すっかり馴染んでしまった豪奢な椅子に深く腰掛けた髑髏の主。名君と最近噂される魔導国国王、アインズ・ウール・ゴウン。
そんな彼は今、守護者統括であるアルベドと共に執務にあたっていた。
(ふむ。この川の水を引き大きな農地を作れれば一気に農地が増えて食糧の蓄えが増えるな。国庫が潤い、ゆくゆくはナザリックの強化が更に進みそうだ。よし)
書類にアルベドの話を聞きながら一通り目を通すと、アインズは手元にある凝った意匠の判子で書類に一押しする。
その紙を可決済みの書類が入れられた箱の中に放り込み、新しいものに目を通す。
守護者を筆頭とした僕たちや各地の領主から寄せられる意見書に目を通し、判子を押すだけの簡単な作業である。しかし簡単で単純な、いっそ眠気すら感じるだろうこの時間はアインズの安らぐ時間の一つである。
(こうしてると仕事してるって気分になるんだよなぁ。……仕事がある事がこんなにありがたい事なんてさ)
アンデットになり睡眠を必要としなくなって以来、時間というものが余って仕方がなかった。
この世界に来た直後の、5、6年は中々に忙しかったのを覚えている。異世界に飛ばされた事で情報収集に躍起になり、ギルド拠点維持とまさかのNPC達が冗談で言った“世界征服”を実現するために建国。予想していなかった事態の連続は睡眠などが不要になって活動時間が格段に増えたアインズをもってしてもてんてこ舞いな忙しさだった。しかしそれが10年、20年、半世紀も経つと成り行きで治める事になった国も安定してきた。すると優秀なナザリックのしもべ達は自分達だけで十分であると溢れる忠誠心で働き、結果、アインズに回ってくる仕事もかなりの部分が減り、時間を持て余すようになってきたのだ。
ふと、社畜だった幾人かのギルドメンバーを思い出す。思い出した懐かしい面々に、知らず知らずのうちに心が沸き立つのを感じた。
(ヘロヘロさん、来ていないかなぁ。ログアウトした後にやっぱりふらっと戻ってきたとかで。転移の謎も解明されていないままだし。プレイヤーの痕跡はかなりあるんだけど”どうして”っていうのはわからないままだし……)
「アインズ様どうかされましたか?」
側に控えていたアルベドから心配するような声がかけられる。
アインズの顔は骸骨である。
しかしアルベドは、そんな表情には出ないはずのアインズの心の微細な動きにすら気づく。
本人曰く"大切なお方の心を推し測る事など出来て当たり前"だそうだが、だからと言ってじっと顔を見られるのは面映い。
何よりも背筋に寒気が走る。
ひょっとしたら猛獣を前にした小動物はこんな気持ちになるのかもしれない。それ程までに一途で、強い視線をアルベドはアインズに送ってくるのだ。
「いや、なんでもない」
手を振り、誤魔化すように判子を押し、次の紙へと手を伸ばす。読み始めようとした時、控えめなノックの音。
応えを返すと鈴を転がすような声色のメイドが久方ぶりに聞く名前を告げた。
「失礼しますアインズ様。パンドラズ・アクター様がご帰還されました。報告したい事があるそうですが、お通ししてよろしいでしょうか?」
メイドは静々と最高の気品と礼儀をまとっていた。このナザリックに相応しいその態度に恥じないように、アインズも絶対者の態度で臨んでいる。
「よい、通せ。帰ってきたら一番に報告に来るように伝えたのは私だ」
低く落ち着いた、それでいて尊大な声は最近では自然と出てくるようになっていた。
それ程長い月日をこの世界で生きたという事だった。
既に鈴木悟として生きた年数よりも、アインズ・ウール・ゴウンとした生きた年数の方が長い。呼ばれることは永遠に無いだろう本当の名前にほんの少し心が動かされた気がした。
束の間の物想いは甲高く響くノックの音で遮られる。
無駄に手首のスナップを効かせたリズミカルな音。この特徴的なノックは当然一人の人物を指していた。
「入れ、パンドラズ・アクター」
失礼します! という大声に隣のアルベドがピクリと顔を動かす。静謐をもっとうとするーーと僕たちが思っているーー九階層においてパンドラズ・アクターは悪目立ちする。アインズとしても、もしできるのならば今すぐ編集ツールを使ってパンドラズ・アクターの設定を書き直したいところだ。これから来るだろう精神的な攻撃を前に、アインズは自らの心に喝を入れた。
「お久しぶりですアインズ様! パンドラズ・アクター帰参いたしましてございます!」
(うわぁ……)
軍服のコートを払いのけながら跪く姿は、もしここが舞台の上で、そしてやっている者の身目が良かったらさぞ絵になっただろう。
残念ながらここはアインズの執務室であり、やっている者も何処か間抜けさを感じさせる造形の異形種である。
「元気そうで何よりだ。早速で悪いが報告を」
労いの言葉の後に早速本題に入る。
パンドラズ・アクターに任せている仕事は大きく二つ。
一つは本来の役割であるナザリック地下大墳墓の財政管理。
もう一つが最近本格的に始動した”プレイヤー探し”。
パンドラズ・アクターに新しい人間の外装を設定して行われるそれは、冒険者だけでは拾いきれない各地の情報を集めることだ。そしてその情報を元に嘗てのアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーを探す。ついでに魔導国民の動向を探り反乱などを事前に見つける役目もある。
(うんうん。作戦は上出来じゃないか! やっぱり亜人や異形種も居るって言っても、情報集めるなら基本は人間だしな!)
パンドラズ・アクターの情報に頷きながらアインズは内心ガッツポーズをする。
残念ながら今回の出向でもギルドメンバー探しの成果は上がらなかった。かわりに幾つかの気になる市民団体があるという報告がもたらされた。
「で、お前の言う気になる市民団体とはどんなものだ? 場合によっては<死の騎士>を幾つかの場所に差し向けねばならないだろう」
「いえいえアインズ様! その様な不届き者でございましたら報告に上がる前に一掃しております! 私は今回ある提案をしようと思いましてこの団体の話をしたのでございます」
「ある提案?」
強調された単語を繰り返す。
仮にもナザリックにおける智慧者の一人。その提案に酷く興味が引かれた。
「そうでございます。現在魔導国民に施しております”パンとサーカス”そのサーカスにもう一つ新しい要素を加え、より! アインズ様の素晴らしさを下々の者にまで伝えるのでございます」
「随分と勿体ぶるな?」
「これは失礼を。そのもう一つとは──芝居でございます」
「──芝居?」
「そうでございます。現在この魔導国では芝居をする者達が増えて来て居るのです。そしてこの者達の後押しをする事こそ! ナザリックの利益に繋がるのだと提案させて頂きたいのです」
パンドラズ・アクターの言葉に、きゅっとアルベドの柳眉がつり上がる。しかしそれは徐々にではあるが下がり、ついには賛同するような微笑みすら浮かべた。
「──アルベドはどう思う?」
すっかり支配者ロールで染み付いたこの”自分より有能な者にそれとなく意見を聞く”。
今回もアインズは早速使い、いまいち要領をえないパンドラズ・アクターの提案の真意を知ろうとした。
「アインズ様が創造した僕に相応しい、素晴らしい提案かと」
「う、うむ。そうだな、確かに良い提案ではあるな……」
「おお! アインズ様! 喜びに言葉もありません!!」
ズビシィと、音がするのではないかと言うほどに嬉しさを体で表現するパンドラズ・アクター。
アインズは今日何回目かの、眩暈のする羞恥心にかられた。
しかしそれも潮が引くようにおさまる。
(うう。ここに他の者が居れば楽に話が進むんだけどなぁ)
智慧者の二人に挟まれ、唯の一般人でしかないアインズはない胃が締め付けられる思いにかられた。
心の中で盛大に汗を流しながら、アインズは判断を仰ぐように見つめてくる2対の瞳を見返す。
ここで取れる行動は一つ────。
「一考に値する意見である。後日階層守護者のみで集まる場を設け、そこで他の者の意見も聞こう。パンドラズ・アクター」
「はい! アインズ様!」
「全ての者達にわかりやすく伝わるように説明を考えておけ。その際に掛かる予算を大雑把にまとめるように。アルベド」
「はい。アインズ様」
「会議の日程はお前に一任する。全員の都合を考慮した上で日時を決めよ」
「お任せくださいアインズ様」
「それでは下がれパンドラズ・アクターよ。お前の貴重な意見がナザリックの繁栄に繋がることと信じているぞ」
問題を先送りにして原因を下がらせた後、深いため息をつく。
取り敢えずこれで奴の提案の中身がわかる。まずい点があれば自分よりも優秀な智慧者が二人もついているのだ。それに万が一の時は自分で止めればいい。
「お休みになられますか?」
ため息を聞きとがめたアルベドが心配そうにこちらを覗き込んでくる。大丈夫だと軽く返してアインズは心休まる執務に戻った。
伝説から抜け出した内装の空間。ナザリック地下大墳墓の最奥である王座の間。
そこには現在数人の異形種が集っていた。
「さて、守護者達よ。集まってくれて感謝しよう。今回は魔導国での新しい取り組みの案をパンドラズ・アクターが持ってきた。内容を精査した後、採用の可否を決める」
パンドラズ・アクター、とアインズが名前を呼ぶと、跪いていた姿勢から立ち上がる。
それに合わせて各々傅いていた頭をあげ、発言をする仲間へと視線を送る。
「本日、皆様に提案をしたい内容はこれでございます!」
羽織る外套を音がなる勢いで広げて指し示した先には半透明のガラス。マジックアイテムであるそれはパンドラズ・アクターの意思に合わせて読み込んだ画像を映し出す。
「私は先日まで魔導国の視察をしており、そのなかでの気づきを元に出てきたアイデアでございます。現在、魔導国は建国以来アインズ様がおこなわれております善政、そして緩やかな領土拡大と大変好調であり、ギルド内の資産も拡大、世界征服への理想的な道のりを歩んでおります」
いくつかの視察中の記録画像。その中には農地で働くアンデットや舗装された街道を行き交う荷馬車が映し出されていた。他にも、種族の分け隔てなく組まれた冒険者チーム、市場で呼び込みをする住人。それだけで魔導国がいかに活気のある豊かな国なのかがうかがえる。
「そのなかでも現在急成長している娯楽があります」
大きく一面に映し出されたのは青空の下で少し高くなった舞台に立ち、派手な服を身につけた男女。女の方は大きく口を開け、男の方はわざとらしいほどに不快な表情をしている。
「芝居でございます。生活が豊かになった街の人々はこういった簡易舞台を作り、それぞれに有名な寓話を演じていました。中には我々をモチーフにしたものもあり、大変興味深いものも多くありました」
似たような映像が二個、三個と続き、最終的には数十続いた。
パチン。
パンドラズ・アクターが指を鳴らすと今まで映されていた画像が消え、元の半透明の板になる。
「私はこの芝居を、魔導国の全土へ普及させる事を提案します!」
広い空間内にパンドラズ・アクターの芝居掛かった声がこだまする。その余韻が消えた後、遠慮がちに手が挙げられる。手の持ち主は第六階層守護者の一人であるアウラ。アインズから目線で発言の許可をもらうと、元気に立ち上がる。
「なんでナザリックが国民とはいえ外の者達に気を配る必要があるの? そんなことしなくても今まで十分満足してるんだから別にいいじゃん。寧ろ勝手にあたし達の事を劇にするなんて不敬罪で裁くべきじゃない?」
「全くでありんす。寧ろなぜそんな奴らを見逃したでありんすか?」
アウラに続いてシャルティアも不快感を示す。自分達だけでも腹が立つというのに、さらに至高の御方まで。
「アインズ様。ご命令いただければ直ぐにでも不敬な者達を蹂躙しにいきんすが」
「よい。さて、パンドラズ・アクターよ。こういった不満が上がっているが、お前はこれを覆すメリットを語れるか? 正直に言えば私も余り愉快な気持ちでは無いからな」
(というか恥ずかし過ぎる。え? 何? そんなの学校のイジメだよ! わざと大袈裟に真似して笑われてるに違いないじゃないか!)
もしもアルベドがあそこでパンドラズ・アクターの考えに賛同しなければやめさせるようにするところだった。魔王ロールに慣れたからと言っても人並みの羞恥心は残っている。あまりに酷いと抑制されるが、このなんとも言い難いレベルのものはジクジクと痛む口内炎のように燻るだけで鎮まる気配がないのだ。
「落ち着いてくださいお二方。それではメリットの方をご説明いたしましょう!」
踵を鳴らして敬礼をしたパンドラズ・アクター。甲高い音に答えるようにもう一度画像を映すガラス板。恥ずかしさの余り沈静化するアインズの精神。
「先ずはこの最古図書館にある、ある歴史書の写しをご覧ください──」
パンドラズ・アクターのプレゼンは簡単に言えばプロパガンダの一環に芝居を使うという内容であった。人間たちの間から自然に発生したこのコンテンツはいくら魔導国の権力で縛っても地下に地下に潜るだけでなくならない。ならばいっそ魔導国と魔導国王の素晴らしさを伝えるために流れに乗ってはどうか。
アインズはパンドラズ・アクターの熱弁を聞き流しながら感心する。プロパガンダで国民を纏めるという事自体は考えなかった事では無いが、視察に行ったなかで自ら気づき方法として取り入れようとするのは流石はナザリック最高の頭脳の一角といったところだろう。
「ふむ。パンドラズ・アクターの提案の真意は皆分かったようだな。しばらく時間をやろう。決まったようなら多数決に移る。それぞれ賛成の理由と反対の理由を言え。最終的に私が判断する」
これは最近アインズが生み出した方針会議方法だ。誰かの意見をそのまま採用すると、設定の関係上アルベドやデミウルゴスの意見が多くなる。しかしこうする事でそれぞれの意見がわかり、考える力もつく上、褒める対象もばらつかせることができる。何よりも良いのはユグドラシル時代を思い出せる。
四十一人の玉石混交した意見。
それの調整役はすっかり慣れたもので自信をもてる。最終的にとんでもない方向に纏まろうとしているのを止めることができるのも良い。未だに守護者を中心とするNPCはナザリック中心主義。それを否定するのはもう半ば諦めてはいるが、最後のブレーキ位は握って居なくては。
つらつらと考えている内に皆の考えがまとまったようだった。
「それでは採決に移る。まずは賛成のもの──」
結果は全員一致での可決。
後日、パンドラズ・アクターのもたらしたこの提案は様々な修正を加えられた後に施行された。
それよりしばらく後、この提案によりアインズの精神安定が止まらなくなる出来事が起こるのだが、それはまた別の話である。