73.後に必然と呼ばれる最初の数秒
サクサクと、芝生を踏む音が近付いていた事に気付いたのは、その音の主が現れてからだった。
「え……っ」
驚きの声に、慌てて振り返る。こんな所に人が来るなんて、と自分の事を棚に上げて思ってしまった。ヴィオレットが来ている時点で、同じ様に人目を避けたい人間がここを選んでも可笑しくないというのに。
ただその人物を認識した後は、人が来た事以上に、何故この人がこんな所にいるのかという方で驚いたけれど。
「ロゼット様」
「ヴィ、オレット、様」
今日も今日とて、愛らしく可憐な存在感。美しく伸びた背中に、美しい紫の髪が靡いている。歪みの無いストレートは羨ましい限りだ。薄く紫の乗った瞳を真ん丸く開いて、いつもの笑顔で人々の中心に佇んでいる印象とはまた違った雰囲気を感じた。
笑っているのに、笑えていない。笑顔を張り付けたはいいけれど、この後どうすれば良いのか分からないって思っている時の顔。焦り、困惑、ロゼットの頭の中が透けて見える。
「え、っと……」
胸に抱えた何かをさらに深く抱き込んで、視線をさ迷わせては口ごもる。
それが何を意味する物なのか分かるほど、自分は彼女を知らない。ただロゼットが、ヴィオレットの存在になにかしら不都合を覚えている事は明らかで。
「ごめんなさい、すぐお暇するわ」
「ぁ……っ」
自分を好まない人がいる事には、すでに慣れている。今さら傷付いたりもしないし、それに対して悲しむ事もなければ対抗しようとも思わない。嫌悪を悪意としてぶつけられさえしなければ、ヴィオレットにとってそれは毒でも薬でもないのだから。
立ち上がり、通り過ぎようとした、その腕を。
「ち、違……っ!」
捕まれたと同時に、バサリと音を立ててロゼットの抱えていた本が落ちた。
「っ……」
「っ、ごめんなさい、大丈夫……」
すぐに拾おうとした、二人の手が空中でぶつかり止まる。片方は不自然に、もう片方は自然と。前者はロゼットで、後者がヴィオレットだ。視線は各々下を向き、目線の先では見開いた本が弱い風に少し揺れている。
抱えていた時は、ブックカバーで分からなかったその内容。小説か何かだと思っていたが、開かれたページには沢山の色があった。ただそれは、絵本なんかの類いではなくて。
「……図鑑?」
「ッ──」
目から得た情報を整理する最中溢れた単語に、ロゼットの肩が分かりやすく跳ねた。地面に手を伸ばした姿で固まったまま、その指先が小刻みに震えて見えるのはその体勢が辛いからとかではないだろう。
開かれたページには、沢山の写真と細かな文字。幼い頃用意された本の中に、似た物があった。まだ、ヴィオレットがヴィオレットでなかった頃。男の子として、育っていた頃。
だからこそ、ロゼットが持っていた事がとても意外で。図鑑を持っていた事もそうだが、何よりもその内容が。
きっと多くの人が彼女に抱く印象は、美しい花々が鮮やかに彩るページを捲る姿だろう。遠くからロゼットを見ていた頃のヴィオレットも、おおよそ似たような印象を持っていた、けれど。
固まったロゼットの代わりに、落ちた本を拾い上げて細かい砂を払った。ブックカバーは汚れてしまったけれど、特に傷は付いていない。中身を少し確認したが、破れたりもしてなかった。
「はい、どうぞ」
「ぁ……は、い……」
ぎこちない動きで差し出された本を受け取って、ここに来た時と同じ様に胸に抱え込む。あの時は驚いて体に力が入っていたのかと思ったが、どうやら本の存在を隠したかったかららしい。だとしても、すでに中身まで知られた後ではあまり意味のない行動ではあるが。
「あの、これ、は……」
言い訳をしたいのに、上手い言葉が見当たらない。本当を知られた後では、どれだけ嘘を並べて誤魔化そうとも無意味だ。だから口をつぐむしか出来なくて。
彼女の内心が手に取るように分かるのは、何もロゼットが分かりやすいからだけではない。
同じ様な事態を、ヴィオレット自身体験した事があった。だからこそ今のロゼットがどういう状態なのか、何を言いたいのか、何を心配しているのか、簡単に想像が付いた。
「説明したくないなら、別に構わないわ。何も聞かないし、言わないから」
「え……?」
「忘れろと言うなら、そうしましょう。……知られたく、なかったのでしょう?」
対面した時、ロゼットがあんなにも居心地悪そうにしていた理由は、ヴィオレットがいたからではない。人がいた事、そのものに驚き焦りを感じていた。
隠したいから、隠れようとしたのに、そこに先客がいたら焦りもするだろう。ましてや相手は、良い話の少ないヴィオレットなのだから……やはり焦りの原因はヴィオレットだったかもしれない。
「私が誤解したと気付いて、止めてくれたのよね」
自分がヴィオレットを嫌がったと、ヴィオレットが思ったと気が付いたから、ロゼットは腕を引いてくれた。
その結果、彼女の秘密は暴かれる結果になってしまったけれど。誰も悪くない、ロゼットは勿論、ヴィオレットだって。ただ偶然の悪戯が働いただけで、責められる人もいない。
だからといって、ロゼットの心を慰められる訳ではないけれど。
「ありがとう。気を遣わせてごめんなさい」
何にせよ、人の秘密を吹聴する趣味はない。乱暴な言い方をすれば、興味もない。信頼関係のない間柄では説得力に欠けるけれど、目に見える保証は出来ないのでこればかりは信じてもらう他ないが。
「幻滅、なさっていないんですか……?」
「……何に、かしら」
「だって私……」
「確かに……珍しい事ではあるかもしれないけれど」
ロゼットの持っていた本の名前は、爬虫類図鑑。
この学園では、あまり好まれない種類の物。花を愛でる者も、自然を好む者も多いが、そこに必ず付いてくる虫や爬虫類は受け入れられないらしい。だからこの学園も、多くの自然を有していながらそういった生き物を目撃する頻度は少ない。外から侵入される事はあっても、学園敷地内で繁殖する事はまずないだろう。
性別年齢問わず、苦手が前提とされているのは事実だ。
「あなたが何に惹かれても、それはあなたの自由だもの」
誰かの好きは誰かの嫌いで、誰かの嫌いは誰かの好きで。万人に受け入れられる物しか愛してはいけないなんて決まりはどこにもない。選択の権利は自分だけが持っている、何を好きでも、嫌いでも、好きに選ぶ事で個性が出来る。
埋没したいというなら隠すのも手ではあるが、何も好きを嫌いに変換する必要はない。
「まぁ、苦手な人は本当に苦手だから、場所と人には気を付けた方がいいけれど」
好みの自由と、周囲への気遣いはまた別物だから。
好きの押し付けも、嫌いの強要も、一線を越えれば迷惑でしかない。それはもう自由ではなく、ただの侵害である。
かつてのヴィオレットはそれを理解していなかった。だから押し付け、強要し、最後はヴィオレット自身が害とされた。
もう随分昔の事の様に感じるけれど、まだ、あの日握った殺意の感覚を覚えている。
「それでは、ごきげんよう」
軽く頭を下げて、もう振り返らない。すれ違っただけの出会いはすぐに頭の隅っこに追いやられて、脳内に渦巻く靄を晴らしてくれるだけの衝撃はなかった。
ただほんの少し彼女の名前の色が濃くなっただけの、ちょっとした、巡り会いの出来事。
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