故障もあって出場機会が減少した。同時に、イチローや田口ら若手のライバルも台頭。さらに、94年に就任し、相手投手によってスタメンを頻繁に替える仰木監督の“仰木マジック”にもなじめなかった。遠征に出て、相手投手と相性が悪いからと、6試合で代打出場さえなかったこともあったという。“試合に出てナンボ”がプロ野球選手。出場機会が与えられないことに納得がいかなかった。ある年、ほとんど起用がないままシーズン序盤に2軍落ちを通告された。その際、担当コーチに「もう(1軍に)呼ばないでください」と言い切ったという。自分が不利になると分かっていても、黙っていられなかった。シーズン終盤になって何度か1軍昇格の声がかかったが「腰が痛い」とウソをついて拒否したという。

「結局、出場機会が減ったのは自分のせいなんです。スタイルは変えたくなかった。けど、葛藤はあったんですよ。ヒット狙いした時もあったし。あの頃は、何となく野球をやっていた感じです」。放出を志願してヤクルトに移籍。台湾野球を経て02年に現役を引退。今は年数回の野球教室くらいで、野球に関わることは少なくなった。「真剣になりすぎてもいけないし、僕や新庄(剛志)みたいに、考えすぎず野球を楽しめばいいんじゃないですか」。高橋さんは微笑みながら、後輩たちにエールを贈った。

◆高橋智(たかはし・さとし) 1967年(昭42)1月26日、神奈川県生まれ。向上3年夏は県大会決勝で敗れ甲子園出場ならず。84年ドラフト4位で阪急(現オリックス)に投手として入団。2年目オフに野手に転向し92年には打率2割9分7厘、29本塁打、78打点でベストナインを獲得。99年にヤクルト移籍。01年限りでヤクルトを退団し、02年は台湾野球に挑戦するが3カ月で退団、現役を引退。現在は名古屋市在住。夫人と3男の父。現役時代は194センチ、100キロ。右投げ右打ち。

○…高橋さんは阪神・淡路大震災が起きた95年から「がんばろう神戸」で2年連続リーグ優勝した当時のチームについて「チームは個人の集まり。個性的な選手が多く、(震災に対する)スタンスはさまざまでしたが、個々が頑張ればチーム一丸に見えるもの」と明かした。2年連続で日本シリーズにも出場したが、高橋さんは通算6試合に出場したものの、ヒットは打てなかった。「(プロ野球選手は)目立ちたい集団なので、目立ちたかったですが、あの時は目立てなかったなあ」と苦笑いしていた。