私は過去に女2人に片想いし、元彼が1人、現在は彼氏がいる。「お前ホントはビアンでもバイでもないんじゃないの」と言われるとなんだか悔しい気分になるが、まあビアンではないのは確かだしLGBTQで言えばQになる、と思う。
なんの話がしたいかと言うと2人目の女に片想いしてるとき私はスガシカオのアイタイという曲を狂ったように毎日聴いていた。
夢見りあむ、そういうことしそうじゃない?
あまり夢見りあむに自己投影をすると、「りあむちゃんめっちゃ私に似てない?」「こことかこことか」と言いながら自撮りを上げていた女が炎上していたように、私も今度こそ燃えるのではと恐怖に震える。本当に恐怖しているので普段のブログと違うアカウントをわざわざ取得した。
私は夢見りあむじゃないし、夢見りあむも私ではない。私以外私じゃないの、多分こういうことなんだろうなと思う。
夢見りあむという女についてはもはや説明不要だと思う、というかあまり説明するのが得意じゃないので割愛したい。する。
彼女はサブカルファッションメンヘラクソ女として完璧な上に、それをプロデューサーやファンに正面からぶつけることができる。世のサブカルファッションメンヘラクソ女の何割が「プロデューサーだけは自分がいいと言って」「ずっと自分を1番にしてほしい」なんて素直に言える?私は言えない側のサブカルファッションメンヘラクソ女だ・・・。素直に言える彼女が羨ましい、眩しい。
私自身つい先日PMSで引っかかってピルが保険適用になった程度のファッションメンヘラクソ女であり、フォロワーに心療内科診察何度も勧められているけれどかかったことあらず。親も「昔は育児放棄してしまっていた」などと他人にデカイ声で言ってしまうような人間だし、実際放棄されてた。
夢見りあむの掘り下げが進めば進むほど私のような、世のサブカルファッションメンヘラクソ女共は夢見りあむに自己投影をしてしまうのだ。私の周りにも「りあむちゃんの言ってることに共感でないけど共感してしまう」とか言い出す女が増えてきた。私も夢見りあむがデレステに実装されてコミュの内容をTwitterで見てから「こいつの言ってることが理解できて仕方ない」「オタク的には好きだけど、それ以上に直視するのが厳しい」とずっと言っている。しんどいんだよな、見てるの。
世のサブカルファッションメンヘラクソ女の3割は確実にブスに分類される顔面であると思うし、私もその3割なのでこうやって夢見りあむに自己投影したり、共感していると、「りあむ程可愛くないだろ」「りあむみたいなスタイルもないだろ」「そんなんで似てるとか思うな」等のヤジが飛んできそうで怖い。誰も外見の話はしていないと言うのに・・・。いや、まだそういうヤジが飛んでくる程度なら「そういう話はしていないのでw」って返せるからいいのだ。夢見りあむに対して手帳持ちの”本物”が「この程度で甘えるなファッションが」という旨の発言をしてるのを見たとき、夢見りあむという偶像越しに私のことを否定されているのだと思った。生きててすみませんでした。
夢見りあむと自分を切り離して、いや、自分のオタク部分だけを切り離して見れば私は彼女のことを好きで推せると思う。ただなんども言うが量産型のサブカルファッションメンヘラクソ女はどうしても彼女に自分を自己投影しやすいのだと思う。正確には自己投影ではないかも知れない、私は夢見りあむではないが夢見りあむは私のように思えてしまう、自己投影を超えてただ自分を彼女に押し付けて一種の承認欲求を満たそうとしているのかも知れない。そんな自分が嫌いだし、夢見りあむなら自分を認めることができるのでそんなことをしないと思う。壁、彼女がアイドルになれた一つの理由。
私は夢見りあむに輝いていてほしい、彼女が輝く程眩しくて直視出来なくなるけれど、サブカルファッションメンヘラクソ女の彼女が輝いて輝いて数多の人に認められてさみしさも埋めて幸せになってほしい。さみしさを抱えたザコメンタルという設定のキャラなのでそういう結末を迎えることはないかもしれないけれど、彼女には幸せになってほしいと思う。