夢見りあむに一票もいれなかった。
担当アイドルである夢見りあむに、一票もいれなかった。
第8回シンデレラガール総選挙。
346プロ所属アイドルにとって、大きな舞台。その選挙への候補権を新人アイドルたちも得た。
勿論、夢見りあむもそのひとりだ。
初登場時から彼女の存在は話題となった。良い意味でも、悪い意味でも目立つ彼女を語るキーワードとして明示されたのは「炎上体質」であること。今回の選挙において、嫌な予感はすぐに当たった。
私自身、深くこの話題を追いかけたわけではないので真意かどうかはわからない。しかし、中間発表のデータなどから推測できたことは「炎上体質の夢見りあむが初登場でシンデレラガールになったら面白いのではないか」というノリによる投票で彼女の順位が伸びているということだった。
彼女が注目されたのはその発言の過激さだろう。
「オタクちょろい」「すこれ」「めっちゃやむ!」など、今のインターネットや若者の文化、思考を持ち合わせた女の子。また「メンヘラ」と呼ばれる類の性格だと思う。細かいメンヘラの定義に関してはここでは目を瞑ってほしい。
海外出張の両親、米国で画家として活動している姉に囲まれて育ったりあむ。
「誰かに必要とされたい」とぼやくのは、その家庭環境が原因なのではないか。物心がついたころには才能を見せていたであろう姉と、「何か」を認められ海外で仕事をこなす両親。自分にできることは当然のように身内がこなせること。褒められるようなこと、自慢できるようなものは自分には何もない。「マウントを取られる」と感じて、秀でたものがない自分を認められず「クズ」と評価してしまうこともわからなくはない。
褒められることを認められることとするならば、その分野において「任せられる」と認識されること。任せられるということは、必要とされるということ。必要とされることは、明確な自分の存在意義だ。りあむには恐らく、幼少のころから肯定と言う名の「愛」が足りていない。
次第に「将来」を考える年齢になっても「やりたいこと」が見つけられず、なんとなく人の役に立てること=人に必要とされることとして、選んだ専門学校でも「本当に自分がやりたいこと」ではないがゆえに辞めてしまう。結果的に全てが中途半端で「何もない自分」になってしまったと思っている。
19歳。
そろそろおとなにならなければいけない年齢だ。
でも、何者にもなれない。何もできない。だからもう、生きていけない。
「自分の人生終了」と思いながらも、自分にはできなかった努力を重ねる地下アイドルを尊いものとして「すこる」。夢も希望ももてないまま生きてきたりあむ。努力して人気を得て、地下から這い上がっていくアイドルの姿に「夢と希望」を抱いていたのだろう。努力が実力として評価されないことに不満を抱き、ステージのパフォーマンスよりもファンへの媚びで人気を獲得するアイドルにヘイトを投げたように「努力が実を結ぶ世界」を願い、信じる女の子なのだ。悲観的でスレていて、言葉遣いが壊滅的なだけで。それが問題なのだけれど。
自分の名前がキラキラネームであることを気にしているりあむは「変かな? おかしくない?」とPに問う。そんな名前を付けた両親に苦言を呈すると共に家庭環境を引き合いにだして、自分の性格を正当化する。この「己を正当化する」行為がりあむのメンタルを護るための術なのだろうと思っている。同時に他人との壁となっているようにも思う。
「炎上体質」である彼女は炎上を進んでしているわけではない。勘違いをしないでほしいことは、彼女は「炎上を怖がっている」ということだ。炎上を怖がりながらも、本心を上手く語れず強い言葉で相手を煽ることで息を吸う。これが今のりあむだ。
アイドル「夢見りあむ」はまだ歩きだしていない。
勝手ながら、「夢見」は芸名だろうと思っている。
「夢なんて見たことないけど…ここでは、見られるかな? かも?」と思えているのが今の場所だから。その願いを名前に込めたのではないだろうか。
「ぼくをすこれ!」と声高に叫んでいると思わせて事務所では「ここじゃ言えない」と弱気になったり、アイドルは尊いものと信じているから自分のことは「まだ」アイドルじゃないと認めなかったりと彼女が「夢」とするもののハードルは高い。高かった。
名前に込められた願いを叶えられるように一緒に歩んでいこう。そう思っていた。
現に、夢見りあむはまだ、アイドルではない。
一度もアイドルとしての仕事をこなしていない。事務所に所属が決まった。それだけなのだ。彼女はまだ普通の女の子にすぎない。
「アイドルに対する憧れ」はあっても「アイドルとしての自覚」は無いに等しいだろう。
そんな女の子が、初めての総選挙で弄ぶように投票され、全体三位になってしまった。
なったのではない、なってしまったのだ。
自分で自分のことをアイドルとして認められていない彼女。
「アイドル」としての姿を、誰も見たことがないのに、自分ですらどのように光ることができるのかもよくわかっていないのに。お披露目の姿だけで三位になってしまった。
今回、夢見りあむは何もしていないのに評価をもらってしまった。
何もしていないということは、信じていた「努力」の価値を否定されてしまったということだ。
努力をすること、できること。それが実を結ぶこと。それが目に見えるからこそ「アイドル」を尊いと信じるりあむが真逆の評価を得たことが、最大の皮肉であり、彼女への否定にも等しい。
だから私は彼女に一票もいれようと思っていなかったのだ。
一緒に一歩ずつ歩んでいきたいから。彼女のことを何も知らないから。
私はまだ彼女の中に眠る輝きを見つけられていない。まだ数か月しか一緒にいない女に心を開いてもらえたなんて思えない。それも、正しい愛情を受けたと思えないような女だ。
彼女は「アイドルが使い捨ての嗜好品」であることを知っている。
飽きられるまでの時間をどれだけ伸ばすことができるだろう。同時に、若くてかわいい女の子が正義だ。19歳とデビューにはギリギリな年齢であることを知っているだろう。「ワンチャン」をくれたPを信じてくれたりあむにこれは一度きりのチャンスじゃないと信じさせてあげるのがプロデューサーとしての役割だ。
ねえ、どうして彼女の人生をめちゃくちゃにするようなことをするの。
彼女を護りたいから、票を入れなかった。
でも、世の中は彼女を面白コンテンツとして「消費」している。
りあむは聡いからわかっている。この結果の理由をなんとなく察していることだろう。
結果発表の場での「努力なんて無駄」という発言。これでアイドルを舐めていると捉えられてまさに「炎上」している。
彼女の言葉には「裏切り」による「絶望」があるように思えて仕方がなかった。
これからの彼女のアイドル人生は険しいものとなるだろう。
どんな道を歩んだとしても「初登場総選挙全体三位」は彼女にとって呪いのようなものになってしまうことだけは避けたい。
「ここから落ちていくのが楽しみ」といった心ない言葉も散見している。
この結果が彼女にとってMAXだと思っているひとたちが可哀想だ。これから彼女は輝いていくのに。
何よりもこれからの彼女に対して強く願うのは、CDデビューが決まった以上彼女の声を担当することになる声優さんが現れたときに、ヘイトを彼女へと向けないでほしいということ。
キャラクターと演者は別物である。
そして、当然のことだが、創作物として消費されているアイドル「夢見りあむ」と違い、担当声優さんは私たちと同様に感情を持つ。りあむに向いているヘイトがそのまま担当声優さんに向かうことがあれば、強大な暴力となるだろう。現に「創作物」という壁のお陰で誰も気がついていないかもしれないが、同調圧力という名の暴力によって今回の総選挙の結果が出たと思っている。
しかし、三位は素晴らしい結果だ。背景はどうあれ、私は彼女を称賛したい。
だって、私は夢見りあむのプロデューサーだから。
思い描いていた歩みとは180度変わってしまったけれど、私は彼女と歩いていく。
「推し変」するほど私は弱くない。
やさしくされたら、やさしくできるかもしれないんでしょ? 私が沢山の愛をあげるから、その愛を、りあむを信じてくれるひとにわけてあげて。
彼女のアイドル人生は始まったばかりだ。