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1997年2月5日クルジャ、イーニン、伊寧、伊犁事件または伊寧大屠殺

2006-02-06 23:49:32 | ニュース

伊寧大屠殺 我々は忘れることを拒む

ウイグル人権プロジェクト2月3日
http://www.uhrp.org/press_releases/the_ghulja_massacre_we_refuse_to_forget

中国における警察についてのリポートの中では、デモに対しては致命的な力が使われている。ウイグル人権プロジェクトは1997年2月5日のクルジャ(イーニン)大虐殺9周年に明らかにした。情報筋のいくつかによれば、クルジャ(イーニン)の平和的なデモに対して警察により100人以上が殺された。
1997年2月から時期を経立たず、何千人ものウイグル人がデモに参加した容疑で拘束され、何百人ものウイグル人が簡単な裁判の後処刑され、その何人かは公開処刑であった。他の多くは「フーリガン」の罪で終身刑を含む長い期間の懲役刑を宣告された。それが家族に知らされることはなかった。

ウイグル人権プロジェクトは中国政府に対して、これらのデモに関連して科せられた死や続いた逮捕、懲役刑の宣告、処刑に独立した調査を許すことを申し込んでいる。公式な説明ではこのデモは「テロリズム」の行動であり、独立した証拠、証言が規制や裏づけなく通されるはずがないという。

「中国当局はその日何が起こったかを忘却し、歴史から消し去ることを決定したようである。他の誰にも忘れさせることもである。」ウイグル人権プロジェクトの会長Nury Turkelはいう。「しかし我々は忘れることはできないし、真実、忘れることを拒否する。殺されまたいまだ監獄にいる人たち、東トルキスタンにいる彼らと彼らの家族には正義と真実を知り仕返しの恐怖なく真実を述べる権利がある。」

1997年2月5日のデモはいくつかの問題、ウイグルのマシュラップと呼ばれる集会、地域社会の問題を討議し解決する重要な社会的な集会の禁止の問題を含んでいた。
クルジャ(イーニン)のマシュラップはウイグル人青年の間のアルコールや麻薬の常用のような中国当局が無視してきたと多くが考えている問題を発言することについてずっとうまくいってきた。ウイグル人地域社会はまた16のチームのサッカーリーグを組織し、それはアルコールや麻薬に走っていしまいそうな高失業率の若いウイグル人の心配事をうまく転換させるものとしてみなされていた
しかしながら中国当局はマシュラップを禁止した。報告されたことによれば若い人を動員できることへの成功はウイグル民族主義と「分離主義」を懸念したからである、そのすぐあとサッカートーナメントが始まる直前に中国当局は
クルジャ(イーニン)のサッカー競技場に軍事訓練に必要であると戦車を配備させそのサッカーの試合は「不法集会」であるだろうと放送したのである。

「2月5日のデモは自発的なものであった。」とTurkel氏は言う。「それらの人々、何千もの人々はただこれだけのことでじゅうぶんであったのである。中国当局から助けられることはなかった。自助努力をしようとしたときにその行動は中国当局から犯罪であるとされたのである。」

「目撃者によれば2月5日に9人から103人の人が人民武装警察(武警)のデモに向けての発砲によって殺された。人民解放軍は地面に向けて警告射撃を第一に行なったが反射弾で一人の子供を含む何人かが殺された。また他の証言によれば警察が警告射撃なしに群集に向けて発砲した。」

その日に続いて何千人もの人がその日の出来事に抗議したり、またただ失踪した家族や友人を探す為に街路に出たとして警察に拘束された。街路に出た多くの人を囲い込んだように警察はデモをはじめようとして準備していた人たちを探してその家を急襲した。

http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20060207につづく)

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