玄倉川水難事故(DQNの川流れ)のその後と生き残りの現在について

富士繁はその後も営業

そして、受難者のうち5名が勤務していたと言われている株式会社富士繁の現在はどうなっていたのでしょうか?現在でもこの会社は営業を続けているそうです。

その後いくつかの業務上に必要な登録や許可も取り、さらに現在では施設も開設するなど仕事の幅をも広げていたのです。

今回の玄倉川水難事故(DQNの川流れ)に関しては、会社の責任を取る必要はありませんが、世間的なイメージが悪くなったのは確かです。

DQNたちが裁判を起こした?

受難者であった加藤直樹さんが事故後に裁判を起こしていたという噂がでました。こういった自然災害に関する事故の場合、受難者や死亡者の遺族から損害賠償などの裁判が行われる場合があります。

しかし、玄倉川水難事故(DQNの川流れ)について裁判を起こしたという記録は現在残っていませんでした。起こしたところで勝ち目はない状況でしたので、避けたのかもしれません。

また、自然災害の事故でも、受難者に過失がある場合では、関係機関より救助活動に掛かった費用を求める裁判を起こされることもあります。しかし、この費用を求める裁判も起こされていませんでした。

後に加藤直樹の娘のブログが見つかる

生存者の一人で加藤直樹さんの娘である加藤朝香さんが書いたとみられるブログの日記が見つかりました。現在はこのブログは削除されているようですが、内容からも本人だろうと言われています。

たまにね私、ふとあの時の事を思い出すんだ。幼稚園の頃の事故あれは一体なんだったの?どうして私の家族なの? 小さい頃私がママを殺したんだ。私さえ居なければママは生きていたんだ。 パパがね私を抱いててママがパパに助けを求めていたんだ。 手を伸ばしてね一生懸命流されないようにしてたんだ。

(引用元:コズミック)

けどねパパまで水に連れていかれそうで怖かったんだ。だからねパパやめて!って言ったんだ。 そしたらパパがママの手を離したの。 そしたらママ水と一緒にいなくなっちゃたの。これって私のせいだよね。 ごめんね本当に…。ママに逢いたいです。小さい頃もずっとママが欲しかった。皆にはママがいて私には居なくて悲しかった。

(引用元:コズミック)

今でもママが戻ってきてほしいと思っている。あと優香にも戻ってきてほしいんだ。私には妹がいたんだよ。 ママがいなくなっても明るい朝香でいてねって色んな人に言われた。 そう簡単に言うなと思ったよ。けど私なりに頑張ってきた。毎日明るく生きてる。

(引用元:コズミック)

これが、その加藤朝香さんが書いたとみられる日記の一部です。当時、加藤朝香さんは幼稚園児でした。そのことからも、内容が玄倉川水難事故の生き残りの加藤朝香さんで間違いないようです。

加藤朝香さんだということが、バレてしまいネット上でこの日記が拡散されてしまいました。その後すぐに加藤朝香さんのブログはすべて削除されることとなりました。

生命保険殺人陰謀説

玄倉川水難事故(DQNの川流れ)の受難者たちは株式会社富士繁の社員でした。産業廃棄物の処理等をおこなっている会社です。その中でも富士繁戸塚工場は歴史の長い工場のようです。

そして、地元住人によると(株)富士繁という会社はあまり評判は良くないようなのです。それもDQNが多いとされやすい職なのであります。

(株)富士繁は従業員を大量に失い、会社名まで全国に施されてしまいました。そんな中で、会社側が生命保険を掛けて殺人したのでは?という噂が広がったのです。

それもリーダーの加藤直樹さんが不自然なまでに中州に留まり退避しなかったことからも、グループ生命保険に入れて全員をわざと流したのでは?と週刊誌の記者が疑ったのです。

しかし、(株)富士繁に裏はなく、この生命保険殺人陰謀説の信憑性は低いことがわかりました。あまりにも大きな事故だったためいろいろと疑われることになったようです。

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