新たな策
リ・エスティーゼ王国にあるレエブン領、その中心であるエ・レエブルは待ちに待った雪解けの季節に活気付いていた。
毎年、春は活気付くものである。
しかし、今年は例年とは比べものにならない程の賑わいを見せていた。
それは、新しい領主がレエブン領の西側に広がる大森林の開墾に力を入れ出した事が理由である。
冬の内に既に村一つ分程の伐採は済んでおり、現在は農村からあぶれた働き手を募って石や木の根を取り除く作業の真っ最中だ。開墾した土地であれば自分の土地にできるという事もあり、エ・レエブルの貧民街から人の姿が消えている。
皆住む場所や働く場所がなかっただけで、こうして仕事ができた今は競い合う様に仕事を斡旋する役人の所で列をなしている。
ここまで早い開墾の裏には、“真冬の奇跡”をなした魔法詠唱者の尽力があった為だと言うのが街では専らの噂だ。
なんでも、死霊使いのその魔法詠唱者が召喚したアンデッド達が、森から出てくるモンスター達と戦いながら開墾を進めたという。今はもうそんなアンデッド達の姿はなく、立派な作りの宿舎が切り拓かれた土地に建っている。それは役人からの説明だけでない信憑性のあるものだ。
貴族などの権力を嫌った冒険者からもこの情報は伝えられているからだ。
森から出てきたモンスターは、長期依頼で雇われた冒険者達が退治をする事になっている。これも政策の一つで、今では噂を聞きつけた王都や他の領の優秀な冒険者をこのエ・レエブルに数多く来ている。
そんな安全がある程度約束され、更に最低限の衣食住は保障されている。
危険が伴う重労働だが、それに見合う対価が手に入るという事で、多くの働き手が集まる結果となっている。
そんな事もあり、現在のエ・レエブルの街は切り出された木材の加工職人や開墾地での働き手の募集、そして単純な人の行き来に商機を見出した商人など多くの人々で賑わっている。
皆一様に新しい領主の手腕に感心し、尊敬と敬愛の念を向けていた。
──ただ一人の死の支配者を除いては。
「いーやーでーすー。俺も参加して見たいんですっ! なんでこんな時だけレイナースさんを贔屓するんですか! いいじゃないですか! 魔法職としてはもうぶっちゃけいい勝負出来そうな人いないんですよ? 戦士職としてだったらステータス大体同じくらいの筈だからいい勝負ができる筈なんです! たまにはそういった勝負しとかないと感覚って鈍っていくんですから、でてもいいじゃないですか!」
場所はエ・レエブル内にあるレエブン侯爵邸。その主人の書斎には三人の男達がいた。
一人は部屋の主人であるエリアス・ブラント・デイル・レイブン。昨年領主になったばかりの若き大貴族の青年だ。青白い肌と陰鬱な顔立ちの彼は普段は微動だにしない表情筋を駆使して苦虫を潰した顔をしている。
もう一人はそんなエリアスに食ってかかっている仮面の男。異世界からの転移者であり凄腕の魔法詠唱者であるモモンガことナインズ・オウン・ゴール。シンプルな装飾の仮面に黒色の上質なローブを着ており、服装だけ見れば高貴な生まれの魔法詠唱者といった所だ。
しかし今の彼はエリアスの腕を掴んで揺さぶっている。さながら母親にお菓子を強請る子供と言った風情だ。
最後の一人はそんな二人を困った表情で見守るイエレミアス・マイルズ・デイル・レエブン。エリアスの叔父でありナインズの友人でもある彼はどちらに味方をするべきなのかを決めかねて視線を彷徨わせている。
もし防音のしっかりした部屋で無かったなら、この大の大人三人の会話とも思えない会話を聞かれていただろう。それ程の声量でナインズは主張していた。
「だって折角王都に行くんでしたらその御前試合に出てみたいじゃないですか!」
そうナインズがこうも大声を出している原因は、近々王都で開催される大会だった。
レエブン侯爵の結婚式の折に参列者として訪れた王子。彼が出席を確認した春の式典、王国成立二百年を祝う建国記念式典が開催される。
節目の年という事を利用した、年々陰る王の力を諸侯に再確認する為のものだ。
そして、そのめでたい席で開催される御前試合があるのだ。
参加条件は戦士などの前衛職で有ること。身分や素性を問われないこの試合は、平民出身の力自慢達が数多く集まり力を競う場になる予定だ。そこで力を認められれば王宮仕えも夢ではない。
そんな夢に溢れた試合、それに参加したいとナインズは主張しているのだ。
「絶対にダメだ。私が持つ戦力としてこれ以上は過多だ。帝国だけでも精一杯なのに王国の貴族からもこれ以上目を付けられる行動は許可できない。我が領からはレイナース殿に出ていただく」
「レイナースさんだって十分戦力過多ですって! 一体この一月でどれだけ彼女が強くなったと思っているんですか!」
「それは報告書で読んでいる。しかし、今でもレイナース殿は帝国の貴族。それを預かっているという建前なのだから、戦力としては私ではなく皇帝のものとして数えられるはずだ」
「う……。それは確かにそうかもですけど……。いや! じゃあ、俺だってわかんない様にします! ならいいでしょ? こんな感じで!」
そう言うと一瞬でナインズの姿が変わる。
先ほどまでは身長は高いが線の細いローブ姿だったが、今は立派な漆黒の鎧に包まれている。
ナインズの使える魔法<上位道具創造>で作られたものであれば職業ごとに決められた装備品を無視できる。それで作った全身鎧を着る事で、一見してもナインズと鎧の中身が同一であるとは誰も思わないだろう。
「ね、ね、お願いしますよエリアスさん。だって最近ずっとスキルでアンデット作ってただけだったんですよ? トーナメントそこそこ進んだら適当に敗退しますから、ね?」
ヘルムのスリット部分から縋る様に覗く二つの赤い揺らめき。それとしばらく見つめあった後、深い深いため息をついてエリアスはナインズの主張を受け入れた。
「ただし、条件がある」
浮かれて鎧のままぴょんぴょんとな跳ねていたナインズだったが、凍りつくほど冷たいエリアスの声にびくりと反応する。
「その姿でいる時はけして私の関係者としては振る舞うな。御前試合も私の推薦枠ではなく、別の街で傭兵や冒険者として参加するように」
「わかりました!」
ナインズはグッと親指を立てる。
普段の彼からすれば、あまりのテンションの高さに目眩がする。それ程ここ数ヶ月は心労が溜まっていたのだろう。
ナインズはこうして人に紛れているが人ではない。
生者を憎むをされているアンデッドだ。しかもあまりにも強大な力を持っている。
その力に何度も窮地を救われ、そしてその後も利用しているエリアスであるが、帝国から押しかけてきた一番弟子だったり、同じく帝国から来た婚約者(仮)だったりとここ二ヶ月程は気の休まる暇がナインズにも自分にもない。
いっそ侍従としてナインズ付きにしたアランの様に正体を打ち明ける事も考えたが、心底ナインズに心酔しているレイナースは兎も角、明らかに帝国からの監視であるアルシェにはできない。ただでさえ結婚式で使った魔法の一件では言いくるめるのには苦労したのだ。
ナインズが試しに使った魔法で記憶を操作したが負担が大きく、「あんまり使いたくない」とナインズが言ったほどだ。
「それで、具体的にどうやって潜り込むつもりなのだ? 今からでは大会まで一ヶ月を切っている。ほとんどの所で参加する選手は決まっていると思うが?」
「実はロックマイヤーさんに手伝って貰ってこの間エ・ランテルで冒険者登録をしてきたんですよ」
「いつの間に……」
「ああ、だから最近お茶の時間に遅れてたんだね」
大魔術師を超える力をもつナインズは一瞬で見たことのある場所まで移動できる魔法を使える。
それを使われては行動など縛ることはできないので少し放任していたが、こうなると一日の予定を報告させた方がいいかもしれない。
エリアスは痛む頭を抑えながら続きを促す。
「すみませんイエレミアスさん。どうしても出たかったんです。────今はエ・ランテルから動いて、カッツェ平野でアンデッドを狩っている、と言うことになっています」
「弱いアンデッドをいくら倒したところで御前試合に参加できるとは思えないな。それこそスケリトルドラゴンでも出て来なければ名を上げられないだろう?」
スケリトルドラゴンとはロックマイヤー達によく聞かされた冒険譚で強敵として出てくるアンデッドだ。
魔法が効かず、斬撃も弓矢も効きにくいその骨でできた竜は、エ・レエブル指折りの冒険者であったロックマイヤー達を多いに苦しめた。
リーダーであるボリスが聖騎士であり、他のメンバーの補助があった為に倒せたのだという。
その功績でミスリル級に上がれたのだと聞いた。
御前試合にどの程度の人材が集まるかはわからないが、少なくともアダマンタイトかオリハルコンの地位でないと声すらかからない可能性が高い。
「まあ、そうなんでしょうけど、こっちにはアンデッド召喚スキルがあるんで大丈夫ですよ! 好きな難易度のモンスターが準備できるんで」
「自作自演か?」
「ええ、まあそうですね。目的は御前試合なんでサクッと名声上げてトーナメントに参加します。なので、暫くの間ちょっと外に出ようと思っています。急いでする仕事はありますか?」
「……今のところはない。緊急の時は<伝言>を入れていいのだな?」
「はい。じゃあ一週間程で戻ってきますからその間アルシェさんをよろしくお願いしますね」
そう言ってナインズは黒い穴の様なものを生み出す。
彼がこういった密会の時によく使う<転移門>と呼ぶ魔法だ。数日に一度開いている作戦会議も終わり、今後の問題であった御前試合についても一先ずの方針が決まった。
夜はまだこれからとは言え見張りがわりに起きているだろうアランも辛い時間だ。ナインズはそそくさと穴に足を踏み出す。
「別に止めはしないが、日に一度は顔を見せて欲しい。それと、なにか問題が起こったら細かいことでも連絡して欲しい。合図は──」
「咳払い一回は都合が悪い、二回はそのまま暫く待つ、三回はすぐに来てくれ、ですね」
「ああ。それじゃあおやすみ」
黒い穴が無くなった後、エリアスは来客用の椅子にドカリと腰を下ろす。
そして対面に座る叔父にニヤリと笑う。
「上手く焚き付けて頂いて感謝します叔父上」
「いやあ、まあ。そんな焚きつけるという程では無いのだがな。少し話をしたら直ぐに乗り気になってくれたよ」
御前試合の情報を叔父のイエレミアス経由で伝えたのはエリアス自身だ。
というのも、結婚式での行動は目立ちすぎた。
いや、目立って王国内のパワーバランスを崩すこと自体は計画通りだったのだが、使えない連中までナインズという餌に食いついてきたのが面倒だった。引っ切り無しの来訪に政務は滞り、処理しなければならない書類よりも遥かに多い手紙や招待状が屋敷に届けられる。
はっきり言ってしまえば、それに費やす労力が非生産的で非効率的だった。なので、エリアスはもう一人超人的な身体能力を持つ者が欲しいと考えた。
そこでエリアスはもう一人超人的な力を持った存在を作る事に決めた。
そしてその超人の宣伝の場を御前試合に決めたのだ。
「でも上手くいくかな? ナインズ君は能力的に問題ないって言っていたけれど、もしも負けたらって思うとナインズ君が心配だよ」
「何も心配ありませんよ叔父上。そもそもナインズはアンデッド。転んだ時の打ち所が悪くて死ぬなんて事はありません。それに、御前試合では死人が出ないように審判がつくという話です。彼が死ぬなんて事は万が一にもありえませんよ」
「まあ、そう言われちゃうとそうなんだけどね」
エリアスはテーブルの上に出していた度数の高い酒を煽る。寝る前に酒を飲む事がすっかり習慣になってしまった。
まろやかな甘みと後に残る苦味。
エリアスは飲み干したグラスをローテーブルに置いて目を閉じる。
張っていた気が緩み、心地よい微睡みが酒が回るのと共にやってくる。
「ちゃんと部屋で寝るんだよ」
イエレミアスが部屋を出ていくのを片手を上げて見送る。
春の社交が終わり夏になる頃には新しく生まれたアダマンタイトかミスリルに匹敵する戦士の話題で持ちきりになっている事だろう。
ナインズがどこの街で冒険者登録をするのかはわからないが、そこのギルド職員には同情をしてしまう。
強力な戦力を持ったエリアスに対抗するように他の貴族も武力を求める筈だ。そこにポッと湧いた英雄。
なんのしがらみも無く、フラフラと立ち回る気まぐれな男。何とか自分の陣営に引き込みたいと皆が思う筈だ。
だが、中身はナインズ。つまり中身は伽藍堂の虚像だ。
他の連中がその虚像に夢中になっている内に着実に力をつける。それこそがエリアスの目的だ。
「その為には今もう一踏ん張りが大事だな」
呟いた言葉は魔法の光に溶ける。
背もたれに寄りかかっていた体は倒れ、二人がけの椅子の肘掛に頭が乗る。
少しだけ。ほんの少しだけ休もう。
そう思って閉じたエリアスの瞼は、翌朝独り寝をしたシェスティンが探しに来るまで閉じたままだった。