フォーサイト、魔導国の冒険者になる   作:空想病
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ズーラーノーン -4

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 一瞬だった。

 

「「クレマンさん!!」」

 

 イミーナとアルシェの声が協和する先で、クレマンティーヌの肢体が、爆発的に吹き飛んだ。吹き飛ばされた。

 女戦士が交差させる武装の防御にかじりつく、一人の幼女。

 否。

 一匹の猛獣。

 

「キャッはハはハハハはははははハハハハハッっッ!!」

 

 スティレットが火花を散らし、見るも無残に焼け斬れていく。

 吸血鬼の(あぎと)──超高速で上下する乱杭歯──つまり咀嚼(そしゃく)により、魔法武器の刃がギャリギャリギャリギャリという悲鳴の後、いとも簡単に砕け喰われた。

 

「こ、ノ!」

 

 反撃の回し蹴りをはなつクレマンティーヌ。

 だが、吸血童女の回避運動は、これまでの比ではない。

 蝙蝠の翼で大気を叩き、あっさりと逃げおおせたシモーヌは、超高速飛行で再突撃を敢行。

 

「無理無理無理無理無理無理、ムリィッ!!」

 

 幼女の握りなおしたノコギリ一本が、クレマンティーヌの防御──左腕を縦に引き裂いた。まるで裂けるチーズのように中指からまっすぐパックリ割れる人の腕。高速振動するノコギリ──要するにチェーンソーじみた斬撃は、アンデッドの種族スキルの耐性を簡単に突破していく。

 

「クソ、(あつ)ッ!」

 

 思わずクレマンティーヌは傷口を右肘で腹に抱くように塞いだ。

 振動によって発生する高温高熱は、死体の肌を焼き斬るのに覿面な効能を発揮するもの。

 あっという間に片腕を封じられたクレマンティーヌ。だが、この程度の損傷はなんてことない。動死体(ゾンビ)の肉体は痛覚に鈍くなる上、手足がもげ落ちようとも、戦闘行動を継続するのに何の支障もない。アンデッドだから。

 

「ザッケンナ、ババアァ!!」

 

 クレマンティーヌが右手に二本のスティレットを握り、攻め込んでくる鬼顔の幼女を迎え撃つ。

 女戦士の正確無比な一閃。

 むやみやたらと飛び込んできた幼女の振動ノコギリをかいくぐり、ルビー色の両目に刃を突き立て──起動。

 眼底にて弾け爆ぜるのは〈火球(ファイヤーボール)〉の魔法。

 

「ギィヤアアアああああああああああアああああああああああ!」

 

 両眼を押える吸血鬼の悲鳴が奴隷詰所の壁を震わせ崩す。

 しかし、クレマンティーヌは即座に動いた。

 勝利を確信するには早すぎる。

 

「シィッ!」

 

 続けざまに取り出したスティレット二本を、膨らみかけの幼女の胸──その中心にブチ込んだ。

 心の臓腑を燃やし尽くす〈焼夷(ナパーム)〉の二連撃。

 内部から物理的に喉を、声帯を焼かれ尽した幼女は悲鳴さえ上げられない。

 だが、

 

「──無理だっつってんだろォがアッ! このクソザコ蛆虫(ウジムシ)ッ!!」

 

 高速再生。

 アンデッドに致命であるはずの炎属性──四連攻撃を受けても、シモーヌは倒れない。

 壁際に追い込まれたクレマンティーヌを襲う、四本のノコギリ、もといチェーンソー。

 クレマンティーヌは間一髪、攻撃の軌道を読み切り、豹を思わせる身のこなしで(かわ)した。

 

「っとォ!」

 

 直後、壁を引き裂いて焼き砕いて破壊していくノコギリの嵐──その風圧と、壁の残骸に吹き飛ばされる。

 

「ちッ!」

「クレマンさん!」

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)火球(ファイヤーボール)〉!」

 

 イミーナとアルシェの支援攻撃が飛び交うが、もはやシモーヌの攻勢を阻む威力は示せない。

 

「ウザイウザイウザイうざい! てメぇらもまとメて()リつブして喰イ殺すゾォおおおおおッ!」

 

 四本のノコギリを鞭のごとくしならせ、フォーサイトの攻撃も周囲の物体ごと斬砕していく。

 まるで白銀の竜巻か暴風といった破壊力の顕現。

 しまいには鉄格子を砕き、檻の中の人間や亜人を巻き添えに断殺していく。

 頭を、首を、胸を、腹を、手足を斬られて、血飛沫をあげて転がっていく死体の山。

 あまりにも凄絶かつ、酸鼻を極めていく光景──むせ返るような血臭──激痛と恐怖、惨劇のショックで憐れにも正気に戻った奴隷数人が、叫喚の声をあげた。

 その様子を、さすがにヘッケランたち──男衆は黙ってみていることは、できない。

 

「な、なんだよ、あの化け物!」

「まったくあたり構わずとは!」

 

 吹き抜けの二階三階を跳躍し逃げるクレマンを、奇声を奏で執拗に追い立てる吸血鬼。

 

「ったく、奴隷共をあんなポンポンと──あのロリババア、計画のこと忘れてねぇだろうな?」

 

 バルトロも頭を掻いてぼやくしかない風体だ。

 

「まぁ、いいか。必要な分は上にあげたはずだし。てか俺の知ったことじゃねぇし──ほら、助けに行くなら今のうちだぞー?」

「……そう言って、背中から襲ってくる気だろ?」

「ああ。当然な」

 

 バルトロは拳を握る。

 その前に──

 

「た、たす、たすけてくれッ!」

 

 シモーヌの繰り広げた惨劇によって正気に戻った奴隷の男が飛び込んできた。

 大量出血する足で、赤い血と臓物を全身に浴びた痩身で、救いの手を求めたのだ。

 しかし、男の訴えに対しバルトロは、救いとは無縁な視線を、奴隷の汚い身なりにそそぐ。

 

「おい、邪魔すんな」

「た、たすけ、ここは、いったい、──な、なんでもいい。い、痛い痛い! だすけて!」

「おい…………邪魔」

「か、かねならいくらでもだす! わたしはし、しさんかだ! だすげ、たすけてくれぇ」

「邪魔すんなって、言ってんだろ」

 

 黒い一声が、室温を数度ほど下げたように思えた。

 バルトロは一秒で、奴隷の顔を鷲掴み持ち上げる。

 そして一瞬で、奴隷の顔の皮膚を──剥ぎ取った。

 

「ひぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 絶叫が痛いくらいに鼓膜をゆする。

 

「あ! ああ、ア! 痛、イダい、たす、たしゅゲぇ!」

 

 濡れ紙を破くように、顔の皮膚を片手の握力で一挙にすべて剥がされた。表情筋と眼球がむき出しになった奴隷は、バルトロの凶手から逃れようと地を這いまわる。

 

「チッ。弱っちい奴隷の皮なんて何の価値もねぇ。悪かったな。そら、返すぞ」

 

 ヘッケランたちが助けに行く暇すらなかった。

 バルトロは泣いて鳴いて(うずくま)る男の襟首をつかみ上げ、その顔面に皮を持った拳を突き入れた。

 骨と肉の砕ける音がした。後頭部からいろいろなものが飛び出していく。

 ようやく悲鳴は途絶えた。憐れな奴隷は、痙攣するだけの死体になった。

 

《あれが、奴が“皮剥ぎ”と呼ばれる所以(ゆえん)ダ》

 

 カジットが律儀に教えてくれた。

 絶句するヘッケランとロバーデイクは、男の身体能力と狂気的な手腕を肌身に感じていく。

 

「んじゃ。再開といくか」

 

 レザージャケットを翻し、気軽に血まみれの拳を振るうズーラーノーンの十二高弟。

 

「ああ、安心しろ。おまえらは結構強いからな──死んだあとは俺様のコレクションに、このジャケットに追加しといてやるよ」

 

 軽い笑みに、背筋が冷たくなるのを感じたヘッケラン。

 変な柄のレザージャケットだと思ったが……なるほどと理解した。

 あれはすべて、人間の皮……バルトロが自らの手で剥ぎ取ったものだったのだ。

 捕まれば一瞬で、床に倒れ伏す奴隷と似たような末路を想起できる。

 

「…………」

 

 ヘッケランは無言で、後ろのロバーデイクにハンドサインを送った。

 了解したと頷き、背負い袋の中を探ろうとする神官……その背後に、

 

「させるかよ」

 

 超高速で移動した拳闘士が迫る。

 一撃で頭蓋を粉砕しかねない速攻は、カジットの〈魔法盾(マジックシールド)〉で阻まれる。

 しかし、

 

「ばーか」

 

 バルトロは魔法の盾に当たる寸前に腕を止めた。

 純戦士のフェイント攻撃。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)では騙されて当然な、ほんの一刹那の戦闘判断。

 まったく意表を突かれた頭蓋骨(アンデッド)嘲笑(あざわら)うように、バルトロの本命──蹴り足がロバーの延髄を刈り取る直前、

 

「バカは、そっちだ!」

 

 ヘッケランの〈縮地〉〈即応反射〉からの〈不落要塞〉が、致命的な蹴り足を弾き返した。

 

「ちっ……この!」

「ロバー、今だ!」

 

 無事にアイテムを取り出したロバーデイクが、それを空中に放り投げる。

 投げ出されたものは、白い筒。

 瞬間、一帯を眩しすぎる閃光が包み込む。

 

「目くらましかよ!」

 

 起動したものは〈大閃光(グレーター・フラッシュ)〉のアイテム。

 しかし、視界を塞がれることを対策しない戦士はいない。その程度のことも判らぬバカなのかと呆れるバルトロの視界に、無視し難い異変が撒き散らされる。

 

「……? 何だ、この白い……煙? ──煙幕か!」

 

 視力低下の対策はできていても、物理的に視野を塞ぐ術策には抗い難い。

 ロバーデイクとは別に、煙幕用のアイテムも数個同時に起動していたヘッケランの策に、さすがにバルトロは進撃の足を止める。

 

「ああ、くそ。本気で意外とやるな──おい、どこ行きやがった! 魔導国の冒険者ども!」

 

 払えども払えども、白い煙は充溢し続ける。

 この視界不良に紛れて攻撃してくることも考えられる以上、下手に動くのは危険であった。

 耳に聞こえるシモーヌの暴れる轟音で、なんとなく戦闘は続いていると判断できる。

 そして、煙が晴れるまで一分間。バルトロは警戒を続け──

 

「……やられたな」

 

 まんまと逃走を許してしまった。

 バルトロは肩をすくめ、転がる煙球の一個を踏み砕いた。

 周囲では洗脳から少し回復した奴隷たちの呻き声や鳴き声が響くが、そちらには用がない。どうせ城の香を長時間吸えば、ショックを受けて覚醒した意識も、再び沈黙を余儀なくされるのだ。

 耳を澄まして、一人の幼女が“食事”に興じる音を探り当てる。吹き抜けの三階にまで自慢の脚力で跳びあがる──壊れた檻の中を覗き込む。

 クレマンティーヌ相手に暴れまわっていたはずのシモーヌは、吸血鬼(ヴァンパイア)状態の狂乱状態……血に酔い血を求める化け物の面貌で、奴隷たちの血まみれの死体を、四つん這いになりながら(むさぼ)り喰っていた。戦闘音と思っていたものは、奴隷たちを屠殺(とさつ)し破壊する際の衝撃音だったのだろう。幼女のいつもの“食事”である。

 

「ったく……おーい、ロリババアー……年齢詐称姫ー……色情吸血鬼ー?」

 

 蔑称にすら反応を返さない。

 完全にキマっていた。トリップしまくっている。

 肉を噛みちぎり、生き血を舐め啜ることしか頭にない、肉食獣の様態だ。

 バルトロは仕方なしに、持っていたポーションの一本を、吸血鬼(アンデッド)の体……蝙蝠の翼を生やす背中に振りまいた。

 ──ジュという燃焼音が微かに聞こえるが、火傷は即座に再生されていく。

 しかし、気つけ程度には、これで十分。

 

「いったぁ…………?」

「おい、しっかりしろ、ロリババア。なに喰ってんだよ?」

 

 振り返る吸血鬼は、人体の構造上あり得ない角度……真横以上にまで首を傾ぐ。

 乱れた薄桃色の髪が血に濡れて、妖艶かつ蠱惑的な輝きを放っていた。

 

「ぷうぅ?」

 

 潤むルビーの瞳。あどけない幼女の仕草に、愛嬌を感じるには無理があった。

 臓物を前歯でかじっていなければ、国を傾けるほどの美貌がそこにはあるのに。

 血染めのドレスを纏う幼女は、臓物をゆっくり食い尽くして、ようやく、答える。

 

「バルトロぉぉぉ。わたし、いま、ゴハン、食べてるのぉぉぉ」

「へぇ、そうかよ」

「さっき、再生で力使ったから、ちゃんと栄養補給しないとさぁぁぁ」

「そーですね」

「やっぱりゴハンは、生の新鮮が一番よねェェェ。そう思うでしょぉぉぉ?」

「ああ。そうな──ところで」

 

 バルトロは血だまりの檻を見渡す。

 血の池地獄には、奴隷たちの残骸しかない。

 吸血鬼と相対していた女冒険者たちの装備や破片を探したが──

 

「あいつらドコ行った?」

 

 

 

 

 

 死の城。奴隷詰所から離れた通路内。

 どうにかこうにか一時退却に成功したヘッケランたち、フォーサイト一行。

 あそこで、あのまま戦闘を続けるのはリスクが大きすぎた。未知数の敵。戦闘力の差。戦術的に勝利にこだわるべき要素が薄い状況。総合的に判断して、フォーサイトは「無事に帰る」ことへ重きをおくべき戦局にあると言えた。無理して戦って自滅するよりも、生きて帰って情報を持ち帰ることが、魔導国の冒険者のスタンダードである。

 それに、さきの戦闘で一人──かなりの重傷者が出ていたのも大きい。

 

「クソ、くそ、糞が! あの色情変態吸血ロリババア! 次に会ったら絶対にブチ殺してやル!」

 

 左右の腕を粉微塵に斬り裂かれ、いつになく荒れた様子を見せるクレマンティーヌだ。

 両腕切断という重傷の見た目に反して、あまりにも勇壮というか、獰猛というか……ただの地団太だけで、床石を破砕しかねない威力だ。というか、実際ヒビが入りまくっている。

 魔導国で出会った聖女の面構えは、今の状況ではまったく面影さえ残っていない。

 

《おい動くな。狙いがそれても知らんぞ──〈魔法最強化(マキシマイズマジック)負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)〉》

 

 頭蓋骨の魔法詠唱者から飛んだ光線が、クレマンティーヌの傷を癒す。

 振動ノコギリで焼き斬られた腕の断面に、負のエネルギーが充満することで、もとの肉体を再構築していくという寸法らしい。

 ヘッケランは率直に呟く。

 

「まさか、クレマン、ティーヌさんも……その、アンデッドだったとは」

「……ああ、ごめんねぇ。隠してテ?」

「気にしないで下さいよ。お二人にも事情があって当然ですし」

「うん。あと、さっきのヘッケランくんナイス判断。おかげで喰われずに済んだよー。ありがとネ」

 

 聖女のごとき穏やかな笑みを浮かべるクレマンティーヌ。

 取り繕った微笑というより、演技する面倒が減って助かったという風情(ふぜい)を感じる。

 そんなチームメイトに対し、一人の少女が深々と頭を下げた。

 

「……ごめんなさい、クレマンティーヌさん」

「ん? アルシェちゃン?」

「さっき、私に攻撃が来て、それで、クレマンティーヌさん、腕を……」

 

 吸血鬼化で狂乱した十二高弟──乱雑かつ周囲一帯を斬砕していくノコギリの余波が、アルシェの眼前に迫った時、クレマンティーヌが身を盾にして防いでくれたのだ。下手をしたら一撃で胴体を分断されていた一撃であったが、なんとか致命傷を負わずに済んだ……そのために、クレマンティーヌは傷を負うことに。

 罪悪感に頭を垂れるアルシェに、立ち上がったクレマンティーヌは完全に元に戻った両腕で、少女の金髪をわちゃわちゃにかき乱す。

 

「大丈夫だよ。私は、ほら、元通り! わたしはアンデッドだけど、見ての通り、回復できないわけじゃないかラ」

「でも、あの」

「私はフォーサイトの前衛だよー? 前衛が盾にならないで、後衛に傷がいくとか、そっちのほうが問題じゃン?」

「……はい」

 

「うん。よろしイ」と、はにかむアルシェの両肩をたたくクレマンティーヌ。

 そんな彼女の様子に、チームが一丸となるのを感じるヘッケランは、

 

「で。次はどうします? クレマンさん、カ……頭蓋骨さん」

 

 早速、今後の方針を固めに入った。

 

《シモーヌの奴が吸血鬼化から回復するには、それなりに時間がかかる。それまでは、儂らを追ってくることはできんはズ》

「吸血鬼の吸血本能や食人衝動は異っ常だからねー。それでも、バルトロのロリコン野郎が一緒にいるのが、唯一気がかりといえば気がかりだよ。あいつ、ロリババアとはズッポリドップリな関係だシ?」

 

 カジットとクレマンティーヌが言うには。

 シモーヌが“食事”を始めると、自力で正気に戻るのは時間がかかる。ただし、バルトロという仲間に回復を促されることを考慮すると、

 

「急いだほうがいいってことですね」

 

 頷く元十二高弟の二人に対し、ヘッケランは(たず)ねる。

 

「さっきも聞いたかもですけど。この、死の城っていうのを脱出するには──どうしたら?」

 

 クレマンティーヌは頭上を指で示す。

 

「とにかく、城の“上”にいかないとネ」

《脱出するには、中枢の上層にある転移魔法の部屋にいくしかなイ》

「でも。いっそのこと、城の外郭部分にまで行けば、あとは〈全体飛行(マス・フライ)〉のアイテムで脱出できるんじゃ?」

 

 ヘッケランが取り出した指輪は、落下型罠の緊急避難や悪路悪所を踏破するのにうってつけのアイテムだ。

 アルシェやカジットしか使えない飛行能力を、アイテムによってチーム全員が使えるようにすることができる。

 しかし、クレマンティーヌは笑って「それは無理だヨ」と首を振った。

 何故だろうと首を傾げるフォーサイトの四人。

 

「もしかして、地下だから? だったら納得ですけど」

「……ま。見てみたほうが早いかもネ」

 

 言って、クレマンティーヌは通路の奥──渡り廊下を示す。

 夜闇に包まれる外の光景を見通すには、うってつけの場所だ。

 六人は渡り廊下へ駆けた。

 そして、フォーサイトは見た。

 自分たちがいる、死の城からの──全景を。

 

「……………………え?」

 

 城というだけあって、ヘッケランたちのいる渡り廊下から見渡せるだけでも、かなりの高層建築だと判断できる。

 下手をすると帝国の皇城よりも巨大で立派な、白亜の城郭群だ。

 しかし、ヘッケランはそちらに意識を向けられない。

 向けられるはずがなかった。

 

「え、……え、……え?」

 

 空は漆黒にまみれていた。

 月も星もない夜空──否、おかしい。

 今回の任務で帝都に赴いた際、月明かりが墓地を照らしていた。

 そう。今日は新月ではない。

 いくらなんでも、月がない夜空など考えられなかった。仮に月が見えない位置にある・時間経過で移動したのだとしても、星ひとつ瞬くことがないというのは、度し難いにもほどがある。野を駆けまわる冒険者である以上、夜、星の位置から自分たちのいる場所を把握する技術などは必須だ。なのに、星が見えない夜空など、そんな理不尽があってたまるものか。

 

「ちょ、待て、──まさか」

 

 ヘッケランは気づいた。

 

「あの黒い空、に、にせもの?」

 

 クレマンティーヌは首肯した。

 

「そう。ただの作り物──この城は、盟主の張ったという永久の闇に閉ざされた、魔法空間の中にある城なノ」

「ま、魔法空間? は、はったりじゃ」

「試しに〈飛行(フライ)〉でいけるところまで行ってみる? もっとも、魔力が切れて墜落したら、二度と戻っては来れないだろうけどサ」

 

 魔法詠唱者のアルシェが呻く。

 魔法で作られた空間──そんなもの、いくら魔法の才に恵まれた少女でも、理解が追い付かない代物であった。

 空間を操る魔法……それは第八位階や第九位階など、神話の御伽噺程度にしか、存在が確認されていないはず──なのに、それが今、目の前に広がっている、すべて。

 

「理屈はよくわかんないけどさ──とにかく、あの黒い空には果てがない。それに加えて。ほラ」

 

 クレマンティーヌが促すまま、一行は渡り廊下の手すりから、下を覗き込む。

 ヘッケランは息をのんだ。イミーナとロバーデイクとアルシェが眉を顰める。

 

「え、ちょ、嘘」

「ば、馬鹿な」

「地面、が」

 

 ない。

 空と同じ漆黒のそれが、城の基礎部分以外の大地全体を染め上げている。

 見渡せる限りの────外堀、というべきか。

 空と大地の境さえ、この城の周囲には存在しないように見える。

 地面を走ることも、空を飛んでいくことも、物理的に不可能な空間が広がるのみ。

 試しに、クレマンティーヌが城の煉瓦や鉄の装飾を両腕で割って掴み、無限の暗闇へと順に投擲してみせた──煉瓦と鉄塊は、どこかにぶつかった音を奏でることなく、闇の底に消える。

 

「これでわかった? この城への入退場は、転移魔法を使うしかない──この城の上層中枢に位置する転移の部屋に行くしかないノ」

 

 さらに。

 これまた侵入者対策なのか、この死の城の中で転移魔法を行使することは難しいという。例外は、この城の住人たる十二高弟──転移魔法発動に必要な指輪を授けられた存在のみ。

 ヘッケランたちは理解した。

 下に逃げて城外に逃げ出せたとしても、無限の深淵とも言うべきものが待ち構えている──脱出など不可能であったということを。

 

「でも、アインズ様たちの魔法ならば、あるいは気軽に脱出できるかもだけド」

 

 そうクレマンティーヌが冗談めかして言ってくれるが、フォーサイトの四人は事態の深刻さを肌身に感じて震え上がっている真っ最中だ。

 空笑いをうかべるのも難しい。

 

「じゃ、行くよ。ぼやぼやしてる暇はないだろうシ」

 

 微笑むクレマンティーヌに先導され、フォーサイトは渡り廊下を抜けて、城の中枢部へ駆け込む。

 襲ってくる雑兵のアンデッドは多くなり、種類も豊富になってきた。

 体力的にも精神的にも疲労の色が隠せなくなりつつある。

 そうやって、また広い空間に出た。

 

「ここは、なんだ? ──広間か?」

「でも、それにしては、なんか……」

 

 異様な雰囲気だ。

 舞踏会を開いてもいいほどの床面積に、火が灯っていなくても絢爛豪華とわかるシャンデリアを吊り下げた、高い天井。竜などの巨大モンスター数体が共有の巣穴にしても、余裕ですっぽり収まる規模だった。

 そんな広間の、純白の総大理石の床一面に、まるで魔法陣のような、あるいは星座を思わせる図式が、いくつも散りばめられている。

 そういう建築芸術だと思えばなんてことはないだろうが、その塗料は、おどろおどろしい紅蓮──暁のように明るい朱色──人血を思わせる赤色など、さまざまな赤系統で描かれているのは、いろいろと勘繰りたくなるもの。

 ふと、何かに気づいた神官が瞠目した。

 

「……これは……」

「ん、どうした、ロバー?」

「この、床に描かれているものは……大陸の、地図では? ここが王国で、こっちが帝国」

 

 ロバーデイクが指摘する箇所は、確かに見覚えのある形を描いていた。

 朱色の輪郭が国境線を表し、何らかのマーキングポイントなのか、紅蓮の真円が大小様々、大陸図の上にいくつも穿たれている。円の傍には血文字のような記号が振られているが、何の意味があるのかは読み取れない。邪神教──ズーラーノーンに関わるシンボルだろうか。

 ロバーデイクは続けざまに、可能な範囲で床の地図を読み取っていく。

 

「だとすると、こっちが聖王国で、こちらは竜王国ですね」

「こっちは都市国家連合……おい、だとすると、王国と帝国の間にある、このドデカイ円のあるのは」

「魔導国……ってこと?」

 

 イミーナは自分で言った言葉を封じるように口元を手で押さえた。

 王国と帝国の中間地──エ・ランテルに、風穴のように大きな丸が口を開けているのが見える。

 死の城とやらの成り立ちや謂れは知らないヘッケランたちだが、新興国家たる魔導国まで描かれる地図があることに、不穏なものを感じざるを得ない。

 

「クレマンさん、これはいったい」

「…………ごめん。わかんない。私の記憶だと、ここは、大階段に続く大広間のはずなんだけド」

《────これハ》

「どうかした、頭蓋骨っちゃン?」

《ずがいこっちゃん──まぁいいわい。少し気になる様式でな。少し時間をくれ。調べてみル》

 

 なにか、魔法的なものを感じ取ったカジット。

 頭蓋骨から広間の床に黒い瘴気の腕を伸ばして、赤い大陸図を検分していく。

 

「うんじゃ。私らはちょい休憩しよっカ」

「……そう、ですね」

 

 ヘッケランは一人の少女を振り返った。

 戦士や野伏、神官はまだ余裕を見せていられるが、アルシェはかなり無茶していると判る。並の魔法詠唱者では確実にへばってしまって当然の距離を走り抜け、連戦に連戦を重ねていた。魔導国で鍛錬を積み、自己身体強化魔法などを駆使することで、ここまでついてこれている状況である。浮遊している頭蓋骨(カジット)も魔法詠唱者に違いないが、アンデッドが身体的疲労などを感じるわけもなし。

 いっそのこと誰かが担いで移動したほうがいいかもしれないが、不意の襲撃に備えるには、いろいろと微妙な案でしかない。

 

「いけるか、アルシェ?」

「だい、じょう、ぶ──平気」

 

 リーダーの質問に答える間も、息を整え続ける魔法詠唱者。

 ポーションで回復させても、重すぎる疲労は容易に抜けるものではない。

 おまけに、この死の城とやらに満ちる魔法の香……精神攻撃のそれというのも悪影響を与えている可能性がある。

 

 ヘッケランたちは知らないが──アルシェたち魔導国の冒険者は、レベルが上がったことで、それに見合うだけのステータス数値を備えている。

 Lv.1程度であればポーション一本で全快することは可能だが、英雄級に近いレベル帯では、現地の粗悪なポーションによる回復量ではとても足りるものではなくなる。

 結果、アルシェは支給されているポーションを、一度に数本単位で使用しないと、十分な回復効果が得られないのだ。

 

「アルシェ、いまの手持ちは?」

「残り、九本」

「んじゃ、俺のを少し持ってけ」

「で、でも」

「貸すだけだよ。それに、リーダーの俺には“とっておき”もあるしな。帰ったらちゃんと返せよ?」

「うん──ありがとう」

 

 朗らかに笑う少女を、まるで妹へするようによしよしと撫でまわすヘッケラン。

 

「──ヘッケラン」

 

 イミーナのひそめた声。

 チームの野伏(レンジャー)が注意喚起する先は、広間の隅の、扉。

 ヘッケランも声を低めて(たず)ねる。

 

「──敵か?」

「わかんない。けど──さっきの二人じゃないことは確か」

「クレマンさん」

「ん……一応、アンデッドじゃなさそうだね……呼吸の気配……奴隷かナ?」

 

 用心するに越したことはない。

 カジットの護衛にロバーデイクを残し、ヘッケラン、イミーナ、アルシェ、クレマンティーヌの四人は扉の前に。

 イミーナの長い耳で感じ取れたものは、かすかな鼓動と呼吸音。しかし、無視するにはいろいろと問題だ。この城に飼われているモンスターの類というのもありえる。それが広間にいる自分たちに襲撃をかけないという保証がない。扉に罠がないことを確かめて、施錠を外す。中を覗き込む。闇の中には、大量の人の気配。

 

「うん。奴隷だネ」クレマンは結論するが、ふと疑問する。「でも、なんだってここに、こんな数が?」

 

 元十二高弟たる女戦士でも、ここに奴隷がいることに首を傾げた。

 ヘッケランたちでは、その意味を正確に推し量ることはできない。

 

「何かに使うため、でしょうか?」

「たぶん、そうだね──でも、何に使ウ?」

「そもそも、この奴隷たちって、どこから連れてこられたんです?」

「そりゃ外からだよ、イミーナちゃん。大半は邪神教団関係からの献上品……組織が運営している違法賭博や闇金関係で、ツケの清算として働きに来た連中。あと、その家族や縁者。罪を犯して、国から逃げ出すために契約を結んだバカとか──あとは奴隷同士をナニして産ませた子どもとか──まぁいろいろだネ」

 

 ヘッケランとクレマンティーヌが先頭に立って室内を物色しても、奴隷たちの反応はない。

 精神が壊れた、生きた屍たちの顔を、アルシェの〈永続光〉が照らしていく。

 そして、

 

「──アルシェ?」

 

 少女の全身が、止まった。

 前を(まも)るヘッケランたちを飛び越えた攻撃──ではない。

 呼びかけに応じず、背後を守るイミーナが肩をつかんで揺さぶっても、反応を返さない。

 彼女の視線の先には、床に座り、壁に寄り掛かる貧相な男の姿が。

 アルシェは浮遊霊じみた足取りで、やつれた奴隷の方に歩み寄る。

 

「お──お…………」

 

 忘我の声をこぼすアルシェ。

 髪も髭もボサボサ──死の城の奴隷たちの中に埋もれる、その面差しを、アルシェは知っていた。小さい頃からずっと見てきた。

 忘れたくても忘れられない。

 忘れようにも忘れようがない。

 まるで悪夢が現実となったような、まったく望みもしなかった──再会。

 

 

 

 

 

 

 

「 おとうさま? 」

 

 

 

 

 

 

 

 



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