清水は2年目の自主トレに吉見道場への入門を願い出た。塾長以下、柳が長男、同期の石川翔と清水が双子の次男という位置付けだ。「でもね、最初に頼んできたのは清水なんですよ」と吉見が明かす。浅尾の引退試合が行われた昨年の9月29日。ナゴヤドームでモジモジしながら吉見を伺っていた清水が、意を決して「お願いします!」と言ってきたそうだ。それ以前に話したのは1度だけ。合宿所の浴場で、こう質問された。
「スピードとコントロールと球威、3つともよくする方法ってありますか?」。何とも欲張りな若者に、吉見は優しく体験を伝えた。
「オレはスピードでは生きていない。コントロールで生きていく。ただ、若いころはスピードガンを気にしてばかりだった。変化球で逃げる投手にだけはなるなよ。打てるものなら打ってみろ。そんな気持ちをもって、真っすぐの強度を磨くんだ」。この会話が入門動機となった。勝利投手の権利が懸かる5回2死。1回に同点打を浴びた福留を打ち取った92球目は、清水が磨いたストレートだった。
「1日100球とします。1週間で600球。1年でざっと2万5000球。自分で考えて何かにチャレンジし、発見して投げる2万5000球と、単なる準備で投げる2万5000球は、必ず差が出ます」。1月の大阪では練習だけでなく、みんなで鍋を囲んではキャッチボールの重要性を説いた。吉見自身も先輩から受け継いだ竜投の伝統だった。
「投手って最後は勇気だと思うんです。130キロでも意図を込め、気持ちの入った球ならそうは打たれない。清水は19歳にして備わっているし、自分を分析できる投手だと思います」
前日の柳に続き、清水も勝った。「頑張ります。投げる場所なくなっちゃいますから」。1月には清水がライバルになる日はまだ先だと思っていた。まだ抜かせるか。次は吉見の番。16日の2軍戦で再スタートを切る。