三石琴乃さん
HIMEKAさん
いくら人気の日本アニメでも、50カ国で放映された作品となるとそう多くはない。「美少女戦士セーラームーン」は、世の女の子を夢中にさせた。
その「セラムン」の主人公、月野うさぎを演じていた声優の三石琴乃(みついし・ことの)が腹部の激痛に見舞われたのは、1993年1月のことだった。大団円へ残るは3話というところに来て、卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)で緊急入院。降板に、自分の中のうさぎと泣いた。
ドジで泣き虫、どこにでもいる中学生の女の子。そんなうさぎがセーラー服の戦士に変身し、悪の組織が送り込む妖魔と闘う。「月にかわっておしおきよ!」は、サラリーマンが酒の席で口にするほどはやった。
「欠陥だらけだけど、仲間のためなら頑張れる。裏表のない、いい子なんです」と三石。24歳で初めてつかんだ主役でもあった。
魔法使いの少女のアニメはあったし、変身して敵を倒すヒーローのアニメもあった。人気の二大路線を東映アニメーションが合体してセラムンは大ヒットし、続編を含め5年続いた。かれんなヒロイン、でもいざとなれば闘ううさぎに、少女たちは声援と喝采を送る。セラムンは女の子の独立宣言だった。
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三石は第2シリーズの5話目でうさぎ役に復帰する。セラムンをドラマカセットにする話が持ち上がると、念願だった第1シリーズ最終回を自分の声で吹き込むことになった。
「泣きながら演じた。仲間が次々やられるつらい話だし、みんなに迷惑かけたこと、お見舞いやお手紙、いろいろ思い出して、涙と鼻水でぐしゃぐしゃでした」
その収録にはアニメ版スタッフの佐藤順一(さとう・じゅんいち)(50)も立ち会った。「うさぎはコロコロ表情が変わる。三石さんはその変化を追い越すくらいの芝居をしてみせる。脚本家もアニメーターも刺激されましたね」
うさぎと走った5年間。三石は「楽しいこともつらいことも極端な日々だった。病気の降板で学んだのは、来た役を大切にすること、いま演じられる幸せを感じること」。
自宅ではセラムンのDVDが繰り返し流れている。子どもが大ファンだからだ。「つい私も家事の手が止まって、子どもの後ろで見入っちゃう」
世代をまたぐセラムンは、国もまたいだ。
昨年12月、セラムンのイベントで三石らとともに舞台に上がったのは、カナダ人の女性歌手HIMEKA(29)。
ごめんね、素直じゃなくて――
主題歌「ムーンライト伝説」を日本語で歌い、イベントが終わると泣きながら三石に抱きついた。セラムンは自分の人生を変えた作品だったから。
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出会いは15歳。テレビで見て衝撃を受けた。大好きなディズニーアニメのお姫様と違い、主人公は守られるだけの存在ではない。「私と同じ泣き虫のうさぎが頑張る姿を見て、私にも、自分の人生を変える力があるかも知れない、と思った」
日本の少女マンガにも夢中になった。スーパーヒーローばかりの米国マンガとはかけ離れた、少女たちの世界。アニメとマンガをもっと知りたくて、独学で日本語を学び始める。
20代で一人暮らしを始め、朝から晩まで工場やファストフード店で働いた。つらい時は部屋でアニメソング――アニソンを歌い、自分を励ました。「アニソン歌手になりたい」という夢が膨らんだ。
2008年春に来日、「全日本アニソングランプリ」に応募し、3千人を超す応募者の頂点に立つ。翌春、アニメの主題歌でデビューが決まった。
泣き虫うさぎに、世界でどれだけたくさんの女の子が励まされたことだろう。HIMEKAの歌も、どこかで誰かに勇気を与えるかも知れない。
「そうなったら、すごいうれしい。私もたくさんもらったから、いつか誰かに与えたい」
世界で引っ張りだこの日本アニメ。大小の制作会社がしのぎを削るなか、日本アニメ史を体現してきた東映アニメ(旧・東映動画)を軸に、映像に想像力を羽ばたかせる人々を追う。
(このシリーズは小原篤が担当します。本文中は敬称略)