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丸山穂高議員の「戦争」発言について意見が分かれている。

 

今まで日本人は「戦争」の議論に真摯に向き合ってこなかったので、いざ「戦争」の話になると荒唐無稽な意見が出てくる。

ただ、戦争について意見や議論をすることはよいことだと思う。

 

そして、もう一つ大事なのは政治家としての「信念」である。

 

丸山議員は「戦争」発言に対してはお詫びしていない。

 

これを憲法第9条違反というが、この発言を封じ込められて議員辞職させられるならば憲法第21条の言論や表現の自由に違反することになる。

 

国を守る、国民を守る、というのはきれいごとでは出来ないのは世界が示している。

 

かつて大東亜戦争のインパール作戦が「独立戦争」であったインドは、共にインド独立のために戦ってくれた日本に感謝している。

 

その証が、昭和天皇崩御の折、日本国民の喪は2日間であったが、インド国民は3日間喪に服したことにある。

 

また戦後、ネルー首相が日本の子供達に愛娘と同じ名前の象・インディラをプレゼントしたこともその証である。

 

左からインディラとネルー首相

 

そのネルー首相の娘・インディラ・ガンディーがインドの首相になると、父・ネルーがシナを信じて裏切られて領土まで奪われそうになった教訓を忘れなかった。

 

1966年、インディラが首相になった当時、シナはパキスタンと東パキスタン(現バングラデシュ)と双方でインドを挟み撃ちにし、さらにシナはインド国内の共産主義勢力やインド少数民族を煽動工作して闘争を仕掛けていた。

 

またインドの親米派やリベラル派はインディラ首相が親ソ派だとして反対し、支援していた米国もインドに敵対した。

 

この時、インディラがソ連と結んだのは決して共産主義に共感していたわけではなく、シナや米国に代わる力を求めて敢えてソ連と結んでいたのだ。

 

インディラ首相はシナや米国に屈することなく、国を守るために戦争も辞さなかった。

 

東パキスタンをバングラデシュという独立国にしてパキスタンの影響を切り離して、シナによるインド包囲網を解こうと、1971年に東パキスタンの独立運動を支援して印パ戦争を戦い、バングラデシュを独立させた。

 

その後、インディラはたとえ独裁者と批判されてもインドをシナや米国から守り抜き、ソ連は利用し合っても従属することはなかった。

 

サッチャーとインディラ

 

1974年、インドはシナに対抗するため国際社会の抗議や批判を恐れることなく核実験を成功させた。

 

自国を守るために他国との同盟を利用しながら、最後には自力で国を守るために核武装までしたためシナはインドに強く出られなくなった。

 

その後、インディラは暗殺されるが、彼女の政治家としての勇気と決断力がインドを守り抜いたのだ。

 

これが本当の政治家の姿ではないか。

 

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