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審判自体を回避できなくとも、審判による被害を最小限に抑えたい

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306松濤本部前行動5.12/真実味を帯びる安楽死発言

■阿部美樹講師は2016年2月29日公開された動画で、生命維持装置問題について以下のように語っています。

□阿部美樹:再び聖母病院に移送されたとき、医者から「到着が30分遅れていれば難しかった」と言われました。肺機能は低下し、腎臓機能は停止、すでに回復は不可能であると診断されました。そして13の機械につながれる苦痛に21日間耐え抜かれました。そのような時大母様は孝進様、興進様、榮進様が来て、霊界に迎えたがっているという言葉をお母様にお伝えしました。

お母様はお父様の苦痛を察し、そのようなお姿で延命されることを願われるお父様なのだろうかと苦悩され、生命維持装置を取ることも考えましたが、結局外すことはされませんでした。しかし、亨進様、國進様にとっては、そのような姿が誤解する決定的な事件になってしまったのです。亨進様は次のように語られました。

「お母様は50年間この謎を隠していました。私たちはお母様が痛みや恨みを持っていることを知っていました。しかし、お母様がお父様に対してこのように復讐心を持っていたとは知りませんでした。(2015.9.13)」


このように語っていますが、夫を苦痛から解放してさしあげたいと願うことが「復讐」となるのでしょうか?この亨進様の批判は、真の父母様が育まれた夫婦愛、妻のもつ「烈」の心情世界が分からずに完全に誤解している状況ではないでしょうか。

真のお母様は、「清平で3日以上過ごして霊界に行かれなければ」と語られ、救急車を改造され、清平に聖母病院と同じ施設を準備して移され、8月31日午後7時にお父様が到着されました。そのとき、お父様が目でお母様を探され、お母様は「お父様、家に帰ってきましたよ。家に帰ったのでいいでしょう?」と語られました。するとお父様が涙を流されました。眼差しで、手で、2人だけで深い対話の時間が持たれました。

9月2日、真の家庭が集まり、お父様の好きな歌を歌い、手足を揉まれました。夕方から血圧、脈拍数が落ちていきました。お母様を中心に聖歌を歌い、お父様を送る厳粛な時間を過ごされました。そして4日目の9月3日午前1時54分、お母様と共に「サランヘ・アボニム」を歌い、見送る中で聖和されました。それから、すぐお母様は医療装置を外すように指示されました。(「真のお母様の生涯とサンクチュアリ教会問題」2016.2.29)

目次306

■以上の内容につき、以下に問題点を指摘します。

(1)すぐにお父様が回復不可能になったかのように表現している

■阿部講師はお父様が聖マリア病院に搬送され、そのすぐ後に「肺機能は低下し、腎臓機能は停止、すでに回復は不可能であると診断されました」かのように語っています。お父様の病状回復が難しいとの医師の判断が示されたのは8月28日です。阿部講師はお父様が8月13日の夜に再入院されて、翌14日には回復不可能になったかのように語り、まるでお父様が回復不可能であったから、やむを得ず生命維持装置を外す話が出てきたかのように、完全に間違った印象を与えています。

(2)生命維持装置を外そうとした動機を愛だとする非常識

■阿部講師はお父様の生命維持装置を外そうとした韓氏オモニの動機を、夫を苦痛から解放してさしあげたいと願った夫婦愛、妻の「烈」の心情であると説明しています。生命維持装置を外すということはリアルな「殺人」であることは誰が考えても分かることなのに、その動機を愛であるなどと、全く空想的で非常識な説明をしています。お父様の病状が五分五分と報告され、全食口が断食していたような段階で、回復不可能であったというイメージを作り出し、その動機を愛とする説明は完全なウソです。

(3)なぜ、清平で3日以上過ごして霊界に行かれなければならないのか


■阿部講師は、韓氏オモニがお父様は清平で3日以上過ごして霊界に行かれなければならないと言ったことを清心国際病院への移送の理由としています。清平で3日以上過ごさなければならないという話は石俊淏会長の報告にもありません。それが本当に韓氏オモニの言葉なのかどうか、また韓氏オモニの言葉なら、どうして清平で3日以上過ごす必要があったのか、その説明が必要です。

阿部美樹

(4)涙を流し、深い対話をされたお父様

清心国際病院に到着されたお父様は目で韓氏オモニを探され、涙を流され、眼差しで韓氏オモニと深い対話をされたということです。ここまではっきりとした意識のあるお父様の生命維持装置を韓氏オモニが外そうとしたというのですから、その動機が愛であったなどと、阿部講師自身疑問に思わなかったのでしょうか。9月2日にお見舞いをされた劉正玉先生をお父様が目を開けてご覧になり、足さえ動かそうとされたということでしたから、最後までお父様にはっきりと意識があった可能性の方が高いということになります。

■阿部講師が動画で語った以上の内容が、その後サンクチュアリや顕進様側から批判されたことを受け、2017年2月15日、家庭連合ではそれに対する反論文を出しました。そのポイントとなる主張は以下のようになります。

(5)亨進様の説教情報を正しいものと仮定した

■下に見るように、阿部講師が韓氏オモニは愛を動機として生命維持装置を外そうとしたと解説したことは、亨進様が生命維持装置を外そうとしたと語ったことが正しい情報であると仮定した上でのことであるとしています。実際は正しい情報ではなかったので、阿部講師の解説は無効であると言いたいのです。

□家庭連合:上述の「お母様はお父様の苦痛を察し、そのようなお姿で延命されることを願われるお父様なのだろうかと苦悩され、生命維持装置を取ることも考えられました」という部分は、亨進様の説教情報を正しいものと仮定した上で述べたものでした。(2017.2.15)

変わる家庭連合の主張01

(6)涙を流し、深い対話をされたというのは錯覚にしたい

□家庭連合:「…するとお父様が涙を流されました」と説明したのは、「お父様が目でお母様を捜され……するとお父様が涙を流された」と証言する人がいたためです。おそらく、それは回復を強く願う思いも手伝い、真のお父様の意識が回復されたと思い込んだのであり、W医師によれば、意識のない状況でそれはありえないと証言しています。それくらい、実際のお父様のご容体は厳しいものでした。(2017.2.15)

■このように、「涙を流し、深い対話をされた」と阿部講師が解説したのは、そのような証言をする人がいたからであり、それはその人の思い込み(言い替えれば錯覚)であったと主張しています。錯覚であることの根拠として、以下のように述べています。
 
□家庭連合:W医師は29日朝、韓国に到着。聖母病院の主治医に会って病状を聞くと「もう長くない状態です」と説明を受けた。お父様は手足を動かし、時々目を開けておられた。しかし、W医師が瞳孔に光を当てると“対光反射”は認められ、痛み刺激に顔をしかめるような反応はあったが、昏睡で意識がない状態であられた(JCSⅢ-200の状態、JCS:ジャパン・コーマ・スケール)。医師ではない、看護師や病室を訪ねた関係者が見ると、回復を強く願う思いも手伝ってか、お父様はまだ意識があり、回復するかもしれないと思えたかもしれない。しかし専門の立場から見れば、すでに昏睡で意識がない状態で、極めて重篤であられた。(2017.2.15)

■W(渡辺)医師の証言によると、29日時点でも「お父様は手足を動かし、時々目を開けておられた」「痛み刺激に顔をしかめるような反応はあった」けれども、しかし、「昏睡で意識がない状態であられた」ということです。だから、「涙を流し、深い対話をされた」というのは、その人の錯覚であるという主張です。ここでW医師の証言が重要になってきます。手足を動かし、時々目を開け、痛み刺激に顔をしかめる状態が意識がないと言えるのか、W医師に確認する必要があります。

変わる家庭連合の主張02

(7)聖母病院で聖和されれば、なぜ聖和式の挙行が難しいのか

□家庭連合:W医師によると、当時、真のお母様を含め誰もがいかにお父様に地上に長くいていただくかを考えた時期であり、聖母病院で生命維持装置を外す論議が出るような状況ではなかったとのことです。もし装置を外したら、真のお父様は聖母病院で聖和されることになり、「聖和式」の挙行も難しい状況が生じた可能性があったからです。お母様の願いは「何としても生かしてほしい」というものでした。(2017.2.15)

■W医師は29日に訪韓しているのであり、生命維持装置を外す話が出てきたのは、それより10日以上前のことです。ですから、「聖母病院で生命維持装置を外す論議が出るような状況ではなかった」と言える立場ではありません。また、言えたとしても「聖母病院で生命維持装置を外す論議が出るような状況ではなかった」というのは、初めから終わりまでその通りなのであり、当たり前のことです。

そして、問題なのはお父様が聖母病院で聖和されたなら、聖和式の挙行が難しくなった可能性があったと述べている点です。お父様が聖母病院で聖和されれば、なぜ聖和式の挙行が難しかったのでしょうか。聖和式の挙行が難しくなるので清心国際病院に搬送する必要があったとも取れる主張なので、この点は家庭連合に説明してほしいものです。

(8)家庭連合が言及しないおかゆの誤嚥問題

■8月13日の夜、お父様は清心国際病院から聖マリア病院に救急搬送されます。以下は2012年8月19日の礼拝で亨進様が語られたものです。

□亨進様:(通訳)次の日朝、お母様は本当に最善を尽くしてお父様を説得されました。そして清心病院に移動されました。私達が横の部屋にいたんですが、私達が部屋から出てくる前に本当に早く移動されたんですね。その当時、酸素タンクを持って、その携えて、呼吸を助けなくてはならない、そのような状況でした。そして看護婦と医師達が最大の努力をしていました。ところが、その医師達はお父様に侍ることが非常に難しいということをだんだん感じるようになって行ったのです。そしてその日、國進兄さんがアメリカから帰ってきて、お母様と医師と共に…

酸素飽和度ですね、その酸素がちゃんと供給されているかどうか、体に。そのような内容を確認したところ、体内によく吸収されていないということが確認されたので、お父様がここでは、お父様が気が楽だろうということで、その清心病院に行かれたんですけれども、お母様がここでは駄目だということで、聖母病院に行けば重患者室があるので、ソウルに移動した方がいいと判断を下されました。その当時、お父様は力が弱く、おかゆを召し上がっていたんですが、柔らかいおかゆを召し上がっていたんですけれども、肺がちゃんと機能していない、そのような状況の中で、お父様が力を出されるようにということで、おかゆを差し上げていたんです。

しかし病院を移動される時に、召し上がったそのおかゆがうまく入っていかずに、肺炎のそのお体にそのおかゆがですね、おかゆがうまく体内に、胃に吸収されずに、別のところに入っていったんです。それでお父様は非常に危険な状態になられました。そして呼吸を助ける為の処置が病院でなされました。そして私達は、私は漢南洞に行ったんですけども、漢南洞から國進様、お兄さんと一緒に病院に行きました。私が病院に到着した時、お母様が待っていました。私達は1時間待って医師から状況を聞くと、もしお母様の決定が少し遅れていたならば、お父様がもし30分遅く病院に到着していたならば、その日お父様は霊界に行かれていただろうと、そのような医師の話を聞きました。それほど深刻な状態だったのです。(2012.8.19)

■この同じ場面を石俊淏会長は以下のように報告しています。

□石俊淏会長:このように一晩ほとんど休まれずに天正宮で祈祷とみ言で過ごされたお父様は、その翌日の8月13日には自動車に乗られ、清平団地を回って来ると言われながら清心中高等学校の前まで行って来たりされました。普通の人であれば床から起き上がることもできない程のご病状でしたが、真のお父様の精神力は想像をはるかに超越したお姿でした。

しかし午後になるとお父様の体力は急激に衰え始めました。もちろんこれを誰よりも先に感知されたお方は、真のお母様でした。お母様は涙でお父様に訴えられながら、病院に行きましょうと懇請を申されました。普段であれば一言で断るお父様でしたが、この日は喜んでお母様の忠告を受け入れられて「そうかいオンマ、ありがとう」と語られて清心国際病院へ行かれました。

清心国際病院に何時間か留まりながら療養をされておられる間にも、真のお父様の状態は更に悪くなりました。ひどい咳をされながら苦しそうにされているお父様をご覧になられたお母様は、直ちにお父様の許諾を受けて再び総合病院であるソウル聖母病院へお父様を送られることを命じました。とり急ぎお父様が普段好まれて乗っていらっしゃったSUV車で、お父様に侍り清心病院の看護婦2名と酸素ボンベ2本を載せて、車中でも酸素供給を続けました。

約1時間程かかる道のりでしたが、千年も過ぎ去るような恐ろしい死闘の時間でした。ソウル聖母病院まであと約20分という地点からは、お父様の呼吸が甚だしく乱れるようになり、これ以上堪えることができないようなお姿でした。運転手や看護婦たち、車中にいたすべての人々はその時点でこの世が終わったような戸惑いを感じながらも、命をかけて疾走しお父様を無事に病院までお送りしました。

ソウル聖母病院207号室に入室された真のお父様は、直ちに応急措置を受けられました。夜中でしたがここそこから非常呼び出しを受けて駆けて来た医師たちだけでも5~6人、看護婦たち7~8人、各種の応急手当の装備が数台….まさに戦争を彷彿させるような、1時間程の闘いでした。(2012.8.30)

■この2つの報告を読み比べてみると、清心国際病院に行かれたお父様の病状が医師の手に負えそうもないということで、聖マリア病院に移ることを韓氏オモニが決定しました。そのような状況の中で、お父様がおかゆを誤嚥されたので、急遽聖マリア病院に向け出発したということになります。その車中でお父様の病状が急激に悪化して行き、もう少しで手遅れになるところでした。

おかゆの誤嚥がなければ、そこまでの危篤状態にはならなかったと考えられます。その後、問題となる生命維持装置の装着もなかったかも知れません。ですから、おかゆの誤嚥問題は大変重要です。しかし、家庭連合の報告や反論にはこのことに言及がありません。なぜなのでしょうか。都合が悪いので無視したいのでしょう。

お父様におかゆを食べさせたのは孝進様の奥様、文妍娥様です。これは私が二代王妃李妍雅様から直接聞きました。文妍娥様が李妍雅様に電話をしてこられて、「私がお父様におかゆを食べさせて大変なことになってしまった」と、動揺しておられたとのことでした。文妍娥様は誰かの指示でお父様におかゆを差し上げたのだと思います。

裏切り聖母病院6名

(9)なぜ清平から送る必要があったのか

■石俊淏会長の報告では、お父様の聖マリア病院から清心国際病院への移送目的は「真のお父様をより少しだけでも地上で長く侍ることができて、より少しでも楽に生きられて行かれるように」ということでした。8月13日の段階では、清心国際病院の医者の手に負えないということで聖マリア病院に移したのであるし、どう考えても聖マリア病院から清心国際病院に移すことがお父様の命を長らえさせることになるとは、誰も納得するはずがありません。ですから、家庭連合の反論では以下のような理由にしています。

□家庭連合:しかし、8月29日になると、お父様の肝臓が弱り始めました。肝臓が機能停止すると心臓に悪影響が及び、内蔵の全器官が機能停止する危険が出てきます。お母様は、清平以外の場所からお父様を霊界に送ることはできないと言われ、お父様は清心国際病院に転院することになりました。(2019.3.22)

■なぜお父様を清平から送る必要があったのでしょうか。これについて韓氏オモニは何の説明もしていません。お父様が聖マリア病院で息を引き取られるのと、清心国際病院で息を引き取られるのと、何の違いがあるのでしょうか。危篤状態のお父様を無理矢理、清平に移送したのですから、よっぽど重大な意味があるはずですが、お父様の聖和後もそのことについて何の説明もありません。

韓氏オモニがお父様の聖和後強調したのは、大母様のおかげで世界平和センターで聖和式を行うことが出来た、皆様はこれを知らなければなりませんということでした。もし、清平から霊界に行くことに重大な意味があるならば、死に場所として全ての食口が清平を願うムーブメントが起きてもおかしくありません。しかしそのような動きは全くありません。

それ以前にも、食口がどこで息を引き取るかについて、問題になったことも、話題になったこともなく、これからもないでしょう。韓氏オモニが「清平以外の場所からお父様を霊界に送ることはできない」と主張したのは、移送するための単なる方便であったと見ることができます。

ヤンチャンシク

(10)金榮輝、李載錫、金孝律、梁昌植、石俊淏、金孝南にインタビューせよ

■2019年3月22日の反論文では、生命維持装置を外そうとした話は作り話であること、それは國進様の安楽死発言を正当化する為であったと述べています。また、韓氏オモニが36家庭の代表を呼んで生命維持装置を外すことについての賛否を質した会議もなかったと主張しています。この会議について亨進様は以下のように語っておられます。

□文亨進様:私たちは韓国の病院にいるときから、大変な戦いをして来ました。お父様を安楽死させようとするとき、「お願いです。お母様、こんなことをしたら、あなたはメシヤの殺人者となってしまいます!」と言い、お母様から平手打ちを受けても、それでもその意志を貫き通しました。私は36家庭を呼んでほしいと言い、彼らに説得を続けました。そして、最終的に、お母様は朴ポーヒー、李ジェソク、金ヨンヒ、ヤン・チャンシク、ソク・チュノ、金ヒョユル、金ヒョナムを呼ばれ、彼ら一人一人に尋ねました。

私がお父様を解放してあげたいと、このチューブなどを全て取り除きたいと、唇の色が変わってきていると。お父様から家、土地などの財産を受け、一生楽に暮らすことのできるそのような恩恵と、食口たちからの尊敬を存分に受けた彼らですが、その中で誰一人として、最後の瞬間にお父様を守ろうとする人はいませんでした。その日、朴ポーヒーだけ、「お母様、メシヤが生きていらっしゃるということは祝福だと思います」と反対をしました。私がそれを認めます。他の間違いはたくさんしましたが、朴ポーヒーはその日その瞬間に反対する言葉を言いました。

しかし、その他の者たちはぐうの音も出ず、自分のメシアがベッドに横たわっていらっしゃる時、私が全世界のシックたちに、お父様のために精誠を尽くしてほしいと公文を送り、全シックたちが断食、敬拝、祈祷の精誠の中にいるとき、お父様を安楽死させようとする、この狂った行動、誰一人として、一言も発しませんでした。皆さん、これは詐欺です。(「主を捨てた悪しき時代」2015.7.8)

■この会議に参加していたのは、朴普煕(故人)、金榮輝、李載錫、金孝律、梁昌植、石俊淏、金孝南の7人です。これらの参加者に家庭連合はインタビューするべきです。生命維持装置を外す話はあったのか、なかったのか。会議はあったのか、なかったのか。説得力のない反論文を書くよりも、彼らの証言で簡単に決着を付けることができます。

果たして彼らは亨進様と対決するだけの覚悟を持って、ウソの証言をすることができるかどうか、楽しみに待ちたいと思います。家庭連合はいつでもインタビューできるはずですから、もしそのインタビューがいつまでも公開されないということになれば、本人達がインタビューに応じない、すなわち、本人達がウソの証言をする勇気がなかったということになります。

変わる家庭連合の主張03

(11)愛のない韓氏オモニ

■亨進様は2012年8月26日の礼拝で以下のように語られました。

□文亨進様:(通訳)今週お父様を看病しながら、皆さんの家族の中でも、おじいさん、おばあさん、家族の中でご高齢の方が入院した、その方の姿をご覧になった方がいれば分かると思います。お父様が呼吸をすることが出来るように、大きなホースが首の中に入っています。そのホースが長い間喉に入っていると喉に張り付いてしまうのです。ですから、今週、バクテリアに感染してはいけないので、そのホースの交換をしたのです。今まで私達がお父様の面会に行く時、ホースがお父様の口に入っているんですけれども、よく見えないプラスチックの部分があったんです。

そのプラスチックの部品が口を覆っていたんですね。しかしそれを交換したので、今週交換しますので、非常に不便で、そのチューブを、ホースを噛んだんですね。そして歯が1本抜けてしまいました。非常に苦痛を受けるそのような姿でした。歯が抜けるほどに噛まれたんです。そしてそのプラスチックを外したので、私達もお父様にお会いしに行く時に、非常に苦痛です。いつも強いお父様の姿を見ていたのに、そのように横になって、口も隠すことが出来ないので、いつも半開きのままで、非常に体が不自由ですから、今週医師が決定を下すことでしょう。何かというと喉にホースが入っていますから、喉に穴を開けるかどうかという内容を今週決定が下される予定です。

人工呼吸機

皆さん、考えて見て下さい。生涯み言を語られた、そのような生き方をされたお父様が、そして常に動かれ、そのお父様がもう2週間、縛られて、非常にたくさんのホースがつながれていますから、手も縛られた状態です。それらを外してはいけないので、危険ですので、縛られた状態ですし、ホースがつながれていますから、しゃべることができません。この状態は十字架よりも苦しい状態だと思います。今週お父様にお目にかかって、お父様は今十字架に掛かっておられると、そのように感じました。十字架に釘付けにされたイエス様も数時間でその苦痛が終わったのに、お父様は同じ場所で毎日毎日…。私のお父さんではなく、皆さんのお父様です。世界のお父様です。(2012.8.26)

■お父様に装着された生命維持装置とは人工呼吸機のことで、それも気管内に挿管チューブを入れるものでした。これは患者として非常に苦しく、亨進様が語っておられるように、お父様が歯が抜けるほど噛まれたのは、それを外せというお父様の必死の抵抗であり、抗議であったと思います。

気管挿管が長引く場合には感染症を防ぐために気管切開に変更します。この場合は発声も可能になります。お父様のケースでもそれを検討した訳ですが、韓氏オモニはお父様の聖体を傷つけることは出来ないと言って反対しました。聖体を傷つけることは出来ないといっても、現実に太いパイプをつないで傷つけているのだし、イラン戦争勃発時は腎臓の手術もされているのです。

生命維持装置を外そうとした時の理由が、お父様を苦痛から解放してさしあげたいということであったのならば、どうしてここで気管挿入から気管切開に切り替え、お父様の負担を少しでも軽くすることを考えなかったのでしょうか。聖体を傷つけてはいけないとお父様を思うようでいて、実際は目の前の壮絶な苦しみを少しでも軽減してあげようとしなかった韓氏オモニには愛がないと言うべきです。

亨進様20120826

(12)真実味を帯びる安楽死発言

■このような形でお父様が聖和されるとは、誰も考えませんでした。お父様は基元節を何年も前から予告し、待ち望んでおられました。そしてその後何が起こったのかを見れば、お父様の聖和はイエス様の十字架と同様に、韓氏オモニ及び弟子の裏切りゆえの第二次摂理であったということが出来ます。亨進様は2012年8月26日の礼拝で以下のように語られました。

□文亨進様:(通訳)このようなすさまじい時代にお父様が突然、具合が悪くなったのです。突然です。私はお父様と一緒に1年半共に過ごして来ました。お父様はいつも、何度も何度も風邪にかかったり、具合が悪かったりしました。でも、すぐに回復されたんです。でもすぐに、具合が悪くなってもすぐ回復されることを繰り返していました。そしてラスベガスに行かれても、どこに行かれても、お父様は117歳まで生きると、そのようなみ言も何度も聞きました。私はそれを信じています。なぜ突然、お父様がこのような苦痛に陥ったのでしょうか。(2012.8.26)

■おかゆ誤嚥事件、聖和式準備開始、生命維持装置事件、清平移送問題など、おかしな出来事が立て続けに生じながら、お父様の病状悪化は、肺機能低下、腎臓機能低下、肝臓機能低下とつるべ落としで進行して行きました。亨進様がその異常事態の渦中で「なぜ突然、お父様がこのような苦痛に陥ったのでしょうか」と、困惑と悲痛な思いを吐露されたように、まさに予測不能な出来事の連続でした。

韓氏オモニが生命維持装置を外そうとした事件を、どうしてもなかったことにしたい家庭連合、お父様は回復不可能な意識不明状態であったことにしてしまいたい家庭連合、清平から霊界に送らなければならないと言い張って、お父様を移送してしまった韓氏オモニ。これらを見る時に、図らずも家庭連合の反論文で想起させられた「お母様と訓母様がお父様を安楽死させた」という國進様の安楽死発言が、やはり真実味を帯びて来るのです。

安楽死発言02

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【資料】
お母様が、お父様の生命維持装置を外して『安楽死』させようとした」という批判への応答
(文責:教会成長研究院)
https://trueparents.jp/?page_id=2869

 サンクチュアリ教会側は、真のお父様が聖母病院に入院しておられるとき(2012年8月13日~31日)、「真のお母様と幹部らは、お父様の生命維持装置を外して『安楽死させたい』と考え、安楽死をさせようとしたとき、亨進様と国進様が命懸けでそれを阻止したのだ」と述べ、真のお母様を“殺人者”であるかのように批判します。彼らは、亨進様の説教を以下のような文章にして各方面に送りつけています。しかし、以下の内容は“虚偽のストーリー”です。

 「私達は、病院で大きな戦いをしながら、お父様を安楽死させようとした時、『どうかどうか、オモニがされたら殺人者になります。メシアの殺人者になります』と言うと、たたかれ、顔をたたかれました。私を! オモニムが私をたたかれたのです。説得、説得、説得してから私達を呼びました。パクボヒー(原文ママ)、イジェソク、キムヨンヒ、ヤンチャンシク、ソクジュンホ、キムヒョユル、キムヒョナム。彼らを呼んでオモニムは一人一人皆に聞きました。『私がアボニムを解放したい』と、『(生命維持装置)外したい』と、『唇の色が変わっている』と、朴晋照(原文ママ)だけ反対しました。……ところが、他のこの偽り者達が、詐欺屋達がグーの音も言わず、自分のメシアが寝台に横たわっておられた時、全世界に『食口達に精誠を捧げよ、断食せよ、祈祷せよ』と私(亨進様)が全世界にそのメモ公文を送った時、皆が精誠をし、祈祷をし、何、禁食をしている時、一人も言わない。だからオモニムが最後に私を見て、また国進様を見て話しなさいと言うから、私たちははっきりと言ったのです。そうされたら殺人者になります。50年して来られた全ての内容を、歴史はオモニムを殺人者として見ます」(注、亨進様が2015年9月13日の説教で、回顧して語った内容)

 真のお父様の主治医の同意を得て『トゥデイズ・ワールドジャパン』2012年陽暦10月10日号に公表された石俊淏韓国会長(当時)の「真のお父様の摂理的闘病路程」の報告では、ご入院から16日目の8月28日、聖母病院とソウル大学校病院の呼吸器系統の韓国最高の医師から「真のお父様の肺機能回復率がほとんど皆無である」(74ページ)と通達され、その日の午後、金榮輝氏、朴普煕氏、李載錫氏、石俊淏氏らが集まり会議を行ったとあります。

①教会成長研究院の2016年2月28日の映像での反論について

 教会成長研究院は、病室に居合わせた看護師、病室を訪ねた幹部らの証言、そして亨進様をはじめサンクチュアリ教会側の主張を総合し、2016年2月28日の映像で次のように反論しました。

 「(8月13日)聖母病院に移送されたとき、医者から『到着が30分遅れていれば難しかった』と言われました。肺機能は低下し、腎臓機能は停止、すでに回復は不可能であると診断されました。……お母様はお父様の苦痛を察し、そのようなお姿で延命されることを願われるお父様なのだろうかと苦悩され、生命維持装置を取ることも考えられました。しかし、亨進様、國進様にとっては、そのような姿が誤解する決定的な事件になってしまったのです。亨進様は(2015年9月13日の説教で)次のように語られました。
『お母様は50年間この謎を隠していました。私たちはお母様が痛みや恨みを持っていることを知っていました。しかし、お母様がお父様に対してこのように復讐心を持っていたとは知りませんでした』
 このように語っていますが、夫を苦痛から解放してさしあげたいと願うことが『復讐』となるのでしょうか? この亨進様の批判は、真の父母様が育まれた夫婦愛、妻のもつ『烈』の心情世界が分からずに完全に誤解している状況ではないでしょうか。真のお母様は、『清平で3日以上過ごして霊界に行かれなければ』と語られ、救急車を改造され、清平に聖母病院と同じ設備を準備して移され、8月31日午後7時にお父様が到着されました。そのとき、お父様が目でお母様を探され、お母様は『お父様、家に帰ってきましたよ。家に帰ったのでいいでしょう?』と語られました。するとお父様が涙を流されました。眼差しと手で、2人だけで深い対話の時間が持たれました。9月2日、真の家庭が集まり、お父様の好きな歌を歌い、手足を揉まれました。夕方から血圧、脈拍数が落ちていき……4日目の9月3日午前1時54分、お母様と共に『サランヘ・アボニム』を歌い、見送る中で聖和されました。それから、すぐお母様は医療装置を外すように指示されました」(「真のお母様の生涯とサンクチュアリ教会問題」の映像から)

 上述の「お母様はお父様の苦痛を察し、そのようなお姿で延命されることを願われるお父様なのだろうかと苦悩され、生命維持装置を取ることも考えられました」という部分は、亨進様の説教情報を正しいものと仮定した上で述べたものでした。
 しかし、正確な情報は主治医の情報です。

②治療を行った日本人医師の証言、および「真のお父様の摂理的闘病路程」の報告に基づく応答

 聖母病院の主治医以外に、お父様の治療を担当した日本人医師にW医師とA医師、T医師の3人がいます。W医師にインタビューし、正確な情報を確認しました。
 W医師の証言を簡潔に述べると、以下のようになります。

 「8月16日、清心病院の医師から電話で『DIC(播種性血管内凝固症候群)に対し、日本から援助できる治療法はないか』と問い合わせがあり、日本にしかないリコモジュリンという薬の投与が効くと伝え、それをすぐ準備し清平に届けたが、聖母病院の医師からは『その対象ではない』とのことで、投与は見送られた。その後、清心病院の医師から25日と27日に電話があり、『お母様が、日本から呼吸器科と腎臓、透析の専門家を連れてきて欲しい。今の仕事を置いて、半年から1年来て欲しいと言っておられる』との連絡であった。半年から1年、韓国に行くのは大変なことであるが、短期でも行ってお母様の願いにお応えしようと、W医師とA医師は29日、T医師は30日に訪韓した。
 W医師は29日朝、韓国に到着。聖母病院の主治医に会って病状を聞くと『もう長くない状態です』と説明を受けた。お父様は手足を動かし、時々目を開けておられた。しかし、W医師が瞳孔に光を当てると“対光反射”は認められ、痛み刺激に顔をしかめるような反応はあったが、昏睡で意識がない状態であられた(JCSⅢ-200の状態、JCS:ジャパン・コーマ・スケール)。医師ではない、看護師や病室を訪ねた関係者が見ると、回復を強く願う思いも手伝ってか、お父様はまだ意識があり、回復するかもしれないと思えたかもしれない。しかし専門の立場から見れば、すでに昏睡で意識がない状態で、極めて重篤であられた」

 この証言は、石氏の報告「真のお父様の摂理的闘病路程」と一致します。前述したように、石氏の報告には、8月28日に韓国最高の医師から「真のお父様の肺機能回復率がほとんど皆無」と通達されたとありますが、W医師が“対光反射”を見ると意識がなく、それは「ほとんど皆無」という通達を裏付けるものでした。
 W医師が真のお父様のお体を確認すると、生命維持装置で血圧、脈数は安定しておられたが、手足の末端は血行障害を起こし、血の気がない状態であられたといいます。
 この情報は、『トゥデイズ・ワールドジャパン』掲載の石氏の報告「真のお父様の摂理的闘病路程」と一致します。その報告は次のようになっています。

 「8月3日、聖母病院に入院され……肺炎であるという診断を受け……病状は非常に深刻で、敗血症、肺不全により肺に水がたまっていることが判明しました。『絶対安静』が必要だという医師からの注意がありました。しかし真のお父様は、天正宮博物館に必ず行かなければならないと強く命じられ、8月12日に還宮されました。
 還宮後には天正宮博物館のあちらこちらを見回し、手を触れながら別れの挨拶をしていらっしゃるかのようなお姿でした。真のお母様に侍り、最後の祈祷のような深刻な祈祷もなさいました。『全て成した!』というみ言を1日の間に4回も語られながら、周囲を整理されるお姿もありました。……翌13日には『……清平団地を見回る』と言われ、清心国際中高等学校の前まで行ってきたりもされました。しかし午後になると、真のお父様の体力は急激に衰え……お母様は、涙で真のお父様に『病院にまいりましょう』と訴えられました。普段であれば一言で断る真のお父様でしたが、この日は喜んで真のお母様の忠告を受け入れ……清心国際病院へ行かれました。清心国際病院で数時間、療養をしていらっしゃる間にも真のお父様のご容体はさらに悪くなり……お母様は、直ちに真のお父様のお許しを頂き、再び総合病院であるソウル聖母病院まで真のお父様をお送りするよう命じられました。……聖母病院207号室に入室された真のお父様は、直ちに応急措置を受けられました。夜中でしたが、あちこちから緊急の呼び出しを受けて駆けつけた医師だけでも5、6人、看護師7、8人……その晩12時が過ぎた頃になって、真のお父様は5階の集中治療室へ移されました。……深夜1時を過ぎてからやっと集中治療室から出てきたチョン博士は、『……あと30分遅かったら、きょうは大変なことになるところでした』と、真のお母様の知恵深く、素早いご決断に驚いていました。……私たちは、ソウル聖母病院のほかにソウル大学校病院の門をたたいてみたりもしました。ところが……韓国最高の医師たちの結論は……お父様の肺機能回復率がほとんど皆無であるという、呆然とする現実……8月28日のことでした。1人お部屋に入られて、限りなく慟哭される真のお母様……午後、私たちは会議を持ちました。参席者は金榮輝、朴普煕、李載錫、石俊淏、訓母様、金孝律、そして真のご家庭の代表として文國進様と文亨進様。この8人で真のお母様に侍り深刻な会議をしました。……どのようにすれば真のお父様に少しでも地上で長く侍ることができ、少しでも楽にしてさしあげて(霊界に)行かれるようにできるかを深刻に考え議論しました。……『どんなことがあっても、真のお父様のお体を保護しなければなりません』という(お母様の)み言でした」(71~74ページ)

 8月28日の通達があった翌日、W医師は聖母病院に到着します。W医師は、真のお母様の「3日以上、清平で過ごさなければならない。聖和させてはならない」との願いを受け、主治医が「もう長くない状態」と診断し、意識のない重篤状態で、お母様の願いが可能かどうか深刻になったと証言しています。
 教会成長研究院が、前述した映像で「8月31日午後7時にお父様が(清平に)到着されました。そのとき、お父様が目でお母様を捜され、お母様は『お父様、家に帰ってきましたよ。家に帰ったのでいいでしょう?』と語られました。するとお父様が涙を流されました」と説明したのは、「お父様が目でお母様を捜され……するとお父様が涙を流された」と証言する人がいたためです。おそらく、それは回復を強く願う思いも手伝い、真のお父様の意識が回復されたと思い込んだのであり、W医師によれば、意識のない状況でそれはありえないと証言しています。それくらい、実際のお父様のご容体は厳しいものでした。
 W医師によると、当時、真のお母様を含め誰もがいかにお父様に地上に長くいていただくかを考えた時期であり、聖母病院で「生命維持装置」を外す論議が出るような状況ではなかったとのことです。もし装置を外したら、真のお父様は聖母病院で聖和されることになり、「聖和式」の挙行も難しい状況が生じた可能性があったからです。お母様の願いは「何としても生かしてほしい」というものでした。


 石氏の「真のお父様の摂理的闘病路程」の報告と日本人医師の証言は一致しており、これが“真実”と言えます。したがって、真のお母様が、真のお父様のご聖和前に医療装置を外すよう指示された事実はありません。
 ところで、サンクチュアリ教会側の人のなかには、「信頼できる筋からの情報では8月15日ころには韓鶴子総裁の命令で聖和式の準備が密かに始められていた」などと語っていろいろ批判をする人もいます。
 しかし、前述したとおり、日本のW医師の証言によると、「8月16日、清心病院の医師から電話で『DIC(播種性血管内凝固症候群)に対し日本から援助できる治療法はないか』と問い合わせがあり、日本にしかないリコモジュリンという薬の投与が効くと伝え、それをすぐ準備し」て韓国に届けたり、さらに、真のお母様が8月25日と27日に清心病院の医師を通じて、「日本から呼吸器科と腎臓、透析の専門家を連れてきて欲しい。今の仕事を置いて、半年から1年(真のお父様の治療のため)来て欲しい」との連絡をされ、専門医を日本から呼び寄せようとしておられます。事実、そのお母様の願いにお応えしようと、3人の医師がすぐに訪韓しているのです。この一点をみても真のお母様が真のお父様のご容態を誰よりも心配なさっていたことは明らかであり、万全の態勢をもって取り組もうとしておられたことは間違いのないことです。お父様が1日でも長く地上におられることを願われ、そのために最後までお母様は懸命にお父様に侍られ、お守りされました。

 亨進様が語っておられる「お父様を安楽死させようとした」「私たちは……お母様がお父様に対してこのように復讐心を持っていたとは知りませんでした」という発言は、真のお母様に対する反発心から、真のお父様と「最終一体」になっておられるお母様をおとしめ、誤った情報で教会員を「真の父母」から離反させようとする“情報操作”のための発言です。私たちは、このような意図的で不正確な情報に惑わされてはなりません。
 私たちは、真のお父様がご生前に語っておられた「先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません」とのみ言に従って、天の父母様とお父様の“夢”を実現させようと最前線に立って奮闘しておられる真のお母様と一体化し、お母様をお支えする歩みをしていかなければなりません。それが、お父様の最大の願いでもあるからです。
― 以上 ―
※2017年2月22日に追記をしました。


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Author:澤田地平
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