挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
今度は絶対に邪魔しませんっ! 作者:空谷玲奈
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました
65/76

【番外編】クリスマス前編

 世には、クリスマスという行事がある。

 いや、我が家にもちゃんとクリスマスを祝う 習慣はある……らしい。何故自信がないかというと、今日という今日まで、その事を知らなかったからだ。少なくとも、ヴィオレットだけは。


 朝食を食べる為に部屋を出て、一晩で様変りしていた廊下に、今日という日付を認識した。

 赤と白と、緑。この季節にはクリスマスカラーと呼ばれる三色で装飾された、何とも鮮やかな世界。自分の部屋と、明暗が別れているかの様にすら思える。


(そういえば……今日はクリスマスだっけ)


 クリスマスについて、知識はある。学園でだって、クリスマスモードみたいな雰囲気はあった。町並みだってそれに合わせて随分前から変わって来ていたし、時にはクリスマスパーティーにだって出席していた。

 クリスマスという物が、珍しい訳ではない。


 ──この家の中で、さえなければ。


「こんな装飾、この家にあったのね」


 この家にあったのか、父が別宅から持ち込んだのかは分からないが、この様子だと別宅ではクリスマスを楽しんでいたらしい。

 ならば今日の夕食は、少々面倒になりそうだ。


「ヴィオレット様」


「マリン、丁度良かったわね」


「申し訳ありません、お迎えが遅れてしまって」


「私が勝手に早く出て来てしまっただけだから……もうそろそろ時間でしょう?」


「あ……あの、それなんですが……本日の朝食は、お部屋で召し上がられてはいかがでしょう」


「え?」


 マリンが呼びに来たという事は、朝食の準備が出来たのだと思ったのだが。表情を歪めるマリンの様子に、どうやらヴィオレットの予想は外れていたらしい。

 部屋で一人過ごせるなら、それは願ってもない事なのだが……如何せん、珍し過ぎて疑心が生まれてしまうのは警戒心が強いせいだろうか。 マリンに対してではなく、この家に対して。


「何かあったの?」


「いえ、何もないのですが……本日は、クリスマスですので」


「……?」


 クリスマスだから……という理屈を、ヴィオレットは上手く理解出来ない。多くの人、特に子供にとってはそれなりに楽しい何かが付随するらしいけれど、ヴィオレットにとっては普段と変わらない一日だ。

 とはいえ、今年からはそうも言っていられないらしいけれど。


「旦那様はお仕事を早く切り上げる為に、朝食の席には出られないそうです。奥様とメアリージュン様も朝食を取ったらお出掛けになるらしいので」


「あぁ……」


 そういう事かと、納得すると同時に、マリンの心遣いに深く感心してしまった。この侍女は、本当に主人の心を深く深く理解している。

 父もおらず、他の二人も予定があるのなら、ヴィオレットが朝食の席に着かずとも言い訳は楽だ。ただ待っているだけでも、外出の時間が迫れば、彼女達はそちらを優先せざる負えない。朝食の席をすっぽかしたなんて父の耳に入れば、面倒この上無いのでしないけれど。


「夜はクリスマスディナーになると思いますので……お休み頂いた方がよろしいかと」


「そうね……」


 予想はしていたが、マリンの辛そうな表情から見るに、今日の夕食は味の分からない物体を飲み込む作業が待っているらしい。


「じゃあ、お願いしようかしら。二人への言い訳は」


「体調が悪いので、ディナーまでお休みになられます……と、すでに伝えてあります」


「……私が断るとは思ってなかったの?」


「万が一お断りされたら強行手段を取るつもりでした」


「たまに恐ろしい事言うわよね、あなた」


 軽口を叩いてはいるが、それが冗談である事は承知の上だ。マリンの中で、ヴィオレットが断る可能性は万が一にもあり得なかった事だろうし、事実、ヴィオレットに断る理由は皆無だから。


 マリンの言葉に甘え、まだ数歩も進んでいない廊下を戻って部屋に入る。

 部屋着から着替えてしまったが、マリンのおかげで昼食も部屋から出ずに済みそうだ。ならばもう一度部屋着に着替えた方が楽だろう。


「マリンは……忙しそうだったわね」


 いつもなら、ヴィオレットだけの為に働くマリンも、今日はどうやらそうもいかずにあちこちは走り回っているらしい。理由は明白、この家で初めて迎えるクリスマスのせいだ。

 飾り付けからディナーの準備まで、別宅で働いていた者は慣れているかもしれないが、この本邸ではそもそも装飾品すら置いてない。別邸よりもずっと広いこの家を一日でクリスマス仕様にするなんて、猫の手だって借りたくなる忙しさだろう。


(朝食は持って来てくれるだろうし、支度くらい自分でするか)


 元々、身支度くらい一人で出来る。パーティードレスならまだしも、ただ部屋着に着替えるだけなら、子供だって自立している事だ。


「ルームウェア……新しいのってどこにしまったかしら」


 問題は身支度よりも、広い屋敷の広い部屋に相応しい、広すぎるウォークインクローゼットから新しい部屋着を探す方かもしれない。

 基本的に身支度を使用人に任せ切る貴族の中で、ヴィオレットは育った環境のせいか自分で大抵の事をこなしはする。マリンの仕事を取らない程度に、自分で出来る事は自分でしてしまう事も多い。

 それでも、着替えの準備やクローゼットの管理は、マリンが圧倒的に多くを担ってくれている。洗濯が仕事の一つなのだから、そっちの方が効率は圧倒的に良いのだけど。

 自分で自分の服の在処が分からないというのは、何とも情けない気分になってしまう。


「そんなに奥では無いと思うんだけど……」


 色鮮やかなドレス、煌びやかな宝石が多くの面積を占めているが、私服や部屋着に関してはそれほど量が多い訳ではない。

 普段使いする物だし、使い勝手のいい場所に纏められているだろうと、自分のクローゼットをキョロキョロと不審な動きで進んでいく。気分はまるで泥棒だ、自分の家、部屋、クローゼットだというのに。


「あ……」


 ドレスが途切れた一角。同じ制服が並んでいる辺り。掛かっているワンピースや、コートの様子を見ると、どうやら制服や私服のエリアらしい。


「この辺りかな」


 パッと見た所、ハンガーに掛かっている分には目的の物はない。ならば 引き出しの中、下着やインナーが入っている辺りではないだろうか。

 適当に、目に入って引き出しを開けては閉めてを繰り返す。さすがマリン、ほんの少し覗いただけでその引き出しに入っている物が分かる、綺麗な整頓の仕方。

 上から順番に見て行き、膝を付くくらい下にある引き出し。そこでようやく目当てのそれが顔を出した。


「あ、あった」


 引き出しを開けた瞬間に、柔らかな花の香りが広がる。ヴィオレットお気に入りの柔軟剤、洗い立てのそれ。

 メーカーが同じせいかデザインはどれも似たり寄ったりだけれど、だからこそどれもお気に入りの部屋着達。こうして見ると思っていたよりも種類が多い。いつもマリンに任せているから自分で選んだ事がなかったけれど、並んでいる絵を前にしてしまうとどれにしようか迷ってしまう。


(……赤と、白)


 少し下の方にある、濃い色味のルームウェア。柔らかな素材感のおかげで派手な印象は薄いけれど、ヴィオレットが持っている服の中では珍しい色合いだ。

 そのせいか、一番奥にしまわれているそれに、何故か今日は手を伸ばしてみたくなった。


 家中に充満するクリスマスの気配にに充てられたせい、かもしれない。


 引っ張り出す様に、奥に手を突っ込む。上に乗った服を取り出さない辺り、やはりヴィオレットも貴族の娘だ。普段自分で用意しないから、こうした横着が招く結果を予想出来ない。

 下にある物を無理に引っ張り出そうとすれば、当然。


「あ──ッ!」


 他の服もろとも、飛び出すのが自然の流れだ。


「あぁ……、やっちゃった」


 思わずため息を吐いてしまったが、自業自得なので文句は言えない。二列になっていた服の片方だけが綺麗に全部飛び出したらしいので、もう一度しまい直すのにそう時間は掛からないだろう。


 ならばさっさと終わらせてしまおうと、目当て以外の服を集め始めた時だった。

 視界の端に、何かの光沢が映った気がして。光沢のある服なんて、それこそドレスでもなければ持っていないと思っていたのだが。何かアクセサリーでも落ちたのか、もしくは飛び散った服の隙間にでも紛れ込んでいたか。


「これ……」


 床に転がった、小さな輪っかを手に取る。少しの緑と、銀色のリボンで出来た手のひらサイズのそれは、今の季節にはよく見かけるけど、だからこそこの家……取り分けこの部屋にはあまりにも不似合いな物だった。


「クリスマスリース?」


 所々黒ずんでいて、大分古い物だろう。透明のビニールに包まれているけれど、恐らく既製品ではない。既製品よりもリボンの割合が多いし、形も歪だ。

 本来、こんな所にあるはずの無い物。でもそれは、確かに今、ヴィオレットの手のひらにあって。


 この感触を、ヴィオレットは遠い昔から知っていた。


「っ、……これ」


 リボンの表面をなぞって、汚れている部分を擦ってみても取れる様子はない。こびりついて、色素が沈着を起こすくらい長い時間、これはここにあったのか。


 記憶が、ゆっくりと戻っていく。

 たった一度のある一日へ。たった一度だけ、ただ一日だけあった、聖なる日の記憶。


 ヴィオレットにとって、唯一のクリスマス。


+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。