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ファンタジー文学の系譜  西洋ファンタジー文学(幻想文学)の古代から現代まで  を読み解く


☆前説(序説)



さて、、

ファンタジー文学全般の、言葉をかえれば幻想文学の原鉱といえば、、、。


そういう 原鉱の宝庫というか


玉石混交でありながら


その豊穣さは


天を抜いている。というようなオリジナル鉱石?と言えば



そんなファンタジーの原鉱



幻想文学の宝庫といえば





まずは



世界各国の神話譚でしょうね


有名なところでは


「ギリシャ神話」です。


この豊穣性は宇宙的ですらありますよね?




ついでは


「アラビアンナイト」でしょう。


これは改めていうまでもなく


天馬空を行くという幻想的なお話の宝庫ですよね。


次に私ならば「聊斎志異」を挙げるでしょうね。


これもその豊穣な幻想性は目を見張るものがあります。





そして


次は我が国の物語文学の一代金字塔である



「今昔物語」でしょう。


これも幻想譚が結構多く含まれているでしょう。





さらに


お次は


「グリム民話集」です。



この豊穣な伝承民話には


何とも言えない土俗的なキリスト教化され無い前の


ヨーロッパの民族的な寓意譚、あるいは幻想譚が



無数にちりばめられているんですね。





正直


以上の作品を読めば



それ以降の


いかなる幻想文学と言えど



すべてどこかで


あれ?



これってどこかで前に読んだような気がする、、、というデジャブ感?

があるんですよ。


原鉱としてのオリジナルが



すでにもう


これらのどこかに


あるということですよ。


つまり、、



これらの原鉱を


あるいは


インスパイアーしたり


翻案したり



現代的にしたり、、、



という



これらの原鉱たる幻想文学の



書き換え?


というか



翻案にすぎないということですよ。



「日の下に、新しきこと、何も無し」   聖書



こうした物語文学エアツエールンクの巨大な原鉱のなかに



すでにファンタジー性がすべてが具現されてしまってるということでしょうね。



だから


これらの


アラビアンナイトや


聊斎志異や


今昔物語や


グリム民話集や



どれかのどこかに



もうすでに語られてしまっているという可能性が非常に強いということですね。



ただ


だからもう今更新しい幻想文学など無用とまでは言いません。


インスパイアーであれ


書き換えであれ


翻案であれ



2次創作であれ


原鉱のヒント?をどれだけ越えられているのか、、


ということで


それ以降の作品は



新たなオリジナリティを



獲得できているという


尊称?を得ることができるんでしょうからね。




☆本論 




西洋文学における、古代から現代までのファンタジー文学の俯瞰



1、古代からドイツロマン派まで



ヨーロッパ・ファンタジー文学の系譜とは。


古くは、ギルガメッシュ叙事詩など、の古代叙事詩や、旧約聖書などの宗教文献に始まるものである。

ホメロスの作品、ダフニスとクロエなどの物語、ギリシャ神話なども広くファンタジー文学の系譜といえるだろう。


中世のケルト神話や、アーサー王伝説、ミンネザングもそうだろう。


近世にいたって、エプタメロン、デカメロン、ペンタメロン、サンヌーベルヌーベルなどの、物語文学にもファンタスティックなお話が含まれても居る。


近代ファンタスティック文学の土台としては、神秘主義の影響も、あり、また、魔女伝説や、異端審問、民族伝説も影響している。


イギリスではゴシックロマンスが盛行していた。

アン・ラッドクリフの、「ユードルフォの怪」や、ホレス・ウオルポールの「オトラント城奇譚」

そして「ヴァッテク」マシュー・グレゴリー・ルイスの「マンク」などがある。


エドワードヤングのナイトソートEdward Young: Night Thoughts も忘れてはなるまい。

これはなき妻を思って歌われた暗い詩であるが、その陰鬱なムードがドイツロマン派にも影響をあたえたといわれている。



ドイツに絞ってみるなら、ヤコブベーメやシレジウスの瞑想詩集、シューベルトの自然科学の夜の側面などの影響もある。

バラ十字会の影響、カバラや、錬金術、フリーメイソンなどの秘密結社、パラケルススの隠秘哲学の影響もあろう。サンジェルマン伯爵や,メスメルの動物磁気、などもあろう。


かくしてドイツロマン派にたどり着くのであるが、直接的には、シュレーゲルのロマン派哲学とフィヒテの主観哲学が土台となり、そこにノヴァーリスの魔術的観念論が接木されてある。


そしてゲーテの画期的長編教養小説「ヴィルヘルムマイステルの修行時代」がはっぴょうされたことである。


この小説は画期的で、主人公の魂の発展を追い、諸国を遍歴しながら、さまざまの人物と交流しながら、

人生の真実を見極めていこうというものである。


しかも、老竪琴弾きとか、不思議な美少女ミニヨンなどを配して、内容をことのほか、ロマン的に彩っているのである。


ノヴァーリスは溺れるような愛読。耽溺を告白してはばからなかったし、その哲学的断片集「フラグメンテ」で繰り返しマイステルについて述べている。


ここにいたって、ほぼ、ドイツロマン派が確立されたといっていいだろう。


しかし、ゲーテは重大な影響を及ぼしたが、続編「ヴィルヘルムマイステルの遍歴時代」ではもっぱら、現実社会へ降りていって、実業に人生実現を図ることこそ人間の目的として、ロマン派からは、袂を分かってしまうのだ。


ドイツロマン派的にはこれは裏切りとも見え、またゲーテからしたら、夢や幻想に浸りきって、一向に現実世界の居場所のないロマン派こそは「病的だ」としか見えなかったのだった。

ティークやノヴァーリスはその幻想世界に浮遊して自足していたが、


後期ロマン派のホフマンともなると、深刻な現実・俗世界VS夢想世界・詩世界との乖離に苦しんだのである。


ドイツロマン派については別に論じているのでそちらをご覧いただくとして、


さらにはこうしたドイツロマン派の盛況に影響されてフランスにもロマン派のが起こる。



フランス・ロマン派の作家たち




セナンクール         いまや完全に忘れ去られた作家といえよう。

               代表作は「オーベルマン。」これは憂鬱な独白録である。

               邦訳岩波文庫絶版


ジャン・ジャック・ルソー   ロマン派的には、「孤独な散歩者の夢想」が代表作といえる。


シャルル・ノディエ      トリルビー パンくずの妖精が代表作


モーリス・ド・ゲラン     詩人 「緑の手帖」が代表作


プルースト          「失われた時を求めて」(邦訳あり白水社) が代表作


ネルヴァル          オーレリア 秋の一夜 悪魔の肖像 魚の女王


ペトリュス・・ボレル     シャンパベール背徳物語  短編小説集


テオフィル・ゴーティエ    ミイラ物語 オンファール 魔視 アバタール 

               コーヒ-沸かし 死女の恋


バルベー・ドルヴィリ     魔性の女たち(短編小説集)中では「深紅のカーテン」が有名。


ギイドモーパッサン      オルラ


アンリドレニエ        生きている過去


カゾット           恋する悪魔


エルネスト・エロ       不思議物語(短編小説集)


リラダン           残酷物語(短編小説集) 未来のイヴ


ユイスマンス         彼方


アポリネール         虐殺された詩人  異端教祖株式会社


ボードレール         悪の華


ジャン・ロラン        仮面物語(短編小説集)


メリメ            ジウマーヌ  ロキス  イールのビーナス


マルセル・シュオッブ     黄金仮面の王


ロートレアモン        マルドロールの歌  異端派です。


ベルトラン          夜のガスパール  これは良いムードをかもしてますね。


フランスロマン派は私も大好きだがといって私が論ずる気にはならない。

ドイツ浪漫派みたいに私を悩殺することは出来ないのだ。

ということでここでは一覧表だけである。内容の詳述はしない。

「世界幻想文学大系』国書刊行会に邦訳があるものもあります。

あるいは「世界のオカルト文学・幻想文学総解説」自由国民社でも参照してください。





2、ロマン派以降から現代まで



ドイツロマン派はやがて押し寄せてくる、リアリズムの大波によって、文字通り、跡形もなく、歴史のそこへほおむり去られてしまった。

だがこと、ドイツ文学に関しては、教養小説の伝統が息づいて、メーリケの「画家ノルテン」やケラーの「緑のハインリッヒ」シュチフターの「晩夏」などがある。

ドイツ伝統の、流れに組しなかった、ためかドイツでは、リアリズムはあまり成功しなかったようだ。

その後新ロマン主義としてくくられる、作家たちが台頭してきた。

ニーチェ、ゲオルゲ、リルケ、トーマスマンである。

「ツアラツストラ」は一編の、叙事詩とも解せるし、また、教養小説の範疇にも入りうるだろう。

また、トーマスマンの「魔の山」は教養小説の典型的うなものである。

さらには、カフカやヘッセ、といった作家は、多分にロマン的でもある。

さて、その後現代に至っては、「はてしない物語」のミヒャエルエンデや「指輪物語」のトールキン、「ナルニア物語」の、CSルイスなど、

神話的叙事詩とも言うべき作品を生み出している。

ハリーポッターもその流れにあると見てよいだろう。

人は常にロマンを求めている。リアリズムは文学の範疇ではない。

ドイツ語で言う、エアーツエルンク、つまり、物語性がなければ、それは、人間の真相心理には訴えないということなのだ。

その意味でロマン主義は不滅だが、現代の多くのアニメ文化もまさにロマン主義イズムそのものの申し子であるといっていいだろう。


まずイギリスのファンタジー文学に注目する必要があろう。


トールキンの「指輪物語、」

CSルイスの「ナルニア国物語」だ。

両作とも、児童文学の体裁をとりつつ、

ファンタジー文学の王道を行っていることは確かだ。


指輪物語のシリーズは架空の国の神話という形をとりつつ、

叙事詩的に壮大な魔法世界の王国の歴史が重奏につづられていく。


ナルニア国物語は、ナルニアというやはり架空の国を舞台に

その国の消長をつづっていくというスタイルだ。


さらにあげるなら「ゲド戦記」もある。。

宮崎五郎によってアニメ化されたが、

このシリーズも壮大な叙事詩となっている。


また、ミヒャエルエンデの「果てしない物語」もある。


いずれも架空なり、別世界なりの、一つの王国を設定しそこでの愛憎や、相克、魔法使いや、グルの活躍、主人公の冒険や遍歴、恋、成長、

そして、王国の消長を描いている。


これらの作品が現代のアニメや漫画、テレビゲームに与えたた影響は計り知れないものがある。

宮崎駿の一連のアニメにも顕著にその影響が見え隠れすると、私は思っている。

これらの20世紀3大ファンタジー文学における、ルーツ探しは私の範疇外だが、

ドイツロマン派の影響も否定はできまい。


イギリスには独自の、スピリチャリズムの伝統もあるし、シルバーバーチの霊言集は私も愛読しているし、

その伝統上の、影響もあるだろう。

今現代、 のファンタジーといえば、ハリーポッターがあるが、


こうした土台の上での、ハリーポッターであると見れば、なるほどと思えるかも知れない。


20世紀の三大ファンタジーといえば、


CSルイスの「ナルニア国物語」    映画化される


トールキンの「指輪物語」       ロードオブザリングとして映画化。


グウインの「ゲド戦記」        宮崎吾郎映画化アニメ。


であろうか?


わたし的には、ミヒャエルエンデの「ネバーエンディングストーリー」あたりも付け加えたいが。


これらのファンタジー文学はいずれも、ある異世界を設定してその王国での、

主人公達の愛や憎しみ、成長、転生、魔術、放浪、異人、異動物などを描いている、壮大な叙事詩

かつは、王国の盛衰史となっている。つまり異世界の神話、それがこれらのファンタジーの基本だ。


古事記やオシアン、ラーマヤーナ、ギリシャ神話などは歴史的な特定の民俗の古代神話であるが、

それを空想の異世界を設定してそこでの王国の神話を組み立てていくのがこれらのファンタジーであるのだ。



これらの物語が果たした役割は多分、高度に進化した機械文明、非精神文明へのアンティテーゼであろう。

そしてこれらが直接的に影響しているのが、現代のRPGゲームである。

ファイナルファンタジー、ドラゴンクエスト、この2大RPGはこれら三大ファンタジー文学の子供たちである。

そしてアニメの世界もそうだ。

宮崎駿の、「風の谷のナウシカ』ここにも「ロードオブザリング」や、「ゲド戦記」の影響が感じられる。

こうした異世界神話ものは今全盛だ。


アニメや漫画RPGゲームなど、ありとあらゆる異世界物語があふれている。


私は基本的には、こうした全く現世から、隔絶した、つまり現実離れした異空間、異世界神話物は好まない。

ノヴァーリスの「青い花」的な異世界物が苦手なように、

私はあくまで、現実と異世界の両立と相克、葛藤,溶解と分離に固執した、ホフマンやティークのメルヘンが好きである。


現実が突然異世界に変わり、また、現実が異世界を侵食する。

主人公は、異世界を夢見つつ、実際は現実のむさくるしい俗物と暮らさざるを得ない。


その相克と苦悩で気がふれて、凶脳しつつ、眼は、神の飲み物を飲んだばかりにどうしても現実の

美酒さえまずくて仕方ないというそんな物語りが私は好きだ。


一度でも天上の飲み物、神しかのめないという美酒を飲んでしまったら、下界のどんな美酒だってまずくて仕方ないだろう。


それと同様に、1度でもエルフ(妖精)の楽園にさまよいこんでその壮麗な世界を見てしまったら、

現実界のどんなきれいな王宮庭園だってごみためみたいにしか感じられないのと一緒だろう。


芸術家の見たミューズの天啓がまさにそれなのだ。

美の女神の招魂を受けたなら、そして美とはこんな壮麗なのだと天上界を垣間見させてもらったら、

もう、それ以後、現実界のどんな美女もゴミにしか見えないだろう。


それが芸術家の栄光と悲惨の全てであるとさえいえるだろう。

つまり彼は見てしまったのだ、行ってしまったのだ。

その意味で芸術家とは流託の天使であるということである。

本来彼は天上で、至高の美に囲まれて生活していたのに、ある日、

天上から故なく追放されて下界の惨めなごみためで暮らさざるを得ないというそんな運命なのだ。


メルヘンや神話にしばしば出てくるところのいわば貴子流離譚である。


ノヴァーリスは青い花という神話世界にとどまって空想の翼を広げ続けるが

ホフマンは、下界で俗物どもとへしあいながら、かってそこにいて、今は追い出された神話世界を仰望し続けるのである。


「セルペンティーナそしてアンゼルムス、君らは今アトランティスで夢のような暮らしを送っているね、

だがどうだ、このおれときたら、こんな汚い安下宿でみみっちい、仕事に追いまくられてやっと生き延びているという体たらくではないか?」


「おやおや、何を僻事並べ立てているのかね?実際貴方だって、ポエムという、神話の世界に、別荘の一つを持っていて、いつだって好きなときにそこへ行って魂の洗濯をしているのではないですかな?」


そう、誰だってみんな、心の中に神話的な別荘を持っている。でなかったら、こんな乏しい現実世界で

一瞬だって生きていくのが嫌になってしまうだろう。


それがポエムであり、至高の美であり、天上の神の飲み物であり、アトランティス神話世界であるのだ。


「人はパンのみによって生きるにあらず。」

のんで食って寝てだけでは満足できないのが人間である。

そこが他の動物とは違うところだ。


ポエム、芸術、天上の美、神の言葉、神話的別荘、そういうものがなければ人は生きられない存在なのである。


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