63.神に祈らん
テスト勉強に一人増えたとて、やる事は変わらない。特に捗るという事も、その逆もなく。クローディアの言った通りメアリージュンは基礎を教わるだけで充分だったらしい。質問する事もほとんどなく一人で黙々と進めていた。
そんなメアリージュンを置いて、クローディアは何故かずっとヴィオレットに付いていた。
ユランとの約束だと、本人は言っていたけれど。それを理解した上で、どこか落ち着かない様に感じてしまうのは、ヴィオレットの記憶にあるクローディアとあまりに違うからだろうか。
無様な恋の結末を知っている。自業自得に終わった最後に、恋に、未練など無い。それでも、向けられた軽蔑の眼差しに傷付いた自分にも嘘は吐けない。
あの頃、あの時のクローディアはいない。巻き戻った世界に、自分の記憶が役に立たない事など、ヴィオレットはすでに知っている。予想をして、回避しても、別の所から殴られるのだから。
だから、自分の知るクローディアと、今のクローディアは別けて考えるべきな事も、頭では分かっているのに。
向けられた蔑みの目を、忘れなれないのは。
(心のどこかで……期待しているから?)
彼への心も、記憶も、全部忘れて諦められたら、きっと簡単に切り替えられる。期待しない分、傷付く事だってないはずだ。
それが出来ないという事は。未だクローディアからの目が気がかりなのは。
潰えたはずの希望に、惨めにもすがろうとする卑しさがあるから、だろうか。
少なくとも、そんな事無いと即座に否定出来ない程度には可能性がある。
(それは困る……前回の二の舞になるだけなのに)
最悪の想定が頭を過って、思わず額に手を当てて項垂れた。
仮にそうなってしまったら、折角やり直しが再放送になって終わる。何の為の一年、何の為の記憶。あんな絶望的エンディングは一度で十二分。
期待も希望も振り払う様に、数度頭を振れば揺れた脳が多少の吐き気をもたらした。三半規管の支障程度で意識を改革出来るなら安いものだ。
ただ場所的に、少々注目を集めやすくあったらしい。休み時間の廊下では当然だが、いつもならば多少の奇行もスルーされるのだが。
「あの……気分でも悪いのですか?」
「え……?」
「ふらついていた様に見えたのだけれど」
滑った視線が、紫の濃淡に縫い留められる。
髪は濃く、瞳は薄く。高貴な印象を与える紫が様々な色彩で散りばめられた少女。清楚で可憐で神聖で、あらゆる清らかさが似合うその人を、誰かは聖女と呼んだ。
間近で見ると、その評価も頷ける。 カサブランカを擬人化したらこうなりそうな、まさに白く美しい存在。
ロゼット・メーガン姫。ギアと同じく留学生であり、隣国のお姫様でもある。
心配そうに眉を下げた姿は、心に来るものがあった。美しい人が心を痛め表情を歪めさせると、必要以上に訴えてくるものがある。それが曇りなく清純な人であれば、尚更。
「歩くのが辛い様でしたら、誰か呼んで参りますけれど」
「あ……いえ、大丈夫でしてよ。少し、考え事をしていただけですから」
「そう、ですか……お節介をしてしまって、ごめんなさい」
「そんな……こちらこそ、ご心配をお掛けして申し訳有りません」
「お気になさらないで」
にこやかな笑顔と、花の香りを残して。立ち去る後ろ姿まで美しい。
歩くだけで人の視線を集める所はヴィオレットも同じだが、その視線に一点の曇りもない所は彼女の人徳だろう。
ヴィオレットに対する注目は、色々と下世話な物も混じっていたりするから。妖艶なヴィオレットへの下心だったり、家柄への品定めだったり、今は継母と異母妹への勘繰りもあって、負の視線のごった煮みたくなっている。
(羨まし……くは、ないか。注目されるなら同じだし)
ロゼットに対する、憧れや尊敬の念の方が幾分かはマシだけれど、ヴィオレットとしては注目されるなら内容が何でも同じ事。出来るならば誰の視界にも捉えられない透明人間が望ましいけれど、流石に無茶な願いである事は自覚している。
(むしろ話しかけられない分、今の方がマシか)
ロゼットは慕われている分、周囲に人が集まりやすい。逆に自分は噂と、話し掛けづらい雰囲気のある顔立ちのお陰で遠巻きにされる事の方が多い。
どうせ注目が集まるなら、多少印象は悪くとも今のままの方が利点がある。
「清く正しく、か」
ロゼットに人が向ける感情は、自分には絶対に背負えない物。
前回は言わずもがな、やり直すと決めた今だって、清廉潔白にはほど遠い。
期待しないと決めて、家にも人にも諦めてはいるけれど、許した訳でもないのだ。異母妹を素直に愛する事も、父も辛かったのだと、全てを水に流して笑う事も出来ない。恨んでも憎んでも意味がないと知っただけで、怨恨憎悪を失った訳でもない。牙を向かない様沈めなければ、自分は父に皿をぶん投げたくなるのだ。
結局、ヴィオレットの気質は何も変わらない。改めはしたが、変化した訳ではない。
(……神様を、利用しようとするくらいだもんね)
修道院に入りたいのだって、信仰を持って神に遣えたいからではない。
親から、家族から、家から逃げたい。その一心なのだ。あの家にいるくらいならと、どんな生活にも耐えられる自信はあれど、その理由は敬虔な信者を激怒させかねない物。
神に救われたと思っている。今は、神がくれたチャンスだとも、思っている、つもりだ。
でも、救いを求めて祈る事も無い。流れ星に願った所で、本気で叶うと信じられない。
結局、神のおかげだと言いながら。
(私は──神様なんて信じていないのかもしれない)