わたしを優しい人間だと言ってもらえて嬉しかった。
わたしは先入観にとらわれず客観的に物事を見ようと善処してる。けど人間なので難しいこともある。
だけど、生きろということが優しさなんだろうか。わたしは生きてほしいと自分の感情から言ってしまうことはあるがそれが正解だとは断言できない。絶対に死んだ方がいいことだってある。死ぬことは悪じゃないんだ。
きっと感覚がズレているんだろうな。でも多くの人が言う「生きろ」は先入観がとても強いように思う。
生きる理由もろくに答えられないのになぜそんなこと言ってしまうのかわたしには理解ができない。
もしかしたら経験が浅いからそんなこと思うんだ。本当に死に触れたことがあるならそんな風に言えないはず、と思われてるかもね。
だけどわたしから言わせれば、死ぬことを可哀想だと言ってしまう人こそ冷たい人間だと思う。
可哀想は相手を思いやる感情ではない。悲惨すぎて目も当てられなくなってしまったときにでてくるただの自分の感想。
これは何度も言うけれど、可哀想って言葉が大嫌いだ。
可哀想で終わる人生ほど惨めなものは無いだろう。
もしかしたらわたしのことを冷たい人間だと思ってるかもしれないけれど、わたしがあの日なぜ心を閉ざしたかというと、そういう心無いことをいうふざけた人間が多すぎて呆れてしまったから。
もう自分ひとりで戦うことに疲れてしまったから。誰も味方してくれない、だからもう疲れてしまった。
それがわたしの弱かったところなのだけれど、あんなふざけた連中にはなりたくない。だからあれから家族の前で笑わなくなった。
笑えなくなった。楽しい話も悲しい話もむかつく話もなにもしなくなった。
どうせ何を言ってもあの人たちには伝わらない。わたしが生きてきてずっと認めてもらえなかったように。
別に誰も悪くは無いの理解してるんだけどね。
今だってそうだよ。わたしのブログやツイートなどの言葉を評価してもらえるのは嬉しいけれどいざ意見を交わすとまったく伝わってないなといつも思う。
人の意見には簡単にわかると思ってしまうけれど、共感された側からすると何もわかってないとなるのは当たり前なのかもしれない。
誰かに共感してわかる!と思ってもそれは同じ気持ちになった訳ではなく、ただ何かを自分の中で感じただけに過ぎない。同じ気持ちになることは永遠に不可能なんじゃないかって思い始めてる。
悲しいことだよね。
別にいいよ、わたしの言葉で何かを感じて貰えたらならそれはうれしいよ。でも決してわたしの気持ちが理解できたとは思わないでほしい。
この文を読んで感じたことはわたしの意見なんじゃなくて、あなたの感情だよ。それをわきまえてほしい。
本当にわかってもらえたことに越したことはないけれど、知ったような口でわかるって言われることはいちばん嫌だから。
仕方ない、人間だもん。
それと、言いたいことがもうひとつあります。最近のわたしは何もがんばれず息をするので精一杯です。
本当になにひとつ頑張れないクズです。
口ばかりでかくて、中身は空っぽ。
これは言い訳なんだけれどこれでも昔は努力家だったんだ。
わたしはやればできるけれど決して天才ではない。だから必死に勉強や部活動に取り組んできた。
そして、わたしの家はとても厳しくて逆らうと殴られるような環境だった。家事をたくさんしていて偉いねと周りから言われていたけれど、そうしないといつ親の機嫌を損ねるのかわかんない。ていうか家事を手伝いと表現したら怒られた。お前のことだろうと言われる。だから当たり前のことなんだ。
親にだめだと怒られて約束をドタキャンしたこともたくさんある。大事な大会も行くなと言われたこともある。説教中は何時間も正座を強いられる。
毎日目を腫らして学校に行く。それは殴られて泣いたから。腕を強く掴まれて痣ができたこともたんこぶができたこともたくさんある。だけどわたしは転んじゃったとか、寝不足で目が腫れてるんだとか、そんな漫画みたいな言い訳を本当にしていたんだ。
すごくつらかった、だけどそんな環境下でもわたしは負けることが本当に嫌で勉強も部活も努力をしていた。
本当に本当に、あの頃の自分には頑張ったねって言ってあげたい。わたしがいちばん認めてあげたい。
こんな話をしても、いや自分の方がとか、親だってあなたのためを思ってるんだよとか心無いこと言ってくるやつ絶対いるけど、何を言われてもわたしはつらかったねって自分に言ってあげたい。
その反動がすごく大きいと思う、今の自分は。そんな環境から解放されて何も頑張ることができなくなってしまった。
だから普通に生きてこられて、今も普通に努力してる人を見ると目が潰れそうになる。死にたくなる。
だけど現実は残酷な程に平等で、どんな事情があっても努力のできない自分は置いてかれるし、誰も優しくしてくれない。
だから尚更病むし、死にたくなる。現実逃避もしたくなりますよ。ほんと。
でもわたしは頑張ることできない訳じゃないんだ。やろうと思えば誰よりも頑張ることができる。だから、口だけじゃなくてちゃんと実行に移したい。
あの頃の自分を無駄にはしたくない。だから、頑張らなくちゃいけないんだ。
こんな家庭環境について書いてしまったけれど、どうかわたしの親を悪者にはしないでほしい。たしかに他の家庭と比べたら酷かったかもしれないけれど、わたしが悪いんだ。根本的にはわたしが悪い。
それは理解している。でもすごくつらかった。それは本当なんだ。
時々、親は子供に呪いをかける存在だなと思う時がある。
誰のおかげで生きてると思っているなんて言われたら逆らえるわけがない。生んでくれなんて頼んでない!と思うかもしれないけど、事実、親だって苦労して育ててくれてるんだ。
自分の意思の前に、親だってつらい思いはしている。そんなこと言えるはずなんかない。
どこにこの気持ちをぶつければいいのかわからず、苦しむ。だから呪いだなってわたしは思うんだ。
でも親のことは本当に悪者にしないで欲しい。わたしにも罪悪感が生まれてしまう。
こんな複雑な感情も知らずに、親の悪口を言ってる奴ははやく死ねと思う。
まあ家庭環境について話したいことは山ほどあるのだが、全てを話してしまうのは嫌だな。
なぜなら、それで全部?それなら自分の方がつらかったからまだ幸せな方だよと言ってくるやつがいるからだ。
わたしは本当につらかったし、それを誰かに比べられて軽視されたくないのでね。
だから全部は言いたくないし、言えないです。でも何かには残しておきたいな。わたしの絶望をちゃんと文字に書き起こして、この世に残したい。
そしてわたしが死んだ時に誰かがその事実を知ればいいと思う。なぜか死んだ後だとつらかった記憶を軽視されないので。
たぶん本当につらかったんだねって認めてくれると思う。そう、認めてもらいたいだけなんだわたしは。
こういう事情があるから許してと言いたいわけじゃない。こういうことなので死にたいですということです。
でも、頑張りたい気持ちもあります。頑張らないと、一度スイッチが入ったわたしは誰よりも強いと思う。てか絶対強い。
なんとかスイッチを入れます。それさえできればもうわたしは止まらないから。
では、さようなら。