最近、すっかりと日々の生活が変わって来ました。
いや、実際はそこまで変わっていませんが、周りの人付き合いが圧倒的に豊かになったり、自分自身のコンディションが一年ちょい前とは比べものにならない程楽になったり、ちょっとしたチャンスのようなものも生まれたりしています。
まだ満たされるような生活は送っていませんが、様々な面で明確な変化が起こっているのです。

ずっと死力を尽くし続けても何も変わらなかった生活が嘘のようです。
DSCN4740_R
先日、賃貸古民家が見付かった訳ですが、建設会社の方からも住宅用地を紹介されました。
以前逃がしてしまった土地の1/2以下の価格で、立地が良く、450坪と広く、井戸付きで、日当たりも良好、整地の手間も少ないと言う非常にマーヴェラスな土地です。
地主さんとの個人契約なので、他の誰かに先を越される心配もありません。
将来的に新しいお家を建立する事を選択した場合、とてつもなく良い条件の土地と言えます。

不思議な事ですが、以前は本気で探しても全く手応えがなかったのに、急に魅力的な話が舞い込むようになって来たのです。
これは不思議としか言いようがありません。

後、この話は冗談だと思いますが、「ウチの娘と会って見ない?」みたいな話を持ち掛けられるような事が二回程ありました。
二回ともお相手は19歳の淑女と言う事で、内心「フオオオオオオオオオオオ!!!」と不覚にも興奮してしまいましたが、そのまま積極的なレスポンスを返さなかったら勝手にその話は流れてしまったみたいです。

まぁ・・・俺は和服を着たどらえもん・・・、年配の方や『ガチホモ』の方達からは比較的高評価な傾向がありますが、若い女性に好印象を与えられるとは、ちょっと考えにくいです。(だが、若すぎる幼女からはモテモテよぅ!!)
ちなみに私が男風呂に入った際、ガチホモの方達からは、グラビアアイドルが登場したのと同等の評価を受けている節があります。

もし、今後「会って見ない?」的な事を言われる機会があったら、取り敢えず四の五の言わずに会うだけ会って見る事にします。
例え相手方が明らかに嫌がっていたとしても、私の価値感からの魅力を感じた場合は積極的な姿勢を見せ、
「あなたと一緒にマコモを栽培したい!!」とか、「あなたの作った豚汁が食べたい!!」とか荒ぶる猛牛の如くブルってしまおうかと考えています。
ひょっとしたらみやこちゃん指数100%の希少個体が、我が眼前に現れるかも知れません。

この変化は、自分自身のコンディションを調整出来るようになった事と、この現実をほんのほんの少~しだけ調整出来るようになった事が関係しているものと思われます。
以前は、人から向けられた想念がフィルターの詰まった掃除機の様に蓄積され、尚且つその土地土地に蓄積した不協和を否応なしに吸い込んでしまい、割と本気で死ぬ寸前だったのです。
それ以外にも、怒りの結晶である『業魔』とか、見えない世界が関連する要因は幾つかありましたが、
白い靄のおやっさんによる強烈無比なエルボーや、夜な夜な電話越しに行われる『次元探求』により、一つ一つ解決して行く事が出来ました。(本当に色々な事がリアルタイムで解決している。)

自分自身が整うと、確かに様々な面で良くなる事が実感できました。
逆を言うと、自分の状態が整わない限りは、今までどんなに死力を尽くしても、何も変化しなかった訳です。
しかも私を蝕む問題は、自分自身にも他者にも解決させる事は出来なかった。
本当に八方塞がりで、どうしようもなかったのです。
大多数の人達にとっては、自分の問題を理解・認識してもらう事すら不可能でした。

そんな状態が30年以上続き、これでもかと言った位に生き地獄を堪能した訳ですが、偶然、自分の問題を扱える方が現れ、その事によりこの一年で急速に変化してしまった訳です。
これは、単純に運が良いとしか言いようがありません。

後、それと共に周りからの扱われ方も変わって来ました。
不思議な事に、ある団体からは、私の存在価値が0点だとしても、他の団体にとっては、私の存在価値が高得点だったりするような事態が発生しているのです。
これは、本気の本気で不思議としか言いようがありません。
私と言う存在は変わらないのに、ある場所では邪魔者であったとしても、また別の場所では、明らかに重宝されるような事になっているのです。

まるで醜いアヒルの子状態ですね。

これも本当に不思議としか言いようがありません。
散々周りから否定されて来た、私の考え、行動、感性が、ある場所では貴重だったりする訳なのです。
むしろ、それが人間として本来正しいと見られるのです。
割と本気で180度扱われ方が変わり、未だに戸惑っています。

本心では、どう考えても私が正しく、周りの方が間違っていると思っていましたが、
間違っている方が大多数だから、どう足掻いても袋叩きにされて来たのです。

今まで、周りに理解者が少なかったので、周りに人が居たとしても圧倒的な孤独を味わって来た訳ですが、それも急に変わってしまった。
数年前までは、本当に極一部にしか、理解者がいなかったのです。
ずっと大衆社会向けの自分を演じ、自分を捻じ曲げ、割と本気で死ぬ程に苦しんで来ました。
それも、自分を抑えて表現を制限する必要が殆どなくなってしまいました。
話したい事が、ほぼそのまま通じてしまう人達がここ数年で増え始めているのです。

しかもその人達は、私と同じく、周りに人が居たとしても孤独を味わっていたような人達です。
本当に不思議としか言いようがありません。

最後に周りからの扱われ方で、どう考えても腑に落ちない事があったのですが、それを幾つかピックアップしてみます。

十年程前まである空手道場に通っていたのですが、
最初は可愛がられ、後に『犯罪者』として扱われ、徹底的な嫌がらせを受け、心身共にズタボロになった後に去る事になりました。
・私が弟を毎日殴っている。
・自己啓発に洗脳された。
・その道場が信じている宗教の教えを否定している。
・師範を尊敬していない。
等と疑われ、毎日身に覚えのない事に対して、ある事ない事責められ、
師範や一部の高弟の方からは、会う度に肩をぶつけられる、あぐらをかいて座っている時に後ろから蹴られる等の嫌がらせを受けました。
後から分かった事ですが、一部の高弟に対して、師範直々に私に暴力を振るうように指示を出していたようです。
道理で、いきなり殴られたりする訳です。

自転車で右側車線の路側帯の内側を下っていたら、急に対向車が幅寄せをして来て、危うく自転車から落ちそうになった事がありますが、その時の車が空手道場の所有物だった事もあります。(まだ自転車での右側通行が規制される前の出来事。)
空手道場では、実際に私がそうでなかった場合だとしても、憶測で犯罪者にでっち上げられ裁かれたりと滅茶苦茶でした。
そして、師範からは訴えられても困ると言うような事を言われ、まるで私が裁判を起こすと断じ、それに対して釘を刺しているようでした。

確かに幼少の頃から弟と仲の悪い時期があり、24歳の時に弟を殴ったのは事実です。
私に非がある事も沢山あります。
しかし、毎日殴っている訳でもなく、弟との適正距離を保ち、お互いに良好な関係を築いているのは、事実だと感じているのですが・・・、
むしろ、この年になり、兄弟仲が断絶したりする事例がある中で、上手く行っている方だと思っています。

その空手道場では、私は姑息な犯罪者でした。
一旦犯罪者として扱われると、もう人間としては見られなくなります。
武術の道場と言う事もあり、弁解など出来よう筈がありません。
そうなると私の一挙一動、その全てが攻撃の対象となり、責められる事となる。
どう考えても納得出来ない事が沢山ありました。
だが、それでも私は週に4回から5回、その空手道場の練習に参加していた。
今にして思えば、人生で一番無理をしていました。これ以上の無理は出来ないレヴェルでした。
それでも空手道場に対する忠義と、練習に参加しようとする意地は捨てなかった。(可愛がられていた時期もあった。)
だが、その状態で一年以上経過した後に、どう見ても私情で裁かれていると感じ、人前で言う事と、私に対する行いが違う師範に対し、疑いを持ちました。

それが師範に対する不敬と扱われ、役に立つかも知れないと学び実践していた自己啓発を洗脳されていると否定され、その道場の宗教をより強要?される事態に繋がったのかも知れません。
道場生としての立場上、その宗教に対して反論する事など出来ませんでした。

当時から思っていましたが、実際に犯罪行為をして来たのは、どちらかと言う事です。
私は、今でも自己啓発、精神世界、政治経済と、様々な情報に目を通していますが、決して洗脳はされていないと自分では思っています。
あくまで自分的には、様々な情報を掘り下げ、ひとつひとつ時間を掛けながら真偽を確認して行っているつもりでいます。(何年も掛かる地道な作業)

私は比較的真面目なので、疑いを持ちつつも、『『『認めて貰う為に』』』道場に通えなくなるその日まで、練習は一切の手抜きはせず、大会設営の手伝いとかも本気の本気でやっていました。
最後に一言言うと、私に対してそう言う行為が出来てしまう以上、その宗教の教えは間違っていると思います。
改めて、実際の犯罪者はどちら側なのでしょうか??

自分の中では本当に生きるか死ぬかの日々でした。
極真空手の練習は、ただでさえハードな上、その様な事が毎日起こっていたのですから、本当に辛かったですよ。


後、その出来事に比べれば小悪党レヴェルですが、
二年前まで一時期関わっていた某自己啓発ブログのグループでも数々の不快な思いをしました。
こちらは、別に命に関わる様なイベントではなく、あくまで小悪党レヴェルなのですが、今でも納得の出来ない事があります。

主催者のI先生からは、以下のような扱いを受けました。
・基本的に私の存在は無視され、話し掛けても無視、話し掛けられた事に対して答えても無視される。(人間としてその態度はどうなのかと思う。)
・どうやら私は児戯に等しいらしい。(これは文章で書かれたので、二年以上前のブログのコメントを探せば残っていると思います。)
・お前は、国○さんの次につまらない。と言われ、ツアー中は、存在を抹消されたように無視される。私にだけは意図的に話し掛けない。(一応こちらは、お金を払ってサービスを受ける立場なのですが・・・)
・お前は『真面目に生きていないから』と言う理由で、ツアー中に行われた神社での御神事への参加を私だけ拒否される。(こちらも一応お金を払ってサービスを受ける立場ですが、恐らくサービスの対象外が存在しているのでしょう。私は対象外と規約に書いて欲しかった。)
・食欲に支配されている。注目を浴びる為に腐った豆乳を飲んでいる。お前の苦痛の原因は周りから普通に見られる事。苦しんでいるように見えるけど本当は毎日幸せ。と言うような謎の迷言を発する。(身体作りの為にノンサプリメントで1日160gのたんぱく質を取るようにしているから、食事が多くなると本心から返したのに、それすらいい訳だと一蹴されました。)
・存在してはいけないと言うビリーフがある。(これは要素としてはあるのかも知れないが、手当たり次第に言っている感がある。)

大まかな事を抜粋するとこんな感じなのですが、本当にいい加減な事を言われたような気がします。
その中の一つでも合っているのかと問いたいですね。

I先生に対し、こちらの話は一切通じないが、歪曲解釈され、一方的に訳の分からない事を言われる感じです。

私は、結構真面目な性格なので、言われた事に対する自覚はなくとも、専門家の先生の言った事だからと、二年間もの間掘り下げるようにしていました。
だが、どう考えても、I先生の言っていた事が合っているように見えないのですが、それは私が至らないからなのでしょうか???

ふざけた奴には、100日間願望を書き続ける事は出来ないそうですが、普通に100日間書けた上、その以前に8カ月以上毎日書いていました。
『1000日ブログ』も達成していますね。

なぜ私が自己啓発ブログのイベントに一年以上参加していたのかと言うと、周りの人達から「ピストン来て!」と言われていたのもありますが、
私は様々な場所で否定されて来た経緯から、どうしても『認められよう』としていたのです。

これは私の持つパターンで、否定されるのなら、誤解を無くし『認められよう』と行動していた訳です。
それは先に述べた空手道場を含め、様々な場所でです。
考えて見れば、今までの人生で、そうやって認められた試しなど殆どありませんでした。

私の間違いは、意思の通じない人間には、これから先も決して理解される事はないから、関わるべきではないと言う事を知らなかった事です。
今まで、まるで不快な思いをする為だけに、お金と時間を使う事が結構ありました。

これも、記事の中で述べた事ですが、私が0点として扱われる場所に無理して所属せず、80点以上に扱われる場所に参加するようにするのが正しいのかも知れません。
私の場合、それが楽になった要因の一つであると言えます。
良い流れが生まれ始めたのも、そのようにしてからです。

後、私のアイデンティティである脳内に浮かぶ女性の『みやこちゃん』も、ある人にとってはただの妄想としか扱われませんが、
またある人にとっては、本質的な美しさを保持した、この世界に滅多にいないタイプの女性と理解されます。
白い靄のおやっさんに至っては、みやこちゃんの概念を数値で理解され、脳波1Hz以下、周波数が最低でも3億以上、覚醒値+90以上の女性と表現されます。
人それぞれ、物事の捉え方は本当に違うと言う事に驚かされます。

文章が超長くなってしまいましたが、世の中ってのは本当に不思議です。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
良かったらクリックしてちょ!

生きる上で一つ分かった事は、非を持つなと言う事です。
例え過失割合が、私が5%、相手が95%だったとしても、
相手は、その5%を徹底的に責めて来る。
こちらが使わないような手段も使う。

そうならない為に、自分の思想や行動は、裏も表もオープンにし、(勿論、社会的な節度は守る)
小汚い事をせず、正直に生きる事が大切だと理解しました。
非が無ければ、例え大人数が相手だったとしても、こちらは最強のパワーでいられるのです。

なので、これからも自分の中の小汚さと向き合う事にします。

自己啓発、精神世界の傾向として、現在と未来にピントを合わせる風潮がありますが、
過去の自分の汚い行いを直視する事も、大きく自分を成長させます。
私はそれを理解しました。