救助隊到着するも救助困難
そして、9時07分に足柄上消防組合の本部から救助隊が5人現場に到着しました。渡歩による救助を試みますが、激しい水流と水位に阻まれて救助を断念します。
10時10分に消防組合が救助ヘリコプターの要請をします。しかし、熱帯低気圧による強風と豪雨や、低く垂れた濃雲のため二次災害が懸念され、ヘリコプターは却下されてしまいます。
10時30分頃にはレスキュー隊が対岸に、救命索発射銃で救助用リードロープの発射を試みます。しかし、1度目は失敗。15分後に再びロープが発射されますが、2度目も失敗してしまいます。
11時頃には、警察からの要請を受け玄倉ダムの放流を中止するのも、玄倉ダムは発電用ダムで貯水能力に乏しいため、すぐに満水となり崩壊の危機に直面し、5分で放流再開となってしまいました。
11時38分頃 全国中継カメラの前で18人が流される
11時38分には水深が2m近くとなり水位は胸にまで達しました。そして、全国中継カメラが放映する中で、18人全員がまとめて濁流に流されてしまったのです。
そして、その時に1歳の甥を抱えていた伯父はとっさに甥を岸辺に向かって放り投げます。別グループのキャンプ客が危険を顧みずに、川に飛び込み1歳の男児を救い上げました。
この男児の父親と姉を含む大人3人と子供1人も対岸に流れ着き救助されました、しかし、残りの13名はすぐ下流の立間堰堤から流れおちてしまい、姿が確認できなくなりました。
その後の捜索
12時14分には現地本部が設置されました。そして、丹沢湖上をボート3艇で捜索をはじめます。大雨で視界も悪く、手漕ぎボートのため捜査は難航します。
14時40分にはエンジン付きボートが4艇出動します。そして、17時には神奈川県知事が陸上自衛隊に災害派遣を要請します。
翌日の15日も朝から救助を開始しています。警察・消防・自衛隊の340人体制で捜索をしますが、大雨で流木や浮遊物が多く捜索は困難をきわめていました。
8月29日に最後まで行方不明だった1歳女児の遺体が派遣され、13名全員の遺体が丹沢湖から収容され、捜索が終わりました。
DQNの川流れと言われる理由となった受難者たちの言動
今回の玄倉川水難事故(DQNの川流れ)は13名の犠牲者をだす大きな水難事故としても話題になりましたが、それだけではありませんでした。この玄倉川水難事故はDQNの川流れと呼ばれているのです。
その理由としてキャンプをしていたグループの一行が事故の前後で起こした言動や態度が理由となり、DQNの川流れと呼ばれるようになったのです。
この言動や態度は警察官や救助隊、さらには地元住民にまでも及び、暴言の数々はテレビカメラでも放映されていたのです。それによりネット上でも多く拡散されることとなりました。
再三の警告を無視
ダム事務所員が2度の警告をしたにも関わらず、その警告を無視し続けます。そして、ダム事務所員では手に負えなくなり、警察に出動を要請します。
その後、警察が到着し再三警告しますが、警察官にも暴言を吐き警告を受け入れようとはしませんでした。しかし、この時に21名いた中の3名は素直に従い退避しました。
18名は中州に残り、テントで眠ることとなります。その翌日の朝にも退避した3人からの警告や警察からの警告も無視し続けたのです。