前回の記事では、歴史研究に蔓延する自称・歴史研究者の歴史小説家と本物の歴史研究家を見分けるために、あの小保方女史のSTAP細胞実験が良い例えになると書いた。
歴史研究と歴史小説の違いはSTAP細胞実験で例えるとわかりやすい
さて、小保方女史を輩出しておきながら心苦しいのだが私が所属する自然科学(物理学、化学、生物学など)では疑似科学がはびこる余地は少ない。実際、小保方女史も短期間で捏造を暴き排除出来ている。
しかし歴史研究が属する人文科学(哲学、歴史学、宗教学など)や、
「自分に不利なエビデンスはもちろん隠す。それが悪いことだと思ったことはありません」
でお馴染みの東京大学名誉教授・上野千鶴子氏が教える社会科学(政治学、経済学、社会学、憲法学など)の2分野には疑似科学が蔓延していると感じている。
疑似科学が湧いて出るのは自然科学も同じなのだが、余りにも自浄作用に対して疑似科学の量が多過ぎる。なぜ人文科学と社会科学には疑似科学が多いのか?
歴史学における在野の歴史研究家(歴史研究家)を例に挙げ、説明しよう。
歴史研究は実験ができない。研究も小説もアウトプットは同じ「文章」になってしまう
自然科学も人文科学も社会科学も結論を導き出す過程は同じである。前回にちょっと補足して、
①仮説を立てる
②データを揃える(自然科学は実験で、歴史研究は資料集めで)
③データを分析する
④分析から結論を導き出し、論文で発表する
⑤他の研究者によって結論が正しいと認定を受ける
やはり自然科学と歴史研究の最大の違いは「実験の有無」である。
科学的方法の位置づけとしては実験と資料集めに違いは無い。しかしその分野に疎い一般の人からすれば実験というわかりやすさは際立っている。
自然科学は実験データから成功・失敗が誰の目にも明らかになる。STAP細胞の再現実験で、STAP細胞の詳細はほとんど知らない人でも「万能細胞にならなかった」という結果を見れば、実験が失敗だった事は容易にわかる。
他にも例えば、「青色LEDが出来ました」という研究はLEDの光の色を見れば一目瞭然であったし、「民間の低価格ロケットを作りました」という研究もやはりロケットの発射を見れば一目瞭然である。
しかし、歴史研究はそれがわかりにくい。
歴史研究の実験に相当する資料集めは、はっきり言って一般の人には理解不能だ。なにせ昔の言葉で書かれているんだから。でも、そうやって苦労して資料から導き出した結論だからこそ価値が有る。
問題は、資料も集めずに妄想で導きだした結論も本物と同じ「日本語の文章」で発表される事だ。そのため一般の人は結論だけを見てしまい判断してしまう。
例えば、在野の歴史研究家である八幡氏や井沢氏は「なぜ明智光秀が本能寺の変を起こしたか?」という発表を行っている。それに対して歴史研究家の呉座氏は「本能寺の変の動機を考える上で役に立つ史料は乏しい」と両者の結論を真っ向から否定している。
本能寺の変と言えば日本人なら誰もが知る歴史イベントだ。数々の漫画でも取り上げられてる。最近は明智光秀の子孫が原案を手掛けた「信長を殺した男~本能寺の変 431年目の真実~」なんて漫画も登場したりしており、日本人はああでもないこうでもないと夢中である。
だから「実は本能寺の変の真実はこうだった」なんて「推理」を見せせられると、ついつい「なるほど、そうだったのか!」と納得してしまう。
しかも本物の歴史研究が「いや、資料によると違う。本当の真実はこうだ」と言ってくれればまだ納得できるが、「いや、資料が無いからそこは謎のままだ」と言われたら「なんだよ、つまんねー。在野の歴史研究家の方が優れてる」ってなってしまう人が出て来る。
科学的方法としては「資料が有るから〇〇である」という結論と「資料が無いから判断できない」という結論は同価値である。だが人間は弱い。ついつい「自分の望む結論」を出してくれる人を信頼してしまう。
在野の歴史研究家に圧倒的に足りない「再現性」の理解
妄想ばかり発表していてはその内ボロが出ると思う人もいるだろうが、なかなかそうはいかない。
これは呉座さんから聞いた話を元に調べたのだが、歴史学には「甲陽軍鑑」(武田信玄を中心とした武田氏の戦略・戦術を記した軍学書)を巡る論争が有った。
甲陽軍鑑は明治時代以降の近代歴史学において、基礎的事実に誤りが多く歴史資料としての価値を否定(偽書)されていた。それを、井沢元彦氏は自身の連載である「逆説の日本史」で「甲陽軍鑑は偽書では無い。歴史学会は間違っている」と書いてきた。
で、それとは全く関係無いのだが1990年代に国語学者の酒井憲二氏が甲陽軍鑑の研究を行った。その結果、甲陽軍鑑は多少の誤謬はあるが歴史資料として認められる真書であると発表された。
これを井沢氏は「歴史学会では無くオレが正しかった。歴史学会の大御所たちはデタラメを吹聴していた」とこき下ろしたのである。一番高いブランデーで祝杯を挙げる浮かれようだった。
なるほど。確かに在野の歴史研究家も「正しい結論」を出す場合がある。科学における仮説は自由だから、仮説と結論が正しれければ認めても良いのではないか?
No!!!
井沢氏には「再現性を担保するプロセス」が決定的に欠けている。
井沢氏の「甲陽軍鑑真書説」は要するに「数撃ちゃ当たるの典型」である。まさに「STAP細胞再現実験が成功してしまったオボちゃん状態」である。
歴史研究を含む科学にとって最も大事なのは結論の正しさでは無い。もちろん仮説でも無い。仮説から結論を導き出すプロセスなのだ。
プロセスが最も重要なのは、プロセスが「再現性」を保証するからだ。そして再現性が科学で最も重要な要素なのだ。
あらゆる科学、学問は人々の役に立つために、どんな人であっても利用できなければいけない。
「Aさんが買った青色LEDはちゃんと青色に光るけど、Bさんが買った全く同じ青色LEDは赤色に光ってしまう」
こんな再現性が無い科学は人々の役に立たない。もちろん歴史も同じである。
「鎌倉幕府が有った神奈川県は最新の学説に基づいて、鎌倉幕府の成立は1185年を採用」
「いや。東京は関係無いし、教えなおす人も多くて面倒だから、昔ながらの1192作ろう鎌倉幕府で1192年を採用」
なんて事態になったら日本史の授業、そして受験は無茶苦茶である。
歴史学が「根拠は無いけど僕はこう思う」を採用してしまっては、人によって結論がバラバラになってしまう。偶然正しい人もいたとしてもそれは全く無価値だ。バラバラな事が一番の問題だからだ。
そんなバラバラな結論が蔓延している在野の歴史研究家では、「私の本が最も売れたから正しい結論」なんて意見まで登場している。当たり前も当たり前だが、本の売り上げは結論の正しさを何も保証しない。本の売上で結論が決まるなら、小保方女史もベストセラー作家なのでSTAP細胞は有った事になってしまう。
歴史学は資料に基づいた再現性の有る(誰もが同じ結論を得られる)学問だからこそ、鎌倉幕府の成立年度は「誰が見ても同じ」結論に落ち着き、日本全国で統一して1185年にアップデートされたのである。歴史学に再現性が有るから、安心して子供たちが学校で歴史を学べるのだ。
在野の歴史研究家に知って欲しい再現性と歴史小説の価値
井沢氏の主張した「甲陽軍鑑真書説」は簡単に言えばまぐれ当たりだ。歴史学における甲陽軍鑑真書説の成立に全く貢献していない。
だから井沢氏が「歴史学会は間違っていた」と貶めるのは、将来誰かがタイムマシンを発明して特許を取得した時に藤子不二雄先生が「俺にも特許の権利がある」と言うようなものだ(絶対言わないけど)。
「止まった時計も1日2回は正しい時刻を指す」
まぐれ当たりの結論の正しさが無意味な事を示す有名な英語のことわざだ。
それでも止まった時計を使いたいという人はいない。同じ事で、再現性の無い結論は一般の人がその知識を活用できない無価値なものである。
科学とは、結論の正しさに意味は無い。結論を導き出すプロセスを明らかにする事に意味がある。自分の経験や推理に基づいた結論は正しくても間違ってても同様に知識としては無価値である。つまり小説である。
どうかこの事に在野の歴史研究家は気付いて欲しい。自らを歴史小説家では無く歴史研究家と名乗るのは、歴史学にその痕跡を刻みたいからであろう。
そして、彼らの歴史小説を読んで「これが歴史の真実だ」と思ってる一般の人も気づいて欲しい。小説として楽しむのは結構だが、知識にするのは良くない。知識は自分の人生の選択肢を広げる。間違った知識の吸収は人生を狭める事と同義だからだ。
そして、在野の歴史研究家は自分たちのアウトプットが歴史小説である事に十分に誇りを持って欲しい。全くわかって貰えないが、呉座さんも私も「歴史小説が無価値」なんて言って無い。それぞれに役割があるのだから。
私は中学・高校生に掛けて少年ジャンプの封神演義や古代中国史に、影武者徳川家康で江戸時代に興味を持った。大人になって一騎当千や恋姫†無双や横山光輝の三国志でやはり三国時代に興味を持った。そうやって、自然科学が専門だった私も歴史学への興味を深めることが出来た。
そんな役割を果たせる歴史小説は十分に素晴らしい。歴史研究と歴史小説に上も下も無い、ただ役割が違うだけである。どうか在野の歴史研究家は歴史小説家である事に誇りを持って欲しい。
参照:科学 – Wikipedia、疑似科学 – Wikipedia、自然科学 – Wikipedia、人文科学 – Wikipedia、社会科学 – Wikipedia、日本国紀、「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史、日本国紀 – Wikipedia、在野の歴史研究家に望むこと(呉座 勇一)