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2019-05-09

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・お正月に書こうかと思ったのだけれど、
 ちょっと、余計なおせっかい感が強くなるので、
 書くのをやめたことがあった。
 お年玉を子どもがもらって、
 それをなんに遣うのと訊かれたとき、
 「貯金をする」と答えると、
 「えらいねー」とほめられるのは、どうなんだろう? 
 ぼくがお年玉をもらっていた時代には、
 そんなふうにほめられたものだったけれど、
 はたして、いまの時代はどうなっているのだろうか。 

 ほしいものやら、お金を遣いたいことやらについて、
 頭で考えること、そして、それを実行すること。
 あるいは、それをして失敗すること。
 そのすべてが、将来大人になったときのための、
 すばらしい練習になることなのだと思う。
 ぜんぶを、すっからかんに失ってしまうのが
 怖すぎるというのなら、一部分だけ遣うのだっていい。
 じぶんなりの欲や、じぶんなりの快感をおぼえて、
 その欲望という名の自動車を運転してみる。
 このことこそが、大事な教育であるはずだ。
 「貯金をする・えらいねー」のコントは、
 なんにもやらないことがえらい、とおぼえさせるだけだ。
 「貯金をする」は、じぶんの自由になるお金で、
 さてなにをしようかと考えはじめもしないうちに、
 考えにも欲望にもストップをかけてしまう行為だ。
 親は、「貯金をするだって!」と、
 ちょっと叱ってやる必要さえあるのではないだろうか。

 貯金をしたら利息が付きますという時代もあったけれど、
 いまは、ほとんどそういうこともないのである。
 出たり入ったりするから、パワーを発揮できるので、
 お金はじっとおとなしくさせておいても、
 ただの紙切れであり、数字である。
 そこから「それはどういうことなんだろうね?」と、
 こどもに教えるのが親の仕事なのに、
 「貯金はえらい」では、どうしょうもないと思うのだ。
 正直に言って、ぼく自身が「貯金はえらい」と、
 大人たちに教えられて育ってしまったこどもだった。
 いまだに、その考えのシミが心に残っている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
お金は汚い、お金は遣うなと、本気で教えられたもんなぁ。


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