65.憧れと羨みは似ている
あぁ、やっぱり、こんなにも違う。
纏う雰囲気も漂う空気も、そこだけ色が違て見えた。それは自分の主観のせいか、それとも実際そうなっているのか。
どちらでも構わない。どちらにしたって、クローディアの目に写る世界は変わらないのだから。
「ミラ様も、色々とありがとうございました」
「俺は大した事をしてないよ」
「いいえ、ためになる本を沢山教えて頂きました!」
「それを読んで、身に付けたのはメアリー嬢自身の力だから」
目の前で、微笑みを浮かべた二人が話している。ミラの性格だけでなく、メアリージュン自身が人懐っこいからか、二人の雰囲気は反発する事なく馴染んでいた。
それはクローディア相手でも同じで、メアリージュンとの会話で気分を害した事はない。最初の頃の様に、お互いの性格や許容範囲を窺い話題を選ぶ必要もない。
純粋なメアリージュンの心根は、眩しいくらいに美しい。それを善と取るか世間知らずと罵るかは人各々として、クローディア個人の意見を述べるのであれば、実に好ましい人柄だ。
好ましいと、分かっているのに。
「ユランって、意外と文系科目苦手よね」
「そう、かな……自分ではあんまり自覚ないけど」
「苦手といっても、解くのに掛かる時間が増すくらいだけど。小さいミスがあるのも、文章を読み解くタイプばかりなの、気付いてなかった?」
「あぁ……言われてみれば、確かにね」
「まぁ、そもそもミス自体が少ないものね」
耳が、声を拾うのは。視線が、引き寄せられるのは。
どうして、ヴィオレットの方なのか。
彼女と話す時は、いつも落ち着かない。それこそ、メアリージュンの様な好ましさなんて、感じない。
どこまでも落ち着かず、足元が覚束無いそれが苦手で。僅かでもずれれば、話したくないとそっぽを向いてしまいたくなる様な、違和感と不自由さ。
見なければいい。話さなければいい。そうすれば、こんな実体のない感情に苛まれる事もない。そんな事、分かっているというのに。
それでも目は惹かれて。耳は雑音を排除し、彼女の声をより鮮明に拾い上げる。
つい最近までは、その姿が視界に入る事さえ不快で、不自然に甘さを含んだ声が耳障りで。出来るならば忘れていたいくらいに、クローディアはヴィオレットが苦手だった。
苦手な、はずだった、のに。
吸い寄せられる視線は、本人の自覚の外で縫い止められる。引き離すという感情が思い浮かばないくらいに、ただジッと、その姿を焼き付けたくて。
──不意に上がった、金色と目が合った。
「っ、!」
途端に、全身に力が入る。感情の読み取れない冷えた視線に射抜かれて、己の行動に羞恥を覚えた。
ヴィオレット本人以上に、ユランに気付かれた事が居心地が悪くさせる。クローディアにとってユランは、ある種の弱点であり恐ろしい何かだ。それが一体どういう感情なのか、自分自身もはっきりと理解は出来ていないけれど。
叱られる前の子供の様に、心臓が早鐘を打つ。耳の奥で、血液の流れる音が大きくなった様に思えた。その目が一瞬でも鋭さを増したら、自分はなんと言い訳をするのか……なんて。
脳内を巡っていた心配は、全て杞憂に終わる。
(え──)
スッ……と、まるでクローディアの存在など無かったかの様に。それはそれは自然な流れで、ユランの視線が再びヴィオレットへと注がれた。
穏やかに、柔らかく、多くの人がユランに抱く想像通りの表情。でもその内心が、いつもの何十倍も甘い事を、クローディアはよく知っている。
「ね、ヴィオちゃん、テストが終わったらまたどこかお出掛けしようよ」
「えぇ、勿論。今度はユランの行きたい所に付き合うわ」
「俺の?」
「前に、ご褒美を考えるって約束をしたでしょう?どうせなら一緒に選んだ方が良いもの」
「わぁ……ありがとう、ヴィオちゃん!」
「まだ何もしてないわよ」
堪え切れなかった微笑みに口許を押さえるヴィオレットに、幸福に身を浸したユランが溶けた様な笑みを返した。
完成された光景を、眩しいと思ったのは。
自分に対してとは対極にあるユランの表情への憧憬なのか、それとも。
あれほど嫌っていたヴィオレットの笑顔に対する──羨望、だったのだろうか。