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【社説】

認知症の予防 当事者の視点をもって

 政府は新たに取り組む認知症対策の大綱案を示し、数値目標を伴う「予防」も目玉に掲げた。対策を加速させることに異論はない。だが、目指している社会の姿が変わらないか疑問がある。

 二〇二五年には約七百万人、高齢者の五人に一人が認知症になるといわれる。高齢化社会の大きな課題である。

 だから、認知症の人の意思が大切にされ、住み慣れた地域で暮らし続けられる社会、認知症になっても安心できる社会の実現を目指しているはずだ。

 既にある政府の国家戦略「新オレンジプラン」は認知症の人たちの視点に立ち、そんな共生社会を目標にしている。

 予防を共生との両輪に位置付けた今回の大綱案は、その視点を軽視していないだろうか。

 認知症となる要因に運動不足や社会的孤立、高血圧や糖尿病などが指摘されている。大綱案では運動や社会参加を促し予防を図る。

 七十代の認知症の人の割合を今後六年間で6%低下させ「七十代の発症を十年間で一歳遅らせる」数値目標を明記した。

 もちろん認知症にならない予防策の充実は多くの人が求めるだろう。一般的に政策に数値目標を掲げることは理解できる。

 だが、今回の目標設定にはいくつかの疑問がある。

 議論は官邸主導で進んだ。検討の場の有識者会議では、民間議員が認知症の社会的なコストを挙げ予防を訴えた。

 だが、そもそも認知症は有効な治療法や予防法が確立されていない。そんな段階では、効果がはっきりしない食品や療法などが広がりかねない。それでは逆効果だ。政府は社会保障費を抑えたいとの思惑が先行しているように見える。

 治療法の開発と合わせ予防法の研究が先ではないか。

 大綱案に対し認知症当事者らからは、認知症にならないことを求められ、なってしまった人が差別されかねないとの懸念が表明された。人権侵害につながるような風潮が広がらないか心配だ。その懸念に耳を傾けたい。

 健康の維持に努力しても認知症になる人はいる。不安を広げる政策なら立ち止まって再考する。政府はそれを恐れてはならない。

 地域住民が積極的に認知症の人に声をかけ、困り事を一緒に解決しようとする福岡県大牟田市のような取り組みもある。認知症になっても安心して暮らすには、社会の壁こそなくすことである。

 

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