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【芸能・社会】

京マチ子さん死去 95歳 グランプリ女優…海外映画祭で「羅生門」など

2019年5月15日 紙面から

舞台「新春人生革命」を観劇した際、楽屋で森光子さん(右)と握手=2010年1月

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 大女優となりながらも気さくな人柄で親しまれた京さんだが、生涯独身を貫いた。密葬は京さんの生前の遺志で、プロデューサーの石井ふく子さん(92)ら数人の友人が立ち会った。石井さんによると、京さんが数年前に大好きなハワイへ赴き、自ら手配したお墓に入るという。

 京さんは大阪松竹少女歌劇団に入り、戦後、ダンサーとして人気を集めた。1949年に大映に入社。同年の映画「痴人の愛」の大胆な演技で肉体派女優として注目された。

 黒澤明監督の映画「羅生門」(50年)では、ヒロインの真砂役を熱望し、眉毛をそってオーディションへ。黒澤監督がその心意気を買い、見事に役を射止めた。その後、溝口健二監督の「雨月物語」(53年)などに出演、スクリーンで圧倒的な存在感を見せた。51年のベネチア国際映画祭で「羅生門」、54年のカンヌ国際映画祭で「地獄門」と、出演作が海外の映画祭で相次いで最高賞を受賞し「グランプリ女優」と呼ばれた。

 NHK大河ドラマ「花の乱」(94年)や、「必殺」シリーズなどのテレビドラマでお茶の間に親しまれた。

 京さんは舞台でも活躍。橋田壽賀子さん作、石井さん演出の「喜劇離婚」(80年)や「大家族」(84年)。また佐藤愛子さん原作、石井さん演出の「夕やけ小やけでまだ日は暮れぬ」(90年、2002年)などに出演した。最後の舞台は2006年の「女たちの忠臣蔵」(橋田さん作、石井さん演出)となった。公演は東京・明治座や名古屋・名鉄ホールで行われ、京さんは名古屋公演の際には「いかにきれいに正座し、よろめかず立てるか不安ですが(9月上演の)明治座ではうまくやれた。いい状態で名古屋に入れてうれしい」などと語っていた。

 87年に紫綬褒章、94年に勲四等宝冠章を受章している。

◆石井プロデューサー 大女優にふさわしいお芝居

山田五十鈴さん(左)、石井ふく子さん(右)と舞台「夏しぐれ」会見で=2001年

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 京さんが出演した数多くの舞台を演出した石井ふく子プロデューサーは14日、コメントを発表。「大女優さんとお呼びするにふさわしいお芝居をされる方でした」などと悼んだ。

 石井さんは「京マチ子さんとは長いお付き合いでした。テレビ、舞台でたくさんのお仕事をしたことを懐かしく思い出します」と振り返る。

 さらに「私と同じマンションにお住まいになっていたので、親しくさせていただき、煮物などお好きなものを調理するとお持ちして、召し上がっていただくような仲でした」と親交の深さを示した。「気さくな方で、お友達がよくお部屋に集まっていました」と人柄を説明。

 最後には「京さんのような方はもう現れないと思います。お声を聞くことも掛けることも、もうできないことをとても寂しく思います」と結んだ。

 

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