脳内図書館ブログ

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今日は、京都まで、お人形に会いに行きました!

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 今朝、東京駅を出たときは雨が降っていたので、お天気を心配していたのですが、京都に着く頃には、無事雨も上がりました!

この子は、わたしがシュテフィーちゃんと呼んでいる子です♪
せっかくなので、連れてきましたよ!

京都駅のバスターミナル、C3乗り場からバスに乗り、終点の大原というバス停が最寄りです。
そこからマリアの心臓までは、割りと近いです。
三千院への看板について行けば良いので、目印にしてください。

こちらは、何度も皆様がTwitterにも投稿なさっている、入り口目印のアンティーク自転車です!
きゃっ、こんにちは!という写真です笑

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ただ、このアンティーク自転車は、本当に細い小道の奥まった場所にあり、見落としがちです。
マリアの心臓の住所を入力して、Google mapを起動させておくことをお勧めします。

こちらは入り口の看板
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ここから先は撮影禁止です。
中は、とても現実とは思えない空間です。
本当なら触れられない夢の中の世界に、実際に足を踏み入れたようです。
ここは、人形が「置いてある」という表現はふさわしくないように思います。
人形が「棲んでいる」、これがしっくりきます。

入り口を入ると、受付に恋月姫先生のARIELというお人形がガラスの中に入っています。
まるで、ぐっすりと眠っているようです。

奥に進むと、中川多理先生の瓶詰めの女の子、四谷シモン先生のお人形もあります。
やっぱり、四谷先生のお人形は可愛さでは少年ですね。
女の子のお人形は、頰がこけ、目も歪んで、凄みのある表情でした。
少年のお人形は、目がくりっとして愛らしかったです。

さらに、飾り棚にはぎっしりとアンティークドールが、隙間なく並べられています。
その向かいには、青い照明で照らされた一角があるのですが、ここが物凄い。
トラや、和太鼓、人体解剖人形や、人形がついた西洋のろうそく立てが並べられているのですが、
心臓がドキドキし、いけないものを見ているような怪しい昂ぶりを感じます。

あちらこちらで片岡佐吉先生のコメントメモを見ることができるのですが、
三浦悦子先生について、「三浦悦子は人形界一のアウトローです」とのコメントが…!
やっぱり、三浦先生はかっこいいなあと思いました。

壁にも絵画が飾ってあったり、見るものが絶えないのですが、口が破れた愛らしい少年の絵が…
恋月姫先生が、足で破ってしまったとの片岡先生のコメント。
破れて凄みが増し、不思議な空気感をまとった絵画でした。
そんなエピソード付きの絵画を見られて得した気分になりました。

奥は、靴を脱いであがる和室です。
この和室が壮絶なのです。
壁にそってずらりと隙間なく並べられた、明治・大正期の抱き人形・市松人形たち。
黒目がちな瞳でこちらを見ています。
やはり、抱き人形というのは、子供の遊び相手だからでしょうか、人間を知っている感じがします。

また、吉田キミコ先生のガラスの目がはまった絵画は、思いが高じて絵画が眼球を持ったかのような趣き。迫力があります。

小部屋には、三浦悦子先生のお人形が数体。
口の表情や、赤く染まった手足の指の表情が細やかで、エロスを感じます。
萩原望等先生の絵もあり、嬉しかったです。

廊下には、中川多理先生の、少女市松人形がありました。
このお人形は、ふっとうたた寝してしまったような風情で、音を立てたら起こしてしまいそうです。
長い睫毛と大きな瞼が、今にも動き出しそう。
口の中の小さな歯と、その奥に広がる口腔の真に迫ることこの上ない。

さらに、みっしりと人形で埋め尽くされた部屋もありました。
真ん中に、古い男の子の大きな人形が横たわり、その箱も立派なものでした。
本当にこの部屋は隙間なく、人形たちで埋め尽くされ、なぜなんの物音もしないのか不思議なほどです。
これだけの人形がいれば、うっかり誰かが音でもだしそうなものですが…。

お庭に面した和室には、こちらに背を向けて、お庭の方へ顔を向けたお人形がいました。長唄の教本を文机の上に置いています。
お稽古の合間といった感じで、なんともいじらしい。
この部屋には、かなり古い雛人形も何体かあったのですが、人の祈りをひしひしと感じました。
舌を出した人形浄瑠璃の人形の顔は、目もガラスがはめられているわけでもなく、ただ書いてあるだけなのですが
さすが舞台で役者をしていた人形だけあって、とても生き生きしています。

急な階段を上がって、二階には、恋月姫先生のマリアクローチェというお人形。
このお人形は、イタリアのミイラの少女、ロザリア・ロンバルドを彷彿とさせました。
このお人形は、目を開けそうな雰囲気がないのです。
かつては、目を開けていたのに、もう開くことはない…そんな雰囲気です。

そこから、さらに屋根裏に登ります。
中川多理先生の美しき少女というお人形がありました。
お腹の中に、ドライフラワーが入っているのですが、この女の子そのものがドライフラワーのようでした。
美しいまま、枯れて凍ってしまったようです。
さらに、天野可淡先生のお人形が…!
彼女たちは不思議です。
実は、本物の少女で、体の病のせいで人形のように見えるだけ…という感じなのです。
この屋根裏で耳を澄ますと、かすかに川の流れる音や鳥の声が聞こえてきます。
異世界のような屋根裏でした。

こんなに長く書いてしまいました。
素晴らしい経験でした。
わたしは、幸せ者です。



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人形に魅力を感じる理由は、主にふたつあります。

まず、人形は、人間が自分たちの手で人間の形を作ろうという不思議な情熱から生まれたものだと思っています。
この不思議な情熱というものにロマンを感じるというのがひとつの理由です。

もうひとつの理由は、人形に独特の力(メディア)を感じるからです。
人形は、普通、話さない・動かない、純粋なな客体だと考えられていますが、わたしはそうは思いません。

人形と目が合うような位置に対峙して、なんとも思わないという人は少ないのではないでしょうか。
見られているような気がするとか、落ち着かない、不気味だとか、怖いとか、魅力的だと思う人もいるでしょう。
これを、人形を見た人間の「反応」だと考えると、「反応」するためには、まずそれに先立って、「刺激」があるはずだと思うのです。
つまり、人形には、人間に「刺激」を伝える力があるのではないか…と妄想してしまうのです。

人間のずーっと昔の祖先は、水の中に棲んでいたにょろにょろした生き物だったそうです。
その頃、その生き物の目は原始的なもので、光と影程度しか分からなかったそうです。
それから、進化の過程で目が発達して、今のわたし達は、高度なカメラ眼と呼ばれる目を持っているそうなんです。
原始の頃は、実際にあったものの形をちゃんと見ることができていなかったということですよね。
だから、わたしは、人間には感じられないものって、まだ世界には色々あると思うのです。

人形は、本当になにも発信できない客体なのか?
人形が怖いとか、魅力的だとか思うのは、まだ未発達で未発見のわたし達の受容器官が
かつて生物の目がぼんやりとした光しか感じ取れなかったように
人形からなんらかの刺激をぼんやりと受け取っているからなのでは?
そんなふうに考えるとわくわくが止まらないのです。

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人形のことを考えるとき、特に電気で動かない人形のことを考えるとき、わたしたちに果たして人形を理解することはできるのか?と思います。

人形は、人間にある種の感情を引き起こさせる。
この時点で人形は全くの無力とは言えないわけです。
しかし、その力とは一体なんなのか。
普通、無生物である人形に能動性があるとは考えにくいです。
常識的にはそのような考えは通用しないでしょう。
では、なぜ人形は多く、勝手に動いただとか、こっちを見ているだとか、そういった類の幻想を引き起こさせるのでしょうか。
人形には、特異な「力」あるいは一種の「能動性」があると考えるのは夢をみすぎでしょうか?
人形が人間に何かを伝える力、言うなれば人形のメディア、これを人間はどこまで解析できるでしょう。



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今日は、銀座のギャラリー悠玄さんへ、最終日の『三人展~桜月~』へお邪魔して来ました。

今回も、自分がどんなことに感動したのかを、率直に書いてみたいと思います!
わたしは、特別お人形に詳しいわけではないし、専門家でもありません。
ただ大好きなので、どうして好きなのか、どんなふうに好きなのか、今日はどうして楽しかったのかを、日記にしてみたいと思います。

この展覧会では、ホシノリコさん、八裕沙さん、長尾都樹美さんの三人の作家さんのお人形を拝見することができました。
それぞれの作家さんのスペースで、全く違う空気があり、個性が際立っていました!

ホシノリコさんのお人形は、とても上品で優しい感じを受けました。

『思ひ唐草』


『天使の召喚』


この二つのオブジェは、フレスコ画のような清々しさです!

『桜風』


このお人形は、リヤドロのような、柔らかで上品な優しげなお人形だと感じました。
体の曲線が、本当にやわらかそうで、お腹の丸みが愛らしいです。

そして、大きな球体関節人形、『無題』はこちらです。




この『無題』というお人形は、足の指先や、体の色に、全身から愛情をこめて作られた印象を受けるお人形で、この可愛らしさは、ホシノリコさんのお人形への愛情から感じられるのかもしれないと思いました。


八裕沙さんのお人形は、非常に和装が似合っていることがとにかく印象的でした。

『きれいな花は嘘をつく』『あかいとりことり』


この二人のお人形は、ベビーフェイスな感じで、ほっぺがぷにっとしていそうな、愛らしいお顔立ちです。
『あかいとりことり』というお人形は、瞳の赤と、目の周りから頬の上部にかけて、赤を使った和風のお化粧が印象的です。眉もきりりと聡明そうな表情が素敵でした。
『きれいな花は嘘をつく』というお人形も、同じように赤い瞳なのですが、すこし垂れ目で、髪の色も『あかいとりことり』よりも茶色なので、優しい印象です。

『身体は魂魄を呼吸する』


このお人形も、衣裳の赤と瞳の赤が印象的です。
意志の強そうな、賢明そうな表情で、凛とした立ち姿が格好良いです。

『桜BOX』『夜桜BOX』


展覧会タイトルにぴったりの季節感溢れるオブジェです。


長尾都樹美さんのお人形は、全体にメカニカルで退廃的な印象を受けます。
歯車や金属のモチーフ、ゴシックな衣裳が魅力的です。



『闇紫』


このお人形は、わたしが始めて、長尾さんのお人形を拝見させていただいた作品です。

わたしが一番印象的だったのは、『焦香』というお人形です。


わたしのへたくそな写真でも、まるでアンティークの肖像写真のように存在感があります。
このお人形は、生成りのような、アイボリーホワイトなレースの衣裳に身を包み、上下のまぶたに付くほどに見開かれたまつげ、瞳は色素の薄い水色、髪は淡い金髪で乾いた印象です。
つめはグレーで、顔の肌は名前のとおり焦げたように見えます。
横顔を眺めるだけでも壮絶な凄味、華奢なお人形ですが、圧倒されます。
彼女はなぜ焦げているのでしょうか?心の中に燃え盛る炎があるのでしょうか。
瞳は、びっくりするほど静かに澄んだ水色ですが、その冷たさに逆に狂気もはらんでいるように感じられたりもして、とても印象深いお人形でした。

今日は、最終日でぎりぎりになってしまいましたが、心から楽しい展覧会でした。
ホシノリコさん、八裕沙さん、長尾都樹美さん、本当にありがとうございました。

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まず、全てに共通して、わたしは、シュヴァンクマイエルの映画の服や小道具やセットが汚れている感じが大好きで、食べ物が不味そうなところも好きです。

短編
シュヴァルツェヴァルト氏とエドガルド氏の最後のトリック→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm10285864
この映画は、人形の頭をかぶったパントマイムの二人が登場します。
ユーモラスでありながらも、狂気じみた激しい映像の移り変わりは、まさに悪夢をみているようです。
次々と新しいトリックが披露されるので、全く退屈しませんし、次は何が起こるんだろう?とわくわくさせられます。

家での静かな一週間→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm10286206
この映画については、ラジオでも、わりと時間をさいてお話できました。
言い加えることがあるとすれば、この映画は、毒々しさもかなりあり、シュヴァンクマイエルの世界観が好みでない人には、グロテスクすぎると感じる表現もあると思います。
はまってしまう人は、気持ち悪い、けど見ちゃう…という罠にとらわれてしまうでしょう。

オトラントの城→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm10285927
この映画は、一種ドキュメンタリーのような側面もあります。
幻想的な紙のアニメーションと、ドキュメント映像の混在は、斬新です。
しかし、そのドキュメンタリー部分も、事実を追っていくだけのものではなく、妄想か現実か、あいまいな世界を追っていきます。
現実に空想がクロスオーバーしてくるような、これもシュヴァンクマイエルらしい作品です。

ジャバウォッキー→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm9493729
この短編は、可愛らしい子どもの朗読から始まるのですが、理解を超えたシュールレアリスム的な要素もあり、わけがわからないまま、シュヴァンクマイエルの夢の中へ引っ張り込まれていくような作品です。
子どものときから見慣れている、自分の中の子どもの世界を、もし具体的に表現できる才能があるのなら、自分の世界もこんなふうに表すことができるんじゃないか?
わけがわからないけれど、自分の中に確かに存在している、親近感のわく世界です。

対話の可能性→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm7219200
これは、純粋に技術的にすばらしい映像作品であり、また見るものの目を楽しませてくれるエンターテインメントでもあります。
台詞のない映画は、文学や絵画では表現しきれないものを、わたしたちに見せてくれます。

地下室の怪→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm5739869
この映画に出てくる地下室の光景は、シュヴァンクマイエルの長編映画、「オテサーネク」を彷彿とさせる世界です。
個人的には、安部公房の「砂の女」のような、自分の力ではどうにもできない、不条理でもどかしい気持ちを感じました。
子どもの頃から、わたしたちの中に住み着いている、他者への恐怖感や、この世界に対するつかみどころのなさ、夢の中のままならない感じ…。そういったものも感じます。
主人公の女の子が単純にかわいらしく、少女のダークな「はじめてのおつかい」という面白みもあります。

コストニツェ→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm10463436
この映画については、たくさんラジオで話せたと思いますので、ぜひラジオでご確認ください。

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