警察や消防隊に対する暴言
この受難者達は警察や消防隊に対して暴言が数々ありました。それは、助けてもらう側としては救助してくれる人たちへの感謝の気もちが全く感じられないものとなっていました。
増水から退避勧告をする警察官やダム事務所員に対して、「早く失せろ、殴るぞ」「放っておいてくれ、こっちは楽しんでいるんだよ」などの暴言を浴びせました。
さらには救助活動がはじまった時には、リーダーとされていた男性がレスキュー隊にむかって「おい、こら、ヘリを呼べ」「もたもたすんな」「仕事なんだから早く助けろ」との暴言を吐きました。
地元の方からのおにぎりを叩きつける
そして、地元住民が退避を呼びかけた時にも「地元の人は臆病だ」「田舎者はプライバシーを侵すのが趣味」などといった暴言も吐いていたのです。
さらには、地元住民の善意ある差し入れのおにぎりに対しても、「まずい」等と発言をし、そのおにぎりを地面に叩き付けるという行動までもしていたのです。
地元住民からの差し入れなどに対してもお礼やお詫びの言葉なども一切なく、暴言で返していたのです。これにはDQNすぎるといった非難が相次ぎました。
「テントを返して欲しい」
救助後には、救助隊に「テントを回収したら返して欲しい」といった自分勝手で自分本位な発言までしていたのです。この時には、まだ行方不明者もおり救助も続いていました。
そんな中で自分のテントを返して欲しいなんて発言をしていたのです。自分たちの身勝手な行動のせいで、たくさんの人を巻き込み騒動にしてしまった反省が全く見られなかったのです。
救助隊や地元住民に対しての敬意はなく、自分のことしか考えていないことからもDQNの川流れだと言われているのです。
受難者のリーダー格 加藤直樹
そして、この玄倉川水難事故(DQNの川流れ)の生き残りであり、受難者のリーダーであったのが、加藤直樹さんという男性です。この加藤直樹さんを含む数名が同じ会社に勤務しており、キャンプを行いました。
加藤直樹さんが中心となり、一連の暴言や避難勧告を無視したりを行っていたそうなんです。そして、この加藤直樹さんや他の受難者たちが勤めていた会社が株式会社富士繁という会社です。
玄倉川水難事故(DQNの川流れ)のその後
玄倉川水難事故(DQNの川流れ)はどのようなその後を送ったのでしょうか。生存者や勤務先の富士繁は現在はどうなったのでしょうか。
そして、生き残った生存者と亡くなった方に対してその後に囁かれた噂もでてきていました。玄倉川水難事故(DQNの川流れ)のその後について調べてみました。
謝罪の場は設けられず
今回の玄倉川水難事故(DQNの川流れ)で生き残ったのは大人3名と子ども2名でした。その生存者の大人でありリーダーであった加藤直樹さんがいます。
リーダー各であったにも関わらず、加藤直樹さんは謝罪会見を行いませんでした。こんなにも世間を騒がせていろいろな方に迷惑をかけたのに謝罪の場は設けられませんでした。
この謝罪の意思を表明しなかったことで世間から、またもや非難を浴びることとなりました。