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【評価】『A Plague Tale: Innocence』感想レビュー フランス産ステルスおねショタADV

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絶望の暗黒中世を生き延びろ

 『A Plague Tale: Innocence』は中世フランスを舞台にした、2人の姉弟が疫病と迫害から逃れ続ける、フランス産おねショタADVである。

 

 物語はフランス貴族の父と娘が、ごく平和な森を愛犬と共に散歩をする日常から始まる。父親が「人には誰しも義務があるんだ」と娘に説教していると、愛犬がどこかへ消えてしまう。その愛犬は謎の黒い孔に吸い込まれてしまっていた。

 

 それが始まりだった。フランス中にネズミが大量発生し、いつしか人々を食い殺すようになっていた。民はそれを呪いと呼び、「異端審問官」がこのネズミと戦ってはいたが多勢に無勢。その災いはついに主人公Amiciaの家族の元まで及ぶ。

 

 そして「異端審問官」はAmiciaの弟、Hugoこそが呪いの原因だと考え、Amicia一家の屋敷に突入。家族が殺される中、AmiciaはHugoを連れて逃げ出す。そして姉弟は人間とネズミという2つの脅威に怯えつつも、安住の地を求めて逃避行を続けるのだった。

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我々には誰しも義務があると語る父。Amiciaの義務とは…




 こんな具合に、『A Plague Tale: Innocence』の主なテーマは姉弟の逃避行である。プレイヤーは主にAmiciaという娘を操作し、弟を連れて難所を脱出する。

 

 ゲームは主にチャプター形式で区切られ、進行はスタートからゴールまで一本の道で結べる程にリニアだ。

 

 道中は主に「ネズミ」と「人間」の二種類の敵が行く手を阻む。ネズミに対しては彼らが嫌がる「光源」をたいまつを使ったり、焚き火を引火させるなど、パズルゲーム的に対処していく。「人間」に対しては一般的なステルスゲームと同じで、物陰や草むらに隠れるなどしつつ、邪魔な敵は「スリング」という投石武器で倒すこともできる。

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いつものステルス

 

 こうして本作のシステムを整理すると、かなり『The Last of Us』に近い。「主人公が操作するキャラクター+アシスタント」というシステム、あてのない逃避行・サバイバルというテーマ、知性のある敵・ない敵をステルスで対処という点など、共通点も多い。プレイフィールも近く、相当な影響を受けたと言っていいだろう。

 

 加えて、2人旅というテーマで言えば『Bioshock: Infinite』や『Ori and the Blind Forest』、『brothers tale of two sons』最近であれば『God of War』なども同じシステムを採用していた。『A Plague Tale: Innocence』はテーマこそ「中世フランスを舞台に疫病と人間の脅威を描く」という斬新なものだが、根幹にあるものはむしろトレンドに近いもので、新規性はないが安定感はある。

 

 つまり結論から言ってしまうと、ゲーム部分に期待して購入すると本作はあまり楽しめないだろう。設定はユニークだが、やってることは21世紀を舞台にしたゲームと実は大差ない。

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『brothers tales of two sons』兄弟の絆をコントローラーを2分割して表現した名作

 

これがフランス産おねショタだ!!!

  だが、本作の醍醐味は浅薄なゲーム部分にあるのではない。そう、先程サラッと述べた「フランス産おねショタADV」という部分である。おねショタだぞ、君も好きなんだろう。おねショタ。

 

 これまで挙げた「2人旅ゲーム」はいずれも、「父と子」の物語だった。『The Last of Us』のジョエル、『Bioshock: Infinite』のブッカー、『God of War』のクレイトス。皆父親であり、成熟した人間だ。故に子を導く役割を担う。

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父親になったクレイトス『God of War』



 対して、『A Plague Tale: Innocence』の主人公Amiciaはまだ15歳の女性

 

 彼女はジョエルのような喪失を知らず、またクレイトスのような蛮勇も知らない、ただ貴族の箱入り娘である。当然彼女は格闘術や剣術を知らないし、何より弟の命を守りながらこの世界で生き延びるだけの精神力もない。

 

 だから、Amiciaは強がる。弟を心配させまいと考え、自分を奮いたたせるために。だから、Amiciaは弱音を吐く。弟どころか自分の身さえ守れる気がせず、その不安に押しつぶされるようにして。

 

 だが過酷な逃亡劇を続けるうちに、彼女は少しずつ成長し、大人になっていく。精神を摩耗しながらも家長として家族を守る「obligation(義務)」を持つようになる。この悲痛さ、そして健気さは、とてもじゃないが筋骨隆々のクレイトスからは見いだせないものだ。

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弟が先

 一方、弟のHugoもまた5歳であるにも関わらずこのような絶望的な状況に追い込まれ、苦しみ続ける。だがそうした姉の家族を守らんとする姿勢を見て同じく成長し、姉の支えになれるように振る舞う。

 

 弟を守ろうと必死になりながらも、崩れそうになる姉。過酷な現実に向き合うことができないながらも、姉を支えようと成長する弟。その2人の儚くも尊い絆が、見守るプレイヤーにとっては愛しくてならなくなる。

 

 日本よ、これがおねショタだ。そうフランスのディベロッパーも宣言しているようだ。

 

 細かい点だが、『A Plague Tale: Innocence』の人物のCGのクオリティはめちゃんこ高い。洋ゲー特有のゴリラめいた感じではなく、AmiciaもHugoもかなりの美人であり、2人のママは最強に美人である。さすがフランス。

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ママ美人すぎるでしょ

 

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美が宿っていない細部

 と、ここまで作品の魅力を抑えた上で言うのもなんだが、結論から言うとこの作品は個人的にかなりガッカリする部分が多い。クオリティ的にもベクトル的にも、「え?そういうゲームなの?」と落胆することが多かった。

 

 

 

 ゲーム部分があまり面白くない、というのはある程度想像できていたし、良しとしよう。だが肝心の世界観や物語まで微妙なのだ。

 

 まず世界観。私は本作『A Plague Tale: Innocence』を、「リアルな暗黒時代のフランスを舞台に、黒死病という見えない災禍と、そこから生じる迫害を描くゲーム」、つまりカミュの『ペスト』のような作品を想像していた。公式にも黒死病でないにせよ、「疫病」としっかり記載してある。タイトルも「A Plague Tale: Innocence=疫病物語:潔白」である。

 

 ところがいざゲームを始めると、「疫病」というのは「無限に発生するネズミが人間を食い殺す現象」を指す言葉だと理解する。いやいやちょっと待ってくれ、こういう疫病をテーマにした物語というのは、本来目に見えない脅威故に人間がパニックを起こしてしまうものではなかったか。

 

 ところが本作は、普通にネズミが主人公もNPCもバリバリ食い殺してしまうのである。疫病(物理)ペスト(物理)ということだ。これではありふれたゾンビゲームと大差がない。

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疫病ってそういう!?

 

 「疫病」の他にも、結構ファンタジーな設定や法則が飛び出し、それも視覚的に展開されるので、かなり置いてきぼりを食らった。「1349年のフランス王国」とまで限定した設定なのにリアリティを感じることができず、むしろファンタジーであることのギャップが多いにこれを殺してしまっている。

 

 ゲーム的にも「疫病」は非常に扱いにくく、そりゃネズミを大量発生させた方が視覚的にも面白くなるのだろうが、むしろその「疫病」をどうゲームに落とし込むのか期待していた筆者としては、ここがまず残念な点だった。

 

(まだ最後まで読み込んだわけでないので、何かどんでん返しがあるかもしれないが……)




 脚本もかなり残念である。逃亡劇というのはしっかりした脚本が作りにくいものだが、本作はとにかく目的も理由もはっきりしないままフラフラ進む展開が多すぎて、これが苦しい。

 

 例えば、先述した『The Last of Us』なら「エリーを病院まで護衛する」という目的がありながらも、チャプター毎にアクシデントが起きるものの、最終的に少し進行するという七転び八起き方式だった。その点、『A Plague Tale: Innocence』は七転八倒といった感じで、大筋の脚本(舞台や進行)とマイクロな脚本(台詞や起伏)が全く噛み合わない。後者は秀逸だが、前者が杜撰すぎるのである。

 

 (『A Plague Tale: Innocence』はこういう「粗」が多すぎる。)

 

 あるいは、『Red Dead Redemption 2』の脚本は大筋こそ「でかい銀行強盗を起こす」という抽象的なものだが、その中で何度も失敗を繰り返し、疑心暗鬼になることで主人公が考えを改め、オープンワールドの中でその答えを見つけるというものだった。これは七転八倒でこそあれ、ちゃんと登場人物の非常に緻密な演技や台詞が、不安や困惑を見事に反映しており脚本は噛み合っていた。

 

 一方、『A Plague Tale: Innocence』には何故こうなったのか、どこへ向かうのか、何がそこまで不安なのかといった、実際の行動や台詞に対して存在する「行間」がまるきりない。『RDR2』はオープンワールドで細かなNPCの台詞や仕草があり、かつ脚本から演技まで「行間」が充実していたが、これが『A Plague Tale: Innocence』には欠けているのである。

 

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『RDR2』のアーサーは非常に細かい表情を見せる。一方Amiciaは美人だがお面のようだ。

 

 加えて『A Plague Tale: Innocence』は非常にパズル要素が強いためか、それによってめちゃくちゃ「ご都合主義」になってるのが良くない。例えば冒険中、突如としてネズミが大量に発生して襲われたとする。しかし、こんな場面には必ずネズミを追い払う焚き火と、薪が用意されてある。一体誰に? ……というパターンがものすごく多いのだ。

 

 これも、普通のゲームであればそれとなく無関係な焚き火を用意したり、あるいは誰かがネズミと戦っていた痕跡をそれとなく描くものだが、本作はそういう工夫が少ない。やはり「行間」がないのである。

 

(例えば『The Last of Us』の場合、ゲームの都合上やたら梯子が登場するのだが、この梯子のモデルを何種類も用意しているのは素晴らしいと思う。美は細部に宿る。)




 総じて、『A Plague Tale: Innocence』は斬新で素晴らしい試みであったと感じるが、それよりも先に、しかも本作を圧倒するような予算と妥協しないアーティストによって、偉大な作品が作られすぎてしまったために、本作は少し期待はずれに感じてしまった。

 

 ビデオゲームをただ戦略的な選択の連続ではなく、つまりゲームプレイの面白さだけに特化せず、表現、物語、世界観、そういった全てを通した総合的な藝術として創作する試みは、特にここ数年で大きく漸進した。

 

 『A Plague Tale: Innocence』は「感情」に特化して、「残酷な時代を舞台に胸が張り裂けるような冒険の旅」を描こうと試みたものの、実際のところそれらは新鮮ではなく、むしろ相当な数の名作が生まれていた。暴力的なゲームプレイより人文的なストーリーに着目するコンセプトは、インディーゲームが既に10年以上探求し続けていて、大作級でも5年以内に名作がドカドカ生まれた。

 

 恐らくあと10年、せめて5年早く発売されていれば、私の評価はひっくり返った気がする。とはいえ、こういった物語である以上、後日2週、3週遊びこめば考えも変わるかもしれないので、一度この意見は「第一印象」ということにしておく。

 

『A Plague Tale: Innocence』はパクリだらけだった!?


 最後に、こちらの画像を見比べていただきたい。

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注:日本語削除について

 

 

 本作『A Plague Tale: Innocence』がSteamで予約を開始した時、対応言語には「日本語」とあった。しかし販売直後、この「日本語」はストアページから削除され、当然ゲーム内にも「日本語」などなかった。

 

 恐らく、『A Plague Tale: Innocence』を予約した日本人の中には、「日本語」という表記を見て予約した人も少なくないだろう。私もその「日本語」で遊べるならと安心して予約した人間である。ゲームの価値に加えて「日本語」に価値を見出したから、予約したのである。

 

 だが、実際にはその「日本語」はなかった。それどころかアナウンスさえなく、当然のように我々ユーザーから5480円を黙って頂戴した。決して安くない額だ。この額を預かる会社とは到底思えない、不誠実極まる対応だった。その姿勢は限りなく詐称に近く、決して看過できる問題ではない。

 

(幸いにも、プレイ時間が2時間未満で購入から14日以内なら”Steamのシステムで”返金ができる。無論これと向こうの企業は一切関係なく、純粋にsteam側の配慮によるサービスである。)

 

 我々の指摘に対し、半日以上経過してから企業は「翻訳のクオリティが低く、そのうち追加する」と応えた。とても信じられない話である。

 

 そもそも、言語とは作品と人間を繋ぐ唯一のパスだ。言語がわからなければ、どんな貴重な文献も、どれほど感動的な物語も理解はできない。それは大変な悲劇であり、だからこそローカライズという仕事に価値が生まれ、我々はそれを込みで金銭を支払う。逆に言えば、言語を知らないというだけで、人は簡単に作品から断絶されてしまうのだ。

 

 『A Plague Tale: Innocence』を販売しながらも、直前で日本語を削除したFocus Home Interactive、及び日本語を用意しなかったAsobo Studioの姿勢はその点「日本語」を迫害していたとしか言う他ない。

 

 日本人が少ないから、別に消してもバレまい。日本語話者が少ないから、多少金をちょろまかしても良いだろう。そういう外道な姿勢が見え透いている。少なくとも、これが「英語」という外国語なら同じ事は絶対に起きなかったはずだ。

 

 何も、「日本語がないから差別的だ」と言ってるわけではない。それならそれでいい。だが「日本語がある」と表記しながら、発売直前にその表記を削除し、我々から預かった5480円を奪いながら我々に理解できない言語で作品を提供する行為が、仮にも創作を行う人間としてどれほど不誠実か。

 

 まして、『A Plague Tale: Innocence』は迫害を描くゲームである。偏見に視界を歪ませ、こいつなら殺しても良いと考える人間の邪悪さを描くゲームである。その作品を作った企業が当然のように日本語を軽んじ、詐称行為を働き、先にも後にもアナウンスをしなかった事実は極めて問題であり、同時に皮肉な出来事ではないだろうか。

 

 言うまでもなく、本批評においてこの事実は一切汲みしていない。作品それ自体をありのまま批評したものである。とはいえ、この事実をここに表記しないのも十分アンフェアだと思うので、こちらも言及しておく。両社には、もう二度とこのような事を繰り返さないで頂きたい。

 

(もし言語が少数派なのだから、どんな差別的な対応をされても構わないと本気で考えてる人がもしいたら、『MGSV:TPP』を100回やるべき。が、何より「言葉で売った」以上、「言葉を与えない」ことは、双務契約の観点から企業として断じて許さることではないが。)