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- 2008.01.12
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私が最初に入社した富山市の地質コンサルタント会社に、当時私が20台中盤、40台後半のボーリングオペレーターがいました。その方をAさんと呼ぶことにしましょう。私は内業、その方は現場作業員というわけで、直接の上司というわけではなかったのですが、現場作業が多忙で内業が暇なときは、私はよく現場作業のお手伝いで二人一緒になりました(ボーリング作業は二人一組が基本)。
Aさんは中学卒業と同時に富山市へ出て、最初焼き鳥屋に就職しました。 その焼き鳥屋は繁盛し、Aさんが21歳のとき、「ファミリアロータリークーペ」を新車で買ったそうです。Aさんは、車には無頓着な人でしたが、このファミリアロータリークーペは、とにかく思い出深い車だったらしい。しょっちゅう「ファミリアロータリークーペ、よく走ったチャー」(語尾のチャーは富山弁)といっつも言っていました。友人を4人乗せて、高速道路がない時代、富山から青森まで旅行に言ったとか。とにかく速かったらしい。
バブル全盛~バブルの余韻覚めやらぬ私の大学当時、ひとつ上のサークルの先輩、および2つ下の後輩は、RX-7を乗っていましたが、二人から聞くのは、燃費の悪さに関する愚痴のみ。リッター4~5kmしか走らないそうでした。いい話は聞いたことがありません。私は父親のお下がりの昭和61年式FFジェミニディーゼル1500ノンターボ、軽油がリッター70円弱だった時代、定常的にリッター20km。確かに、学生の私にはとてもじゃないが維持できない。燃料の単価も考えれば、燃料費は7~8倍なのだ。
しかし、Aさんがファミリアロータリークーペについて語るときは、常に楽しそうでした。本当によく走ったチャー、本当に速かったチャー、面白かったチャー…
何だ?ロータリーエンジンって、そんなに面白いのか?
まぁ確かに、私も車好きで、中学の頃から自動車雑誌をよく見ていましたが、ロータリーは「モーターのようによく回る」という記述をよく見ました。あと、コスモの3ローターに関しては、たいがい「宇宙船のように加速する」という表現が「お約束」でした。「おい、お前宇宙船に乗った事あるんかい。」と、いつも心で突っ込み入れていましたが。
Aさんのファミリアロータリーの思い出話を聞いてからというもの、ロータリーエンジンに関する興味は一気に増し、ネット開通後は情報を漁っていますが、結局私、ロータリーエンジン車を運転した事がないまま今に至っています。ただ、ネットや自動車雑誌の情報を総合すると、ロータリーエンジンのマニアックはファンは多く、はまると抜け出せない魅力があるらしいです。
さてさて、一般的な車好きに「世界で唯一、ロータリーエンジンを実用化し市販したメーカーは?」といわれたらなんと答えるでしょう?間違いなく「マツダ」でしょう。「マツダ以外にも、ロータリーエンジン乗用車を市販したメーカーは?」と聞けば「知らない」と答えるでしょう。 では、ロータリーファンに同じ質問をしたら?「マツダと、NSUとシトロエンがごく短期間だけ」と答えるでしょう。そして「現在、ロータリーエンジン搭載の乗用車を生産しているメーカーは?」と聞いたら「マツダだけ」と答えるでしょう。
ブブー。不正解。
実は、ロータリーエンジン乗用車を70年代から一貫して21世紀まで生産しているメーカーは、ロシアに二つあるのですよ「ラーダ」と「GAZ」。
さまざまな英語サイトを総合すると、少なくとも2002年までは一般販売されていたようだが…
ラーダ公式HP http://www.lada-auto.ru/
には、2008年1月現在、ロータリーエンジン車についてはおおっぴらに触れられていないんですよ。過去についても現在についても。ロシア語でよく読めばひっそり書いてあるんでしょうけど、ロシア語翻訳するのがめんどくさい。でも、その、秘密っぽさがまた、ソ連らしくてGOOD!
そもそも、資本主義ロシアならともかく、社会主義ソ連時代において何のために巨費(国費)を投じてロータリーエンジン車を開発し販売したのか目的がはっきりしませんね。まぁ社会主義とはいっても、ソ連時代から国営の巨大リゾートやサーカスなど娯楽には力を入れてきたわけですし、その庶民の娯楽の一環として、燃費が悪いけど面白いロータリーエンジン乗用車を量産した、というのもアリ、なわけなのかな。ソ連製品=実用一辺倒だけ、というのは、我々の間違ったソ連観であるかもしれないですね。
で、いろいろ調べてみると、ソ連のロータリーエンジン車、マツダなみの歴史とマツダ以上のバリエーションを持っていたんですよ。ロータリーエンジンが搭載され販売された車種、合計8種。エンジンバリエーション、20種(軍用・飛行機用含む)。ローターの数、1、2、3、4(4ローターは試作機)。とくに、世界でもあとにも先にもユーノスコスモだけだと思っていた3ローター乗用車がソ連を走っていたのには驚きましたよ。鉄のカーテンの向こう側でも、男にとって速い車はやはり憧れであり、社会主義ソ連の国営自動車メーカーも、西側の自動車メーカー同様に、そんな国民の要望に親切にこたえていたわけです。しかし、ソ連がそれをプロパガンダに用いた形跡は一切ありません。
ふーん、これは意外。しかし、複数の英語サイトで調べていると、ソ連ロータリー車に関する記述は多いが「~~に関してはunknown」という文が多い。今生産されているか、過去何台生産されたかも「unknown」「perhaps」「few knowledge」。ソ連崩壊からまもなく20年たっても、ソ連もロシアもやっぱり謎の国なのである。
●ソ連自動車工業の事情
本題であるソ連製ロータリーエンジン乗用車の情報に触れる前に、ソ連の自動車産業界の概要を述べましょう。
ソ連時代は、当然、自動車メーカーは全て国営企業でした。自家用乗用車を生産していたのは、VAZ、GAZ、ZAZ、UAZ、ZIL、ISh、モスクビッチ、の7社です。しかしながら、これらの国営企業はお互いに部品やエンジンを供給し合って、ボディースタイルやブランド名だけを変えて販売という事が多かったです。これは、アメリカの自動車企業「ゼネラルモータース(GM)」と同じですね。GMも、キャデラック(豪華絢爛)、ビュイック(ちょっとゴージャスな保守層)、オールズモビル(やや質素な保守層)、ポンティアック(スポーティー)、シボレー(大衆車)とブランドイメージを使い分け、同じエンジン・シャシーに味付けが異なるボディーや乗り心地を与えていましたから。同じコンポーネント・エンジン・同じボディパネルの4ドアセダンでも、ビュイックリーガルはボタンダウンベンチシート・コラムシフト・置時計のような四角いアナログメーターなのに対し、ポンティアック6000STEは、セパレートバケットシート・デジタルメーターという具合に。
左はビュイックリーガル(ベンチコラム、横長アナログメーター、クロームメッキ多用の、バリバリのアメリカ的保守)、
右はポンティアック6000STE(セパレートシート、デジタルメーター、欧州車的味付けの、スポーティーテイスト)。
味付けが全く異なる二つの車は、同じボディ 。
ちなみに、ソ連自動車メーカー名の末尾に「AZ」ばかりついているのは、Aは「Автoмoбилй」(自動車) Zは「Завoд」(ザヴゥド。重工業工場の意味。軽工業工場はファブリケ)を意味するからです。要するに、企業名じゃなく「工場名」という、いかにもソ連らしい理由。
以下、ソ連時代の、各メーカー(工場)名・正式名称和訳・ブランド名(「富士重工業」に対する「スバル」みたいなもの)・性格付けを記述します。 記載している車種および写真は、ソ連崩壊直前の時点のものです。
・VAZ(ヴォルガ自動車工場)
ラーダ、ジグリの2ブランド 1500cc周辺の、いわゆる「大衆車」を生産。年間生産能力100万台。
●ラーダ2105シリーズ 1978年生産開始。年間100万~70万台生産された、ソ連版カローラ。1300cc、1500cc、FR駆動。簡素なメカニズムゆえに修理が容易かつ頑丈で。2008年現在も生産続行中。 | ●ラーダ2107シリーズ 1978年生産開始。左の2105シリーズの豪華版。1800ccエンジン搭載。FR駆動。現在も生産続行中。 |
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●サマラシリーズ 1984年生産開始。1300cc、1500cc、1800cc。英国向け輸出用バージョンにのみ1100ccも存在。発売当初は3ドアと5ドアのみだったが、1989年から4ドアセダンバージョン「フォルマ」が加わる。西側諸国にも輸出されました。現在も生産続行中。 しかも、1978年デビューの、FRの210シリーズと併売だ。まぁ、いすゞも、昭和56年は117クーペとピアッツァを併売、昭和61年~63年はFFジェミニとFRジェミニを併売していたから、アリなのかな? | ●ニーヴァシリーズ 1977年生産開始 。 世界初のフルタイム4WD乗用車。 車好きに「世界初のフルタイム4WD乗用車は?」と聞けば、「1980年のアウディ100」と答えるでしょうが、実はソ連のほうが先だったんだな。驚くべきはその安さとコンセプト。アウディ100は当時1000万円を超える超高級車として発売されましたが、ニーヴァは70万円。ネットで見るソ連地方の写真にもよく写っています。つまり、気候が厳しく道路事情が悪いソ連の地方における「庶民の足」として開発・大量生産されたわけです。ソ連時代からパリダカールラリー上位入賞常連。最高は87年の3位。現在も全く同じスタイルで販売中。 |
●アレコシリーズ | ●1111オカシリーズ 800cc。サイズは日本の軽自動車規格とほぼ同じ。1984年生産開始。 1975年の立案当初は、大量生産されて国民車になるはずだったが、ソ連国民の嗜好に合わず、殆ど売れなかった。 |
・GAZ(ゴーリキー自動車工場)
ヴォルガ 2400ccの高級車「ヴォルガ」を生産。工場全体としては中型トラック生産主体。
●24-10シリーズ 1970年生産開始。2400cc。ソ連国民が個人的に購入できる自家用車の中では、もっとも大型。つまり、ソ連のクラウン。 ソ連のタクシーはたいてい、これ。ソ連崩壊以後も1995年まで生産継続。 | ●31-02シリーズ 1982年生産開始。2400cc。どう考えても左の24-10シリーズの後継車だが、ソ連崩壊以後まで24-10シリーズと併売されていました。今も新車で生産されています。まぁセドリック・グロリアだって、ハードトップがY32・Y33・Y34…とフルモデルチェンジしても、セダンはY31のまんま、ワゴンはY30のまんま、併売されていましたけど。だからそれもアリ? |
●チャイカシリーズ ソ連共産党幹部専用のリムジン。トラック用6.6L V8エンジンを搭載。年間20台程度生産。 |
・ZAZ(ザポロージェ自動車工場)
ザポロージェッツ。1000cc級の「タウリヤ」「969M」を生産。
●969Mシリーズ | ●タウリヤシリーズ 1985年生産開始。1100cc。FF。現在も生産中。工場があるザポロージェはウクライナにあるため、タウリアはウクライナ唯一の純国産自動車となりました。1985年の日本車・欧州車並みのスタイル。なんだか、エリマキトカゲをCMに用いた頃のミラージュそっくりだけど… なんで左の969Mと併売なのよ? 例えて言えば、昭和40年代の初代三菱コルトとエリマキトカゲミラージュが併売されているようなもんだぜ。 |
・UAZ(ウラル自動車工場)
軍向けのジープを生産していたが、民間にも販売していた。他、バイク、バス。
現在も生産続行中。同じ民間向けオフロードカーでも、日本のハイラックスサーフ・パジェロ・ランドクルーザー、アメリカのキャデラックエスカレードやシボレーサバーバンとは次元が違うよな… |
KamAZ(カマ自動車工場)
大型トラック生産。パリダカラリーカミオンクラス優勝常連。軽自動車「OKA」も生産。
ラーダ1111オカを、カマズ工場で製造、カマズ・オカとして製造・販売。 |
・ZIL(リハチョフ記念自動車工場)
ジル VIP向け大型車「ジル」生産。大型トラック生産。
ゴルビー初来日のときは、この「ジル」がゴルビー専用公用車で、政府専用機に搭載してわざわざ日本に持ち込んでましたっけ。核戦争スイッチも付いてたのかな? |
・AZLK(何の略称か不明)
モスクビッチ 1500~1800cc級の中型車「モスクビッチ」生産。
●モスクビッチ(FR) 1965年生産開始。1500cc。マークⅡ=白、初代FFファミリア=赤、ランエボ・インプレッサWRX=青、みたいに、この型のモスクビッチのイメージカラーはオレンジらしい。ネットで見るソ連風景に写るモスクビッチは、有意にオレンジ色が多い。 | ●モスクビッチ(FF) |
・Izh(イジェフスク自動車工場)
イジュ バイク生産主体。「モスクビッチ」のバッジエンジニアリングだったが80年代後半から独自モデル「オルビット」販売開始。
●2126シリーズ つまり、モスクビッチFRの、フロントマスクを変えた5ドアハッチバックバージョンを、バイク生産主体だったIshが生産したというわけ。生産開始時期不明。 それにしても激しくブ格好だ。しかしそこがまた、マニア中のマニアの琴線に触れる? | ●オルビットシリーズ 1986年に発売された、Izh独自モデル。FF、1500cc。 やっぱり、左の2126シリーズと長らく併売。そういう販売スタイル、日本人の感覚じゃありえんな。それとも、ソ連人は「ウチは代々、車はFRに決まってるんじゃ!」という頑固オヤジが多いのか???今も売っています。 |
で、ソ連の各自動車メーカーは、GMと各ブランドと同様に、それぞれのブランドにしかなく、かつ得意分野を生かした独自車種を持ちながら(シボレーのコルベットやキャデラックのフリートウッドなど)、大半の部品を共有した兄弟車の販売を行う(シボレーカマロとポンティアックトランザム)という構造なわけです。例えば、モスクビッチで作られている「モスクビッチ」と、ラーダの「アレコ」は、外観の印象が異なるだけでほぼ同じものです。
つまりソ連自動車産業は、一国がまるまるGMみたいなものだったのです。
まぁこれはこれで、合理的といえば確かにその通りだと思います。
昭和60年代~平成一桁前半、日本で最も売れるのは1500ccクラスのいわゆる「大衆車」でした。各メーカーは、ここでしのぎを削っていましたが、この頃「大衆車」は、トヨタ=カローラ・スプリンター、日産=サニー・パルサー、ホンダ=シビック、マツダ=ファミリア、三菱=ミラージュ・ランサー、いすゞ=FFジェミニ、ダイハツ=アプローズ。1800ccクラスは、トヨタ=コロナ・カリーナ、日産=ブルーバード、ホンダ=アコード、マツダ=カペラ、三菱=ギャラン、いすゞ=アスカ、スバル=インプレッサ。トヨタ自動車の新車開発費用は毎年一兆円以上と一般に言われているので、4年おきに行うカローラ・スプリンターのフルモデルチェンジのため、間違いなく年間1000億円はかけてるでしょう。そして、おそらく、日産も、三菱も、ホンダも、サニー・ミラージュ・シビックの開発に毎年何百億円とつぎ込んでいるだろう。ん?大衆車の開発費用、日本の全メーカー合計したら年間1兆円超えるのでは?1500ccクラスだけでだぜ。全自動車メーカーの全車種合計したら、年間何兆円なんだろう?じゃぁ、カローラとサニー、性能がそんなに違うか?といわれれば、そうでもないんだな。雰囲気がちょびーっとしか違わない。ちなみに当時の大学授業料、年間38万円。当時国立大の入学定員、約10万人。現役国立大生、概略で40万人。つまり、年間1600億円あれば、全部の国立大学が無料化できるって事。おい、トヨタと日産が合併して、カローラとサニーを兄弟車にすれば、簡単に捻出出来るわな。サニーにハイメカツインカム載せてカローラにビスカスカップリング載せればいいだけじゃん。いや、より結構じゃん。あと、国立大生のうち一人暮らしが7割として、生活費が一人一ヶ月10万、年間120万としたら、大体1000億あれば、誰も親から仕送り貰わなくても大学いけるって事。これも、マークⅡ三兄弟とスカイライン・ローレル姉妹を5兄弟にすれば、簡単に捻出できるわな。スカイラインにTEMS付けられるようにして、マークⅡでもセラミックターボ選べるようにして。いや、そっちのほうがいいじゃん。車好きの私でも、よくそんなこと考えていました。
本題に戻ると、ロータリーエンジンを開発したのはVAZですが、ソ連は全ての自動車メーカーが国営、という事情で、他の自動車メーカーにもロータリーエンジンが供給され搭載されていたわけです。
以下で、まずソ連時代の自動車事情を記述し、次にソ連ロータリー車の各車種について記述します。
●ソ連時代の自動車事情
70年代半ばからは長らく経済が停滞するソ連ですが、終戦直後から1970年初頭までは、一貫して高度経済成長を続けました。どこかで聞いた言葉ですが、「人々は、貧しい時には、1枚より2枚のパンを欲しがる(量的豊かさを求める)。しかし、豊かになると、安いパンよりおいしいパンを求める。(質的豊かさを求める) 」というのがありました。ソ連は60年頃にはおおむね貧困は無くなり、より豊かさを求めるようになったでしょう。60年代、西ヨーロッパでも、そしてもちろん日本でも、庶民にとって自家用車は高嶺の花でした。60年代初頭、スバル360が38万円で売られていたとき、公務員大学卒初任給は1万円だったと上司から聞きました。それはソ連も同様だったでしょう。
しかし、高まるソ連大衆の要望に応えて、 1966年~70年の「第八次5ヵ年計画」で、大衆向け乗用車の大量生産を開始することが決まりました。そのためソ連政府は、イタリアのフィアットと提携し、小型乗用車の技術とノウハウを受け、トリアッティ市郊外に自家用車製造工場を建設しました。
ここからがなんともソ連らしいところですが、その工場の生産能力、年間100万台!!
自動車産業というのは非常に裾野が広く、一台につき1万点ほどの部品が必要です。それらは一社で生産するものではなく、下請け・孫請けに外注するので、自動車工場周辺は小規模の町工場だらけです。例えば、自家用車生産の設備もノウハウも人材も無い高度成長期前の日本で、今まで年間10万台なのを5年で年間110万台にしろ、といっても不可能でしょう。また、自動車工業が無い国に、多国籍自動車会社が進出する場合は、まずは数万台規模の現地組み立て工場(部品は本国から輸入)を建設し、それから現地での部品生産を開始し・・・ と、小規模なプロジェクトから徐々に裾野を広げながら規模を大きくするものです。よって、大量生産効果により安価になり庶民の手に届く価格になるまでは、かなりの時間を要します。
しかしソ連は、部品から組み立てまで、年間生産能力100万台の生産設備一式を、同じ敷地内にいきなりドカーンと誕生させたわけです。おそらく、何万人という従業員およびその家族のための住宅・学校・病院なども一度に建設された事でしょう。
こうして1970年。それまで庶民にとって高根の花だsった自家用車が、いきなり年間100万台づつ生産され、しょっぱなから大量生産効果を発揮し、大衆に安価に供給されるようになりました。なお、トリアッティのヴォルガ自動車工場は、現在でも、工場単独ではダントツで世界一の生産能力です。(下:ヴォルガ自動車工場写真)
以下、ソ連ロータリーエンジン搭載自家用車。排気量は、どの海外サイトでも「Unknown」です。
以下、ソ連ロータリーエンジン搭載自家用車。排気量は、どの海外サイトでも「Unknown」です。
LADA 2101シリーズ(1970年登場) | 2101シリーズは、1970年量産開始。ソ連で最初に、いきなり年間100万台という大量生産効果で安価に供給された「大衆車」です。レシプロエンジン版は、1300~1500cc。 LADA 21018 LADA 21019 この時代の1500エンジンは、60~70馬力台が相場だったのではないでしょうか。その車に115馬力エンジン搭載とは、そりゃ当時としては速かったでしょう。
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LADA 2105シリーズ(2101のビッグマイナーチェンジ) | この車、ソ連時代も、そして今のロシアでも、本当によくテレビなどで見かけますね。なにせ、1978年から今まで、フルモデルチェンジ無しで生産し続けられているのですから。ソ連時代は毎年100万~70万台生産され、ソ連の自家用車の約7割を占めていたそうです。まさに、ソ連版カローラ!レシプロエンジン版は、1500ccです。
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LADA 2107シリーズ LADA 21079
| LADA 21079 LADA 2107シリーズは、2105シリーズの豪華版です。 生産期間:1978年~1982年 このスペックは、1982年発売の、マツダ・コスモ・ルーチェに搭載されていた、12Aノンターボ6PIロータリーのスペック(グロス130馬力・16.0kgm)とほぼ同じです。 |
GAZ 24-10シリーズ
| GAZ-24-10は、AE86みたいな「型式名」で、一般には「ヴォルガ」という名前で販売されていました。通常は、2400ccレシプロエンジンを搭載しています。「ヴォルガ」はソ連時代、一般庶民が個人で購入可能な自家用車の中で最も大型・高級で、かつての日本における「いつかはクラウン」みたいな存在でした。 巨大なステーションワゴンに、家族全員、屋根にはキャンプ道具、荷室にはやたらに大きな犬を乗せて700km先のキャンプ場に夏休み出発~!…って、アメリカン連続ドラマ風味の光景は、ソ連でもあったということかな。 GAZ-24-10 |
GAZ-3102シリーズ | なんと!3ローター量産乗用車は、マツダ・ユーノスコスモだけではなかった!ソ連にもあった! |
GAZ-14シリーズ | 3ローターエンジン搭載リムジン。 GAZ-14というのは、一般には「チャイカ」と呼ばれています。ご覧の通り、巨大なリムジンですが、ボルガベースで開発された「らしい」です。レシプロエンジン版は、V8、6.6Lです。トラック用エンジンを転用したものだそうです。ゴルバチョフの著書「ペレストロイカ」に書いていましたが、ソ連当時の中型トラックは全てガソリンエンジンで、「これを、少しのエンジン開発費で最初から燃費がよいディーゼルにすれば、どれほど資源の節約になっていたか!(それほどソ連経済には無駄が多いという事)」と書いています。 |
VAZ 1111(オカ)シリーズ
| VAZ-1111シリーズは、SOHCの800ccを搭載した、日本の軽自動車とほぼ同じサイズの小型車です。1975年にスタートした「public car」プロジェクトの産物で、開発はVAZが担当、生産はVAZだけでなくSeAZ、KamAZでも行われていました。1984年の発売当初は35000ドルだったそうですから、当時の一ドル≒150円で考えれば、50万円ぐらい?確かに、日本の軽自動車と値段も同じぐらいです。現在も販売されています。 マツダもオイルショックまでは、「シャンテ」という軽自動車に360cc1ローターエンジンを載せる計画を進めていました。 1ローター「VAZ-1182」 45馬力 5.5kgm ここで開発されたVAZ-1182エンジンは、1187型へと進化し、1991年から超軽飛行機用エンジンとして量産されています。 |
LADA 2107シリーズ | 上に載せた、LADA 21079 VAZ-411-01エンジン130馬力バージョン(生産期間1978年~1982年)が、新型エンジン「VAZ-4132」に替わり、パワーが10馬力、トルクが4kgm上がったというわけです。 LADA 21079 重量: 1430 kg |
ソ連は1982年までに、合計9機種のロータリーエンジンを開発・生産しましたが、1984年以降は、2ローターエンジンは「VAZ-415」エンジン一機種のみを開発するにとどまり、それは以下に示す、ラーダのFF車に搭載されました(但しVAZ-415エンジンは、同じ型式でも、インジェクションの調整により、135馬力、180馬力/6000rpm、206馬力/7500rpmの3つのバリエーションを生産しました。) 。
新規ロータリーエンジンの開発が止まった理由は、70年代半ばから始まったソ連経済の停滞の影響かな?でも、日本のマツダだって、60年代後半~70年代前半までは、10A、12A、13A、13B、と、矢継ぎ早に新型ロータリーエンジンを開発しましたが、オイルショックをきっかけに、1990年のコスモ3ローター(20B)販売までの20年近く、12Aと13Bを改良し続けて販売していましたし。もしかしたら、VAZ-415エンジンは、非常に高い完成度だったので、新規エンジンを開発する必要が無かったのかな?いや、もしそうだったら、ソ連の事、プロパガンダに使っていただろうし、オイルショック後のマツダみたいに、「ロータリーフルラインアップ化計画」を中断して、選択肢のうちのたった一つとしてロータリーエンジンを生産しようということになったのかな?
以下、VAZ-415ロータリーエンジン搭載のソ連車。
・サマラシリーズ(1984年生産開始)
LADA 2108シリーズ(サマラ 3ドア) | ラーダ 2108(3ドア)、2109(5ドア)は、ソ連初のFF乗用車で、1984年に発売されました。エンジンは1300、1500、1800。性能もスタイルも、1984年当時の日本車・欧州車と比較してもなんら遜色無し。同じラーダで1978年デビューのFR車、2105、2107とは排気量がかぶり、サマラは後継車と思いきや、そうじゃなかったんですよ。併売され続け、そして、なんと、今も併売されています。ソ連時代から、イギリスや西ドイツなど西側諸国にも輸出されました。 ロータリーエンジン搭載サマラの3ドア版の型式は、2108-91。 ソ連崩壊後も生産・販売され、販売価格は、2002年の時点で56,300ルーブル= 9008ドル(2002年レート)。 |
LADA 2109シリーズ(サマラ 5ドア)
| サマラの5ドア版です。最低地上高が西側の車に比べて高いのは、ソ連の道路事情に合わせてのものだそうです。今もこのスタイルで生産が続けられています。 ロータリーエンジン搭載サマラ5ドア版の型式は、2109-91。 2002年の時点での価格は、58,100ルーブル= 9296ドル(2002年レート)。 ロータリーエンジン搭載5ドアハッチバック・・・ |
・ 211○シリーズ(1990年開発終了、生産開始1999年)
このラーダ211シリーズ、1990年としては結構先進的なメカニズムとフォルムで、モーターショー登場時には注目を集めましたが、ペレストロイカの混乱とソ連崩壊のとばっちりで、大量生産開始は遅れに遅れ、1999年までずれ込みました。その間もモーターショーやオートサロンにこのモデルをしつこく出展し続けていたのですから、メディアは「もういいかげん真新しさを感じない」と報道していました。まぁそりゃそうだわな。 1985年、当時角ばった車しか無い時代、フォードがヌメリとしたエアロフォルムの「トーラス」を発売したところ、一大センセーショナルとなり、全米ベストセラーとなりました。その後90年以降は、日本車もアメ車もヌメリとしたエアロフォルムの車ばかりとなりましたが、85年から93年までトーラスをモーターショーに出展し続け販売せず、94年に発売したって、誰も買わないわな。さすがロシアだ。
以下に、211○シリーズを載せますが、ロータリーエンジンを搭載したグレードがあるのは、セダンの2110のみです。
ラーダ2110
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…んで、今ロシアの自動車メーカーは、ロータリーエンジン乗用車を生産しているのでしょうか?
それは、正直わからないです。いくら英文サイトを探してもわかりません。世界は広いもので、ラーダのロータリーに関する英語サイト特集記事は多いんですよ。その中に出典として、ラーダ公式サイトのロータリーコンテンツが張ってあるのがいくつが見られましたが、現在それらは全てリンク切れ。どうやらネット社会になってからも(少なくともLADA 2108-91を9008ドルで売っていたという記述が英語サイトで見られる2002年まで)ロータリーエンジン車の販売が公式に行われていたようですが、2008年現在は生産しているかどうか不明。
但し、売られていたとしても、広告を打つわけでもなく、90年代後半のフェアレディZ、GTO、スープラのように(いずれも90年代後半は年間数百台しか売れなかった)ひっそりと売られていたのではないでしょうか。私の予想ですが、燃費や耐久性に関して、マツダのロータリーにかなり劣るものなので、派手に広告を打ったりなど、世界中にはおおっぴらにできないものなのだったのではないでしょうか?
そういえば、90年代にマツダユーノス800に搭載されていた「ミラーサイクルエンジン」ってありましたね。派手に登場した割にはその後全くいい評判も悪い評判も聞かず、ミラーサイクルエンジン搭載車たぶん年間何十台程度しか売れなかったでしょうが、ソ連・ロシア製ロータリーエンジン乗用車も、あんな感じだったのかな?
3ローターのユーノスコスモが1990年に発表されたとき、マツダは「世界で初めて3ローターエンジン量産車を実用化」と宣伝しました。各自動車雑誌でも、同じことが書かれていました。しかし実は、鉄のカーテンの向こう側でも、ロータリーエンジン搭載自家用車が販売され、しかも、ユーノスコスモ発売以前に、3ローターエンジン搭載乗用車を実用化していたという事実に驚き、これは私のソ連宇宙開発サイトでもネタになるなと思ってコンテンツを公表した次第。
「人と違った車に乗りたい」とお考えの、マニアックなロータリーファンの皆様。21台しか生産されなかった「マツダ・パークウェイロータリー」(マイクロバス)、米国でのみ販売されたピックアップトラック「マツダ・ロータリーピックアップ」、VIPカー「マツダ・ロードペーサー」(数百台)も結構ですが、ソ連製ロータリーエンジン搭載車を輸入したら、自動車雑誌から取材依頼引く手あまた、日本中の有名人になれるのは確実だと思うのですが、いかがでしょう?
GAZ3102。旧ソ連製、ロータリーの御大・マツダよりずっと早く実用化した3ローターエンジン、5速マニュアル、大型4ドアセダン、「ソ連のクラウン」、KGB払い下げ 。 ソ連時代は、存在そのものが国家機密。日欧米どのメーカーにも似ていない、この地味ながらも独特の雰囲気。これ以上マニア心をくすぐる個人輸入車が、世界広しといえど他にあるだろうか!