忘れていた宣伝
こんにちは。ブログでの告知をすっかり忘れていましたが、こういった本を例大祭の方で頒布させて頂きました。
Boothにて通販を受け付けておりますので、よろしければどうぞ。
やったからには振り返る。それが我々同人者だ
実に二年ぶりの博麗神社例大祭へのサークル参加でした。そのため時の流れのせいか新鮮に思うところもあったりなかったり、時間の流れについて行けてないなと思うところもあったりなかったり。
そういう意味も込めて、振り返りをしていきたいと思います。
サークル参加して良かったこと、一般参加者としてよかったこと、反省したかったこと、インターネット物申しまとめの順でいきます。
サークル参加して良かったこと
大別して3つあります。即売会に新刊をひっさげて出ることの喜びを、再認識した形です。
- サークル参加費に対して黒字になった
- ターゲットにした人にきちんと届き、喜んでもらえた
- 同人誌を介して新しい人との出会いがあり、嬉しかった
順に詳述する……前に、ぼくにとってこの『死神ちゃん』という小説がどういった意味合いを持っているのかを軽く説明しておきます。
『死神ちゃん』、それは未完の口惜しい作品
じつは同名の小説を二年前くらいに発行したことがありました。覚えている方いらっしゃるかな……?
その時のはB6二段組み、多分50pくらいの本です。ただ、少々出来映えに不満の残るものでした。
まず、表紙を落とされました。それで慌てて、1日、いや、6時間ぐらいで描いてもらったラフもラフをコラージュして、辛うじて本としての体裁を整えた形になります。
次に、推敲する時間もそんなに取れませんでした。当時は残業3.5h/日が当たり前な日々を過ごしていたためです。労働死すべし、慈悲はない。
結果、捌け方は芳しくなく……苦汁を舐めさせられた参加になりました。初出は冬コミだった気がする。底冷えしました。心まで震えてました。
そういうわけで、今回の『死神ちゃん たいせつなひと のまき』は、その時の雪辱を濯ぐという意味で、大変豪華な完全版にしようと思って意気込んだ作品だったのです。
『死神ちゃん』に求めたスペック
『死神ちゃん』を発行するにあたって、僕がどうしても妥協できないと思った点は以下の三点です。
- 原作へのリスペクトを感じられるようにする
- 物語として、自分の表現したいものを表現しきる
- 表紙をつける
その結果、固まった仕様は以下のようになりました。
- 『死神くん』の版元であるJU○P COMICSさんの装丁に限りなく近づける
- 厚さも単行本一冊に出来るだけ近づける
- こまえーきが好きなので最終的にこまえーき本にする
- 『死神くん』の設定は出来るだけ使う
上記の要求を満たすために、表紙担当のpezy-byte氏にはかなりの無茶振り発注をしました。
ゲストさん三名にも、まったく打ち合わせをせずにただ「小町が出てくる話を書いて下さい!」とお願いだけして、僕は自分の原稿に閉じこもっていました。
今思えば申し訳ねぇと言う気持ちでいっぱいですが、ありがたいことに僕は優秀な周りの方々に支えてもらう事で生き延びてきた人種なので、今回の本は会心の出来となりました。表紙の出来は書影をご覧頂ければ分かるとおり。ゲストさん原稿もキラリと光る作品ばかりです。
勿論、僕の原稿も負けてはいません。珠玉のこまえーき本になったという自負があります。というわけで以下のBoothから発注どうぞ。
で、サークル参加して良かったこと
話が大きく逸れたようにみえるかも知れませんが、これは前振りです。
つまり、『死神ちゃん』のターゲットはだれなのか。誰に届けば”成功”なのか。という観点でものを語る上で、『死神ちゃん』そのものの説明が必要だったのです。
回りくどい言い方は、ナシにしましょう。僕が想定したターゲットは、以下の人たちです。
- 欠片でも『死神くん』を知っている人
- こまえーき派の人
上記のORをとった人々に訴求できればウレシイとおもい、例大祭のイベントに臨みました。
結果として20部が捌けました。嬉しかったのはその中の一冊……一番最後に捌けた本かな。ポスターとPOPに目を留めた人が一言、
「こんなところで死神くんって単語を見るとは思わなかった」
って持って行ってくれたことなんですよね。
そのときは今まで出たどんな即売会での感慨よりも、なお深いものを得ることが出来ました。
その直前に作家の芦辺拓先生が手に取って下さったのですが、正直それより嬉しかったです(先生ごめんなさい)
勝ちもうした!
ターゲットにした人間の手へ、目の前で届くということ。
東方と、リスペクトもとの作品への愛情を、その場で共有できると言うこと。
それが即売会の醍醐味じゃあありませんか。
たとえその方とは今生の別れになるのだとしても、僕は書き手として、この感動を忘れることは無いと思います。
黒字がどうたらこうたら
↑の喜びに比べれば些細なことなのですが、弊サークルとしては初めて、参加費に対して黒字となりました。
これについてはあとの物申しパートのところで詳述するのでまぁ待っていて下さい。
一般で良かったこと
久々に、頒布される側のワクワクを味わうことが出来ました。
というのは、今回売り子を頼んだ若い子が、6~7万近い同人誌を集めてスペースに帰ってきたので、「おお、昔は僕もこうだったな」と良いエネルギーを貰えたのをキッカケに、ちょっとスペースをふらついてみたのです。
宝の山でしたね。目が腐っていたとしか思えない。
今回は作業用BGMを探しに行ったのですが、島中にこそ宝あり。今聴いてるCDも素晴らしい出来です。「1/6 gravity in virtual reality」です。
このワクワクに応えられるような本を、作れているだろうか……? 受け手として出た先ではそんな不安も覚えたりしましたが、答えは先述したとおりです。
僕はひとりの参加者の心を捉える本を作りました。それでいいんです。同人誌は。
反省したかったこと
別にねぇなぁ……
いや、無くはないんです。先に述べた主義主張と矛盾するようですが、もっと広い層にリーチする宣伝の仕方があったのではないか……って。
今回の宣伝方法は、『死神くん』を思い切り前面に押し出したやり方をしていました。その結果、『死神くん』を知らない層には、忌避感をもたれてしまったのではないかという懸念があります。
実際にそれは、スペースから一般参加者の目線を追っていれば明らかで……。
今回、スペースの前を通った人は三種類しか居ませんでした。
- ノールックで本を手に取っていく人
- ポスターを眺めて立ち去る人
- 素通りする人
POPを見て去った人、本をチラ見して去った人がほとんど居なかったことが重要です。
そしてノールック勢のほとんどが、Twitter上での絡みがある人であったことも付け加えておかなければならないでしょう。
つまり、ほとんど身内票なのですよね。僕のことを知らない未知の読者には、この本の存在は届いていない。響いていない。
付け加えて、POPを眺める人がほとんど居なかった事を考えるに、スルーされてしまった原因はコンセプトそのものにあったとみて間違いないでしょう。
一人の死神くんファンを刺すために、弊サークルは潜在的な需要を潰してしまったのかも知れません。
もしくは、それを届ける方法を間違ってしまったか。その辺は要検討です。もうちょっとバズぢからのあるアカウントがあればな……
一次会終わり
いやぁ、楽しいイベントだった。本当に。
心の底からそう思っているのも事実です。また新刊ひっさげて出たいな。こんどはこんな大ボリュームじゃなくてさ、気軽に手に取れるやつで。
『死神ちゃん』は通販中です。何とぞ何とぞ。僕が潤うと作品も潤いまっせ。
二次会・インターネット物申し-サークル側の態度・あるいは同人における損益分岐点のはなしとか-
以下はやっかみといまいち分離できてないかもしれないので、あれです。いい話で終わらせておきたければここまでで結構です。
ざっくりいうと、即売会はお前だけの学芸会じゃねぇんだよ、ってことです。
売り買いって言葉はキライだよ
こういうことを言い出すと、インターネット老人会の元老かよって言われてしまうのかも知れませんが。
お気づき頂けましたでしょうか。記事のここまでで、僕が一回も「買う」「売る」と言う言葉を使っていないのを。
それが即売会の本質なのです。「お客様」と「販売者」がいるのではない。いるのはただ「参加者」で、「自分の本を持ってるか」「これから本を出すか」の違いでしかないのです。
”同人誌”という言葉の意味を再確認しましょう。それは古くは”同好の士の間で共有される冊子”という意味であり、頒布価格はほとんど印刷費と手間賃という意味でほぼ同義でした。
勿論時代は流れていて、この定義をそのまま適用することは今となっては難しいでしょう。しかし”同人”という言葉の意味については、そう変わっていないように思えます。
即ち同好の士との交流です。そのための場として、イベントがあるわけです。何をしてもいいわけじゃない。これを維持していくには、参加者ひとりひとりが場を守るために守らなければならないルールがあります。
サークルのモラル
話を聞いたところによると、新刊を落とした代わりに”即興小説売り”をして長蛇の列を作ったサークルがあるようです。会場では書き切れなかったため、金銭だけ受け取って持ち帰りにしたとか。
該当アカウントを今ブロックしておこうか真剣に検討していますが、この行為には以下の二つの明確な”即売会におけるルール違反”があります。
- 「準備会が内容を承認していない/出来ない」頒布物を、イベント会場内で”販売”したこと
- 頒布物に対する金銭のやりとりを会場内で完結させず、持ち帰りにしたこと
頒布物チェックについて、特に小説サークルは流れで終わっちゃうのであまり意識したことがないかも知れませんが、あれにはものすごく重要な意味があります。
つまり、法令違反の作品を頒布していないか。倫理的にアウトな作品を頒布していないか。それをチェックしているわけです。
この即売会が健全な空間ですと、胸を張って言い張れるようにするための。即売会を場として成立させるための最後の砦です。脇道は存在しません。存在してはいけません。
某氏のように即売会のチェックを受けないサークルが一つでもあればどうなりうるか。極端な話をすれば、アスキーアートで無修正のわいせつ画を渡すことも出来るわけです。そうで無くとも、ゾーニングが必要な話を、それをくぐり抜けて渡すことが出来てしまう。
それを受け取った人間が、直ちにそれを読んで何かを起こすとは思いません。しかし周囲の人間はどう思うでしょう。例大祭というイベントに対して、何らかのイリーガルさを感じられてしまったらもうおしまいなのです。オタクは容認されているわけではありません。隔離されているのです。不用意に枠から飛び出そうものなら七面鳥撃ちですよ。
金銭トラブルに繋がりかねない二件目の指摘については、もはや言うまでもありません。この即売会で、「詐欺」にあったと騒ぎ立てられれば、もう終わりです。
正直なところブチ切れ案件です。なんで書きました。氏が読むかは知らんし、読まれても手遅れなのでどうでもいいです。いい年したおっさんがなにやってんだか。
”成功”という言葉の定義
さきにちょっと触れましたが、同人における”成功”ってなんだって話です。
これは人それぞれなので押しつける気はありませんが、ひとつだけ注意しておいて欲しいのは、「人それぞれなんだ」っていうことを忘れないで欲しいと言うことです。
今回の僕の本は、二つの意味で成功でした。そして僕が目指している成功の形というのは、これらにつきます。
- 参加費に対して黒字になった
- この本を探している人に届いた
とくに、ものすごいニッチな層(先生ごめんなさい)を狙って作った本だったので、喜びはひとしおでした。例え参加費に対して赤字でも、その一冊しか出なくても、きっと同じように嬉しかったでしょう。
そういうもんなんです。同人誌って言うのは。
「同人ってすごい儲かるらしいぜ!」って文言とともに大量の段ボール箱に囲まれた人の写真が流れてくることがあります。血反吐を吐くほど嫌いです。見つけ次第スパブロしてます。純利を挙げることを前提にしているからです。
もともと、同人誌の頒布価格というのはほとんど印刷費でした。それにいくらかの手間賃を乗せて、その値段に受け手が納得すれば手に取るし、そうで無ければさようなら。そういう文脈で言うと、頒布価格というものの決定尺度は、結局のところ活動の継続可能性のみによって決定される事になります。
なにが言いたいかというと……
捌きたいからって不利な安値をつけて首を絞めるのは止めて!
目先の金を見るあまりルール外のお金の引っ張り方をするのは止めて!
見ていられません。創作は魂を削ってやるものですが、身まで削り出したらもうヤバイですよ。心が折れるか財布が燃えるかのチキンレースです。
読者さんはあなたの作品を長く読めることを心待ちにしています。ぜひ、いち参加者として健やかであって欲しいです。
(ちなみに、うちの本は完売すれば印刷費込みで黒字になるように印刷所さんを選んでいます。その辺のノウハウはまた後日)
参加者という視点をもう一度
参加者同士仲良くやろうよ。ということがいいたいだけなんですけどね。
どうも、同好の士と言う仲間の単位が、サークル単位で閉じてしまっているような気がしていて、非常に勿体ないなと言うことを思う今日この頃です。
もっとよそにも興味と関心を払って、参加者同士心遣いあえるようになるといいね。というのを、余所のブログを見て思いました。