、このブロートの街から観劇という文化が廃れなかった一因だろう。
客席の正面、舞台に下ろされた赤い幕に金の刺繍がされた垂れ幕は、白と赤に統一された劇場内でもより一層目立つもので、この劇場固有の印が縫い付けられている。
ざわつく客席は満員御礼。
後ろの席のさらに後方には立ち見をするものまでおり、いつも以上の熱気が渦巻いている。
カツン、カツン、カツン。
計算されたように甲高く響く足音。
それを合図に、今まで雑談をしていたもの達が話をやめ静まり返る。
舞台の上にはいつの間にか一人の男が立っていた。
中肉中背に珍しい黒髪。
スポットライトに照らされて金色に輝く見慣れぬ衣装。
室内だというのに、頭には不思議な形の帽子をかぶっている。
外套の袖は右手のみに通され、外套の合わせ目から出された左手を胸に当てて、男は完璧な一礼をする。
「本日は当ブロート劇場にお越し頂きありがとうございます。私、今日の前座を務めさせていただくモモンガと申します」
帽子に手をやり角度を整える。かと思えば大袈裟な動きでステップを踏み、独特の、なんとも言えない姿で止まる。
「今宵の演目は英雄が魔王を倒すというありふれたものではありますが、どうぞ皆様ご安心を!」
「前座の私も真打ちの彼らも、演者としては超一流でございます! されば、確かな満足を感じていただけることでしょう!」
バサリと外套を広げ不敵に笑うその姿は、この豪華な舞台にはよく映えた。
揺らめかせるように手を踊らせて、足どりも軽く彼は再び舞台の真ん中に立つ。
「前座となります演目は“炎の壁”、真打ちとなりますは“漆黒と魔王”どちらもかの英雄モモンにまつわる話。そう、この街ブロートと縁の深い二人の話でございます」
そう言ったモモンガは深いお辞儀をする。と共に灯りが落とされ真っ暗になる。
すぐさま聞こえてきたのは楽団が鳴らす軽快な笛の音。
そして続く重厚な音楽であった。
「因縁の対決。運命が定めた宿敵。世によく言われるそれはロマン溢れる甘美な響き。そして彼らもまた、その甘美さに酔ったのでありましょう」
舞台の直ぐ手前にある楽団の音にも負けず、モモンガの声は朗々と響き渡る。
「かたや並ぶものの居ない強大な魔王。かたや並ぶものの居ない勇壮な英雄。彼らの出会いは必然だと、誰もが皆、そう思うでしょう」
真っ赤に燃え上がる幻影の炎は、空に高く、同じ種族で争う人間を嗤うかのように。
時は魔導国が興る少し前。人のつくった王国の、その王都での略奪劇。
炎の壁にて囲まれ囚われた、愚かで脆い人の王国。
これは魔王ヤルダバオトと名のる彼の、歴史に現れる最初の記録。
――人間なんぞは家畜と同じ。餌を与え、飼い太らせ、最後に美味しくペロリといただく。そのために存在を許されたもの。
――人間なんて道具と同じ。使えるうちはこき使い、邪魔になったら首をスッパリ。そのためだけの存在のもの。
炎獄の中で歌うは魔王。
腕の一振りで人を攫い、眼差しの一つで人を殺める。
その姿は炎獄の、主の体によく似合う、赤い装束に包まれて。
その姿は炎獄の、主の顔によく馴染む、不思議な仮面に包まれて。
――私に及ぶ存在など存在せず。故に私は全てを許されている。
天を突かんばかりの炎は明るく、夜の都を照らすばかり。
――しかし敵が居ないのは少し悲しい。この身を削る闘いを、いつかはいつかはしたいものだ。
なんとふてぶてしい魔王だろうか。
人を脅かし、人を虐げ、かの魔王は楽しげに歌う。
その歌には魔法が込められ、忠実なる魔王の配下は命じられるままに人を攫う。
さながら指揮者。
まさに支配者。
この場のもので彼に抗うものなど居なかった。
しかし強者は引かれ合う。
されば二人は合間見える。
この地この時炎の中に、やって来たるものがただ一人。
強く正しく力を振るう、救世主がやって来た。
――おやおやこれはなんという事か? 配下の悪魔が倒されて行く。まさかこんなに素晴らしい存在が、人間の中に居るとは。
と、彼は楽しげに嗤う笑う。
――我が炎のうちに入りて、無事に帰す道理はなし。
――我が炎のうちにありて、配下の仇をとらぬ私ではなし。
駆けるは魔王、強者の下へ。
走るは魔王、侵犯者の下へ。
その先にある邂逅へと、踊る胸を押さえながら。
駆ける魔王を待ち構えるは、一人の“漆黒”そこにあり。
人を攫う魔王の手から、人を救おうと待ち居たり。
――これはこれは漆黒の君、このような場所にいかなる用事かな? 我が配下を倒し進み、一体何が目的だろうか。
――とぼける姿すらも邪悪なものよ、私は人の為に立ち上がった。お前を滅ぼしこの地に平和を。この地を守りお前に滅びを。
漆黒の鎧を炎の赤に染め、我らが英雄は魔王と対峙せり。
英雄の両手には漆黒の双剣。
魔王の手には長い鉤爪。
一合、二合、と切り結び、火花を散らし拮抗せり。
――なんとなんと嬉しい事か! 我が宿敵を見出せり!
――なんとなんと悩ましい事か! 我が宿敵を見出せり!
競りあう二人のその姿、見たものはなく、見えぬ程速く、打ち合いへし合い切り結ぶ。
炎の壁を幕がわりにして、舞台は続く。
彼らは踊る。
――名を聞きましょう漆黒の君。私と同等のその力に敬意を表して。貴方の墓石に刻む名を聞きましょう。
――ならば名を聞くのはこちらの方だ。赤く邪悪な悪魔よ名前を聞こう。
スポットライトは赤い炎。
舞台音楽はぶつかり合う刃。
主役は踊る赤と黒。
お互いにあい入れぬと分かりながらも、惹かれ合う二人の時間は長く続く。
終わらねば良いと切り結ぶ。
それを破ったのは明らむ東の空。
悪魔の時間は終わりを告げて、英雄の時間がやってくる。
――これで終わりだ名もなき悪魔。お前の時間はとうに終わり、私に屠られる名もない一匹として死ぬがいい。
漆黒の剣を魔王にかざし、朝焼けを背負い英雄は言う。
――それはごめんこうむろう漆黒の英雄よ。私はお前と並ぶものとして歴史に名を刻む魔王なのだから。
甲高く鳴る音とともに距離をとりたる両雄の片割れは、暗き夜空に透けていく。
赤き魔王は霞みゆく。
――さらばしばしの別れとしましょう。我が名は魔王ヤルダバオト! いずれどこかいずこの地かで相対することを望みます。
――私はモモン、“漆黒”のモモン! 此度はこうして見送るが、必ず次はその首をもらう。
双方が抱いたるは確かな共感、確かな満足。
そして確かな敵意。
並ぶものなど居ないと言われた、漆黒の英雄の唯一の好敵手。
魔王と英雄の出会いの物語。
「こうして英雄は魔王と相対し、魔王は英雄と敵対した」
「それから二人は何処へと至るのか……。それを語るは私にあらず。前座はこのくらいでひくとしましょう。」
パッと、舞台に灯りがつく。
観客は突然明るくなったことで少し目が眩むが、続く声はどよどよと驚いたものだった。
灯りが消えている間に下がっていた垂れ幕は上がり、舞台の上には様々な大道具が並んでいる。
「次なるはいよいよ真打! このブロートの街で起きた相反する二人の戦いを描く大作でございます。皆様何とぞお楽しみくださいませ!」
一礼をして舞台袖へと去る男に惜しみない拍手が贈られる。
どの顔も興奮と期待を前面にだし、喝采は空気がひび割れんばかりだ。
それすらも凌駕する金管楽器の鋭い音。
いよいよ始まる今日の目玉は、赤い衣をまとった仮面の男の登場から始まった。
「今日の公演の成功を祝して、乾杯!!」
アランの一声と共に各々が酒の入った器をかかげる。
そして軽くぶつけ合うとそれを口に運び一気に飲み干した。
「今日の公演はいい出来だった。本当に助かりました、モモンガさん!」
いつもは厳しい顔を崩さない劇団長のコーリンもぎこちなく唇を持ち上げてモモンガにお礼の言葉を贈っている。
「いえいえ。私は正当な報酬によって雇われただけです。そのように感謝されると恥ずかしいです」
酒を一口飲んだだけで顔を染めながら、モモンガは謙虚に手を振る。
「モモンガ殿には是非、その知識の一端を分けて欲しいものだ。このブロートの街でも長い月日の間に幾つもの魔道国時代の演目が失われてしまった」
「うんうん。近くの街に行ってもほとんど残ってないしな」
「文化の円熟期とも言える魔導国の文化が失われるのはかなしいものだ。モモンガ殿さえ良ければだが幾つかだけでもいい、我が劇団に授けては貰えぬだろうか?」
コーリンの真摯な願いにモモンガは少しの間考える。
その後、結局構わないという結論に達して快諾した。
「私の記憶する限りにはなりますが、いいでしょう。その仕事、引き受けさせてもらいましょう」
「それは助かります!」
がっちりとコーリンと握手をかわし、モモンガはにこやかに微笑む。その笑顔はどこか得意げだった。
その光景をみたアランがそうだ、と一つ提案をする。
「良ければモモンガさんしばらく――そうですね、1ヶ月ほどこの街に滞在しませんか?」
「ひと月、ですか?」
「ええ。実は2週間後有名な冒険者がこの街に来られるのです」
「冒険者がですか? それで一体?」
話が見えないと首を傾げるモモンガを他所に、劇場の関係者たちはそれは名案だ! とばかりに明るい顔をしている。
「実はその冒険者のリーダーは吟遊詩人で、この劇場でも二日ほど演目をしていただく手はずになっているのです」
「ほう。それは確かに興味深いですね」
「そうでしょう、そうでしょう! 彼は魔導国が滅んだ後の出来事に精通した御仁でして、是非ともお二人に会って議論をしてもらいたいと思いまして」
「滅んだ後に精通した御仁、ですか?」
一瞬。
対面して座るモモンガの方から背筋が凍るような風が通り過ぎた。
しっかりとしたつくりの店内であるので、隙間風では無いはずだ。
アランは自分の腕をさすりながら周りを見渡す。しかし周りは至って普通の様子で、きっと気のせいだろうと自分を無理やり納得させた。
「ええ。“破滅を呼ぶ英雄達”の話を主に話される方です。何度か過去にも劇場へお呼びしましたが、そのどれも“破滅を呼ぶ英雄達”の顛末を語ったものでした」
「――ああ、そうでしたか。それは確かに大変興味深いものですね。かの英雄達のその後は多くが闇の中ですから」
300年前に突如現れ、人類に救いという名の破滅をもたらし、魔導国に終焉をもたらした、いく人もの英雄、英傑達。
不自然なほど突然現れた彼らは、魔導国を滅ぼすという大事を成し遂げた後に急速に力を失い滅んだという。
「死の支配者、アンデッドに支配された生者の国。様々な言葉で魔導国を非難して民衆を扇動し魔導国を滅ぼした者達。そこまではまだ英雄のような描かれかたもできましょうが、彼らはそこで終わりましたからね。魔導国の後を引継ぎ国を治めることもせず、彼らはただ混乱と破滅をもたらしただけです」
「ええ。まったくもってモモンガさんのおっしゃる通りです。もっとも、魔導国なき後に彼らが国を作っていたのならばこの劇場も、亡国の遺産として完全に壊されていたでしょう」
「ええそうでしょうとも。そう考えますと、運命とは全く不可思議なものです」
肩をすくめ、おどけるモモンガは酒のせいもあるだろうがとても愛嬌があった。
しかし、彼の言動の端々にみられる魔導国への想いは些か強いように感じた。
そう。まるで実際に魔導国を知るかのような。
「モモンガさんは魔導国へ並々ならぬ想いをお持ちのようだ」
昼間は軽く流されてしまったモモンガの過去、出自に関する話題を別の角度から試してみる。
この男の過去にたいする興味は尽きることがなく、少し無理をしてでも聞きたい衝動に駆られる。
「――――。永くこういう仕事をしていると、自分の扱う題材に常以上の愛着を覚えるのです」
「かなり長く独演家として活動されているのですね」
「ええ……。それはそれは長い時を。父と離れ一人となってから随分と長い時が経ちました」
ここではない遥か遠い過去を見るモモンガの顔は、胸が締め付けられる程に儚いものだった。
こくりと喉を鳴らし手に持つ酒を呷る。
流石にこれ以上は相手を不快にさせてしまうだろう。
「それでどうですかモモンガさん。後ひと月だけこの街に居てくれませんか?」
話をやっと元に戻す。
彼の過去はしばらく滞在してもらううちにでも時間をかけて知れば良いのだ。
幾つかのモモンガに有利な条件を提示し、モモンガを引きとめようとアランは話を進める。
モモンガは相槌をうちながら聞いていたが、話の区切りを見つけると口を開いた。
「残念ながら。この街に居るのは5日間とみておりまして、次の訪問先には既に先ぶれを出してしまっているのです」
「それは……そうとは知らずに長々とすみません」
「いえ、こちらもつい言いそびれておりました。先に言っていた演目の事はお任せ下さい。明後日までに書き上げましょう」
複雑な顔で笑うモモンガにアランは恐縮しきりであった。
「よろしくお願いします」
お互いに頭を下げあい、その夜は楽しく過ぎていった。
モモンガはその日宿をとった。
本来ならば今夜のうちに街を出ていく予定だったので、打ち上げから解放された後に少し慌ててしまった。
流石に何日も宿を取らないのは“人間”として奇怪に見られるだろう。そういうことで、平凡な宿を劇団員から紹介してもらい、モモンガは久々にベッドの上に寝転んだ。
「“破滅を呼ぶ英雄達”の語り部ですか……」
小さな声で呟くと、ゆっくりと起き上がり宿に備え付けられたテーブルに向かう。
一人部屋とはいえ流石に常通りの声量で喋ると、時間帯もあり迷惑だろうと抑えられたそれは深い闇に溶けるように消えた。
そもそも独り言であるので大きな声を出すのはおかしいのだが、造物主に“そうあれ”と作られた彼は、主人が望んだ通りのものであるだけだ。
椅子に座りペンを取り出す。
劇場の者から渡された上質な紙に記憶にある演目を片端から書きつける。
時間はあるようで無い。約束を違えるのはこの名前を名乗っている以上考えられない。
何よりも、こうしてアインズ・ウール・ゴウンの名を残すことこそ、彼の使命であった。
サラサラと手を動かしながら、今日もっとも重大な情報を思い出す。
――“破滅を呼ぶ英雄達”。
「これは接触しておくべきなのでしょうが」
ここブロートの街ではモモンガに不利だろう。
万が一相手がプレイヤーだった場合太刀打ちできない。自分の力は造物主であり父でもある至高の御方から授けられたものであるが、その父がNPCではプレイヤーに太刀打ちできないだろうと言ったのだ。
「ナザリックがかつて侵入してきた不届きもの達を相手にできたのは、至高の御方々の力と、その御方々が造ったナザリック地下大墳墓という空間があったからこそ。まともにぶつかればいつかのシャルティア様のように……」
ペンを握る手がいつの間にか枯れ枝のように細長く、節くれだったものに変わっていた。
はっとそれに気がつき、モモンガは手を顔に添える。
そこには目、鼻などの凹凸は無く、つるりとした感触があった。
「少し感傷的になりすぎましたか」
ぐにゃりと輪郭が歪み再び安定する。傍目から見れば異様なそれは、モモンガにとっては生まれたその時から慣れ親しんだ己の力だった。
いつもの、すっかり板についた人間の姿を形どると、モモンガはペンを進める。
“二重の影”である彼にとって姿を知らずの内に変える失態を演じてしまった。
しかし咎める存在は今は居ない。
「栄光は遥遠くに。今はその残滓を風化させない為だけの規定作業。――――かつてモモンガ様はどのような気持ちであったのでしょうか?」
インクが乾くまでの僅かな時間を思索に使う。
今日の彼はひどく感傷的になっていた。
「御方々の往来が途絶え、栄光の地を去った後で、唯一残られた我が神」
少し考えてはペンを進め、また考えに耽る。
それは日が昇り、そして沈み、街を出る日の朝まで続いた。
大の大人が持てるギリギリの量の羊皮紙を抱え、モモンガがブロート劇場にやって来たのは出立する日の昼前だった。
昼食に誘うと丁寧に断られ、それぞれ別れを惜しみながら街から出る彼を見送った。
彼の記した演目はどれも素晴らしく、手分けをして読み進めていた一同の感動は大きかった。
ある程度の検分が終わると、再現できそうなものだけ写しを取り、残りは全て秘密の部屋に仕舞われた。
機会を見て複製と配布をすることで、話はモモンガとついていた。
秋の収穫の時期が迫り、いよいよ待ちに待った冒険者の一団が街に到着するだろうという頃。劇場をニュクスが訪ねてきた。
手には見るからに高級な封筒。
差出人の名前はモモンガだった。