青羽玲音の革命ダイアリー

中核派の活動家ですがブログはじめます!

暴力革命の正当性

暴力はダメ、故に暴力革命もダメって本当なの?

革命的共産主義者が肯定するのはプロレタリアートによるブルジョアジーへの暴力である。

まず一番最初に考えなければいけないことは「暴力に良い悪いはある」ということだ。「暴力が良いか悪いか」という次元の話ではない。論点になるのは「その暴力は正しいのか否か」ということ。

この点を考えずに「戦争反対なのに暴力革命は矛盾」と絶叫することは全くナンセンスである。*1「誰がいつどこで誰にどういう暴力を行使したのか」をもって、ではその暴力は正当なのか、これを考えるべき。

革命的共産主義者が「戦争反対」であるのはブルジョアジーの利益のためにプロレタリアートが殺し合いをさせられるからだ。つまり、帝国主義戦争への反対だ。国家による暴力と人民による暴力を一緒くたにすることはできない。「暴力革命」が「暴力」だからダメなのだという主張は国家権力による暴力の独占や行使を暗に黙認しており、極めて欺瞞的な立場である。この主張を突き詰めていけば「合法的な暴力なら許すが、非合法な暴力は許さない」ということになるのだから、体制側の意見であると自覚するべきだし、そもそも論点を間違えているので全く話にならない。

そして「暴力革命」を志向するのは、既存のブルジョア国家を打倒あるいは乗り越えてプロレタリア国家を建設して共産主義社会へと向かっていくためにはブルジョア国家の「廃絶」つまり暴力的解体=暴力革命以外に無いからである。

そもそも国家とは「階級対立の非和解性の産物」だ。資本主義社会においては、ブルジョアジープロレタリアートを抑圧するための機構として機能する。プロレタリア国家では逆にプロレタリアートブルジョアジーに対する「独裁」でもって最終的にはブルジョアジーの消滅=階級対立の消滅と共産主義社会の建設を目指すわけであるから、今までに存在した色々の「国家」とは性質が全く異なるし、最後には死滅する。この転換をブルジョア国家の枠組み内だけで(つまり「合法的」に)執り行うのは不可能である。

では「革命」に正当性はあるのか?これは当然の権利であり、正当だ。ブルジョア革命の正当性を示したジョン・ロック「統治二論」における「革命権」を見れば一目瞭然。

「暴力」反対、「革命」反対な人はブルジョア革命によって建設されたブルジョア国家をも否定するのか聞いてみたいところだ。反対するにしても、プロレタリア革命の性質やそれがもたらす社会像を批判するべきである。

以上。

参考文献

*1:めちゃくちゃよく言われる