消費による充足から生産による充足へ 内田樹と宮崎駿、かく語りき
ちょっとおもしろかった。
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↑ ついったー
孫引き「内田樹の研究室」
http://blog.tatsuru.com/2008/12/06_0911.php
「人はその消費生活を通じて自己実現する」という80年代から私たちの社会を支配していたイデオロギーは少なくとも20歳の女性たちの間では急速に力を失いつつある。(中略)
メディアはあらゆる機会に(コンテンツを通じて、CMを通じて)視聴者に「もっともっと金を使え」というメッセージを送り届け、その一方で非正規労働者や失職者がどれほど絶望的な状況であるかをうるさくアナウンスして「消費行動が自由にできないと人間はこんなに不幸になるんですよ」と視聴者を脅しつけている。
(中略)
けれども、若い女性たちはそろそろこのイデオロギーの瀰漫に対しての「嫌厭感」を持ち始めている。
彼女たちは「自分より豊かな人たち」に向かって「あなたの持っているものを私に与えよ」と言うのを止めて、「私より貧しい人たち」に「私は何を与えることができるか」を問う方向にシフトしている。
ものすごい変化である。私が学生の頃なんて、過剰消費を謳歌していた女性たちはワンレンボディコンで街を闊歩していた(歳がバレる…^^;)。ところが、今の学生に聞いてみると、「合コンって何?そんなのやったことない…」。
スーツの上下で20万、靴は8万…なんて着てるもの自慢してた知人がいたが、今そんな事してたらみんなから「アホか?」と思われるだけである。酒呑んでバカ騒ぎして楽しかったのは、旧世代まで。今は、そんなヒマがあったら、もっと誰かの役に立つ事がしたい、or何かの役に立つような勉強がしたい!…って意識が主流を占めている。
アメリカ発の金融危機が日本を襲った。当時マスコミは、「内定取り消し」「解雇」「派遣斬り」などを連日大きく報道して人々の不安を煽っていた。
トヨタのお膝元の名古屋は、今回のアメリカの自動車消費の大幅な冷え込みの直撃を受け、急速に失業者が増えていっているようだが、いかにアメリカの過剰消費に依存していたか、というのが逆に浮き彫りになった。
私が学生の頃なんて、かっこいいスポーツカーがモテるための必須アイテムだったりしたこともあるのだが…。しかし、車以外も、もうそれほど欲しいと思えるモノは無くなった。
何よりも、金融危機の震源地であるアメリカの、稼げる以上にローンを組みまくって何かに取り付かれたかのように過剰消費しまくってるのは単なる「アホ」だ…環境破壊の元凶・世界の迷惑だ…あんなライフスタイルを日本人は真似する必要はない…ということに人々は既に気付いている。
人々の潜在意識の上では確実に市場は縮小に向って動き始めたのである。
これが意味するところは、「モノをつくって売る」という事で稼ぐ「仕事」がそろそろ終焉を迎えつつあり、これが大量の解雇・リストラとして近々日本を襲うという事である。
ところが、それでは困るモノ世界で儲けたいシステム(人々)は、市場の縮小など許してはくれない。マスコミで、CMで、無理矢理煽って「消費は美徳だ、もっと拡大しろ~」の大合唱。
ところが時代の状況は一変した。
http://www.news.janjan.jp/world/0810/0810159463/1.phpより
アメリカが消費大国として君臨し続けた戦後の世界経済の中では、「消費は美徳」という言葉を信じることができた。だが、その経済構造は崩壊しようとしている。完全な崩壊までには、しばらく時間がかかるだろうが、榊原英資氏が指摘するように、「ドル支配の終焉の始まり」が起きているのだといえる。これは、「消費は美徳」という環境問題から考えれば、見当違いの信念で支えられてきた世界構造の終焉でもある。
「過剰消費」を煽るデンパに洗脳されてほんとに消費が拡大した時期もあったが、今やそれも限界。ついに、マスコミに踊らされた「消費」なるものに、まったく充足感を抱けない層が多数派を占めるようになったのである。それが、内田樹氏が指摘している人々だ。
そんな人々は逆に、エゲつないシステムの上に乗っかって自分だけ甘い汁を吸う、なんていう自分は許せなくなり、「世の中のために自分は何ができるのか」と問うようになる。
こういう人々の画期的な意識の変化は、残念ながらまだ直接には活力に結びついていない。「世の中のために自分は何ができる?」と探索する意識は確実に存在するが、既存の市場システム・働き方の中では、答えが簡単には見つからないのだ。
ここらへんに答えを出していく、つまり、モノに代わる新しい価値を創造する「新しい役割=仕事」を創出するというのが、次に期待されていることなんではないか、という気がしている。
以下 http://blogos.com/article/142842/ 北野武氏より引用
今の人類が置かれた立場を考えれば、むしろ夢をかなえようなんてことより、清貧の方が大事なんじゃないの、と思う。
人間がじゃんじゃんエネルギーを消費して、地球の平均気温がじわじわ上がって、近頃は異常気象が当たり前になってしまった。5月に台風が来たり、気温が30度を超えたりしても、今じゃ誰もたいして驚かない。
東日本大震災のときは、節電しないと夏を越せないとかいって、東京の夜は暗くなった。自動販売機が電気の無駄遣いだと目の敵にされた。昔の夜が戻ってきたみたいで、こういうのもいいなあなんて思っていたけれど、しばらくしたらまた元通りのピカピカな夜が戻ってきた。節電なんて言葉もどこかへ行ってしまったみたいだ。
だけど、地球上で起きている問題の大半は、人間があまりにもエネルギーだの資源だの食糧だのを無駄遣いしているから起きているという事実は変わらない。中国の14億人が、アメリカ人と同じくらいエネルギーを消費するようになったら、地球は保たないなんていわれている。
このままではどう考えたって文明は破綻する。現代人は今すぐにもライフスタイルを改めなくてはいけないはずなのに、その話はいっこうに進まない。節電や節約くらいで、この問題が解決するとは思えないけれど、それでも解決に向けた最初の一歩にはなる。
それは誰もがわかっているはずなのに、そういうことにはあまり真剣にならない。節電だの節約だのは、結局のところ経済活動のマイナスになるからだ。