2019.04.11

私がクラウドソーシング系には手をださない理由

Hello World!!
杉山です。

実は私は、プログラミング学習を開始してしばらくしてから、心に決めたことがありました。

それは、案件の受注を絶対にクラウドソーシング系では取りに行かないことです。

クラウドソーシング系とは、知っている方も多いと思いますが、ランサーズやクラウドワークスなどが代表に挙げられると思います。

ランサーズ

クラウドワークス

プログラミングの勉強を始めていると、だいたい案件の受注方法の一番はじめにあがってくる方法だと思います。

たぶん、サイト模写くらいできるようになってくるといわゆる「コーディング案件」については受注できるようになるレベルにあると思います。

でも、私は先日の案件初受注までの間にクラウドソーシング系で提案及び案件受注は一度もしておりません。登録だけはしているので毎朝、メルマガは届いていますが…。

自分の中でしたくないリストの中のひとつに、クラウドソーシング系の案件受注はしないと決めたからです。

では、なぜクラウドソーシング系をしないと決めたのかと言うと…。

クラウドソーシング系をやりたくない3つの理由

  • 下請けは大成しない
  • 成果物に血が通っていない
  • 正しい努力ではないと自分で納得できた

下請けは大成しない

これは、私の持論ですが、「下請けは大成しない」と思っています。
現職は不動産産業をしているのですが、たとえば家を建築する時、当社で建築を請け負いますが実際に建築するのは工務店に依頼します。

ちょっとここからは建築の裏事情みたいな事も話しますが…。

建築を当社から下請けした、その工務店はまたそれぞれ自社が提携している大工にクロス屋さん(壁紙)、左官屋さん(外構)、サイディング屋さん(外壁)にそれぞれ仕事を流します。

この流れの中で一番の大元は建築を直接請け負った当社にあります。
クライアントから直接お金を受け取るのは当社になりますよね。

そして、当社が考えることはどんなことでしょうか。

会社になるべく利益を残す方法を考えますよね?
直接建築を行わない、当社はどうして利益を残すかと言うと実は方法は一つしかないのです。

品質、仕事の丁寧さ、建築のクオリティは下げられないけど、建築費は安い下請け先を探すしか方法がないのです。

大元の当社が次にとる行動は、競争にかけるというやりかたです。

建築のクオリティは下げずに、建築費を一番安いところに仕事をふる。シンプルにそうなります。付き合いとか、横のつながりがあるケースもありますが、多くの場合はそれはあまり意味をなしません。

事業として、会社を経営する以上利益を残す最善の選択をするのは当たり前の話ですよね。

そうなると、当然ぎりぎりで仕事を受けた工務店はまた同じように次の下請けに対しても競争をさせるでしょう。

クオリティは落とせないけど、一番安く作業のできる職人さんを探すことになります。

仕事がないと、ご飯が食べられない職人さんはしぶしぶ仕事を請け負いますよね。でも、あきらかに労働と対価が見合っていません。

それに、責任も伴います。
結局は最終的に実際建物を建築するのは職人さんなので、なにか不具合が起きたときの補修も当然しないといけません。

このサイクルに入ってしまうと、しんどいなと現場にいながら感じていました。
当社は、大元だったので一番有利な形で仕事をすることができています。

そして、お客様に感謝され、世間から評価されるのも実際に建築している職人さんや、2次請負の工務店でもなく当社なのです。

わかりやすい例でいうと、大手ハウスメーカーの積水ハウスや、住友林業ってあると思いますが、大手ハウスメーカーでさえ、家を建てているのは下請けの職人さんです。

でも、お客さんの感謝や評価は全部大元に跳ね返ってくるのです。

これは、あくまでも不動産業の中の建築という分野での話になりますが、サイト制作の受注に関しても同じことが言えます。

私は、クラウドソーシング系のサイトを見てそれを瞬時に掴み取ることが出来ました。案件のほとんどがエンドユーザーではないと思います。

よく、案件のページの最後のほうにこんな一文みませんか?
「当方コーディング案件の量が多いので、よければ継続したいと思います」みたいな。

これって裏を返せば、下請けってことなのです。

ご飯を食べていくくらいは、下請けでもできるかもしれませんが、大成はしないと思います。

世の大成された経営者を見てもわかると思いますが、下請けの会社なんてひとつもないと思います。

資本主義において、下請けは大成しない。
私はそう思います。

成果物に血が通っていない

成果物とは、仕事を依頼されて納品する商品のことです。
私の今回の案件受注で言えば、ブログだったり、ホームページだったりですね。

これが、クラウドソーシング系で下請けとして仕事を請け負って作業するとして。

いったい、自分が作っている物って誰がなんのために使うものなのだろうという気持ちが必ず湧いてしまうと思います。

こうなると、言われたものをただ作るだけなので、その成果物に血が通わないと私は思っています。

人間は、本能的に購入した物や受け取った物に対して血が通っているかどうかを無意識に判断していると個人的に思っています。

うまく言えませんが、血が通っているとその人に思いが物に宿ると思っています。そして、それは決して使う人にとってもマイナスには作用しません。

例えば、1万円あげるのでこれを今日の晩御飯で1万円を使いきってくださいと言われたとして、わざわざチェーン店に行く人っていませよね?

美味しいって誰かから聞いたお店や、テレビや雑誌で話題のお店や、一度行ってみたかったお店をチョイスすると思うのです。

なぜそんなことが起きるかと言うと、バイトが作るご飯と、大将が作るご飯とではやっぱり全然違うのです。

誰もが、美食家ではないし、フードコーディネーターではないので、味自体に、どんな違いがあるかなんてわかりませんが、そこに血が通っているかどうかは感じとれる能力が我々には備わっていると思っています。

だから、私は血が通っていない無機質なやりとりが好きではありません。
自分が作ったものを使ってもらって感謝されたり、喜んでもらうことを見れることがエンジニアのなによりの喜びだったりします。

その部分はお金に変えられない、不思議な部分ですが。
クラウドソーシング系にはなんだか、そういう血が通っている取引ってすくないのかなという印象を受けたのです。

あくまで個人的な意見ですよ笑

正しい努力ではないと自分で納得できた

なにかを目指し、なにかの夢を達成するためには私は二種類の努力があると思っています。

めちゃくちゃ努力している人でもなかなか結果が出ない人と、めちゃくちゃ努力している人でも見合った結果を出している人がいます。

これの違いは、正しい努力をしているのか正しくない努力をしているのかだと思っています。

このクラウドソーシング系で見たとき、提案を毎日何十件と送って送って送り続けることがはたして正しい努力なのかどうかと自問自答したときに、自分は別の方法を考えようと思いました。

その努力のベクトルを、たとえばツイッターのフォロワーさんを増やす努力だったり、現在のフォロワーさんに対して有益な情報を提供する事だったりです。

人生において時間は有限なので、できるだけ正しくない努力をしたくないのは誰でも同じ考えだと思います。

でも、もちろんなにかに挑戦すると絶対失敗するので、正しくない努力を一切しないってことは絶対に不可能です。でも、なるべく減らしたいとそう思ったのです。

努力を続けていると得るものは絶対にあると思っていますので。
クラウドソーシング系で提案し続けることで得られるものも絶対にあるはずです。

その結果、めちくちゃクラウドソーシング系で受注できればその手法は多くの人の役に立つでしょうし、きっとそれでマネタイズもできると思います。

だから、クラウドソージング系でめちゃくちゃ提案し続けている人にはその人が得るものもきっとあるので否定しているわけではありませんので勘違いしないでください。

私が向かっている方向に対して、自分なりにそれは正しい努力ではないと自分で納得したという、あくまで個人的な意見になります。

まとめ

これらの理由はあくまでも私個人的な意見ですので、参考程度に思っていただければと思います。

でも、クラウドソーシング系がなくなるとどうやって案件を取ればいいかな?と思うと思いますが、そこは自分の腕の見せどころですね。

どうすれば、案件を取れるのか。
どんな人が案件を求めているのか。
そんなことを考えることを考えるのが自分は好きだったりします。

現在抱えている案件がひと段落すれば、次は電話営業でもしようかなと思っています。ネットサーフィンしていたらリニューアルしたほうがいいホームページって一杯ありますから、提案待っている人もきっと多いと思います。

よろしければ、参考にしてください。

今日も長い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

- 杉山 翔平, 2019 All Rights Reserved.