そんな呉座さんは、世の中の問題を単純化して理解しようとすることに警鐘を鳴らしてきました。
物事の本質を見失ってしまうというのです。
例えば、有名な「本能寺の変」。
天下統一を目前にした織田信長に、家臣の明智光秀はなぜ反旗を翻したのか。
これは、歴史上の大きな謎です。
そこでその謎を埋め合わせるために登場したのが、「黒幕説」。
朝廷や豊臣秀吉、イエズス会などがたくらんだという、わかりやすい説明がこれまでにいくつも唱えられてきました。
呉座勇一さん
「モヤモヤする、そういう部分って。
ちょっと欠けているピースを埋めるのが、“陰謀論”とか“黒幕説”。
『これで100%全部きれいに説明できる』というところが、黒幕説の魅力。
ジグソーパズルの最後のワンピースをパっと入れて、『きちんときれいになったでしょう』というところが爽快。
実際は分からない、本当は分からないのだけど、分かったことにして“分かりました”って言ってしまう。」
ところが、単純に「陰謀説」に飛びついてしまうと、信長の死後、社会がどう変わったかという歴史の流れをみる見方にも大きな影響が出てしまうと言います。
呉座勇一さん
「極端に単純化してしまったら、それはもう全然違うもの。
だから半分うそをついているような状況。
まさに本質を見失うということ。
見当違いのところに矛先がいってしまい、結局、本来の本当の問題に議論がいかなくなってしまう。」
そして、さまざまな情報があふれるネット時代も、同じ過ちを犯してしまう可能性が、多分にあると呉座さんは指摘します。
先月(4月)19日、東京・池袋で起きた交通事故。
高齢者の運転する車が暴走し、親子が犠牲になりました。
その際、大きな関心として浮上したのが「なぜ運転していた高齢者が逮捕されないのか」ということ。
その時、ネット上には「高齢者が“元官僚”であるため誰かに守られているのではないか」という書き込みが飛びかいました。
呉座さんは、感情的な議論にとらわれ、「高齢者の事故を防ぐ」という本質的な問題が見失われていると感じたといいます。
呉座勇一さん
「高齢者の自動車の運転の問題とか、もっと考えなきゃいけないことはある。
ともかく『悪い』と糾弾して留飲を下げるだけでは、問題の解決につながらなくなるのではないか。
本来だったら、きちんと考えなければいけないのに、全然見当違いの解決策に飛びついた結果、本質的、根本的な問題は何も解決されないまま残ってしまう。」