弱体モモンガさん   作:のぶ八
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前回のあらすじ

天空城を無事攻略するもズラが裏切りデイバー消滅!
都市守護者が復活しモモンガさんも死す!
それに気付いたナザリックが阿鼻叫喚の地獄絵図!


盟主と疾風走破、そして世界の真実

 天空城が揺らぎ、傾く。

 エリュエンティウを守る結界は消え失せ、都市には天空城からの瓦礫や岩が降り注ぎ、人々の悲鳴が飛び交っていた。

 何の前触れもなく破られた平穏。

 長い間、平和を保っていた筈のこの都市で生きていた者達は何が起きたか理解出来なかった。

 

 やがて天空城から複数もの何者達かが降りてくる。

 彼等は空に届くのではないかと思わせる巨体の者や、竜のようにも見える者、それ以外にも多種多様な者達で溢れていた。

 数こそ八とは合わぬものの、それらはまるで御伽噺で伝えられる八欲王の姿そのものだった。

 

 まるで神々が再びこの地に舞い降りたのではないかと思われる程の存在感と威光を放ち、下界へと降臨する者達。それを見た人々の中には八欲王の再来だと喜ぶ者もいたが、それもつかの間。

 エリュエンティウの都市は暴虐の限りを尽くされ、破壊された。

 巨人の腕の一振りで大きな建築物が粉砕され、中にいた人々が宙に投げ出される。とはいえその時すでに命は無く、肉片と呼んだ方がより正確だろう。

 そんな混乱の最中、広場を逃げ惑う人々には炎のブレスが浴びせられた。

 大地と共に多くの人々が一瞬で焼き尽くされ、後には何も残らない。

 

 やがてその八欲王が如くの者達は多くがこの地を去った。

 それは本能なのか、理性を感じさせぬ彼等ではあったが、いやだからこそ。

 命に惹かれ、より多くの者を屠らんと世界中に散ったのだ。

 彼等を縛る物は無く、また彼等が忠誠を誓う者達もすでにいない。

 自我の喪失と共に自由となった彼等はもう誰にも止められない。

 多くの者が殺戮を求めどこかへ移動していく中、この都市に残ったのはその巨体ゆえ移動が困難な者、あるいはその生態からこの天空城から離れまいとする者達。理性が失われ、思考が意味を為さなくなろうとも、生まれ持ったその性質は変わらない。その本質を体現するように、彼等は本能のままに行動する。

 

 こうなった以上、世界中に死が振り撒かれるのはもはや時間の問題といえよう。

 彼等を止められる者など、()()()()()()存在しない。

 

 

 

 

「ハァッ、ハァッ…! な、なんだこりゃぁ…!」

 

 クレマンティーヌがエリュエンティウへと再び戻ってきた時にはすでに都市の一部は廃墟と化していた。

 地面は抉れており、建物の多くが崩れ、もはや以前の街並みは見る影もない。

 生きている者はチラホラと見かけるものの、通りには山のような死体。川には大量の血が流れ、紅く染まっていた。

 この都市を襲った多くの者達。

 その姿を見るだけで生物としての格が違うとクレマンティーヌは理解していた。人類として強者の自分であろうとこの都市の人々と同じように何も出来ぬまま殺されるだろうと。

 やがてその者達の多くはこの都市からどこかへと姿を消した。

 とはいえその者達のいくらかはこの都市に残ったままだ。そのまま都市を襲い続けている。このままでは都市中が更地になるのも時間の問題であろう。

 そうなる前にとクレマンティーヌは死を覚悟してまでこの地獄に舞い戻って来たのだ。

 

「おいガキ共! どこだ!? 返事しろ!」

 

 瓦礫と死体の中を叫びながらクレマンティーヌが孤児院まで走り続ける。

 だが返事など勿論ない。それどころか周囲は悲鳴や鳴き声で溢れており、クレマンティーヌの叫びもその中へと消えていく。

 そして孤児院の元に辿り着くもすでに孤児院は無く、崩れ切った瓦礫と、そこに建物があったであろう事を証明するような基礎の部分だけだ。その瓦礫の隙間からは赤い何かが流れ出ていた。

 

「おいっ! いるのか! いたら返事しろ!」

 

 慌てて瓦礫をどかし続けていくクレマンティーヌの目に映ったのは体が潰れ原型を留めていない子供達の姿だった。

 

「っ…!」

 

 思わず息を飲んだ。

 昨日までシスターシスターとうざいくらいにクレマンティーヌに絡んでいた子供達がここで肉塊になっていたからだ。

 今まで散々殺しをしてきたし無残なものや残虐なものも見慣れていた。

 それなのになぜこんなにも動揺しているのか自分自身でも不思議だった。

 クレマンティーヌは混乱し、目の前の景色に呆気に取られながらもいくつかの仮説が頭の中によぎる。

 

 生きていてくれていると楽観視していたのかもしれない。

 あるいはこのクソガキ共を言うほど悪く思っていなかったのかもしれない。

 それともこの場所が気に入ってしまっていたのか。

 

 答えは否だ。

 クレマンティーヌにそんな甘ったれた感情等がある筈が無い。

 彼女が動揺した真実は彼女でさえ気づかぬ深層心理に触れた為だ。

 

 まだ小さく、法国にいた頃。

 ただ一人友達と呼んだ女の子が死んだ時の事だ。

 それはクレマンティーヌの人格形成に影響を与え、それが切っ掛けでクレマンティーヌはここまで歪んだと言ってもいい。

 しかしだからこそ、それはクレマンティーヌの中においては触れてはならぬ禁忌なのだ。

 殺しに明け暮れ、拷問に喜びを見出した彼女だが、未成熟な子供にだけは決して手を出す事は無かった。

 人道的な理由などではなく、思い出したくない自分の記憶に触れるが故だ。

 それが、不意に蘇った。

 

「……シスター、ですか…?」

 

 瓦礫の奥から声が聞こえた。

 声を頼りに、いくつかの瓦礫を掻き分けていくとそこには体が潰れた神父がいた。

 

「…あぁ、貴方は無事だったのですね…。私は、子供達を守れなかった…。あの都市を襲った何者かから逃れる為に孤児院の中にと隠れたのですが…、、まさか孤児院ごと潰されるとは思っていませんでした…。ところで貴方は…、貴方と一緒にいた子供達は…?」

 

「……! は、はぐれちまった…。戻ってないかと思ったんだが…」

 

 思わず口から出たのは取り繕う為の嘘。

 この後に及んで自分よりも子供達の事を気に掛ける神父の姿に少し引け目を感じたのかもしれない。

 

「…、そうですか。しかしもうこの都市は危険です…、すぐに逃げた方がいい…」

 

「ガキ共を探しに行けって言わねぇのかよ…?」

 

「はは、とてもそんな事態ではないのは分かっています…。この状況で行方の知れぬ子供を探しに行けなどとは言いませんよ…。貴方は何より自分の身が大事なのでしょう? もしかしたらそれが変わるかと思って嫌がる貴方に子供の世話を押し付けたりもしましたが…」

 

「てめぇやっぱり確信犯かよ」

 

「ははは…。でも本当の所は子供達が喜んでいたからですよ…。この都市で過ごしてみて分かったでしょう? 他の都市のように貧困や飢饉で苦しむ事などこの都市ではまずありません…。でもだからでしょうか…、生きる上での不安や恐れがないからこそ…、親がいないというのは彼等の心を酷く苦しめていたように思うのです…」

 

「……」

 

「都市の人々だって優しい…。困っていれば手を貸してくれるし、子供達が何か面倒を起こしても笑って許してくれる…。そういう意味では親のいない子供達に本心で向かい合ってくれる人などこの都市にはいなかったのかもしれません…。都市全体が生活に困っている訳ではないから他の都市や村のように労働力として子供を必要とする事もない…。この都市においてこの孤児院の子供達は何不自由しない代わりに…、誰からも必要とされていなかったんですよ…。一度、親に捨てられた子供達だからこそそれに敏感だったのかもしれません…」

 

「…何が言いたい?」

 

「貴方だけなんです…。親のいない可哀そうな子供達に正面から文句言ったり…、平気で用事を押し付ける大人など…」

 

「…悪口を言われてるようにしか思えねぇな」

 

「そうでもありませんよ…、正しい事だけを重ねても上手くいかぬ事など沢山あります…。少なくとも私は貴方からそれを学びました…。きっと子供達は嬉しかったんですよ…。小さいから労働力にならぬと、また常識すらも足りぬ子供だからと甘やかされる事もなく、平気で本心をぶつける貴方が…。よく言えば一人の人間として見られているように感じたのかもしれません…」

 

「はっ、私は面倒くさい事を全部押し付けてただけだ」

 

「そうですね…、しかしそれこそが私が子供達にしてあげるべき事でした…。気を使って取り繕ったり、誰よりも子供達を甘やかし、苦労しないようにと世話を焼いていたのは私なのですから…」

 

「……」

 

「だから…、ありがとうございます…。少しでも子供達を笑顔にしてくれて…。あぁ、シスター…、貴方の行く末に…、どうか神の御加護が、あらんことを…」

 

「お、おいっ! ジジイ!」

 

 クレマンティーヌが神父の体を揺するもすでに事切れており、もう何も反応しない。

 

「なんなんだクソが…、言いたい事だけ言って勝手に死にやがって…」

 

 文句を言いながらも周囲を見渡し、少しだけ冷静になるクレマンティーヌ。

 子供の多くはここで死んでいるものの、神父の言う通り一緒に買い物に出ていた数人の子供の姿が見えなかったからだ。

 すぐにクレマンティーヌはかつて都市の広場だった場所へと走った。

 もしかしたらまだ生きているかもしれないと願いながら。

 

 

 

 

 クレマンティーヌの願いは一瞬で打ち砕かれた。

 広場に向かう途中、道の隅で瓦礫に圧し潰された子供達の死体を発見した。まだ無残に殺され肉塊になっていないのが唯一の救いだろうか。

 悲しみと困惑と絶望が入り混じった形容し難い表情だった。

 一体、最後に何を想って死んだのだろうか。

 目線を落とすと、その手元には共に買い物した商品を大事そうに抱えていた。

 子供の体程もありそうな大荷物。こんなものを持っていてはまともに逃げ切れる筈もないだろうに。

 

『シスター! 待ってよ、この荷物どうするの?』

 

『…っ! わ、私は用事を思い出した! それはお前らでなんとか運べ!』

 

 それがクレマンティーヌと目の前の少女の最後の会話だった。

 

「馬鹿野郎っ…! 持ち切れない荷物なんて捨てちまえよっ…! なんで律儀に抱えてんだよっ…! そんな状況じゃねぇって誰でも分かるだろうが…! クソがっ…! 心底頭にくるイラつくガキだっ…!」

 

 物言わぬ少女の前で怒りをぶつけるクレマンティーヌ。それは少女になのか、それとも自分にか。

 少女の開いたままの瞳を閉じる為にそっと顔に手を添える。

 

 孤児院の子供達などクレマンティーヌにとっては五月蠅く邪魔なだけだった。

 きっと今でもそう思っているだろう。

 仮に今、再びジャレついてくる事があれば邪険に扱うに違いない。

 所詮はその程度の存在だ。

 情けなど沸いていないし愛着も無い。

 それなのに何故これほど心が逆立つのだろうか。

 

 時間をおいてやっと思考が追い付いて来ると、それが理解できた。

 

「……」

 

 しばらくして無言のままクレマンティーヌが立ち上がる。

 

 かつて兄と比べられ、家を見限った。

 かつて友を見捨てられ、国を見限った。

 

 そしてたった今、クレマンティーヌは世界を見限ったのだ。

 

 

 

 

 天空城の城門前。

 そこから眼下を覗き見るようにズーラーノーンが立っていた。

 この天空城が、そして世界が滅ぶのを心底楽しんでいるように。

 あとはこの天空城が完全に落下し、その全てが崩れ去ればズーラーノーンの願いは叶う。

 

 しかしその時、ふと後ろに何者かの気配を感じた。

 

「凄いねー、街がめちゃめちゃだよー」

 

 聞き覚えのある声だった。

 顔を向けるとヘラヘラとした笑みを浮かべながら歩み寄り、共にこの天空城から下を覗き見るクレマンティーヌの姿があった。流石のズーラーノーンもこれには驚く。

 

「なぜこんな所に貴様が…? どういう風の吹き回しだ? 次に合う時があれば殺すとあれだけ念を押しておいたのに、まさか俺の前に再び姿を現すとはな…」

 

 天空城が崩れ始めたとは言ってもまだその魔法陣は生きている。

 都市の魔法陣を通じてこの都市へ転移するのは十分に可能なのだ。むしろ守りのゴーレムのコントロールが失われているおかげで侵入事体はし易くなっているだろう。

 

「いやぁラッキーだったよ。途中であの化け物共に襲われたらどうしようかと思ったけどなんとかなるもんだねー。ま、向こうからしたら私もその辺の一般人と変わらないんだろうけどさー。おかげでコソコソとここまで来れたってもんだよ」

 

 ズーラーノーンの言葉など意にも返さぬような、むしろ聞いてすらいないような態度で馴れ馴れしくクレマンティーヌが語り掛ける。

 

「まさかどうにもならぬと思って今更俺の御機嫌取りにでも来たのか…? 無駄だ、愚か者めが。誰も助からん。もう俺の手に負える事体では…」

 

 ズーラーノーンの言葉の途中で、クレマンティーヌの顔からすっと笑みが消える。

 

「私の人生はさ、無くしてばっかりの人生だった。何もかもを失って、新たに手に入れたと思えたものさえ全部この掌をすり抜けていく。何も残らず、何も持っていない。それが私の人生」

 

「何の話だ? 何を言っている…?」

 

 クレマンティーヌの言動に首をかしげるズーラーノーン。しかし狂った女の戯言などに意味はないかと呆れ嘆息する。魔法で消し飛ばそうか等と考えていると再びクレマンティーヌが口を開く。

 

「酷い人生だった。残ったのは命だけでそれを守ろうとひたすら逃げた。でもさ、また手に入れちゃったんだよねー。苦しむくらいならもう何もいらないって思ってたのにさ。気付いたらこの手の中に収まってるものがあったんだ。別に望んだ訳じゃないのにね。迷惑な話だよ」

 

 自嘲気味に一瞬笑みを浮かべるクレマンティーヌ。

 だが次の瞬間それは憤怒へと変わる。

 

「盟主てめぇ、よくもやってくれたなー…。都市がこうなったのも全部お前が仕組んだ事だろう? そのせいで街は大混乱。孤児院も酷い目に遭った。何人死んだと思ってやがる」

 

 ズーラーノーンに瞳があるならば、まさに目を丸くするという表現が適切だっただろう。

 面食らったように驚いた後、しばらくして吹き出した。

 

「クハハハハハハハハ!!! お前が人の死を語るか! あれだけ殺し尽くしたお前が! あのクレマンティーヌが! あれだけの鬼畜が人を殺されて怒るか! 殺された者達の仇討だとでも!? とんだ偽善だ! 殺された奴らが喜ぶとでも言うつもりかぁぁ!?」

 

 心底愉快だというように盟主が笑う。

 クレマンティーヌを知る者からすれば笑わずにはいられないだろう。

 

「ちっ、うっせーな。心底笑えて滑稽だし、何より我儘だって分かってるよ。でもそれの何が悪い? 私はずっと自分の為だけに生きてきた。他人なんか知るか。クソして死ね。私の中じゃ私が神様で絶対なんだよ。反省なんてするかボケが。今も昔も他人の事なんて気にもしねー。私は好き勝手に楽しく生きるだけだ。どこで誰が野垂れ死のうと関係ないね。むしろ人の死なんて嘲笑ってやるよ。被害者の家族に会ったら笑いながら傷口に塩でも塗ってやるさ」

 

 それはまさしく本心だ。

 クレマンティーヌの中に優しさなどこれっぽっちも存在しない。

 

「でもなぁ盟主。あんたのせいで死んだ孤児院のガキ達はなぁ、そんなんじゃねぇ…! 私が面白おかしく生きる為に必要な駒だったんだよ…! 仇討? そんなこと興味もないね。あいつらの気持ちなんて知らねぇ。汲んでやる気もねぇ。私がしたいのはさぁ、私の持ち物を、私の世界を壊したクソ野郎を気が済むまでブチのめすって事だよぉぉおお!!」

 

 獣のように吠えながら突如ズーラーノーンへと襲いかかるクレマンティーヌ。

 怒りに支配されたクレマンティーヌは命の危険も顧みず、己よりも強い絶対強者へと挑む。

 恐らく死ぬだろう。

 でもいいのだ。彼女は自分の世界という何よりも大事な物を汚されたのだから。失ったものに比べれば、残っている己の命などもはや軽い。故にもうこの世に未練は無い。後はただ命を燃やし、抗い復讐する事が望みだ。

 心底憎い者がのうのうと生きている事を知りながら、それを放置する事など出来ない。

 怒りと憎しみで心が耐えきれないのだ。

 この身などどうなってもいい、ただ最後まで好き勝手に生きるだけだ。

 結局、全ては自分の為。

 究極のエゴイスト。

 

 それが、クレマンティーヌという女だ。

 

 

 

 

「<肉体向上>! <肉体超向上>! <能力向上>! <能力超向上>! <脳力解放>…! <脳力超解放>ォォオオ!」

 

 複数の武技の重ね掛け。

 それにより肉体のリミッターが外れ、己の筋繊維が、内臓が、骨が、細胞が悲鳴を上げる。

 血液が全身をありえぬ速度で駆け巡り、沸騰したように熱く煮える。

 血管がその圧力に耐えきれず、目や鼻など粘膜の弱い部分から大量の血が溢れ出す。

 筋肉はもちろん、全身の温度が爆発的に上がり息をする度に蒸気のような煙が口から吐き出される。

 

 同系統ならともかく、違う系統の強化武技の使用は推奨されていないし行う者もいない。

 なぜなら単純に己の肉体が耐えきれず、自滅する事になるからだ。

 だがクレマンティーヌは躊躇しない。全ての向上系に<脳力解放>という単体ですら体に深刻なダメージを齎す武技を重ね掛けしているのは無謀だ。カッツェ平野や竜王国の時など比べ物にならない程の負担、消耗。

 これにより肉体だけでなく脳内の処理も加速し、まるでスローモーション、いや時が止まったのではないかと錯覚する程の世界へクレマンティーヌは足を踏み入れる。

 

『クッキー焼いてあげる! 私得意なんだよ!』

 

 その時、まるで一種の走馬燈のように脳内に子供達の様々な記憶がフラッシュバックする。

 

『待て待て、遊んでやりたいのは山々なんだが洗濯が…』

 

『皆で手伝うよ! そうしたらすぐに終わるよ!』

 

 都合の良いガキ共だった。

 孤児院においてクレマンティーヌのやるべき仕事を全て押し付けても文句も言わなかったのだから。

 料理だって文句を言えば次はクレマンティーヌの好きそうなものを準備していた。決して美味いと呼べる代物では無かったがそれは時間が解決しただろう。最初から完璧な仕事を出来る者などいない。

 今はまだまだウザいだけのクソガキだが、あのまま成長していればいつかはクレマンティーヌの優秀なご機嫌取りになるかもしれなかったのだ。

 今になってそれに気付いた。

 いつだって大事な物は失ってから気付くものなのだ。

 もちろんいつか愛想を尽かされる可能性は十分に高いがそれを考えるのは野暮というものだ。

 

「<疾風加速>! <疾風走破>!」

 

 肉体の能力を向上、そして解放した上でさらに速度を上げる武技を発動する。

 特に二つ目に発動したのは己の二つ名ともなっているクレマンティーヌのオリジナル武技。

 彼女だけが到達し、また他の人類を置き去りにする最速の武技。

 

「おぉぉおおっ!?」

 

 ズーラーノーンの口から驚愕の悲鳴が漏れた。

 彼の知るクレマンティーヌはこれほどに速くない。いくら速いと言っても所詮は人間。しかもレベルにすれば倍以上の開きがあるズーラーノーンからしてみれば恐れるに足らない相手だった筈なのだ。

 それなのにも関わらず、クレマンティーヌの速度はズーラーノーンの知覚を、超えた。

 肉体の強化に次ぐ強化、そして解放を重ねた上での加速。

 ギャンブルのルーレットにおいて番号をピンポイントで指定するように、あり得ぬ倍率でクレマンティーヌの身体能力が強化されていく。

 

 クレマンティーヌは一瞬でズーラーノーンの懐に潜り込み、腰に下げたメイスでもってその脇腹を殴打する。

 

「あがぁぁっ!」

 

 ズーラーノーンの肋骨が砕け、数本が飛散する。

 もちろんクレマンティーヌの攻撃がそれで終わる筈も無い。突進力がまだ生きている内に体を回転させズーラーノーンの体を蹴り飛ばす。これもズーラーノーンの芯に響き、いくつかの骨にヒビを入れた。

 蹴りで吹き飛ばされながらもズーラーノーンは必死で思考する。

 

(馬鹿なっ…! 速すぎる…、俺の知覚を追い抜くだとっ…! ただの人間如きがこんな…!)

 

 即座に<飛行(フライ)>で距離を取り、空中へと逃げる。その最、<火球(ファイヤーボール)>をクレマンティーヌのいた場所目掛け連射する。

 が、すでにクレマンティーヌはその場所にはいない。

 

「なっ…!」

 

 周囲の城壁を駆け上り、ズーラーノーンより先に空中で待ち構えていた。

 

「くっ! <龍雷(ドラゴン・ライトニング)>!」

 

 回避が困難な雷の魔法で迎撃しようと魔法を放つズーラーノーン。しかし。

 

「<知覚強化>! <流水加速>!」

 

 迸る雷の流れを読み切り、回避するクレマンティーヌ。

 そのまま空中でメイスを振り下ろし、地面へとズーラーノーンを叩き落す。

 

「ごぁああっっ!」

 

「<即応反射>!」

 

 瞬時に武技を発動し態勢を立て直すクレマンティーヌ。そして重力に身を任せ、そのまま地面にいるズーラーノーンへと突進の構えで落下する。

 

「馬鹿がっ! <電撃球(エレクトロ・スフィア)>!」

 

 いくらクレマンティーヌであろうと落下中に魔法を避けるのは不可能だ。その隙を突けた事にズーラーノーンがほくそ笑む、が。

 

「<痛覚鈍化>ァ!」

 

 覚悟していたとばかりに武技で痛覚を鈍らせるクレマンティーヌ。完全にダメージは受けたものの、それにより怯む事なくズーラーノーンへ追撃を放つ。

 

「あがぁあああぁっっ!」

 

 重力により体重を乗せたクレマンティーヌの突きがその身体へと突き刺さる。突きはアンデッドとは相性が悪いものの、ズーラーノーンの左腕を完全に粉砕した。肩口から大きく抉れ、体から離れた左腕が無残に飛んでいく。

 

「き、貴様ぁぁぁ! クレマンティィィーッヌ!!!」

 

 そのままクレマンティーヌがズーラーノーンの体に馬乗りになる。この状況は流石に分が悪いと判断したズーラーノーンが、自傷覚悟で魔法を放つ。

 

「<衝撃波(ショック・ウェーブ)>! <善なる極撃(ホーリー・スマイト)>!」

 

 光の柱がクレマンティーヌとズーラーノーンへと降り注いだ。

 直前の<衝撃波(ショック・ウェーブ)>により、空中へと投げ出されていたクレマンティーヌは回避する事が出来ずズーラーノーンと共に光の柱による一撃をまともにその身に受けた。

 悲鳴を上げる間もなく意識が一瞬で白に染まり、受け身も取れずにボトリと地面へと落ちるクレマンティーヌ。先ほどまでの勢いなど嘘のように横たわり、ピクリとも動けずにいた。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ! ク、クレマンティーヌがぁぁあ…! ざ、雑魚の分際でここまで俺の手を煩わせるとはぁ…!」

 

 同時に少なくないダメージを自ら受けたズーラーノーンがヨタヨタと立ち上がる。

 天空城の玉座の間での戦いが無ければいくらでも手段はあった。しかしあの戦いにおいて魔力の多くを消費したズーラーノーンにそこまでの余裕は無かったのだ。

 魔力の残りを考えると連発は出来ず、数多の魔法で圧し潰すのは不可能だった。確実に当てていかなければ先に魔力が尽きてしまうからだ。

 

「こ、殺す…! お、お前は…、ここで確実に殺しておかねばならん相手だ…!」

 

 殺意を剥き出しにし、倒れたクレマンティーヌの元までふらつきながらも近づいていくズーラーノーン。すでに死んでいるだろうが念には念だ。決して外さぬよう、また至近距離からの最大火力で完全にクレマンティーヌの死体を跡形も残らぬように消し飛ばす為だ。

 だがこの場においてズーラーノーンはクレマンティーヌに対する認識が間違っていたと思い知る。

 カルマ値が低い相手程、威力を発揮する<善なる極撃(ホーリー・スマイト)>。

 神聖属性を持つためアンデッド系にはさらに効果が高い。とはいえカルマ値さえ低ければどんな種族であろうと十分な効果を発揮する筈なのだ。

 

「…そっちから近づいて来てくれるなんて嬉しいよ」

 

 ズーラーノーンが近づくと同時に跳ね起き、武器を構えるクレマンティーヌ。

 その表情は狂ったような笑みに染まっていた。

 

「なっ! あ、あれを喰らって動けるだとっ! そんな筈が…! くっ! <石筍の突撃(チャージ・オブ・スタラグマイト)>ッッ!」

 

 反射的に後ろに下がり魔法を放つズーラーノーン。

 地面からいくつもの尖った石筍(せきじゅん)が飛び出しクレマンティーヌ目掛け襲いかかる。

 

「<不落要塞>! <縮地>!」

 

 武技により完全に防御した後、再び武技を発動しズーラーノーンまでの距離を一気に詰める。

 ズーラーノーンの顔は間違いなく驚愕に染まっていた。

 

「あっはっはっは! 良いねー! 良い表情だ盟主! それが見たかった! 自分よりも格下に! 自分が絶対に負けぬと断じている相手に追い詰められ困惑する奴の顔だ! 竜王国のビーストマン共を思い出す! 身の程を理解せず、自分が負ける訳がないと信じ切っている愚か者の顔だ! そんな奴を挫くのは最っ高だねぇぇえ!」

 

 目や鼻から大量の血を流し、また口からは蒸気にような煙が大量に吐き出される。

 もはや人には見えぬ異様な姿でクレマンティーヌが狂ったように笑い続ける。

 失ったモノなど全て忘れたかのようにこの愉悦に身を任せ、今を生きる狂人の姿がそこにある。

 

「くたばれ盟主…! <戦気梱封>! <限界突破>! <強殴><穿撃><斬撃>!!!」

 

 武器に戦気を込め、魔法武器のようにエンチャントする<戦気梱封>。

 さらに代償と共に一瞬だけ武技の同時発動の限界を引き上げる<限界突破>。

 それにより複数の攻撃武技を同時に叩き込むクレマンティーヌ。

 だがまだ終わらない。

 

「<剛撃>! <剛腕剛撃>! <神技閃穿>んんん!」

 

 武技のダメージを上げる武技を発動し、己の最強技を繰り出す。

 本来は腰を低く構え、十分なタメを要し、なおかつ全身全霊を持って放つ究極の突進技。自分の得意なスタイルを昇華し、さらに凶悪にした一撃だ。しかし身体能力が本来の数倍にまで跳ね上がっている今のクレマンティーヌならば一瞬のタメで発動には十分だった。

 

 一瞬の星の煌めきのように、閃光が走ったようにズーラーノーンには見えた。

 何が起きたか分からず、体を襲う激痛と共に僅かな浮遊感に支配される。アンデッドの身である為、痛みそのものはすぐに抑えられるが困惑は別だ。いくら感情が抑えられるとは言っても疑問は解決しない。

 何が起きたのかも分からぬまま、ズーラーノーンはその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

「あがぁぁ…! うぅぅぅううううう……」

 

 胸に大きな穴が穿たれ、上半身と下半身は別れを告げた。

 今のズーラーノーンにあるのは半分程の頭部と肩、そして右腕のみだった。魔力は尽き、自立する事も出来ぬまま、その場に倒れている。

 今ならば一般人にすら抗えぬ状況だ。にも関わらずクレマンティーヌにトドメを刺される事も無く生き永らえている。

 それはなぜか。

 クレマンティーヌはズーラーノーンの目の前で倒れているからだ。

 

 あり得ぬほどの武技の重ね掛け、さらには全力の<神技閃穿>により限界を超えていたクレマンティーヌの肉体は決壊し、技の発動と共に力尽きた。

 糸が切れた人形のように倒れ、もはや呼吸音すら聞こえない。

 

 試合という定義ならばクレマンティーヌの勝ちだろう。

 しかし勝負という意味ならばズーラーノーンの勝ちと言えるかもしれない。

 結果としてクレマンティーヌはズーラーノーンにトドメを刺すまでは至らなかったのだから。

 

「ククク…! ハッハッハハ! まさか…! まさかこんな所で終わる事になろうとは…!」

 

 自嘲に満ちたズーラーノーンの笑いが響く。

 もはやズーラーノーンには立ち上がる力さえ無い。その魔力が回復する時間も無く、この天空城は崩れ落ちるだろう。

 

「これも運命か…。まぁいい…。この体で良くやった…、よく届いたものだ…。そう思うだろう…皆」

 

 誰かに語り掛けるようにズーラーノーンが口を開く。

 だが周囲には誰もいない。

 

「最後まで見れないのは心残りだ…。この天空城の最後を目にしてから皆の元へ逝きたかったんだがなぁ…」

 

 クレマンティーヌという取るに足らない弱者に最後の最後でズーラーノーンは足を掬われた。

 それは非常に悔しく、口惜しいが今となってはもうしょうがない。

 諦念と共にズーラーノーンは現実を受け入れる。

 

 何より、当初の目的は完遂しているのだ。

 ズーラーノーンの勝利は揺るぎなく、後悔などどこにも無い。

 ただ欲を言えば、天空城の終わりをその目で直接見たかった。ただそれだけだ。

 

 ギルド武器が破壊され崩壊の始まった天空城。

 それはどんどんと広がっていき、やがて城の外壁の一部が大きく崩れ始める。だが全てが崩壊し天空城が大地に落ちるまでまだ時間がかかるだろう。

 その頃にはズーラーノーンはとっくに死んでいる。

 だがもういいのだ。

 天空城の崩壊、その事実こそがズーラーノーンにとって最も大切な事だからだ。

 

「はははは! 崩れる! 全てが! 憎き八欲王共の夢の跡! 奴等の痕跡などこの世界のどこにも残さない! 見てるか、皆…! お前達が残したNPCを…! 何よりも掛け替えのない存在を汚した者共の…! 俺達の全てを冒涜した奴等の残したものの成れの果て…! それが終わりを告げるぞ!」

 

 城から崩れ落ちる瓦礫がズーラーノーンに降り注ぐ。

 近くにいたクレマンティーヌも巻き込まれ、圧し潰されていく。

 

 だがこの状況において、その身に落ちてくる瓦礫から逃げようともせず全てを享受するズーラーノーン。

 それは諦めているからなのか、いや、嬉しいからだろう。

 

 ズーラーノーンを名乗り、組織を立ち上げたのも今日この日の為だ。

 それだけが彼の望むものだった。

 その為なら全てを犠牲にしても構わない。

 愛も友情も何もいらない。

 己の命にも、世界にすら何の興味も無い。

 

 復讐。

 

 ありきたりだがそれだけが彼の全てだった。

 それが今、成就した。

 やがて天空城は墜ち、この世界から姿を消す。

 もう思い残すことなどない。

 八欲王に殺され、儀式によって復活してからもずっと姿を隠し逃げ続けた負け犬。

 そんな彼が、最後の最後で願いを叶えた。

 

 かつて神官ズーラーノーンが『神降ろし』の儀を用いてその身に降ろした神。

 その神は間違いなく彼が望んだ存在であった。

 人類を救いし六柱の神が一人。

 だが、その神はすでに壊れていた。

 八欲王に殺され、仲間達と築いたギルドも崩壊したその時に。

 今ここにいるのは人類を救い導いた偉大なる神ではない。

 ただの復讐鬼、怨念の塊。

 

 崩れ落ちる瓦礫に飲み込まれ、アンデッドとして偽りの生が失われ、その存在がこの世界から消え去るまで――

 

 

 スルシャーナは笑い続けた。

 

 

 

 

 

 御伽噺に謳われる十三英雄。

 

 彼等は二百年ほど前、魔神によって滅ぼされかけた世界を救った英雄として語り継がれている。

 特にそのリーダーについては諸説あり、様々な憶測が流れるも推測の域は出ず、その真実を知っているのは仲間である十三英雄の中でもごく一握りの者だけであった。

 

 そのリーダーが歴史に登場したのはいつからだっただろうか。

 仲間である十三英雄の者達の話でさえ、異世界から現れたとも田舎から出てきた勇者見習いだとも語られその素性は一環していない。

 

 その真実を知るのはツアーやリグリットを含む、ごく一部の者だけだ。

 彼等でさえその真実を知った時には驚きを隠せなかった。

 真実を知った仲間達はリーダーを非難し糾弾した。中には裏切られたと叫び、リーダーを殺そうとする者まで現れた。しかし結局はリーダーがいなければ魔神の討伐は難しいという結論に至り、暴挙に出る者はいなかったが。

 流石にこれが広まるとまずいと判断したのか、その話はその時に真実を知った者のみで秘匿される事となった。これは今でも極秘情報とされ、知る者達も一切口には出していない。

 

 はっきり言うならば、リーダーは英雄等では無かったのだ。

 むしろ彼こそが魔神誕生の原因と言ってもいい。

 

 そもそもなぜ魔神は生まれたのか。

 彼等はどこから来て、何を目的としていたのか。

 

 彼等はかつて六大神と言われる神々に付き従う従属神だった。

 六大神とはかつて人類を救ったとされる神々である。この世界を支配していた竜王達とも争いにならずツアーとは取引を行った事さえあった。

 その六大神の一人に死の神と呼ばれる者がいた。

 彼だけは寿命が無く、他の五人がこの世を去った後もこの世界にあり続けた。

 

 そして六大神がこの世に現れてから百年後、八欲王と呼ばれる者達がこの世界に現れる。

 彼等は世界を支配していた竜王達との抗争し勝利すると、その絶大なる力でこの世の全てを支配したと伝えられている者達である。

 それは六大神も例外ではなかった。

 ただ一人残った死の神は八欲王と争いになり、殺された。

 その時に拠点も破壊され、地の底に沈められたのだ。

 

 しかしやがて八欲王達は、欲深く互いの物すら奪い合って滅んだとされている。

 

 概要としては正しい。

 死の神は八欲王に殺され、その拠点すらも破壊されたのだ。

 この時に六大神に仕えていた従属神達は魔神となった。

 しかしなぜ彼等はその後三百年程も姿を現さなかったのか、いや正確には現わせなかったというべきだろう。

 八欲王の力によって拠点ごと地の深くに沈められた従属神たち。

 魔神となった後もずっと地の底に居続けた。

 自我を失った彼等は大地を掘り進めてまで地上に出る事はなかった。自我を失い本能のままに生きるようになったからこそ、ある一定距離まで近づかれなければ反応しなかったのだ。

 

 だがある時、六大神の伝説も薄れ、その場所に国を作ろうとした者達がいた。

 それがきっかけだった。

 その地に何万もの人々が集まり、地を掘り、建物を建てた。

 そうして、魔神は目覚めたのだ。

 

 魔神の猛威が世界中に広まり、世界を滅ぼしかけた時だった。

 これも偶然に過ぎないが、都市や村が吹き飛び、国が滅んだ時、そのどさくさであらゆる武器やアイテムが流出した。大した事の無い物から、かつて神と呼ばれた者達が所持していたものまで。

 そのアイテムの一つがただの村人の手に渡った時があった。

 使い方も知らぬまま、己の身に危険が降りかかったその時に村人はアイテムを使用してしまった。

 それはユグドラシル産の蘇生アイテム。

 

 生き返ったのはロストするまで殺し合った筈の八欲王の一人。

 正確に言うならば、一人だけロストするギリギリ手前で死んでいたと言うべきだろう。

 そんな彼がこの世に再び生を受けたのは偶然だ。嘘のような確率で偶然が重なった末の産物。

 

 訳も分からず蘇生された彼は世界の惨状を知った。

 後にそれが自分達が殺した六大神のNPCだと知る事になる。

 

 八欲王は仲間と殺し合う時、自分達の大事なNPCを失わぬようにと閉じ込めた。

 正確にはNPCがいても争いは大きくなるばかりで意味はないと判断したのだが。 

 

 なぜ自分達はああも争ったのだろうと彼は考えた。

 皆、苦楽を共にした大事な仲間だった筈なのに。

 

 この世界に転移し、強さに溺れた。

 手に入らぬモノなどなく、この世界を支配する竜王達を倒した後は望むがままだった。

 現実では辛く苦しい想いばかりだった。

 現実から目を背け、最後までゲームに逃げていた彼等はこの世界で全てを手に入れたのだ。

 

 だからこそ歯止めが効かなかった。

 何かを手に入れると別の物が欲しくなる。もっと欲しくなる。もっと、もっと。

 欲望に際限は無く、己の身が滅ぶまでそれは肥大したのだ。

 

 この世に再び蘇った彼はもう以前の力は無く、無力なただの青年だった。

 だからだろう。

 あれだけこの身を焦がした欲望はもう無く、胸にあるのは後悔のみ。

 思い出されるのは大事な仲間達との楽しい記憶、そしてそんな仲間達と殺し合う忌まわしき記憶。

 

 悔やんでも悔やみきれない。

 最初は()()()()()()()()()()()()()()()()()からだった筈なのにどこで間違えたのか。

 

 彼はこの世界の惨状を真摯に受け止めた。

 彼とその仲間の手により、六大神は死に、そのNPC達が魔神となった。

 

 だからこれは贖罪なのだ。

 

 罪を償う為に、彼は魔神を討伐する事を決意したのだ。

 命を奪った死の神に許されるとは思わないがそれでも出来る限りの事をすると。

 もう一度、世界を救うのだと。

 

 だが彼はあまりにも弱く、無力だった。

 だからこそ仲間を集い、修行し、力を蓄えた。

 最後には己の拠点だった天空城にまで足を延ばし、大事なギルド武器を持ち出した。

 本当は行きたくなかった。

 天空城はかつての栄光が残る場所であり、仲間達との思い出の場所だから。

 それに自分のNPCならともかく、仲間のNPCとは戦いになるかもしれない。下手をすると自分のNPCさえその忠誠心からどんな行動に出るか分からないのだ。故に彼はこの天空城に必要以上に関与する訳にはいかなかった。

 

 そうして魔神を倒し、全てが終わった後、彼は十三英雄の仲間達に真実を話した。

 

 自分こそが八欲王で、魔神は自分達こそが生んだのだと。

 

 誰もが彼を新時代の英雄だと思っていた。

 十三英雄のリーダーとして皆を率い、世界を救った大英雄。

 

 だが真実は、彼は世界を救ったのではなく、自分の不手際による後始末のために行動していたに過ぎないのだ。

 彼が存在しなければこの魔神騒動も起こらなかった。

 魔神によっていくつもの国が滅ぼされることも無かったし、十三英雄の仲間達も大事な人を失わずに済んだのだ。

 

 そうして彼は非難され、糾弾され、口汚く罵られた。

 

 いつしか彼は表舞台から、十三英雄の仲間達の前から姿を消し、誰の目にも付かぬところで自害した。

 

 十三英雄の仲間達から非難され糾弾されたからではない。

 最初から決めていたのだ。

 贖罪の為にと魔神達を滅ぼすまでは戦ったが、それが限界だった。

 かつての大事な仲間、八欲王。

 彼等と殺し合い、また彼等を失ったこの世界で彼が生きる意味は無かった。

 巨大な罪悪感に圧し潰されながら生きて行く事など不可能。

 蘇生されてから満足に眠れた事など無かった。

 ずっと苦しく、胸が張り裂けそうで、叫び出したいほどに狂いそうだった。

 そんな彼を辛うじて繋ぎ止めていたのはまさに贖罪の為だった。

 それが終わった今、彼はもう正気を保てない。

 大事な仲間を殺した事を悔やみながら、彼はこの世を去ったのだ。

 

 その後に冷静さを取り戻した十三英雄の仲間達が彼を蘇生しようと試みたが彼が蘇生に応える事は無かった。

 

 一度は世界を支配し、その全てを手に入れた八欲王。

 

 真実とその惨めな最後が歴史の表に出る事は無かった。

 

 

 

 

 スレイン法国。

 

 その最奥には一体のアンデッドがいる。

 国の極秘事項であり、極一部の者しか知らない存在だ。

 

 そのアンデッドは六大神の一人である死の神スルシャーナの従者だ。

 なぜこの従者だけが他の従属神のように堕落し、魔神とならなかったのか。

 それはこの従者がNPCではないからという一点に尽きる。

 

 元々スルシャーナは従属神たるNPCを持っていなかった。

 ならばここにいる従者は何者なのか。

 

 この従者の存在はスルシャーナすら忘れているだろう。

 まだ元の体であり、ズーラーノーンと名乗る前。八欲王に殺される前の正真正銘のスルシャーナの手により創造された召喚モンスターの一体だからだ。

 

 故にギルドの崩壊によるNPCの暴走に巻き込まれる事は無かった。

 しかし悲しいかな――

 召喚モンスターである彼は、ゲーム時代の基準から考えれば創造主が彼に愛着など持つ筈も無いのだ。

 なぜなら数多く存在する、あるいは何度でも代えの効くただの消耗品としての側面が強かったからだ。

 この世界において召喚された彼はNPCと同じく自我を持ちスルシャーナに絶対の忠誠を誓っていた。

 そんな中、彼はたまたま八欲王との闘いから生き延びた唯一のアンデッドだった。

 彼は今日までスルシャーナの最後の言葉を愚直に守り続けてきたのだ。

 彼が八欲王に殺される間際に放った「お前は仲間達の作ったこの国を守ってくれ」その言葉にただただ縋りながら。

 スルシャーナからしてみれば深い意味は無かった。

 とりあえず召喚したモンスターに自分が不在の間、一応拠点を守らせる程度の認識だった。

 だからこそすぐに彼の存在を忘れた。

 もし覚えていたならば、というよりまだ存在している事を知ったならズーラーノーンとなった後も彼を回収し計画の一部に練り込んだだろう。

 しかしそうはならなかった。

 スルシャーナの頭からは彼の事などすっぽり抜け落ち、しかし彼はただただその言葉のみを頼りに。

 

 だがそれも終わりの時がきた。

 

 天空城が崩壊し、その崩落に巻き込まれスルシャーナが滅んだ時、彼も運命を共にするのだ。

 すでに彼のその身体のほとんどは崩壊し、塵となり崩れ去っている。

 彼をかろうじてこの世に繋ぎとめておいた絆が消え去った事をこの体が証明しているのだ。

 召喚モンスターは創造主の死でも滅ぶのだから。

 

 元々、なぜスルシャーナは神降ろしの儀でこの世に降臨する事が出来たのか。

 それは彼がかつてこの世界の人々を蘇生した時に感じた魂という存在のコントロールにまで手が届いていたからだ。

 自分が死んだ際、その魂をこの世界に定着させロストしないようにする術式。

 それは酷く不完全で、やがてその魂も自然に消えてしまうものだっただろう。

 しかしスルシャーナは魂のコントロールたる深遠の一旦にまで触れたのだ。

 そこにズーラーノーンが現れた。

 そしてこれもまた未完成ではあったがスルシャーナの魂はズーラーノーンの儀式に反応したのだ。

 つまり、スルシャーナという存在はずっとこの世界にあり続けたのだ。

 その後ズーラーノーンという器にスルシャーナが身を宿してしまったが故に、魂は存在するものの、肉体的にリンクが繋がらない状態。つまりは互いに知覚する事が不可能という厄介な状態になってしまっていたのだ。

 もちろん事情を知らぬ彼はスルシャーナはどこか遠い地に行ってしまわれたのか、あるいはどこか遠い所で眠り続けているのではないかと予測していたのだが。

 以上が彼と創造主とのリンクが切れず辛うじてだが存在していた理由である。

 

 だがもうそれも消え去った。

 これも彼のあずかり知らぬ事だが今のスルシャーナには魂をこの世界に定着させる程の魔力が残っていなかったのだ。

 故にスルシャーナは完全に消滅し、死んだ。

 

 経緯は知らぬものの、主の死を悟った彼は酷く悲しく、またやるせなかった。

 本心では気付いていたのだ。

 主は自分の事などとっくに忘れていると。

 だからこそ無念の想いが胸を支配する。

 自分は主の役に立てなかった。

 その想いにこの何百年間もただ一人で耐えてきた。

 もしかしたらいつか主が帰って来てくれるのではないかと。

 しかし彼の願いは叶う事はなく、その全てがここで消え去る。

 

 だが無能な自分を恥じつつも、少しだけ、ほんの少しだけだが彼は救われたとも思っていた。

 やっと終わりがきたのだと。

 

「あぁ、我が偉大なる主、スルシャーナ様…。願わくば、もし来世があるならば…、どうか私もお側に…。今度、こそ…お役に…、永遠の、忠誠…を…」

 

 誰にも聞かれる事なく、彼の言葉は掻き消えた。

 体は全て塵となり、後には何も残らない。

 彼は救われる事は無かった。

 そしてそれを誰よりも自分が理解し、受け入れていた。

 だからこそ存在しない筈の願望に縋ったのだ。

 それは彼がこの世界で唯一、主以外の者から学習した事だったからだ。

 

 希望。

 

 それは人間という脆弱な種が困難にあらがう為の、また、絶望から目を背ける為の空想の産物。

 だが時としてそれは驚くほどに様相を変えて彼の瞳に映った。

 

 まるで強大な魔法のように。

 

 

 

 

「少し昔話をしましょうか」

 

 空中を移動しながら、召喚した鳥のようなモンスターの背に仰向けに寝ながら海上都市の彼女が口を開いた。

 

「な、なんじゃ急に!?」

 

 突然の事に横を<飛行(フライ)>で並走しているリグリッドが驚いた声を上げる。

 

「なんでそんなに驚くんですか。というか力を貸せって何度もうるさいじゃないですか…。ずっと協力しないって言ってるのに…。せめてこっちが話をすればその間だけでも静かになるかなぁと…」

 

 感情の籠もらぬ声で彼女が言う。

 リグリットの説得があまりにもうるさいので彼女なりに考えた案だった。

 

「なるほど、何か対策を授けてくれるという事じゃな?」

 

「話を聞いていましたか? 昔話って言ったんですよ。なんで対策になるんですか」

 

 やれやれと嘆息する彼女。

 

「まぁいいです、勝手に話しましょう。何がいいですかね…、やはり竜王達と八欲王の戦いでしょうか…。恐らく貴方がツアーに聞いても答えてくれないでしょうし…」

 

「む…、それは先程お主が言っていたツアーの隠し事と関係のある話かの?」

 

「隠し事…、というと少し意味合いが変わりますかね…。意図して説明していない、あるいは出来ないと言う方が正確ですかね。少なくとも悪意を持って貴方に嘘を吐いているというニュアンスではありませんよ」

 

「もしかして十三英雄の…、リーダーの事を言っているのか…? あ奴の正体の事なら儂も…」

 

「その事じゃありませんよ。いや、まあ八欲王の話になるので彼の話という点は合ってるんですがね。十三英雄を率いた彼の正体などわざわざ勿体ぶって話す程の事じゃないでしょう? 第一、その時から生きている貴方なら知っていると予測がつきますし」

 

 リグリットには彼女の表情が読めない。

 退屈なのか、動揺しているのか、楽しんでいるのか、何の表情も彼女の顔には浮かばないのだ。

 今だって嫌々話しているのか、それとも話したくて話しているのか何も分からない。

 

「しかし貴方はツアーからどこまで話を聞いているんでしょう? 評議国から動けない理由は知っていますか?」

 

「それは八欲王の、リーダーから貰い受けたギルド武器を守る為であろう? あんな縛りさえしていなければ奴はこの世界で最強の存在なのにの…」

 

 リグリットの言葉に彼女がふうと溜息を吐く。

 

「あぁ、やはりそこからですか。まあ当然でしょうか、始原の魔法(ワイルドマジック)について詳しく語る訳にもいかないでしょうし…」

 

「な、何を…。ギルド武器と始原の魔法(ワイルドマジック)に何の関係が…」

 

「関係ないですよ。関係ないからこそギルド武器を守る為というのは良い言い訳を考えたなと思います」

 

 困惑するリグリットに構わず彼女は続ける。

 

「そもそも始原の魔法(ワイルドマジック)とは何なのか。これのせいで竜帝…、ひいてはプレイヤーとの諍いが始まります。正確には八欲王との、と言うべきでしょうか」

 

 そうして彼女が説明を始める。

 それはリグリットの理解を超えるものであり、また受け入れがたい物でもあった。

 歴史がひっくり返り、また八欲王への認識が変わるものであったのだから。

 

 

 

 

 始原の魔法(ワイルドマジック)

 一言で言うならば生命力を使用して放たれる魔法である。

 生命力と言っても寿命という意味ではなく、体力、よりゲーム的に言うならばHPを消費すると言えば分かり易いかもしれない。

 それに対して位階魔法、これは魔力、つまりはMPを消費して行使されるものだ。

 

 魔力であれば尽きてしまえばもう使えない状態になるだけだが始原の魔法(ワイルドマジック)であれば違う。

 生命力を行使する以上、限界まで使用すれば死んでしまうのだから。

 故に竜王という並外れた生命力を持つ種族しか満足に使う事が出来ない魔法だった。

 

 彼等は我が強く、長い間お互いに争っていた。

 他種族ならともかく竜王同士の戦いでは限界まで始原の魔法(ワイルドマジック)を行使する事も珍しくなく、殺されるというよりも始原の魔法(ワイルドマジック)で自滅する者も多かった。

 

 その時、誰かが気付いたのだ。

 生命力が足りないのならば他から持ってくればいいのだと。

 

 これによって竜王による世界の支配が始まった。

 

 支配とは言っても統治している訳ではない。この世界を我が物顔で闊歩し、自由きままに他種族を蹂躙するという意味だ。

 始原の魔法(ワイルドマジック)を使用する為に他種族の命を奪う。

 戦いの動機のほとんどはくだらぬものだ。

 一体の竜王が他の竜王の口の利き方が気に入らんと言ってとある種族の命を奪い魔法を放つ。それを受け止め、あるいは相殺する為にまた別の所で何万もの命が奪われる。

 他種族の命を奪う事で竜王達は気軽に始原の魔法(ワイルドマジック)を使用できるようになった。暇だから、という理由すらも珍しくない程に。

 これにより世界中が竜王の影に怯える事になった。

 どれだけ隠れても、どれだけ逃げても竜王に見つかれば全てが終わる。

 くだらぬ理由一つで自分達の命が、いや自分達の種族が滅亡するのだから。

 

 中には絶滅しては困るからと子供を大量に作れと指示する竜王もいた。

 恐怖のまま言う通りに作られた子供達は矢か何かのように次々と簡単に消費されていく。

 これを見ていた親たちの気持ちはどういったものだったのだろうか。

 

 この世界は竜王以外の者達にとっては地獄だったのだ。

 何の脈絡も無く命を奪われ、弄ばれる。

 むしろ竜王に狩り取られる為に存在しているのではないかと思える程に悲惨な状況だった。

 

 やがてこの世界に六大神という者達が舞い降りる。

 彼等は分が悪いと判断し竜王達と事を構える事は無かったが、せめてこの世界で苦しんでいる人類だけでも救おうと動いた。

 竜王達も辺境の地の事などさほど気にしなかったし、不思議な魔法を使う六大神と正面から事を起こそうとも思わなかったのだ。何よりそんな事をしている間に他の竜王に後ろから刺されるかもしれないのだから。

 竜王同士の膠着状態もあり、敵意を向けなかった六大神は竜王達から相手にされなかった。

 

 だがその百年後に現れた八欲王は違った。

 

 竜王達の所業を見て、憤った。

 始原の魔法(ワイルドマジック)という魔法の存在を知り、嫌悪し、義憤に駆られた。

 他者の命を食い物にして行使される魔法の存在を許せなかったのだ。

 だからこそ彼等は世界級(ワールド)アイテムを用いてまでこの世界の法則を捻じ曲げたのだ。

 汚れた始原の魔法(ワイルドマジック)を消し去り、位階魔法でこの世界を書き換えた。

 

 これにより当時の竜王達が始原の魔法(ワイルドマジック)を使えなくなるという事は無かったが、新たに生まれる竜達は始原の魔法(ワイルドマジック)を使う事が出来なくなってしまったのだ。

 

 その事実が竜王達に知れ渡ると戦争になった。

 

 だがそれは八欲王の望む所だっただろう。

 己の気分一つで何万もの命を刈り取り、またそれに罪悪感の欠片も抱かない竜王達の存在は八欲王の常識では受け入れがたいものだった。

 

 いや、真実としては現実世界を思い出したからかもしれない。

 巨大複合企業が国家を支配し、裕福層と貧困層が明確に分かれ、裕福層の為だけにまるで働き蜂のように生きる貧困層の姿を。

 

 八欲王。

 彼等もまた貧困層の人間であり、その逃避の為にユグドラシルに逃げた者達だった。

 しかしここは現実世界ではない。

 今の彼等には力がある。

 ユグドラシルでも最強の名を欲しいままにしたワールドチャンピオン達。

 

 それはこの世界を支配する竜王達の軍勢に勝利してしまう程。

 

 だがやがて欲に溺れ、自滅してしまう事になるとはこの時は思いもしなかっただろう。

 良くも悪くも彼等は純粋過ぎたのだ。

 

 

 

 

「そ、そんな…」

 

 話を聞いたリグリットが驚きで口を覆う。

 

「た、確かに疑問に思ってはいた…。なぜ八欲王はこの世界を位階魔法で染めたのかと…。彼等がこの世界で元の魔法を使えなかったのではないかとも考えたが、それより前に現れた六大神は使えていたのだ…! であれば八欲王も不自由なく魔法を使えたと考えるのが道理…。さらに当時の竜王達が始原の魔法(ワイルドマジック)を使えなくなった訳でもない…。ならばなぜわざわざ八欲王は世界を書き換えたのか…!」

 

 正義感から始原の魔法(ワイルドマジック)の存在を消し去りたかったとすれば納得できる。いや、してしまう。リグリットとて今の話を聞いた上でもし八欲王と同じ立場ならば始原の魔法(ワイルドマジック)を消し去ろうとしただろう。

 

「今の話を聞いてもう一つ気が付く事はないですか? なぜツアーは評議国から動けないのでしょうか?」

 

「そ、それはギルド武器を…」

 

 言いかけてリグリットは気付く。

 そうなのだ、ギルド武器を守るというのは言い訳だと目の前の少女が指摘している。

 そして続けて語られた始原の魔法(ワイルドマジック)の真実。

 導き出される答えは。

 

「本来、竜王達は国など作らず自由気ままに生きていたようですね。それを彼は評議国という国まで作って…。やはり竜帝の息子は一味違うという事ですね。そう思いませんか?」

 

 彼女の言葉を受け、それは確信に変わる。

 

「ひょ、評議国の国民は…、始原の魔法(ワイルドマジック)の贄か…! 来たるべき時に始原の魔法(ワイルドマジック)を行使できるように用意された命達だと……! そ、そういう事なのか…!」

 

 リグリットが驚愕の表情を浮かべる。

 それは嘘であって欲しいという想いと、それこそが真実なのだと確信した想いが混在している為だ。

 もはやリグリットは評議国が何の為に建国されたのかこれ以上疑う気は無い。

 きっとそれが真実なのだろうから。

 

「で、ではツアーは…、あやつは儂らを始原の魔法(ワイルドマジック)の為の贄としか考えていないという事か…? わ、儂らを…、利用していたというのか…?」

 

 リグリットの声が震える。

 長年友人と思っていた者への疑念が沸いてくる。

 もしかしてこの友情も全て自分達を利用する為だったのかと。

 

「そうではないと思いますよ」

 

 彼女から思わぬ否定が入った。

 流れからすればツアーも他者の命など意にも返していないと思えたからだ。

 

「竜帝も変わり者でしたが…、その息子である彼も相当な変わり者のようですね。竜達の中では異端であったと聞いています。他種族の命など何とも思っていない竜王達の中で彼等を含む極少数はその事を憂いていたようです。それに評議国は…、保険のようなものでしょう。本当に何もかもが手遅れになった時に使う為のものではないでしょうか。弾として使う為だけに国を作った訳ではないと思いますし。まあ国民が聞いたらいずれにしろ激怒すると思いますが」

 

 その言葉でリグリットの気持ちが軽くなった。

 それと同時にツアーに対して僅かでも疑ってしまった事を後ろめたく思う。

 現実問題として贄の為とはいえ、そこに悪意が無いのならまだ受け入れられる。

 

「竜帝もそんな世界を変えたかったんでしょう。だからこそ竜帝は…」

 

 初めて彼女が言い淀む。

 それは己にも関係がある事だからだろう。

 

「竜帝…、そやつが、ツアーの父は何をしたというのじゃ…?」

 

 しばらく沈黙していた彼女だが、意を決したように言葉を紡ぐ。

 

「他世界からのエネルギーの召喚…、言語化するならそれが最も近いでしょう。この世界で多くの命が消費される事を憂いた竜帝は他の世界からその代償となるものを召喚しようとした…。始原の魔法(ワイルドマジック)の為にこの世界の命を散らさぬようと考え抜いた末に辿り着いた結論」

 

 一呼吸おき彼女が続ける。

 

「結果から言えば悪くなかった。それは世界級(ワールド)アイテムという世界にも等しきエネルギーを持つ強大なアイテムを呼び寄せる事に成功したのですから。詳しくは分かりませんが…、ユグドラシルのサーバーにでも竜帝はアクセスできたのかもしれませんね…、彼の始原の魔法(ワイルドマジック)については不明ですが、そのような事が出来たのだと仮定すれば筋は通ります。どうやってゲーム内のデータを形にしたのかという疑問は残りますが…、重要なのはそこではありません。恐らくその弊害として、プレイヤーのアバターや魂も呼び寄せてしまった…。これは世界級(ワールド)アイテムを正規の手段以外では奪う事が不可能な事が関係しているかもしれません。恐らく所持者もろともでなければ世界級(ワールド)アイテムを呼び寄せる事が出来なかったのではないか…。いずれにしろ世界級(ワールド)アイテムと共にプレイヤーが呼び寄せられる事になったのは竜帝が原因で間違いないでしょう。とはいえ竜帝もこうなるとは想定していなかったでしょうが」

 

 リグリットには理解出来ない。

 彼女の言っている言葉の中には理解出来ない単語も含まれているのだから。

 

「ま、待て…。わ、儂には分からん…、分からんが…、ならばなぜ百年毎にその揺り返しが起きるのだ…!? 竜帝のせいでぷれいやーがこの世界に呼び寄せられるようになったのならば…! それは最初だけでその後にぷれいやーは訪れない筈じゃろう! な、なぜ百年毎にぷれいやーが訪れるのだ! もう竜帝は死んでおるのだぞ!」

 

 消えぬ疑念を彼女にぶつけるリグリット。

 返ってきたのは感情のこもっていない空虚な声。

 

「元の世界の言葉で言うならば…、一度でダウンロードできる容量では無かった…、という所でしょうか。それとも異世界から世界級(ワールド)アイテムが通るくらいの巨大な穴を開けた事による副作用でその後も勝手に…、という事もありえるかもしれませんが…、やはり転移してきたプレイヤー達が同じ時間軸から来ている事を考慮するなら前者の説が濃厚だと思います。その膨大なデータ量、例えばプレイヤーやその拠点を順番に形にして呼び寄せるのに百年単位の時間がかかるという事なのかもしれません」

 

 リグリットは震えている。

 この世界の真実を告げられ、またプレイヤーの由来を聞いて驚きを隠せないのだ。

 

「とは言ってもこれは仮説ですよ。竜帝本人では無いのでどうやって我々を呼び出したのか正確な事までは知りませんし、世界の法則だって知りません。異世界ならばなおさら。さらっと聞き流して下さい」

 

 軽い言葉で告げられるがそんな簡単に聞き流せる筈など無い。

 

「す、すまんが今の話をまとめると…、お主も世界級(ワールド)アイテム…、世界に匹敵するというアイテムを持っているという事か…? 八欲王が始原の魔法(ワイルドマジック)を消し去る時に使った時のような…」

 

「はい」

 

 即答だった。

 リグリットは恐怖する。

 世界を変える事の出来るアイテムの一つが目の前に存在しているというのだから。

 

「お、お主は…、お主の望みは何なのだ…? そ、そのアイテムで世界に何を為すつもりなのだ…?」

 

「大分混乱してますね…、何度も言っているでしょう? この世界になんて興味は無いんです。干渉するつもりもありませんし、協力だってしませんよ」

 

 結局話は堂々巡り。

 リグリットと彼女の会話はここから進んでいない。

 

「ですがもし…、仮定の話ですが…。もしこの願いが叶う時が来るのならば躊躇なくこのアイテムを使うでしょう。この身はもちろん、この世界がどうなろうと、一向に構いませんしね」

 

 暗い笑みを浮かべ彼女が言う。

 その声と表情にリグリットは心から震えあがる。

 彼女が何を望んでいるのかは分からない、分からないが。

 もしそれが叶うとするならば…、想像し得ない何かが起きるのではないか。そう思わせるだけの覚悟が彼女にはあった。

 

 そして、このまま何事も無く終わる筈など無い。

 後に彼女がその手に持つ世界級(ワールド)アイテムを使用する時は来てしまうのだから。

 

 世界級(ワールド)アイテムの中でも破格の性能を持つ『二十』が一つ。

 

 ユグドラシル時代で言えば運営に仕様の変更すら願えるアイテム。

 この世界においては世界の法則を書き換える事が出来るに相応しい逸品だ。 

 

 かつて八欲王がこの世界において使用した『二十』の一つである『五行相克』。

 それに対し彼女が持つこれは同じ『二十』の括りでありながらそれよりも広い範囲で世界の法則を書き換える事が出来る。

 

 願えばこの世界に存在し得ぬモノさえ手にできるかもしれない。

 

 死と再生の象徴たる蛇が元である『永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)』。

 

 

 それはまさに、彼女の願いを体現していた。

 

 

 

 




クレマン「脱落」
ズラノン「脱落」
竜王達「始原の魔法撃ち放題ー」
八欲王「こいつら許せんわ」

こんなに早く更新できて自分自身かなり驚いております、筆が進みました
ただ予定では次回の話まで含めて一話のつもりだったのですが今回だけはカットする場所が見当たらず、一話に収めきれないと判断し分ける事にしました
ナザリックの登場は次回までお待ちください

あと言い忘れてましたが、前々回から魔法の表記を変えてます
最初にルビ無しで書いてしまったのでそのまま強行してたのですが流石に見づらいと思いルビ付きに変更しました
過去の表記も変えたいのですが時間がかかりそうで…、すぐにとは…
完結後になってしまうかもしれませんがいつかは修正しようと思ってるので長い目で見てくれると嬉しいです
ですので浮遊都市編を境に魔法の表記が変わっている事で混乱している方がいたら申し訳ありません!どうかお許しを…


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