令和に入って、好調な戦いが続く矢野阪神。シーズン序盤とはいえ、就任1年目ながら最下位に沈んだ昨季から、着実に巻き返しを見せている。
そんな矢野燿大監督(50)の隣に常にいるのが、昨年オフに唯一外部から招へいされた清水雅治ヘッドコーチ(54)だ。2人の出会いは中日時代までさかのぼる。矢野監督は90年ドラフト2位。清水ヘッドは88年ドラフト6位。年齢もポジション違うが、とにかく気が合ったのだという。
2人とも超がつくほどのマジメで、遠征先でもほとんど出歩くこともなく、よくコンビニに一緒に行っていた。本拠のナゴヤ球場でのナイターの日は、一緒に当時名古屋市・西区にあった室内練習場で打撃練習をしてから、試合に向かっていた。清水ヘッドいわく「指導すらしてもらえない。期待されていなかった」と苦笑いで当時を振り返る。
そんな2人だが、清水ヘッドが95年オフに西武へトレードで移籍したことで、離ればなれになった。さらに矢野監督も、97年オフにトレードで阪神に移籍。阪神の正捕手として10年まで長く活躍した矢野監督と、02年限りで引退した清水ヘッド。「もう一度同じユニホームを着て戦いたい」という夢は、現役中は叶うことはなかった。
その後、清水ヘッドは西武、日本ハム、ロッテ、楽天と指導者としてユニホームを着続けてきた。さらに17年からは侍JAPANの外野守備・走塁コーチも務めている。矢野監督も解説者を経て、15年オフに阪神の一軍作戦兼バッテリーコーチに就任し、18年は2軍監督としてチームを日本一に導いた。そして昨年10月、矢野監督の1軍監督就任に伴い、2人の野球人生が再び重なった。
当時、今季も楽天でコーチを務めることがほとんど決まっていた清水ヘッド。そんなところに矢野監督から「清水さん、一緒にやりませんか?」と電話があった。「本気で言ってるの? 俺はやりたいけど…」と戸惑いながらも、やっぱり2人の夢を諦めきれなかった。楽天側の好意もあり、紆余曲折を経て、円満に阪神のコーチ就任となった。
実は、この話にはオチがある。お互い、過程で役職の話をしていなかったのだ。全てが整った後、矢野監督が「すいません、言うのを忘れていました。ヘッド(コーチ)です」と“告白”。それに対し清水ヘッドは「無理だ。投手のことはわからないから」と固持した。それでも指揮官の「僕がやりますから」に押し切られてしまった。そして、「わかりました。ここから敬語を使わせてもらいます」と、ヘッドは腹をくくったという。
疲労を考慮して試合前のシートノックを取りやめたり、出塁するとガッツポーズをさせたり、「清水流」の改革を徐々に推し進めている。ヘッドに就任したため「ずっと手にあったノックバットが持てないんだよ」と笑う盟友の背番号81が、これからも矢野監督を支えていく。
(阪神担当・嶋田 直人)
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