飯塚 理八
いいづか・りはち
*以下は立岩のデータベースに入っていたものだけ。
~年 社団法人 日本産科産婦人科学会会長
1988年 日本不妊学会理事長
パーコール法による男女産み分け法を日本で最初に実施したのが飯塚理八らのグループ
「◆09 日本に関連法規はない。日本産科婦人科学会[1983][1985][1986][1987a][1987b][1988a][1988b]等の「会告」や「見解」がある。AIDについては学会内の倫理規定もない。一九八三年の「体外受精・胚移植に関する会告」は、これ以外の医療行為によっては妊娠成立の見込みがない場合で、法律上正式の夫婦に限るとしている。これについて飯塚利八(注01、パーコール法による男女産み分け法(第9章注01、cf.第9章627頁)を日本で最初に実施したのも飯塚らのグループ。また飯塚は一九八八年から日本不妊学会理事長を務めた)は次のように言う。
「私たち医者は皆、AIDがオーケーなんだから他人の卵子利用の体外受精や代理母に対する歯止めも必要ないと最初から思っていましたよ。法律学者も同意見で、ただ当時のマスコミの八〇%が反対で、この一行を入れないと体外受精そのものも許可されないので、必要ないとわかっていながらあえて加えたのです。対マスコミ用ですよ、ガイドラインなんていうのは」(インタヴューに答えて、高杉裕子[1993:169-170]。毎日新聞社会部医療取材班[1993:77-80]、一九九六年の日本生命倫理学会大会でも同趣旨の発言。)
日本不妊学会によるものとして日本不妊学会編[1996]。
「一九八八年、理事長に就任した私は、理事会に諮り、倫理委員会をもうけた。up to dateな問題を処理するために、優先順に審議されている実情であり、顕微授精、代理母については一応の見解が公表されており、引続き熱心に討議されている。この間に、現状と問題点を分析し会員に指針を与えることの有意義性も評価され、本書も企画されたのである。」(飯塚理八による序)」
There are no related regulations in Japan. "Reports" and "opinions" have been issued by the Japan Obstetrics and Gynecology Society (Japan Obstetrics and Gynecology Society [1983], [1985], [1986], [1987a], [1987b], [988a], [1988b], etc.) This association has no internal ethical regulations regarding AID. The 1983 "Report regarding in vitro fertilization and embryo transplantation" limits the use of these techniques to cases in which pregnancy cannot be expected to be achieved using other methods, and in which the couple in question are legally married. Iizuka, who has served as the chairman of the Japan association of infertility studies since 1988 and whose group was the first to implement the PARCOR technique for intentionally giving birth to a male or female child (see Chapter 9 Note 1) and was the first in Japan to carry out many other procedures, says the following regarding these guidelines:
"From the start we doctors thought that since it was ok to perform AID there was no reason to put a halt to in vitro fertilization using the egg of another women or the use of a surrogate mother. Legal experts agreed with us on this point, but at the time 80% of the mass media was against these practices. We inserted this line because if we hadn't in vitro fertilization itself would not have been accepted. We knew it wasn't necessary but we added it anyway. This "guideline" was meant to appease the mass media" (from an interview in Takasugi [1993:169-170]). Iizuka made similar remarks at the 1998 general meeting of the Japanese bioethics association (see Mainichi Shimbun medical reporting bureau [1993:77-80]).
For publications by the Japanese association of infertility studies itself see Japan Association of Infertility Studies ed. [1996].
"After becoming chairman in 1988 I consulted with the board of directors and established an ethics committee. In order to address the latest issues in our field we released provisional opinions on the most pressing current questions regarding microscopic insemination and surrogate motherhood. These opinions provoked a heated debate. Analyzing the current state of affairs and problematic areas in this field and providing the members of the committee with a guiding principle or principles came to be seen as important, and the decision to publish this book was made." (From Iizaka's forward to the Committee on Medical Research Law in America [1991], a collection of suggestions and findings by medical researchers).
■著書・論文等
◆飯塚 理八 『人工受精の研究』 金剛出版
◆飯塚 理八 『不妊の治療』 主婦の友社
◆飯塚 理八・鈴木 秋悦 19821001 「国産試験管ベビーが誕生する日」
『婦人公論』067-10:358-364 ※COPY
◆飯塚 理八 1982122431 「体外受精は通常の医療行為。試験管ベビーというの
は言葉が悪い―慶応大学医学部教授・飯塚理八氏」(ジャーナル・インタビュー)
『朝日ジャーナル』24-52:3-4
◆飯塚 理八 19831007 「「遺伝子操作はしない」という倫理基準を出発点に―
日本受精着床学会・飯塚理八会長に聞く」
『朝日ジャーナル』25-42:25-7 ※COPY
◆飯塚 理八・河上 征治 19840910 『不妊と妊娠の医学』
立風書房,217p. 950 <378>
◆飯塚 理八 編著 19841001 『赤ちゃんがほしいあなたへ』
婦人生活社,241p. 1500
◆飯塚 理八・曽野 綾子 19860801 「「男女生み分け」は冒涜か?」(対談)
『文藝春秋』64-08:264-274 ※COPY
◆飯塚 理八・青木 類 19880730 『赤ちゃんが欲しい――夫婦で読む不妊の本』
河出書房新社,223p. 2900
◆飯塚 理八 他 198901 「体外受精に関わる諸問題」 『小児科診療』
◆飯塚 理八・福本 英子・小林 美樹 19891101 「人工授精の現状を考える」
(’89婦人公論井戸端会議)」(鼎談) 『婦人公論』074-11:094-101 ※COPY
◆飯塚 理八 19900401 「親は女の子をほしがる,人工受精の権威―飯塚理八」
(慶大教授)」(今週の顔ワイド)」(インタビュー)
『サンデー毎日』69-14:023 ※COPY
◆飯塚 理八 19910101 「生殖医学の進歩とその倫理」
『新聞研究』474:39-41(特集 技術・人間・自然) ※COPY
◆飯塚 理八・立花 隆 19911025 「立花隆が迫る不妊のフロンティア」
(インタビュー)(特集・ここまできた体外授精)
『朝日ジャーナル』33-44:020-025 ※COPY
◆飯塚 理八 19920201 「代理母出産は日本でも認められているか」
(21世紀への50の質問―2001年日本はどうなる世界はどうなる)
『文藝春秋』70-02:333-335 ※COPY
◆飯塚 理八・立花 隆 19911025
「立花隆が迫る不妊のフロンティア」(インタビュー)」
(特集・ここまできた体外授精)『朝日ジャーナル』33-44:020-025 立岩COPY
◆飯塚 理八 19920201
「代理母出産は日本でも認められているか」
(21世紀への50の質問―2001年日本はどうなる世界はどうなる)
『文芸春秋』70-02:333-335 立岩COPY
●訳書
◆Edwards, Robert & Steptoe, Patrick 1980
A Matter of Life : The Story of Medical Breakthrough,
Hutchinson Publishing Group Ltd.
=1980 飯塚理八監訳,『試験官ベビー』,時事通信社,266p. <89>
●
◆日本で最初にAIDが行われたのは一九四九年慶応義塾大学病院。当時を飯塚理
八が毎日新聞社会部医療取材版[1993:73ff]で語っている。
◆「私たち医者は皆、AIDがオーケーなんだから他人の卵子利用の体外受精や代
理母に対する歯止めも必要ないと最初から思っていましたよ。法律学者も同意見で、
ただ当時のマスコミの八〇%が反対で、この一行を入れないと体外受精そのものも
許可されないので、必要ないとわかっていながらあえて加えたのです。対マスコミ
用ですよ、ガイドラインなんていうのは」
(インタヴューに答えて、高杉裕子[1993:169-170]。毎日新聞社会部医療取材班
[1993:77-80]、一九九六年の日本生命倫理学会大会でも同趣旨の発言)。
cf.立岩『私的所有論』p.95
◆「一九八八年、理事長に就任した私は、理事会に諮り、倫理委員会をもうけた。
up to dateな問題を処理するために、優先順に審議されている実情であり、顕微授
精、代理母については一応の見解が公表されており、引続き熱心に討議されている。
この間に、現状と問題点を分析し会員に指針を与えることの有意義性も評価され、
本書も企画されたのである。」(飯塚理八による日本不妊学会編[1996]序)
cf.立岩『私的所有論』p.95
198611 「パーコールを用いてのXY精子選別法の臨床応用に対する見解」
『日本産科婦人科学会誌』38-11
→岡本・馬場・古庄編[1988:213-214] <95,430>
◆「……妊娠の初期に胎児の染色体異常が発見されれば優生学上の対策をとるとか,卵子や精子の段階でそれがわかれば未然に奇形児の誕生を防ぐとか,男女を自由に産み分けられることまで可能になるのです。
先天異常児の生誕は人類優生学上の由々しい問題だけにはとどまりません。生まれた当の子どもの一生も悲惨なら,生んだ親も悲惨なものです。
染色体の問題とはちょっとはなれますが,社会問題となったサリドマイド奇形児も風疹などのビールス感染から起こる先天異常児の心配も,現実の問題としては医学的にこれからは未然に解決されるようになるでしょう。
それにまた,いま妊娠している胎児が男か女かを調べ,染色体が正常か否かが明快に認定できれば分娩後の処置も十分に準備できるでしょう。
しかも,そればかりでなく,遺伝疾患のある夫婦の妊娠相談まで不可能ではなくなっているのです。
なお,医学が進歩して,現在よりさらに妊娠の初期に,その染色体異常を明らかにでき,その原因を解ければ,いま以上の予防と治療法の確立できる日も夢ではなくなることでしょう。
「奇形児よ永遠にさらば」と言える日が来るのを期待したいものです。」(飯塚・河上[1984:44-45])
※は生存学資料室にあり