86―エイティシックス―

安里アサト/電撃文庫

トリアージ・ブラックタグのありふれた日常

トリアージ・ブラックタグのありふれた日常(前)



「――ファイド。構わない、引き剥がせ」



 擱座した〈ジャガーノート〉のひしゃげたキャノピに片手をつき、装甲が曲がって空いた隙間からコクピット内を覗いてシンは言って、中の仲間はどうやら手遅れだったらしい。


 待機を命じられた自分の〈ジャガーノート〉の中、光学スクリーンのその映像に、クジョーはそれを悟る。


 そもそも横腹に近接猟兵型グラウヴォルフの突貫をもろにくらった時点で、〈ジャガーノート〉の場合、中の操縦士プロセッサーはまず助からない。


 共和国の誇る駄作機たる〈ジャガーノート〉は、あろうことかコクピット周りのフレームの接合が甘く、攻撃を受けるとしばしば胴部が上下真っ二つに割れる。当然中のプロセッサーも一緒にだ。裂けて吹っ飛んだフレームに上半身をもぎ取られた凄惨極まりない仲間の有様も、この戦場ではすぐに見慣れたものとなる。


 ファイド、と名付けられた旧型の〈スカベンジャー〉がバーナーとクレーンアームを駆使してキャノピを外し、さらされたコクピットにシンが身をかがめる。ファイドの巨体が遮って、他のプロセッサーからはコクピット内部は見えない。


〈レギオン〉本隊は退却したとはいえ、足の遅い自走地雷――高性能爆薬を体内に抱えた、出来の悪い人型の自爆兵器――はまだ残っているかもしれない戦闘直後に機外に出るのはプロセッサーには命取りのはずなのだが、シンは警戒する様子もない。肩にかけた銃床ストック折り畳み式のアサルトライフルも、持ち出した目的は自衛ではないだろう。


 くずおれたに手を伸ばし、触れて、けれど身を起こしてからもライフルを構える様子はなくて、ああ、とクジョーは瞑目する。もう息がない。とどめを刺してやる必要がない。


 。生命維持に直結する中枢神経系と循環器系――頭部や胸部と違い、腹部の損傷はそれが致命傷でもそうそう即死は出来ない。下手をすれば何日も、助からないのに死にきれず苦しむ羽目になる。運が良かった。


 どうせ死ぬことに変わりはないのなら、せめて最期は楽な方がいいに決まってる。


 優先治療選別:レベル0《トリアージ・ブラックタグ》――まだ生きてはいるがじきに死ぬ、治療不要の戦死者一歩手前。戦場に放り込まれる前から一律そのカテゴリに選別されているも同然のエイティシックスの、それが共通する認識だ。


 とはいえそれでも、あいつは致命的に体を破壊される痛みも自分の死の瞬間も、知らずに逝く恩恵にまではあずかれなくて。


 ――だれか たすけて


 知覚同調パラレイドが捉えた、誰に向けたとも知れぬか細い声が耳の奥で蘇る。助けてやれなかった。守ってやれなかった。傍にいて看取ってやることさえ戦闘中でできなかった、このスピアヘッド戦隊に配属される前から何年も共に戦い、共に生きのびてきた妹みたいな戦友の。


 ごめんな、ミナ。最後に何も、してやれなくて。


 せめて死後だけでも安息をと神に祈り、十字を切った。彼の他には部隊の誰もやらない祈りの仕草。逃れようのない理不尽と苦難に曝され続けたエイティシックスは、何も救わぬ神など信じはしない。まして首の無い死神が――プロセッサーにとって忌むべき結末であり唯一絶対の安息でもある“死”の司が統べる、この戦隊では尚更に。


 ミナも、この部隊に配属されて最初に死んだマシューも、……きっと俺が死んだ時も、行くべきところに連れていってくれるのは、いるかもわからない神様なんかではなく。


 光学スクリーンの中、仲間の遺体と四つ足の蜘蛛の死骸の傍らに機械仕掛けの死肉喰いスカベンジャーを従えて立つ彼らの戦隊長は、異名そのまま、禍々しくも慕わしい、うつくしい死神のようだった。




 とはいえ、死ぬ時のことばかり考えて日々を過ごすのはいかにも馬鹿らしい。


『退役まで残り一三二日!! スピアヘッド戦隊にクソ栄光あれファッキン・グローリー・トウ・スピアヘッド・スコドーロン!!』


「よしっ、と」


 毎朝更新している格納庫奥のカラフルなカウントダウンを今日も書き換え、クジョーは掌についたチョークの粉をぱんぱんと払う。エイティシックスでも珍しい、南方黒種アウストラ特有の黒い肌と髪と目。がっちりした長身にきつく編み込んで先を首筋に垂らした三本の三つ編み。


 どうしようもない苦境も運命も、笑い飛ばして目一杯人生を楽しむのは、迫害に対し人が出来る最大にして最高の抵抗だ。


 隊舎の食堂に入ると朝食の準備が進んでいて、カウンターの向こうの厨房ででっかい鍋を木杓子でかき混ぜているアンジュと鈍器みたいなフライパンでまとめて数人分のオムレツを作っているライデン。セオとクレナがカウンターに食器を並べ、前にダイヤが拾ってきた仔猫にカイエがミルクの缶を開けてやっている。他の隊員達と整備クルーもテーブルについててんでに喋っていて、それらの騒ぎからはいつもの通り少し距離を置いて、奥の席でシンが本を読んでいた。


 ふと、遠い記憶が脳裏をよぎって、クジョーは目を細めた。


 子供の頃。自宅の朝のリビングではこんな風にキッチンで母親が忙しく立ち働き、その周りとテーブルで弟妹達がきゃあきゃあ騒いでいて、奥のソファで父親が新聞を読んでいた――。


 強制収容の前の、もう還らない思い出だ。


 今はもう誰も、どこにもいない。


 あとシンをお父さんとか言ったりライデンをお母さんに例えたりすると、コーヒーに砂糖を大量投入する等のくだらない仕返しをされるので口には出さない(前にしつこくからかったキノがやられた)。


 長い髪を留める三角巾を外して、アンジュがカウンターから身を乗り出す。


「できたわよ、みんな取りにきて。それと、クジョーくんは先に手を洗ってきてね。チョーク、まだ残ってるから」


「おっ、いけね」


 がたがたと皆が席を立ち(建てつけが悪くて床板の端があちこち浮いているのだ)、クジョーは手を洗いに一度食堂を出る。


 戻ってくると誰かが彼の分も配膳してくれていて、さんきゅー、と周りの誰ともなく言って席に着く。


 朝食は温めた缶詰のパンと兎肉のシチュー、野菜入りオムレツにデザートのオレンジとベリー、元はタンポポの代用コーヒーエアザッツ・カフェで、どれも放棄された都市の廃墟から持ち出したり近くの森で獲ってきたり、隊舎裏で育てたりしたものだ。手に入らないものは当然並ばないから質素と言えば質素なメニューだが、生産プラントの不味い……というか味の無い合成食料に慣らされた身には充分以上の贅沢である。


 けれどテーブルの端にはまだ一揃い、朝食の用意がされた空席が残っていて、クジョーは瞬く。


 視線に気づいた周りの仲間達がそちらを見、それが食堂全体に伝播して、おそらく全員が同時に気付いた。


 昨日死んだ、ミナの。


 途端に、しん、と重い沈黙が食堂に降りた。


 日常的に仲間の死に直面するプロセッサーは、だから仲間の死に対する割り切りが早い。大抵はそいつが死んだ日の夜にでもしっかり悲しんだら、次の日にはいつもどおりの自分に戻っている。少なくとも、表向きにはそう振舞える。


 けれどこの戦場では死というものはありふれていて、あたりまえで、ひどく性悪なものだから――時折こうして、不意打ちのようにその途方もない喪失を思い出させられることがある。普段はなんとか忘れていられるから笑っていられる無惨な未来を、こうして目の前につきつけてくる。


 沈鬱な静寂が、朝の陽光で明るい、食べ物の香ばしい匂いに心地良く満たされた食堂を支配する。


 クジョーは両手を握りしめた。


 笑えないのは負けだ。楽しめないのは負けだ。


 彼らが絶望することこそが、この戦場に彼らを放り込んだ白ブタどもへの降伏で、敗北だ。


 負けてたまるか。


「なあ! 三日後の満月にさ、『お月見オツキミ』しようぜ!」


 ――知ってる? クジョー。月にはウサギが。


 ――見てみたいね。月まで行って。


 突然大声で、しかも突拍子も無いことを言い出したクジョーに、仲間達が驚いて振り返った。


 構わずクジョーは言い募った。


「大陸東部の方の祭りなんだけどさ、やろうぜ。多分こないだやった『花見ハナミ』と同じよーな感じの。だよなカイエ!?」


 いきなり水を向けられて、カイエが慌てて頷く。極東黒種オリエンタ特有の、濡羽色のポニーテールが、動きに合わせてぴょこぴょこ跳ねる。


「あっうん多分。私も良く知らないが多分そうだ」


「月見てサケ呑んで騒ぐんだぜ! 俺達は酒呑めねーけど!」


 クジョーに限らず、プロセッサーはアルコールの類を嗜まない。酔っていては、戦えない。戦えないまま〈レギオン〉の襲撃を受け、無力にただ殺されるのは、彼らの矜持が許さないからだ。


 提案の意図に気付いたようで、ライデンがにやりと笑う。


「まァ、いいんじゃねえの。どうせみんな暇なんだし、いい気晴らしになるだろ」


 戦隊副長も同意。ちらりと見やれば基地最年長の整備班長も苦笑していて、他の隊員や整備クルーの反応も悪くない。


 なので最終的に裁可を仰ぐべき戦隊長を――ただ一人ミナの不在にも何か感じた風もなく、淡々と書物に目を落としていたシンを振り返った。


「なあ、いいよな、シン!」


「……」


 無言が返るのは、シンの場合同意か否定か興味がなくて聞いてなかったかのどれかだ。そして大概三番目だ。


 なのでもう一回言ってみた。


「三日後の満月に『お月見オツキミ』したいんだけど!いいよな!?」


「聞こえてる。いいんじゃないか」


 なら最初に返事しろよというツッコミは今更誰もいれない。


 読んでいた文庫本をぱたりと閉じて、シンはその血赤の双眸そうぼうをこちらに向ける。表紙のタイトルは『変種第二号』。古いSF小説だ。読書家というより濫読家らんどくかの気が強いシンは、割と節操なく何でも読む。この前は極東の女流詩人の反戦詩を読んでいて、その前はドラッグ中毒の独裁者が書いたプロパガンダ本だった。


 まったくいい趣味してやがるよな、とは付き合いの長いライデンの言で、正直クジョーもそう思う。


 けれどそうならざるを得なかった理由も薄々察せられるから、クジョーはこの三つも年下の少年の、無礼ともいえる振舞ふるまいが嫌いにはなれない。


 何かを読んで、考えていないと――他のことに意識を向けていないと、多分、辛いのだろうから。


「ただ、あれは秋の行事じゃなかったか? 要るものが何も手に入らないけど」


「そこは別にどうでもいいだろ。ぶっちゃけ騒ぐ口実が欲しいだけだし、やり方とか何も知らねえし」


 シンは――彼にしては珍しく――わずかに嫌な顔をした。


「……それで花見の時は全員で水盃みずさかずきを交わすことになったわけか」


 きょとんとカイエが首を傾げる。


「そういえばあの時も妙な顔をしていたが、あれは何かいけなかったのか? 酒の代わりに水を注ぐのは」


 酒は呑めなくても気分だけでも、と、高級そうなミネラルウォーターの瓶と極東の酒器――盃を廃墟のデパートメントからわざわざ探し出してきたのだが。


 シンは疲れたように嘆息した。


「……何でもない」




 三日後。


 嵐になった。


「チクショー……! お月様のバーカ嵐のバーカ……!」


「別に、また来月やればいいじゃない。ていうかその場の思いつきなんだから、そんな全力で落ち込まないでよ鬱陶しいなあ」


 食堂のテーブルに突っ伏しておいおいと泣き真似をするクジョーに、向かいで頬杖をついたセオがフォローだか追い打ちだかわからないことを言う。


「マスター、もう一杯」


「頭からかけて欲しいの?」


 言いながら本当に水の入ったコップを掴んだのでクジョーはふざけるのを止めて身を起こす。見た目可愛い系の美少年なのだが、結構辛辣で短気なのだ。


 そのまま頭の後ろで両手を組んでぎしりと背もたれに寄りかかった。


「あークソッ。その場の思いつきっつっても、結構楽しみにしてたんだぜー俺」


 思い出すのは。


 ――知ってる、クジョー。月にはウサギがいるんだって。東の国ではそう言うの。


 ――見てみたいね。月まで行って。


 ――それともここからでも見えるかな。満月なんか明るいから、もしかしたら一度くらい。


 そう言って無邪気に笑った、出会ったばかりの頃のミナの。


 あいつは結局、月のウサギを見つけられはしなかったから。だからせめて、代わりに探してやりたいと、そう思ったのに。


「それはみんなそうだけどさ。どっちみち今日は無理だよ」


 セオは格納庫の方を視線で示して肩をすくめた。夕食後のこの時間はいつもなら整備クルーも自由時間のはずなのだが、今日に限ってはまだ整備機械の騒音が響いている。


 脆弱な〈ジャガーノート〉は戦闘時の損耗が激しく、交換用の部品もしばしば払底する。そのうち共和国内から空輸される分の補給が今日だったのだが、その輸送機の到着がパイロットの二日酔ふつかよいのせいで大幅に遅れたのだ。当然その部品待ちだった整備作業もその分後ろ倒しになり、慌ただしい夕食を挟んで今なお作業が続いているのである。


 休憩にとコーヒーを持って行ったダイヤが、戻ってきてセオの隣の椅子を引く。


「どうにか目処がついたってさ。消灯までには何とか終わるって」


 クジョーは鼻から息を吐く。整備クルーには整備クルーの意地と矜持がある。プロセッサーの命綱である〈ジャガーノート〉を預かる身として機体の状態に万全を期すため、本職の整備クルーではないプロセッサー本人には普段は機体を触らせてくれないが。


「何か、手伝えりゃいいんだけどな」


「シンが聞いてた。けど、要らねえってさ。ガキが要らねえ気回すんじゃねえって。それより不便かけて悪ぃなって」


 エイティシックスしかいない――書類上人間のいない前線基地には、基地機能を維持するに必要な最低限の電力しか供給されない。整備機材の稼動にそのほとんどを割いている現在、隊舎で使える電気はごくわずかだ。いつもこの時間は別の場所で過ごしているセオやダイヤを含め、隊員全員が食堂にいるのもそのためで、各部屋で電灯を使う余剰がもうないのだ。


 けれど普段に倍する人数と六名いる女子隊員の黄色い声でいつもより賑やかな食堂の様子に、クジョーは相好を崩した。学校というものにクジョーはほとんど行ったことがないが、修学旅行の夜というのはあるいはこんな感じだろうか。非日常の空気に高揚しつつ、各自がくつろいで好きなことを好きなようにしている時間。戻ってきたシンが定位置の奥の席で読みさしのハードカバーを開き、初めての嵐に怯えたらしい仔猫がそそくさと跳びついて野戦服の胸元にひしっとしがみついた。


 気になってクジョーは聞いてみる。


「今度は何読んでんだ?」


「『霧』」


 孤立環境クローズド・サークルを舞台にしたホラーの大家の手になる小説である。


 そしてこの基地は嵐と〈レギオン〉と白ブタどもの対人地雷原により、ただいま絶賛孤立中。


「……そりゃまたいいタイミングだな……」


 どおっ、と風の塊が吹きつけた。窓硝子どころか、隊舎全体が揺れて軋むような感覚がした。


 カイエとクレナがびくっとなり、流石にシンも本から目を上げる。


 風はしばらくごうごうと唸りを上げて隊舎を揺さぶり、やがて勢力は少し弱めたが不吉な唸り声と季節外れの虎落笛もがりぶえはまだ続いている。叩きつけられる大粒の雨の、物理的な破壊力すら持ちそうな硬い音響。


「……」


 こういう時、全員なんとなく黙って天井を見上げてしまうのは何なのか。


「……そういえば、ここの隊舎は雨漏りしないんだね」


 と、クレナが言うくらい、各前線基地のぼろいバラックの隊舎は雨漏りがひどいのである。


「そりゃまあ、一応仮にも最重要拠点の基地だからなあ」


 ライデンが応じるのに、クジョーは大仰に苦い顔をしてみせた。


「っていうけどライデン、他の基地だってそれなり重要拠点だけど、雨漏りなんてしないとこの方が珍しかったろ。前俺がいたとこなんて、排水イカれて基地要員総出でバケツリレーする破目になったぜ」


「ああ……」


 全員(厳密には聞いてないシン以外)が嫌な顔をした。それぞれ似たような経験があるらしい。


「確かに、もうバケツは友達! だよな。あと金槌と板っぱちと釘」


「雨も困るけど、やっぱり雪よねえ。二年くらい前だったかしら、大雪で降り込められたことがあって」


「あれはでも、シンが冗談でファイドに雪かき命じてみたらやってくれたじゃない」


「それより一番嫌なのは隙間風だよ……。前いた基地とかそれで寒くて、しかもよりにもよって冬でみんなが交代で風邪ひいて寝込んじゃって」


「ああ、あるな。そういう基地。私が以前いた基地は、雹で格納庫の屋根に穴が開いて……」


 がやがやと各自の『前線基地あるある(天気編)』を披露していたら、突然ばちんっとすごい音がして電灯が消えた。






◆死がすぐそこにある環境でも「生きる」ことに貪欲なエイティシックス。その先に待つ、運命は――後編は14日(土)更新予定!◆

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