東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

週のはじめに考える ロシアは東方を夢見る

 ロシアが欧州からアジア太平洋地域に軸足を移す東方シフトを進めています。実を結ぶためには、北朝鮮の核と北方領土の問題を避けては通れません。

 米国との核協議が行き詰まる中、四月にロシア極東のウラジオストクを訪問した金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長は「自分の考えを米国に伝えてほしい」とプーチン大統領に要請しました。プーチン氏は快諾し、トランプ米大統領に電話で伝えました。米朝間の仲介役を買ってでた格好です。

◆北朝鮮と核の深い因縁

 ロシアには中国ほど北朝鮮への影響力はありません。ロシアが中ロや日本も参加していた六カ国協議の再開を提唱しているのは、朝鮮半島問題に関与できる機会を確保せんがためです。半島安定化はロシアの安全保障と同時に、東方シフトにも不可欠なのです。

 冷戦時代は同じ社会主義国として結び付いていたロシア(ソ連)と北朝鮮の関係をさかのぼると、核との深い因縁が浮かび上がってきます。

 正恩氏の祖父の故金日成(キムイルソン)国家主席は北朝鮮建国の祖です。ロシア側の資料を中心に北東アジアの冷戦史を研究する下斗米伸夫・神奈川大特別招聘(しょうへい)教授によると、抗日独立運動に参加した金日成氏は、対日参戦したソ連軍(赤軍)の軍人でもありました。

 ソ連極東部への回廊という朝鮮半島の地政学的な重要性に着目したソ連は、金日成氏の後ろ盾となります。加えて、北朝鮮は核開発のための資源の供給元でもあったのです。

 下斗米氏がロシアの北朝鮮専門家二人に聞き取り調査したところでは、ソ連は核開発の初期に、放射性元素トリウムを含むモナズ石など二千六百万トンを北朝鮮から運び出しました。輸送のために鉄道も整備しました。

◆「脱欧入亜」に活路が

 実は、戦後しばらくはソ連国内でウランはほとんど発見されなかったのです。そこでソ連は支配下に入ったチェコやブルガリアという東欧、北朝鮮など海外に核資源を求めました。

 ソ連占領下の樺太(サハリン)で捕らえられ、極東・ハバロフスクへ収容所送りになった科学者、菅原道太郎氏の著作「赤い牢獄(ろうごく) ソ連獄中記」には、日本が太平洋戦争末期に旧満州(中国東北部)でウラン鉱石を採掘していたことをソ連の検察当局から聴取された場面が出てきます。

 通訳として聴取に同席したソ連の物理学者は、米国との覇権争いはイデオロギーと核兵器という二つの分野での勝敗で決すると指摘。原爆開発で先行した米国に追いつき追い越すため、核資源を速やかに発見する必要があると力説します。

 そして、ウラン鉱石の確保こそが「われわれが満州に進駐する時の最大課題だった」と菅原氏に説明しました。

 米国から遅れること四年の一九四九年八月、ソ連は初の核実験に成功しました。

 二〇一二年に大統領に復帰したプーチン氏は、東方シフト戦略を打ち出します。伝統的な欧州志向を転換したこの「脱欧入亜」路線は、一四年のクリミア併合をきっかけにした欧米との関係冷却化によって加速しました。

 西で壁にぶつかったロシアが東に活路を求める例は過去にもあります。

 十九世紀半ばのクリミア戦争で英・仏・オスマン帝国などの連合軍に敗北した帝政ロシアは、ゴルチャコフ外相が東方外交を積極的に展開しました。

 日本とは樺太千島交換条約を交わし(一八七五年)、千島列島を放棄するかわりに樺太全島を領有することになりました。清国(中国)とは愛琿条約に続いて北京条約を結び(一八六〇年)、沿海地方を得ました。沿海地方の重要拠点になったのが「東方を征服せよ」というロシア語が由来のウラジオストクです。

 人口減の著しい極東の開発も目的に、世界の成長センターであるアジア太平洋地域にアクセスする国家戦略は理解できます。

 ですが、東方シフトの実を上げるには、朝鮮半島の安定化とともに対日関係の発展が必要です。領土問題が解決しないため、戦後七十年以上過ぎても平和条約がない不正常な状態が続いています。

◆冷戦の負の遺産清算を

 カーネギー国際平和財団モスクワセンターのトレーニン所長は最近の論文で「日本の技術と投資、それと日本との科学技術協力は、ロシアの発展にとって極めて有益だ」と指摘し、対日関係打開へ平和条約締結を唱えました。

 朝鮮半島問題と北方領土問題は、北東アジアにいまだ残る冷戦の「負の遺産」です。プーチン氏にはこの清算に全力を挙げてほしいものです。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】